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孤独のランチ

作者: 波田乱太郎

俺の名は五十嵐四郎。妻子持ちの35歳だ。忙しい毎日に束の間の娯楽、それが孤独なランチ。孤独なランチとは、貴重な休みに、誰の邪魔もされず、自由気ままに自分の食べたい物を食べる事だ。どこかで聞いたような台詞まわしだか、俺のもオリジナルさ。

子供は妻に任せて、以前から気になっていた店にやってきた。店の名は「食いしん坊」豪快なイメージだが、内装はシンプルで着飾っていない。大人な店だ。もちろん俺の持論。

午前十一時二十五分。客は俺を含めて二組。老夫婦と若いカップルだ。

メニューに目を通すと、レアローストビーフ丼や牛カツランチ、和牛ハンバーグランチなど肉がメインの料理が多いようだ。以前から気にはなっていたが店名だけで、メニューは事前に調べては来ない。そこも俺のこだわりさ。

俺の席はカウンター席で二組の客は俺の席から少し離れた場所、2人がけの席で食べている。覗き見ると、老夫婦は牛すき鍋ランチを2人で分け合って食べている。ここはワンオーダー制ではないのか。ひょっとしたら常連客なのかもしれない。もう一組のカップルは……いちゃいちゃしやがって。男の方が和牛ハンバーグランチをふうふうして女にアーンして食べさせてやがる。羨ましい。じゃなくて微笑ましい。さあ他人のことはそこまでにして、そろそろ注文といくか。店員は二十そこそこの目がぱっちりとして可愛い子だ。学生かな。そういう想像も膨らませるのも孤独なランチの良いところだ。家族で来たならそうはいかない。

少し値段は張るが、たまの一人の外食だし贅沢をしよう。俺はレアローストビーフ丼を注文した。味噌汁と、漬物、サラダが付いて2500円(税抜)だ。

料理を待っている間、密かな趣味の官能小説を読もう。そう、まさに密かな趣味だ。子供はまだ幼く字は全く読めないが,妻に知られるのも恥ずかしい。

厨房からは、豊潤な香りが漂い、店内では老夫婦のあまり噛み合っていなさそうな話し声や、カップルの笑い声とフォークのかちゃかちゃのなる音が妙に心地よい。

「レアローストビーフのお客様お待たせ致しました」……「お客様……あの〜お客様‼︎」ハッと振り向くと訝しげな表情を浮かべた、先程の可愛い店員が立っているではないか。「やあ、すみません。ついつい本を読むのに夢中になってしまっていました」カリカリと頬を掻いて微笑む。自分で言うが俺は中々の男前だ。会社内ではイケオジと言われているらしい。(後輩社員曰く)すると、可愛い店員は顔を引き攣らせ後退りをしながら厨房へと下がっていく。まさか、小説の内容を見られたのか……凄く恥ずかしい。あんな表情を浮かべて去っていくのは余程のことだろう。先程までの豊かな心は、俺はもう持ち合わせていない。本当はこれから頭の中で食レポをするところだが、恥ずかしくてもうそれどころではない。早く食べて帰ろう。

せわしく肉ご飯を口は運んでいると、「ぎゃあああぁいやあぁぁぁあああ‼︎うわぁぁぁあああ‼︎」キーンと脳内にガツンと入り込んでくる金切り声は俺の最も嫌いな音だ。くそ!ガキ連れがいつのまにか来てるじゃないか。ガキの泣き声は家の中だけで十分だ。せっかく子供から逃げてきたのに、貴重な俺様の休日を邪魔しやがって。「おい、こら、うるせーぞ!外に行って泣き止ませてこいよ」可愛い店員からの拒絶されたような反応と相まって、思わず声を荒げてしまった。慌てて店内を見渡すといつのまにか店内は賑わっていた。さっきまで楽しく食べていたであろう、老夫婦やカップルからの視線が痛い。他の客も軽蔑の眼差しだ。一刻も早く店を出たいが、まだ食べ始めたばかりで今帰るのは勿体無い。俺は実は神経が図太いのかもしれない。「隣いいかな?」わざわざ聞くな!心の中で毒づき、口に肉と米を頬張りながら、声のする方は顔を向けると、休日にまで見たくない顔がそこにあった。上司の井崎だ。もちろん、声に出せば「井崎さん」だが、内心では常に井崎だ。いつも口うるさく説教ばかりしてくるむかつく上司に休日に会うとは。しかも、「隣いいかな」だと。客が増えてきたとはいえ、まだ座る席は他にあるじゃないか。わざわざ隣に来て存在を気づかせやがって。「井崎さん、休みの日に会うなんて奇遇ですね。今日はおひとりですか?」寂しい男だ。どうせ家族に煙たがれてひとりで外食にでも来たのだろう。もちろん、そんなことはおくびにも見せないが。嫌な上司は俺の言葉を無視していった。「お前、カミさんと子供は?まだ小さかったよな」「はい、まだ1歳になったばかりです。今は嫁が家で見てるところでして」嫌な上司は、俺を一瞥し「いいご身分だな」とたっぷりの嫌味。「お言葉を返すようですが、先輩も今日はおひとりじゃないですか」いつもなら口答えなどしないが、羞恥心と怒りが入り混ざり言葉が鋭くなる。「俺は家族が第一だ。俺とお前を一緒にするな。愛する嫁と娘を怒鳴るような男とな!」……血の気が引くとはこのことか。いつの間にか、可愛い店員が顔を引き攣らせ、いつの間にか客が増え、いつの間にか子供の泣き声が聞こえ、いつの間にか嫌いな上司が隣に座り、いつの間にか、俺は窮地に立たされ……「……お子様でしたか。いや、私もいつもはあんな大声なんか出しませんよ。ちょっと気持ちが落ち着かなくて、つい苛立ってしまいまして」と苦しい言い訳をする。「お前は気持ちが落ち着かなくなると、小さな子供が泣いたくらいで、大声で怒るのか」おっしゃる通り。言葉が出ません。俺はすっかり萎縮してしまう。「どんなに仕事が忙しくても、貴重な休みだとしても家族との時間はかけがえのないものだ。それを、お前。奥さんと子供を家に残して、昼間から官能小説を読みながら贅沢なランチを頼んで楽しんでいい身分だな」「はい。本当におっしゃる通りです」……えっ。「先輩今なんとおっしゃいましたか?」「だから、奥さんと子供を家に残していい身分だなと言ったんだ」「最初と最後で端折りすぎです」俺はおそるおそる確認する。「か、官能小説とおっしゃいましたか?」「あーそれか」それしかねぇだろう!「ここ、俺の妹の店なんだよ。妹夫婦で切り盛りしてるんだ」「妹からヤラシイ本を見てるおっさんがいて、声掛けたら、鼻の下伸ばして見てきてキモかったって言ってたぞ。どうせ二度と来ないから言うけど」二度とかないけど聞きたくなかった。俺は食べかけのレアローストビーフをそのままに、店を飛び出した。明日からまた、あのクソ上司と一緒に働くなんて、考えただけで憂鬱だ。もう今日は家に帰って寝よう。嫁と息子には出掛けてもらうか。

俺は家に着くと、嫁と息子を外に追いやり、現実逃避に酒を飲んでそのまま眠りについた。

ドンドン……ドンドン「五十嵐さん、ご在宅ですよね!」扉を叩く大きな音と、男のやかましい声ですっかり目覚めてしまった。俺は、明らかに不機嫌な表情を浮かべて、扉を開けて男を睨む……睨もうとしたが、目の前に立っていたのは制服警官だった。「あの、なんでしょうか?」俺は上司と威圧感がある奴には腰が低いのだ。背は低いが体格のよい制服警官は、俺を睨みつけ、「無銭飲食の被害届がありました。五十嵐四郎さんで間違いないでしょうか?交番までご同行いただけますか?」有無を言わさない言葉の圧が伝わってくる。興奮していて、すっかり忘れていた。確かに支払いをせずに店を出て来てしまっていた。だが、わざわざ同僚の後輩を無銭飲食で通報するとは、なんて小さな男だ。

その後俺は交番に連れて行かれた。経緯を説明したが、取り合ってもらえず、勾留されてしまった。後から聞いた話だが、あの制服警官、クソ上司の父親だったとは。つまり可愛い店員の父親でもあるのだ。家族絡みで俺を拘置所に入れるとは。狂った家族だ。もう会社辞めよう。膝を抱え、うずくまっていると、鉄格子の外から声がした。「奥さんから差し入れだ」それは、プラスチックの容器に移された、昨日のレアローストランチだった。容器に張り紙があり、そこには『孤独なランチを楽しんで』と嫌味たっぷりに書かれていた。「あとこれも預かってるぞ」手渡された封書には離婚届が入っていた。「これから毎日孤独なランチだな」そんな声が何処からともなく聞こえてきた気がした。


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