2021年5月21日(金)『二か月目の女』
今日で二か月だ。
二か月間やりきったのだ。
何を?
日記を二か月間毎日書き続けたのだ!
これは前代未聞の大事件である。
三日坊主先生は追いつけないと悟り、三日で筆を折るだろう。
江戸時代に夕食何を食べたかだけを残し続けた酒井伴四郎氏は「あとは夕食の献立を書くだけだな」とお褒めの言葉に預かれるだろう。
私は日記ストとして一流に足を踏み入れたのだ。
……そろそろ日記ストとは何かの定義をしなければならない気がしてきた。
初日に日記ストという言葉を作って以来なんとなく使い続けてきたが、ふんわりは「日記をつける人」という意味だ。よくよく調べてみると『diarist』という単語があった。まさしく「日記をつける人」という意味だ。
しかし、だ。
私のこの日記がダイアリーなんて呼べる代物ではないと考える。
日記の代表格とされる土佐日記でさえ、あれは日記調の小説だ。そもそも主人公が女性なのに、作者は男性だ。紀貫之だ。
酒井伴四郎氏も日記と呼べるものではないだろう。
アンネ・フランクのアンネの日記がダイアリーとして相応しいものだと思うが、読んだことがないためわからない。五年ほど前に著作権が切れて無料公開されるとった話があったけれど、アンネ・フランク財団が法的措置を取るとかなんとかで読む機会が失ったままだ。
話を戻そう。
ダイアリストは格調高きものが求められる。
日記ストはふざけた名前の通り、ふざけた日記が求められる。
ゆえに江戸時代に夕食何を食べたかだけを残し続けた日記や私のようなおビール様を讃える日記が日記ストになる条件なのだ。
つまり、私はふざけた日記を二か月間も続けて書いている悲しい人間というやつだ。
せめて恋愛要素があれば、後世に残る傑作にしようとかもがいてみたのだけど残念ながらそういう浮いた話はない。
寂しい三十路である。




