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砂男の物語  作者: 六福亭(テレンス・ブレーク)
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後編

 私がいつも行く砂丘には、1軒の家が建っている。


 そこには、幼い女の子が、たった1人で暮らしている。毎晩彼女はカーテンの隙間から、砂丘で仕事の準備をする私を見ている。

 

 彼女は風変わりな女の子だ。焦げ茶色の髪の毛を長く長く伸ばして1本の三つ編みにして、頭にぐるぐると巻きつけている。服(私と会うときはいつもパジャマだが)はこざっぱりとしているが、子供らしくない暗い色合いだ。喋り方は堅苦しく、まるで無理をして大人になろうとしているかのようだ。


 だが、私は彼女と過ごす時間が好きだった。彼女にあちこちで仕入れた話を聞かせるのは楽しかった。彼女はいつも、目を輝かせて聞いてくれた。私が持ってきたどんなつまらない茶や土産も、彼女は喜んだ。私に、帰る家ができたようだった。

 

 だが、彼女と一緒にいることができる時間は、決して長くはない。毎晩の仕事を放り出す訳にはいかなかった。夜中になる前に私は子供のいる家を__とりわけ、宵っぱりな子の家を回らなければならない。そう言って席を立った時、彼女は最初泣き出しそうな顔をした。子供らしい駄々をこねて、私を何とか引き留めようとした。次第に慣れて、笑顔で送り出してくれるようになった。だがその後で、私が砂丘を越えている間、彼女は一人っきりで眠れないままでいた。

 

 私が長年使っていたみすぼらしい袋には、あの特別な砂丘ですくった砂がたっぷりつまっている。袋の中で、砂はゆっくりと動いている。ちょうど大陸が動くのと同じ速さだ。私は最近になってようやく砂の動きを捉えることができるようになった。

 

 これをひとつまみ、開いた目にかけてやれば、子供はあっという間に眠りに落ちる。そして、幸せな夢や試練の夢を見る。

 

 彼女に、この砂をかけてやろうと思ったことは何度かあった。だが、その度に、私の自分勝手な感情が引き止めた。砂がもたらす眠りは深い。砂を彼女にかければ、私が彼女と語らう時間が減ってしまう。


 彼女と何回も会って、そろそろ彼女の眠りの遅さを真剣に心配するべき時になっても、私は同じ理由でためらっていた。彼女を眠らせたら、私のささやかな幸福の時は終わってしまう。


 彼女は、お茶を飲みながらよく笑う。私の顔の皺を数える遊びをいつも始めるが、私に気づかれているとは露ほども知らない。家庭教師だか学校だかで出された宿題をほとんど仕上げないまま持ってきて、文法を教えてとねだる。ラテン語、算数、歴史。どんな問題で彼女が詰まり、またどうやって学んでいったのか、私は全て知っている。私が砂を集めている時、彼女が窓の向こうで飛び上がったり変な顔をして私に合図を送っていることを、知らないはずがない。


 彼女は知らない。私が、どんなに彼女のことを愛しく思っているか。我が子__というより孫のような少女。彼女の幸福をどれほど願っていることか。__そして、彼女との別れにどれほど怯えているか。


 寿命が近い……と感じたのは、真夜中、最後の子供を眠らせた後のことだった。

 

 いつも通り、仕事が終わる頃には、袋いっぱいに詰めた砂は底をついていた。無意識のうちに空の袋を探り、手を引き抜いた時、私はぎょっとした。


 爪がなくなっていた。痛みは何もなかった。切らずにほったらかして、先が丸まるほど伸びた右手の爪が、跡形もなくなっていた。


 袋を覗くと、先ほどまでは空だったはずの袋の底に、砂が溜まっていた。もう一度右手を突っ込み、袋の皮をひっかいた後、また注意深く右手の指先を凝視した。


 指の先が、欠けていた。


 砂男が死んだらどこにいくのか__私はまだ知らない。死んだ仲間は幽霊になって教えにきてくれることはない。ただ経験から知っているのは、砂男は皆いずれ砂塵となって消えることだけだ。


 私はもうすぐ死ぬのだ__と静かに悟った時、彼女の顔が頭に浮かんだ。


 それでも私は、仕事を続けた。そのためには砂を集めなければならない。毎晩彼女の家の砂丘に砂を取りに行った。彼女は勿論そこにいた。


 私は、近いうちに別れがくることを、彼女に言わなければならないと思っていた。だが、決断する前に、彼女の背が伸びていることに気がついた。


 たまらなかった。彼女はこれから、もっとずっと成長していく。楽しいことも悲しいことも、悔しいことも嬉しいことも経験して、大人になる。その様子を見ていたい。彼女の話を聞いていたい。ひとりぼっちだった少女が外の世界に出て行って、世界が広いことに驚いているのを見て笑いたい。彼女が砂男の砂では眠らない大人になるまで、自分は彼女の祖父のように近くにいるものだと思っていた。


 だが私は死ぬ。すぐに死ぬ。砂男の死は何も残さない。思い出も、骨も、形見も。全てが風に吹かれて消えていく。


 その夜、私は砂丘に行くのをためらっていた。珍しく酒を飲んだ。お茶の方が美味いと思ったが、動く気にはならなかった。足の先がぼろぼろと崩れていくのを、見て見ぬふりしていた。

 

 真夜中が近づいてから、やっと私は立ち上がった。彼女はもう待ってはいるまい。砂を取りに行こう。

 

 だが、彼女は砂の中にいた。

 

 どうして今夜は外に出ようと思ったのか__彼女も異変を察していたのだろうか。彼女は無謀にも、砂丘を昇ろうとして沈みかけていた。

 

 彼女の元へ走ると、どんどん足が欠けていった。だが、どうせ砂の中にいるのだから同じことだ。それよりも彼女を生き埋めにする方がたまらなかった。やっとの思いで掘り起こした彼女はきょとんとしていて、無性に腹が立った。

 

 家の中に入ると、彼女は欠伸をした。だが、眠くはないのだと言った。いつものように他愛のない話をした。


 そして私は、彼女と話すようになって初めて、砂をかけてやろうと提案した。彼女は痛いのかと聞いた。痛くはない。ただ、眠くなるだけだ。


 彼女の、青く美しい瞳に、砂を2,3粒落とした。彼女は、まばたきした。彼女の瞳に醜い私の姿が映ったかと思うと、彼女は目を閉じた。軽い寝息が聞こえてきた。


 テーブルに伏せた彼女をベッドに運び、額にキスをする。さよなら。さよなら。さよなら。さらさらと自分の体が崩れていく。さよなら。どうか幸せに。さよなら。今どんな夢を見ているのだろう。


 私はどの子供の夢も、垣間見たことはない。砂男はいつも、夢の外にいる。

 さよなら。


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[良い点] 2者視点 [一言] あかん泣く 夜中になんてものを(自己責任)
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