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庶民になったお姉さま

作者: 彩戸ゆめ

 何年も会っていなかった姉から連絡があった。

 伯爵家の総領娘として将来を期待されていた、賢く美しい、私の自慢の姉だった。


 それがおかしくなってしまったのは、姉がスラムの孤児を拾って従者にした時からだ。


 確かに磨けば美しい子供だったけれど、どこの馬の骨とも分からぬ少年だ。

 私は姉とその少年が仲を深めるのを、あまり良く思わなかった。


 姉には婚約者がいた。

 公爵家の三男で、姉とは気が合わないようだったけれど、それでも婿に入って伯爵家を守り立ててくれるはずの人だった。


 姉は婚約者に歩み寄る事なく、いつも一歩引いていたように思う。


 私が姉にもっと仲良くすればいいのにと言っても、姉は困ったように笑うだけだった。


 その笑みの意味が分かったのは、姉が学園の卒業パーティーで婚約者から婚約破棄をされた時。


 姉は婚約者の恋人を殺害しようとしたとかで、婚約者の親友である王太子の命でそのまま捕縛されてしまった。


 そして姉は伯爵家から除籍されて庶民になった。


 何がどうしてそうなったのか私にはさっぱり分からなかったけれど、とにかく姉は伯爵家から放逐されてしまったのだ。


 両親は姉の監督不行き届きという事で、代替わりして領地にこもるように命じられた。


 そして私は、嫁ぐはずだった伯爵家から婚約を解消され、姉の不始末で評判を落とした伯爵家の跡を継がなくてはならなくなった。


 嵐のような毎日だった。


 今までは社交と内政だけ考えていれば良かったのが、いきなり後継ぎになれと言われても、すぐにできるはずがない。


 幸いだったのは、その後すぐに姉の無実が証明された事だ。

 おかげで周りの協力を得ることができ、伯爵家は何とか持ち直す事ができた。


 姉の元婚約者の恋人の殺害未遂は、被害にあった恋人本人が姉を陥れるために企んだ狂言だったのだ。


 その後の騒動は大変な物だった。


 国王陛下夫妻が不在の時に独断で姉を断罪した王太子は継承権をはく奪され、代わりに第二王子が新たな王太子になった。


 元王太子は離宮で蟄居する事になった。


 姉の元婚約者は、何とも厚顔な事に、姉の代わりに伯爵家を継ぐ事になった私と婚約しようとしたようだけど、さすがに両家がこの騒動の元を作った元婚約者との婚約を認める事はなく、勘当されて領地内で飼い殺しにされているらしい。


 元婚約者の恋人の男爵令嬢は、どうなったか知らない。

 でも男爵家が取り潰されているから、姉のように庶民になっているのかもしれない。


 私の婚約者選びは難航したけれど、王家の紹介で王族の末端の方を婿に迎える事ができた。


 慌ただしい日々が過ぎていく中、一通の手紙が届いた。


 姉は、自分の婚約者が別の女性を愛する事を知っていたのだそうだ。


 前世の記憶、というのが何か、私にはよく分からなかったのだけれど、とにかく姉にはこれから起こる事が分かっていたらしい。


 自分を愛する事がない婚約者より、ずっと愛してくれている従者と一緒にいたい。

 けれどその為には身分を捨てなければならない。


 だから……元婚約者からの婚約破棄を利用したのだと、そう書いてあった。


 私はすぐにその手紙を燃やした。

 この手紙を決して人に見られてはならない。


 王太子を交代するほどの騒動が起こると知っていて、もし姉がそれを黙っていたのが知られたら、また我が伯爵家は窮地に陥る。


 姉と従者は王都でパン屋を開いたそうだが、私が姉に会いに行くことはなかった。


 そうして、姉と私の道は、もう二度と交差しないのだと思っていた。


 けれども再び手紙がきた。


 姉と姿を消した従者からのもので、姉が死の床についているのだと言う。


 既に両親は他界していない。

 会いに行くのは、姉と会いたいと思う親族は、私一人だけだ。


 姉の家は、王都でも貧しい者が暮らす場所にあった。


 二人でパン屋を開いて繁盛していたのではないだろうかと疑問に思いながらも、護衛を連れて姉を訪ねる。


 久しぶりに会った姉は、まるで別人のように年老いていた。


 毎日手入れをされて艶やかだった黒髪は灰色に、綺麗に整えられていた爪は短く、その顔には深い皺が刻まれていた。


 おそらく知らない者が見たら、私たち二人を、姉妹ではなく親子と見間違えてしまうだろう。


 それほど姉の変わりようは激しかった。


 私は姉のがさついた手を握って、久しぶりに姉と話をした。


 姉の話は伯爵家で過ごした少女時代の話ばかりで、部屋の片隅で立ち尽くす従者は、やるせなさに唇を噛みしめているようだった。


 部屋の中を見れば、今の暮らしが裕福ではない事が見て取れる。


 本来であれば、姉はこんな生活をするはずではなかった。

 今の私のように、女伯爵として優雅に暮らしていたはずなのに。


 そして私は伯爵夫人として家を盛り立てていたはずなのに。


 話をしているうちに、姉の表情が少女のようになっていく。


 私は話し疲れた姉が眠るまで側にいて、帰り際に従者にたっぷりと金貨を渡した。

 姉が回復する事はないだろうけれど、せめてその苦痛は取り除いてあげたい。


 従者は深く深く頭を下げて、そのお金を受け取った。


 ふと思いついた私は、従者にお店はどうなったのかと聞いてみた。


 姉の開発したふわふわのパンを売る店は、最初はとても繁盛していたらしい。


 でも姉が初めての子供を妊娠して店を休まなければならなくなった時に手伝いにきた人が、そのレシピを盗んで同じようなパンを売る店を開いてしまった。


 その損失を取り戻す為に無理をして店に出た姉の子供が生まれる事はなかった。


 悲しみに沈む中、それからずっと二人は店を盛り立てて、慎ましいながらも幸せに暮らしていたらしい。


 けれど姉が病に倒れた。


 平民は貴族のように気軽に医者にかかれない。

 医者に診てもらうには高額な診療代が必要になるからだ。


 たとえお金を工面したとしても、平民を診る医者に名医がいるはずもない。


 それでも従者は何とか医者を探し、姉を診てもらった。


 だが病は姉の全身をむしばんでいた。


 治療の甲斐なく、蓄えも底を尽き、ただ死を待つ姉を見ていられなくて、従者は私に手紙を出したのだと言う。


 なぜ、こうなる前に連絡を寄越さなかったのか。


 なぜ、もっと早く……。


 私から姉に連絡を取る事はなかった。

 だって……。


 姉を、決して恨まなかったと言ったら嘘になる。

 だって姉は、何もかもを私に押しつけて、好きな人の元に走ったのだ。


 私は、愛する方と結婚できなかったのに……。

 

 私の婚約者だった人は、伯爵家の後継ぎだった。

 舞踏会で出会って、恋に落ちて、結婚を申し込まれた。


 私は、あの方と結婚する日を指折り数えていた。


 まだ、姉が駆け落ちでもしてくれた方が良かった。

 我が家の醜聞さえなければ、私は……。


 姉の元婚約者から逃れるにしても、もっと穏便な方法はなかったのだろうか。


 元王太子が王命に反したとして王の怒りを買うこともなかっただろうに。

 元王太子と陛下は、親子とはいえ気が合わず、対立する事が多かったと言う。


 先代の王に似た元王太子ではなく、自分に似た第二王子を寵愛しているというのは、秘かに噂になっていた。


 だからあの婚約破棄の事件は、王にとって良いきっかけだったのだろう。


 あれからしばらくして、元王太子が病没されたと聞いた。


 ちょうど姉からの手紙が来た直後で、私は姉の罪深さに震えた。


 もちろん末端とはいえ王族であった夫には、何も言えなかった。


 もし姉があの場で身の潔白を訴えていたならば。

 もし姉が婚約破棄されるのを誰かに知らせていれば。

 もし姉が、もう少し婚約者と歩み寄っていれば。

 もし姉があの時スラムで従者を拾わなければ……。


 姉の家を辞した私は、振り返って粗末な部屋を見た。


 伯爵家から出て、庶民になって。

 そして従者と二人、貧しい生活をして、あんなに老けてしまわれて。


 病を得ても医者にもかかれず短い命を終わらせようとしている。


 私はその生活の、どこに憧れがあったのか、心の底から理解ができない。

 

 お姉様。


 あなたは、

 あなたは、

 幸せでいらっしゃいましたか……?

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