織田原雅之の日常
雅之視点の物語です。
本編1期葉月までのネタバレを含みますので本編未読の場合ご注意ください。
ザーと外から音がする。水無月、雨が多い時期が来ているらしい。照明の消えた部屋を照らすのは、窓から入ってくる街灯の光だけで、それを頼りに僕は本を読んでいた。深夜、僕にとってはただ暗い時間だが、人間や睡眠が必要な妖怪達にとっては休息の時間である。別に、僕も眠れない訳では無いが、自身が寝ることに意味を感じない故、夜は寝らずに一人で過ごしている。
昔から数多くの本を読んできたつもりだが、最近はもっぱら恋愛小説ばかり読んでいる。現代的なもので、たまに文字が横書きになっているものもある。しかし、それに関しては読んでいるところをひなみに覗かれ、意味ありげな笑顔を向けられたのでそれ以降読まないことにしている。はて、何が悪かったのだろうか。
本を持ったまま軽く伏せて外を見る。だいぶ降っているようで、街灯の周りを中心に、大きめの雨粒が見える。本来、僕は雨に纏わる妖怪であるため、こんな日でも気にせず出歩いて問題ないのだが、最近はここにいる。朝戻ってきた時に濡れていると少々面倒故。
そんなことを考えながら庭に咲いている紫陽花を見ていると、ガタッと音が鳴った。
「……っ!」
「……」
雷斗が起き上がっている。珍しくちゃんと寝付けていたとおもっていたが、三時間弱程度が限界なのだろう。
「……何時だ」
「……そうだね、四時半くらいかな。あと三時間寝てて大丈夫だよ」
そう言うと、彼は深くため息を着いてから、布団の中に潜り込んだ。彼が深夜ガバッと起き上がることは良くあることだ。だから、あえて必要以上には声をかけていない。おそらくまた、夢に魘されているのだろう。布団が動きを止めるのを見届けてから、僕はまた読書に戻った。
視界に入る本の白が明度を上げる。気がつくと雨は止んでいて、窓から朝日が差し込んできていた。部屋にかけてある時計を見ると、午前七時前くらいであった。ベッドの横に置いてある柔らかい大きなクッションでひなみはスヤスヤ寝ている。起きる気配がない。また、雷斗もあれ以降起き上がっていない。あれからの方が寝れているのであろう。そんな彼らを見ていると、どうしても起こすのが少々辛い……。ゆっくり寝かせてあげたくなるのだ。
そうして起こすことが出来ず時間が過ぎていき、突然布団が跳ね上がり、雷斗が慌てた顔で起き上がる。
「……今何時だ!?」
「すまない……八時だよ」
「やっべぇこれ間に合わねぇかもしれねぇ……!」
そう言って彼は急いで起き上がり支度を始める。毎回申し訳ないとは思っている。
彼が部屋を飛び出した頃に、やっとひなみが起き上がる。
「ほぁよう雅之……雷斗は?」
「やぁ、おはよう。雷斗はもう行ったよ」
そういうと、ひなみはもう一回クッションに埋もれた。
「学校、行かなくていいのかい?」
「ぷぇ……いやぁ行きたくなぁ〜い」
そう言ってまた眠ってしまった。これはお昼頃に起きるやつだろう。起き上がった時に落ちてしまったタオルケットをひなみにかけて、僕も部屋を後にした。
外に出ると庭の紫陽花に水滴が乗っていて、それがやけに煌めいていた。葉に蝸牛が乗っている。
「呵呵、絵に描いたような梅雨の光景じゃなぁ」
誰に話しかけている訳では無い。だが、蝸牛が目を出してこっちを見てきた。彼なりの返事なのかもしれない。
今日は別に雷斗の学校について行かなくてもいい気がした故、町内を散歩している。こんな時代に未だ書生服を着ているものだから、見えてしまう人には驚かれる。パッと見だと人間に見えるらしい。だからそういう人には、軽く手を降ってやる。すると、僕の手先を見て納得したという顔をする。見える人はやはり慣れているからだろうか、驚かないのがまた面白い。
裏路地。ブロック塀が並んでいる間をぬけて日陰を歩く。黒猫からナーゴと鳴かれた。
「すまないな、僕は何も持ってないのだよ」
そう言っても着いてくるのが愛らしい。猫のような動物は、僕ら妖怪に意外と気を許してくれる。人間が近寄ろうものなら逃げる猫も、妖怪なら近寄っても逃げないのだ。この子はもともと人懐っこい子なのかは知りえないが、僕が歩いたあとをちょんちょんと追いかけてくるのは非常に面白い。あえて狭い道を通って意地悪してみても着いてくる。しかし、曲がり角にあった魚屋には負けた。少々悔しかったが、まぁ、本能に叶うわけもなかろうとその場を後にした。
日が南を少し通りすぎる頃、僕は高校生に化けて本を借りに行った。妖怪の姿のままだと、ろくに店やら施設やらを使えない。別に妖怪であるためわざわざ人間の世界の決まりを守る必要も無いのだが、決まりがある以上、最低限のことはしておきたい。
読み終わった分を返して、いつものコーナーをうろつく。だいたい読んだものばかりになってきたので、新しい物を探すのは大変だが、まだ恋愛シリーズは読み始めて日が浅いので山のように読んでない本がある。ようするに、選び放題なのである。目に付いたものを二、三冊取ってカウンターに持っていく。タイトルを見てカウンターの女性は少しニヤニヤしていた。男子が恋愛ものを読むというのは、少々滑稽なのかもしれない。正確には、男子でもないが。
新しい本を抱えて帰路に着く。もう道はだいぶ乾いていて、水溜まりも小さくなっていた。カランカランと下駄を鳴らしながらあるいていると、ふとしたものが目に止まった。人間の子どもを襲おうとする低級妖怪の姿である。
子どもは見えないタイプの子であろう、ソレに気がついていない。しかし、それに憑かれれば、その子どもはタダでは済むまい。シュッと糸を伸ばしてその低級を絡めとる。クイッとこっちに引き寄せておいた。
「おい何すんだよ!」
「無闇に人間に手を出すんじゃあない。人間と共存したいなら危害を出すな」
そう言って糸を緩めた。するとその低級はバツが悪そうに反対側に歩いていく。こういうのがいるから、見えるヤツが苦労するんだと思っていたら、後方から殺気を感じた。チラッと後ろを見ると、さっきのやつがこちらに刃物を向けて襲いかかろうとしていた。故、次の瞬間にはやつを糸で締めて引き裂いた。周辺に黒い液体が飛び散る。
「無闇矢鱈と命は奪うものじゃないんだろうけどね」
最早、手癖だったかもしれない。そんなことがあったとも知らぬまま、先程の子どもは元気よく遊んでいる。それを横目に部屋に帰った。
部屋に帰ると、ひなみがアイスを食べながらゲームをしていた。
「雅之おかえり〜! 見て見てランキングトップに入ったよ! 凄いでしょ!」
「あぁ、ただいまひなみ。君、ほんと最新のものに強いね」
そういうと、んふーと嬉しそうにしていた。室内はもうクーラーが効いている。ひなみが温度をだいぶ下げてしまうので、僕はそこそこ着込まないと体調を悪くする。このことは彼らに言っていない。
「雅之もアイス食べる〜? ソーダアイス、いっぱい買ってきたの!」
「うーむ、アイスはいいかな。君がお食べ」
そういうと、ひなみはおそらく二つ目のアイスを食べ始めた。種族の違いを感じる。
僕はまた窓の縁に座って本を読む。ひなみがぴょんぴょんしながら僕の本を覗いたが
「文字いっぱい、難しいからわかんない」
と言っていた。そんなに難しいかねと思って本を見て、少し読んで閉じた。
ちょうどその頃、階段の方から音が聞こえた。ドアが音を立てて開く。
「雷斗! おかえり〜!!」
「……ただいま」
この様子だとまた裏口から帰ってきているのだろう。
「おそらく、6時半頃に風呂が沸いている。親父さんが既にはいられているみたいだから今行っても問題は無い。お母様は今夕飯の自宅をなさっている。おそらく、七時前十五分頃に出来ると思う」
糸を使った状況把握でわかったことを伝えると、
「ありがと」
と無愛想に言って下に降りていった。
「雷斗、何かあったのかな」
「さぁ、いつものことじゃろ。気にしなくて大丈夫だよ」
僕よりひなみの方が心配性であるため、ちょっとした事でも心配する。僕も全く心配ない訳では無いが、心配を表現されることも、今の彼に取っては負荷なのかもしれない。
しばらくして雷斗が部屋に帰ってくる。その間僕らは各自で空腹を満たしていたりする。僕が喰うのは……。
彼らが課題だの機械類を扱っている間、屋根の上に登って、明かりが消えていく街を見下ろしている。寝ることがない僕にとって、一日の区切りはこういう所に感じる。あの光一つ一つになにかの思いがあるのだろうと思うと、つくづく人間は面白いなと思う。
「お、月が綺麗に出ているねぇ。今日は外で過ごしておこうかな」
そんな独り言を呟いていると、
「雅之、部屋もう照明落とすぞ」
と雷斗が言った。
「あぁ、構わないよ。ゆっくりしてくれ」
そう言うと、部屋からカチッという音がして、明かりが消えた。
完全に静寂が訪れたこの空の下で一人、僕はまた月に照らされて本を読んだ。