地下道ロック
傘岡駅には地下道がある。駅からバス停や近隣の商業ビルに繋がるこの地下道は、夕暮れ時には帰宅ラッシュのサラリーマンや学生、夕飯の買い物に来た主婦たちで溢れかえる。決まりきった日常のサイクルを繰り返す歯車のような人間どもが機械のように行き来する地下道。資本主義に支配されたこの地下道は、俺の狩場だ。
平和ボケした草食動物の大移動に、俺の歌声とストラトキャスターが牙を立てる。
遠巻きに様子を伺う奴ら。エレキサウンドに恐れをなして逃げ惑う奴ら。何も聞こえないかのように通り過ぎる奴ら。
平凡に腐り果てた傘岡の街、その地下に俺のロックが響き渡る。俺は傘岡というサバンナに解き放たれた一匹の猛獣だ。
草食動物、もとい通行人も少なくなった頃、地下道に寒風が吹き込んできた。何曲歌ったか覚えていないが、俺の手元に握り込まれたボロボロのギターピックが、そろそろ引き上げ時だと訴えていた。アンプを繋いだバッテリーを確認すると、電力残量が底をつきかけていた。気づけば腹も減っていた。帰りにラーメンでも食って帰るか。そう思い立ちギターにささったシールドを抜こうとしたとき、数メートル先で清掃用具を持ったオッサンと目が合った。俺がここで路上ライブを始めてから結構経つが、こいつは始めてみる顔だ。
そいつは微動だにせず、箒を抱えたまま真顔でこっちを見ている。なるほど、俺が邪魔でここの掃除を終わらせられないってとこだな。昨日までの気弱な清掃係は俺を避けていったのに、この新顔のオッサンは俺が退くまで待つ気だな。いいぜ!オッサンの資本主義に支配された魂と、俺のロック魂、どっちが強いか根競べと行こうじゃないか!
弦を弾く。喉を響かせる。また弦を弾く。また喉を響かせる。
バッテリーの電力が切れて、アンプ無しで弾き始めてから何十分経っただろうか。ピックも割れてサウンドは貧相になったが、ロックは魂だ!俺がアツく弾き続ければ、俺のストラトキャスターは応えてくれる。これが俺のロックだ!どうだ、見てるか、オッサン!
力強い右手のストロークと同時に清掃のオッサンのいる方に顔を向けると、オッサンは未だそこに立って真顔で俺のロックを聞いていた。クソッ!根気強いじゃあねえか。ダメだ。弦を押さえる左手が痛え。弦を弾く右腕が重い。腹も減って喉も枯れてきた。クソッ!今日はこンくらいにしといてやるか。
すっかり冷え込んだ地下道には、力尽きた俺と清掃のオッサンだけがいた。機材を片付けて地上への出口へ向かう俺は、オッサンにKO負けしたボクサーだ。オッサンの社畜魂に完全にノックアウトされちまった。
出口の階段を昇りながら振り返ると、オッサンは黙々と俺のいた場所を箒で掃いていた。今夜の風はやけに強いな。
あの敗戦の一夜からというもの、オッサンは毎晩俺の地下道ライブに現れては、通行人のいなくなる夜遅くまで待って、そして俺が去った後に箒をかけていた。
全く眼中に入っていなかった相手に完全に打ちのめされていた俺は、寧ろ燃え上がった。反抗精神!それこそがロックの原点だからだ!俺の目的はいつしか、あの清掃のオッサンに勝つことになっていった。
清掃のオッサンに反抗精神を研ぎ澄まされて、皮肉にも俺のロックはより力強くなった。その証拠として、駅前のライブハウスで演れる事になった。今までは落ちっぱなしだったオーディションに難なく受かってしまったのだ。
間接的ではあるが、あのオッサンのおかげでこの舞台に立つことが出来たわけだ。全くの皮肉だが、これでロックミュージシャンとしてより高みに近づける。
そしてライブ当日。チケットは地下道での路上ライブで売り切った。俺目当ての客は少なくないはずだ。いつも通り俺のロックをやるだけだ。しかし、柄にもなく俺は緊張していた。前のバンドの演奏なんか耳に入ってこない。そのバンドも今ちょうど演奏を終えた。俺の番だ。心臓がドラムのキックみたいに脈打つ。クソッ!こんなところで緊張してどうする。いつも通り俺のロックをやるだけだ。
スタッフの合図で、俺は袖からステージに飛び出た。眩い照明に照らされた俺は、目をしかめながら地下道とは比較にならない数の客を見渡す。その瞬間、俺は噴出した。急に笑い出した俺に戸惑う客たち。その最前列に奴がいたからだ。
清掃のオッサン。アンタ、俺のファンだったのかよ。
いいぜ!今日こそ届けてやるぜ。オッサン、アンタに!俺のロックを!
※本作はX(旧Twitter)にも掲載しています。