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無知

 ロボットは昨日の釣りポイントより少しだけ下流のポイントに座って糸を垂らした。少女たちは前日と同じように魚が釣れるのを待っていたが、やはり糸を引く気配すら感じられない。物音ひとつせずに時間は過ぎていった。


「やっぱりロボットに釣りは無理なんじゃない?洗濯も変だったわ」


 しびれを切らしたシャルロットが小声で言った。心の中でずっとロボットの応援をしていたクロエはしょんぼりとした。


「うーん……無理なのかしら?昨日彼の機嫌を悪くしてしまったから、今日はリチャードと一緒に魚が釣れた喜びを分かち合うシーンから入りたかったんだけど……」


「……ああ、なるほどね」


 シャルロットはクロエがロボットにすぐに話しかけずにいた理由に納得してうなずいた。そしてクロエの背中を強く叩いた。


「じゃあ、行きますか!これ以上待っても魚は釣れそうにないし!粘ってみたけど、コソコソ偵察なんて私の性に合わないわ!正面突破しましょう!」


 出て行くタイミングを失っていたクロエはその言葉に背中を押された。腕を伸ばして軽くストレッチをしてから、ピシッと敬礼のポーズを取り、「イエッサー」と答え立ち上がった。そしてそのまま勢いよく茂みから飛び出した。シャルロットはふいをつかれて、慌てて続いた。


 同時に「きゃっ」と悲鳴が上がった。クロエが足元をよく見ずに飛び出した結果、目の前の木の根につまずいたのだ。ロボットはその声を聞いて振り返った。ギョロっとした猫目が2人の少女を交互に眺めた。一瞬、場が凍りついた。数秒間の沈黙が続いたあと、ロボットはクロエのほうに焦点を合わせてあいさつした。


「こんにちは、クロエ。僕はあなたが木の根につまづいたと判断しました。お怪我はないですか?」


 膝を擦りむき、半泣きになっていたクロエの顔がぱっと明るくなった。


「こんにちはリチャード!私は今大丈夫になったわ!心の擦り傷はあなたの優しさで完治したの!心配してくれてありがとう!あなたってとっても優しいのね!」


 クロエは地面に伏せたまま幸せそうな笑みを浮かべている。


「お怪我が治って良かったです。僕の気配りは優しさではなくプログラムです。僕はロボットなので感情は持ちません」


 しかしロボットは機械的な声で冷たく言い放った。そしてまた川に向き直って、釣りに集中した。クロエとシャルロットは顔を見合わせて、目配せした。シャルロットがロボットのほうを大きく指さしたので、クロエはこくりとうなずいた。


 シャルロットはロボットの邪魔にならないようにゆっくりと彼の隣まで近寄り、声をかけた。


「はじめまして。リチャードは釣りがお好き?」


 彼女は上品な笑顔をロボットに向けた。この笑顔は彼女の天性のもので、無理に意識せずとも、彼女の端正たんせいな顔立ちが気品を漂わせるのだ。しかし「はじめまして、少女……」とロボットが答えた途端、シャルロットの笑顔は上品さの欠片もなく崩れ去った。


 彼女は自分を「少女」と表現されることが大嫌いだった。どうにか気持ちを落ち着かせ、歪んだ表情を戻そうとしたが、顔がひきつるだけだ。ロボットはそんな彼女の気持ちを察することもなく続けた。


「僕はあなたを14歳から15歳の少女と判断します。正しいですか?」


「ま、まあ……そうね。私は15歳よ……よくわかったわね」


「ジャミールのプログラムは正確です。相手の前情報がなくても見た目と声だけで判断できます……あれ?前情報がありません!あなたは誰ですか?しまった!また知らない人と話をしました!僕は無能です!」


 ロボットは取り乱して両手で頭をぽかぽかと叩いた。釣り竿を手放したため、昨日の二の舞いになりそうになったが、運動神経の良いシャルロットは「おっと!」と川に落ちる前に釣り竿をキャッチした。


「リチャード!どうしたの?苛立ちを暴力に訴えてはダメよ!」


 クロエが小走りで駆けてきた。彼女はロボットの自虐行為を心配していた。けれども、ロボットにその声は届いていなかった。


「僕は愚かなロボットです!また知らない人と話してしまいました!ジャミールごめんなさい!」


 彼は今度は仰向けになって短い腕と脚を不器用にバタバタさせた。このヘンテコな動きに思わずシャルロットがクスリと笑った。クロエがロボットの頭をガシっとつかんだ


「落ち着いてリチャード!彼女はシャルロット・エマーソン!私の友達よ!もう知らない人ではないわ!」


 ロボットの手足がピタリと止まった。目が赤と青に点滅した。


「シャルロット・エマーソン、15歳、クロエの友達、はい、認識しました。あなたはクロエの友達です。知らない人ではありません」


 ロボットは今までの取り乱した姿が嘘だったかのように静かに起き上がり、膝についた砂を払った。


「シャルロット、釣り竿を返してもらってもいいですか?」


「え……ええ」


「ありがとうございます」


 そして、彼は気後れしているシャルロットから強靭きょうじんな力で竿を奪い取り(クロエにはボキッという音が聞こえた)また川に向かって釣り糸を垂らした。シャルロットは唖然あぜんとしてクロエの顔を見た。


「何なの?」


 彼女の目は怪訝けげんそうに細められた。クロエはほっと胸をなで下ろし「彼ってちょっと個性的なの」とだけ答えた。もちろんシャルロットには理解できなかったので「はあ?」と返したのだが、ここでロボットが2人の会話に割って入ってきた。


「僕はジャミール以外の人間にほとんど会ったことがありません。ジャミールが敷地内から僕を出さないからです。ここはジャミールの所有地で、他の人間はまず入ってきません。

 しかし、クロエは2日続けてここに来ました。今日はシャルロットも来ました。僕には状況を理解できません。これにはどういった意味があるのですか?」


 彼は釣りを続けていたが、2人の少女のことも気になるらしい。


「まあ……あなたは世界の広さを知らないのね……もったいないわ……私たちはあなたの親友になりたくてここにやってきたのよ」


 クロエは直球だった。ここぞとばかりにため込んでいた想いを吐き出した。ロボットは釣り竿を持ったまま首をかしげた。


「親友とは何ですか?無知でごめんなさい」


 シャルロットが「やっぱり知らない言葉もあるのね……」と言いかけたところをクロエが遮った。


「謝らないで私だって無知だわ。無知なんて誰でも当たり前だもの。みんな一生かかったってこの世界の1%すら知らずに終わるわ。だから世界は素敵であふれているのよ!」


 クロエは語尾に力を込めた。シャルロットはクロエの瞳が違う世界に行ってしまわないように注視した。


「クロエは無知なのですね。誰もが無知なのですか。一生かかっても世界の1%も知ることができない……それは絶望的ですね。新しい情報です。インプットします」


 ロボットは瞳をカラフルに点滅させ、情報更新を行った。クロエはこのロボットが日々、情報の更新を行っていることを知り、心踊った。







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