2021年4月24日(土)『戦隊ものの黄色の扱いに通ずるものがある』
世界が黄色く染まる。
こう書けば、なんだかお洒落な気がしたが意味はない。
私の言葉に意味はないが、実際に世界が黄色に見えた人物はいるらしい。
フィンセント・ファン・ゴッホ。ヒマワリや夜空の絵、自画像などは有名だろう。美術の教科書に載っていた記憶もある。彼は黄色を好んで使用する作風であった。その理由は「黄視症」だったからと言われている。色が黄色っぽく見える。黄色いフィルター越しに見ているような症状らしい。
黄色と白の区別がつきにくいゆえ、黄色を多用したのではないかということだ。
黄色と言えば中国では、黄色は徳の高い色として扱われている。皇帝しか身に着けることが許されなかったという。黄巾の乱では、全員が黄色い布をつけて決起したというが自らを皇帝と同列だと考えてのことだったらなかなか興味深い。
我らが母国、日本での黄色の扱いであるが、平安時代までは赤の一種として扱われていた。三原色が色彩感覚の基調となっていたため、黄色は赤の一つとされたらしい。オレンジをどう捉えるかの話みたいなものだ。また、黄色の一種で代表的な色として山吹色というものがある。悪代官が「越後屋、おぬしも悪よのう」と言って受け取るお菓子の比喩でよく使われる色だ。つまりは黄金だ。
話は戻るが、フィンセント・ファン・ゴッホは生前一作品しか売れなかった。
黄巾の乱は張角の死で平定された。
悪代官と越後屋は、暴れん坊将軍によって倒される。
黄色にまつわる者は、不幸と縁があるらしい。
だから、本日のラッキーカラーが黄色だったのにも関わらず何一つ黄色にものを身に着けなかったことで犬の糞を踏んだ私は、黄色を身に着けていたら交通事故に遭っていたはずだ。
だから靴の裏が山吹色に染まろうとも、私は絶対に間違ってない!




