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アルバート

 キャロラインは茶色の封筒を手に持ち、ひらひらとなびかせた。ぼんやりとしていたクロエが覚醒した。


「おとうさまからの手紙ね!神様はなんてお人よしなのかしら!」


 クロエは椅子を倒す勢いで立ち上がり、すぐさまキャロラインに近寄って彼女の手から封筒を奪い取った。


「クロエ!そんなに乱暴だと神様も怒るわよ!」


 キャロラインはここぞとばかりに手厳しい一言を浴びせたつもりだったが、クロエにとってはどこ吹く風だった。クロエはテーブルに着くこともせずにその場で封筒を破り、便せんを広げていた。


「親愛なるクロエへ


 ついにセントアントニオ号の進水式の日程が決まったんだね。それは楽しみだ。ご招待うれしいよ。でも私はまだ帰れそうにないんだ。良い船長と乗組員に恵まれている。私も必要とされているんだよ。わかっておくれ。代わりに今回は多めに仕送りをさせてもらうよ。これで何かおいしいものを買っておくれ。愛してるよ、クロエ。


          アルバートより」


 クロエは手紙を読み終えたあとで、唇を噛みしめた。


「おとうさまのバカ!お金なんていらないわ!」


 悲痛な声を張り上げて、便せんを投げつけた。キャロラインはぎゅっと胸に手を当てながらクロエの様子を見ていた。クロエは、


「ごめんなさい……おばあさま……少し部屋に行っているわ」


と小さな声で呟いて、そのまま2階に走って行ってしまった。残されたキャロラインは床に落ちていた手紙を拾い上げ、ため息を吐いた。彼女は破れた封筒に手紙を戻して、もう一度引き出しに入れた。




 バタン、と勢いよく扉を閉めたクロエの髪は乱れていた。彼女はそのまま力なくドアにもたれかかり、「おとうさまのバカ」と何度も吐き捨てながら呼吸を整えた。


 少し冷静になってくると彼女はふらふらとベッドに歩いて行ってうつぶせに倒れ込んだ。それから幼い子どものように手足をバタバタさせて不機嫌さをアピールした後、横目で家族の写真をチラリと見て「今日はお父様とはお話してあげないもーん」とすねて、写真立てから顔を背に向けた。


 真夏だというのに布団を頭までかぶって、怒りでくしゃくしゃになった顔を誰にも見られないようにした。


「お父様の嘘つき!進水式には帰ってくるって約束してたじゃない!」


 こみ上げてくる怒りは涙に変わりシーツを濡らした。彼女はガバっと起き上がり、両手でシーツをつかんで4つんばいになりながら叫んだ。


「お父様、誰よりも進水式を楽しみにしてたじゃない!あんなに私と一緒に見たいと言ってたじゃない!私2年前からこの日がくることをずっと楽しみにしてたのよ!お父様と初めて見る進水式だったはずよ!


 それをお金なんて卑怯なもので諦めさせようというの?!お金なんて町中にあふれているもので!」


 クロエは泣きじゃくって枕をベッドに投げつけた。怒りの正体が父親に会えない悲しみだと気づいてさらに泣いた。父親にも帰れない事情があることをわかったうえで、受け止めきれない自分の愚かさに落胆して泣いた。ロボットに自己中心的だと言われたことも拍車をかけた。


 随分長い時間、クロエは1人でもんもんとしていた。キャロラインが部屋の前までやってきてドアを2回叩いて去っていった。夕食ができた合図だ。ノックの音が聞こえてから30分ほど過ぎて、ようやくクロエはベッドからはい出した。タオルで涙を拭き、鏡の前で笑顔を作ってみた。


「クロエ、もう泣くのはおしまいよ。きっとお父様はあなた以上に悲しんでいるわ。だってあんなに進水式を心待ちにしていたんですもの。それでも叶わないことはあるのよ。


 あなたまで悲しんでいると知ったら、お父様はもっと悲しむわ。あなたはお父様の分まで楽しんでくるのよ。進水式がどれほど素晴らしいものだったか手紙に書くの!きっとお父様は喜んでくれるわ!」


 まばたきをしたときに、また一筋の涙がこぼれた。


「クロエ、わかってちょうだい。おばあさまと一緒に見る進水式も素敵なはずよ!あなたが笑顔でいなければ、おばあさまは楽しめないわ」


 クロエはもう一度タオルで涙を拭き、今度は力強い笑顔を作った。そして鏡の前で乱れた髪をとかした。瞳にはいつもの輝きが戻ってきていた。彼女は自分に自己暗示をかけて立ち上がった。そして部屋のドアを開けたときにはいつものクロエになっていた。




「おばあさま、遅れてごめんなさい」


 クロエはキッチンのドアを半分開けて、申し訳なさそうにちょこんと顔をのぞかせた。キッチンのテーブルには野菜スープとパンが2人分並んでいた。物音に気づいてキャロラインが隣の作業部屋から出てきた。


 キャロラインはクロエの顔が穏やかなのを見て、少し安心したような表情を浮かべた。それからすぐに険しい顔になった。


「クロエ、本当にごめんなさいね。アルバートは……」


とキャロラインが何か話そうとしたときに、クロエがそれを遮った。


「おばあさま、もういいの。約束破りのお父様のことは私がしっかり叱っておいたわ!だからおばあさまは、お父様を慰める役にまわってほしいの。説教は複数人でするものじゃないわ。だってお父様の居場所がなくなるでしょ?」


 明るい表情をこれでもかと作るクロエにキャロラインは言葉を詰まらせた。彼女は心が救われたような気持ちになった。


「クロエ、つらい思いばかりさせてごめんね……」


 キャロラインは涙をにじませながら言葉を絞り出した。それを見たクロエはキャロラインに抱きついた。


「おばあさま、泣かないで。私、おばあさまが苦しんでいる姿を見るのが一番嫌いなの。おばあさまが笑顔でいてくれるなら、進水式にお父様が来てくれなくたって平気よ!


 本当の幸せはいつも近くにあるもの。遠くの幸せを求めるばかりじゃ、一生幸せを感じられないわ」


 クロエはキャロラインに強くしがみついて少し震えた。キャロラインは深いしわが刻まれた顔をさらに老婆に似せて笑って、クロエの頭をなでた。


「さあ、食事にしましょう」


 キャロラインはクロエの腕を外して、軽やかに手を叩いた。それを合図に2人は普段通りのにぎやかな夕食を済ませて、クロエは唄いながら皿洗いをし、少し歓談をしたあとで部屋に戻った。


 鼻唄を唄いながら部屋に戻り、写真のアルバートと母親のミッシェルに挨拶をし「仕方ないからお父様のこと許してあげるわ。早く帰ってきてよね」と、いつものように写真立てに向かって話をした。


「明日はリチャードとお近づきなれるかしら?リチャード……おじいさまと同じ名前ね。もしかしたらおじいさまの生まれ変わりかも?おじいさまってあんな性格をしていたのかしら?本当に物語のよう……」


 眠たくなってきたクロエはベッドに横になった。


「いいえ……リチャードはスコティッシュ・リリィの生まれ変わり……私の王子さまだわ……むにゃむにゃ……」


 期待や悲しみ、興奮や緊張で充足感たっぷりの日を過ごしたクロエは、ベッドに入るとすぐに眠り落ちた。




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