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 明日だと言っていた。私はどうすればいいのだろう。


 あの後、学院内を探しても勿論レイヴンはいなくて、いつの間にか放課後になって、いつの間にか夜になっていた。間の記憶が曖昧だ。持ち帰ってしまったコバルトブルーのハンカチだけは、洗濯してアイロンをかけた。ただそれだけだ。家に帰ってきてからも何も食べる気にもならなくて、父を心配させてしまった。風呂に入ってベッドに横になる。その間にも頭からはレイヴンのことが離れない。

 私はどうすればいいのだろう。

 抱き締められた時の温もりと彼の匂いが体に残っているようだ。少し早い鼓動の音も今ここにあるように思い出せる。どうして抱き締めたのかとか、どうしてあんなに泣きそうな顔をしていたのかとか、彼の言った言葉とか、全てがぐるぐると頭の中を巡っていた。

 私にとって、レイヴンは何者なのか。ただのソラという言葉では、この感情は到底収まりそうもなかった。目を閉じればあの美しく流れる髪が夜空に輝く様が目蓋の裏に映っていた。優しく微笑む表情も、柔らかく響く声も。あの優しくて、少し弱気な語り口も。私のことをずっと信じてくれた。見放されがちだった私を掬い上げてくれた。「大丈夫だよ」といつも言ってくれるあの響きにこそ、魔法がかかっていると思うくらい、言葉の全てが私の力になった。

 レイヴンがいたから、勇気が沸いた。

 それらは全て、明日永遠に失われてしまう?

 そう思うと、到底受け入れられそうにもなかった。少なくとも彼が卒業するまでのあと数ヶ月は隣にいられたはずなのに、こんな唐突に私の前から姿を消そうとしている。胸がナイフで引き裂かれているようだ。痛くて苦しい。彼と二度と会えないなんて、考えただけでこんなに辛くて堪らない。

 私はどうしたいのだろう。

 目を開ける。夜はあっという間に白んで、朝を告げようとしていた。ベッドから起き上がってカーテンを開ける。いつも温室で見るよりも薄暗い朝の光が街を照らし始めていた。レイヴンが好きだと言っていた晴れた日の朝。私は、その朝日に照らされながらあの温室で本を読んで、私のことを出迎えてくれるレイヴンが好きだ。


 私は、彼に会いたい。

 




▲▽▲





「リタ!!郵便配達員の制服と箒、私に貸して!!!」

「ど、どうしたのこんなに朝早く…」


 リタの家の部屋の窓を叩く。突然箒に乗って早朝に現れた私に、リタは寝惚け眼だった目を一瞬にして開いた。

 困惑しつつも私のただならぬ様子に何かを察してくれたらしい。事情を聞いてくる間もなく部屋の奥に戻ったリタは、その手に彼女の奉公先である王宮郵便配達員の制服と専用の箒を持って私の元に帰ってきた。


「…事情は分からないけど、後で一式無事に返してよ?」


 にっ、と笑うリタに感謝しきれない思いを抱えて頭を下げた。


「ありがとう…!リタ!」




 リタの部屋で制服に着替えさせてもらい、箒を手に王宮へ向かう。

 当てはなかった。私はレイヴンがどこに住んでいるのかも知らないのだから。

 けれど、行かないわけにはいかなかった。あれが最後だなんて納得ができない。この後の彼の人生がどうなるのかなど想像もつかないが、温室から王宮へ場所が代わるだけとは訳が違うのだろう。そんな彼に一方的に別れを告げられて私は何も伝えられていない。レイヴンは私のソラだ。これも運命の一つだなんて、許されてなるものか。

 箒を握り締める手に力を込める。高速で街の上空を飛び抜ける。まだ朝なので他に行き交う人の姿も疎らだ。いつもなら「落ちたらどうしよう」と不安になるばかりだった箒の操縦も、今なら高速回転で宙返りだってできそうな気がする。いつの間にか一人で箒に乗れるようになっていた。早く彼に伝えたい。


 リタの言葉を思い出す。通常、王宮へは限られた者しか入ることを許されていない。たが、王宮郵便配達員ならばその制服と箒の魔法が証明となり敷地内へ入ることはできるだろうと。敷地内までは王の結界が強固なこともあり、それを担保に警備は比較的甘いからだ。

 しかしその先は未知だ。一般の配達員は職場である集荷場の建物と市街地との行き来が主で、それ以外の城内部などに足を踏み入れることは基本ないそうだ。つまり、あまり奥まで侵入するとなると不審に思われかねないということだった。

 どのようにして広い王宮の中からレイヴンを探し出すか。

 そもそも王宮に既にいるかどうかも確信はない。正面から事情を説明して入るべきか。けれど身元をずっと隠されてきた彼のことを、そう易々と城の人間が教えてくれるだろうか。王宮の敷地を目の前にして、立ち止まりたくなる衝動に駆られる。けれどこの機を逃せばレイヴンとはより一層会えなくなるだろう。

 常の倍以上の速さで血液を送り出す心臓を押さえる。ぎゅっと制服の胸元を握り締めた。眉根を寄せて胸元を見遣る。その時視界に入ったのは、胸ポケットに入れていたコバルトブルーだった。




「見つけた…!」


 王宮正面から更に奥、王室の人々が住う建物に入る直前。渡り廊下を歩くレイヴンの後ろ姿を見つけた。数人の王宮の役人に囲われるようにして歩いている。いつも羽織っていた制服のローブは着ておらず、代わりに王族が着るものより遥かに質素な別の黒いローブに身を包んでいる。肩の上まで垂らされていた髪は紐で一つに結われていた。

 姿は違えどすぐにレイヴンだと分かったのは、髪を結いている紐の色が私の髪と同じ濃いラピスラズリの色だったからというのは自惚れだろうか。

 

「レイーーーーッ!!!」


 箒の上から彼に向かって声の限りで叫ぶ。頭上から降ってきた私の声に、レイヴン本人だけでなく周りの役人たちも驚いたようにこちらを見上げた。そしてレイヴンは、箒で現れたのが私だと分かると、顔を歪めて笑った。泣きそうなのを堪える時の顔だと今なら分かる。

 横の中庭に降り立つ。レイヴンがこちらに駆け出そうとしたが、役人の一人に腕を絡め取られてしまった。


「ちょ、シュトラファウスト様…!!」

「少しだけ時間をくれ、大切な人なんだ」


 そう言って、真剣な目を腕を掴んだ役人に向ける。役人はレイヴンの目に気圧されて静かに腕を離した。レイヴンが中庭まで駆け寄ってくる。


「シャノン?!どうしてここに…っていうか箒に乗れて…?ん、配達員の制服…?」

「このハンカチに”シュトラファウスト”の名前が刺繍されていたから…!郵便の集荷場で偉い人にこれを見せて、直接レイヴンに返したいってお願いしたの!『どこで手に入れたんだ』って驚かれたけど、ソラのことから全部話したら納得してくれて!ここにいるだろうって教えてくれたわ!あ、制服はリタに貸してもらった!」

「な、なるほどね…」


 困惑するレイヴンに彼から貸してもらったコバルトブルーのハンカチを差し出す。郵便配達員の制服に着替えた時に胸ポケットに入れていたのを、直前になって思い出したのだ。

 レイヴンは頭の後ろに手を遣りながら、「僕への警備も強いのか弱いのか分からないな」と言って笑った。私もつられて笑顔になる。

 暫く沈黙が流れて、意を決して彼の顔を見つめる。この半日で伝えたいことは山ほど溢れてきたが、本当に言いたいことは僅かだった。


「ーーレイのこと、いつの間にか好きになってた」

「行かないでほしい、卒業するまで私だけのソラでいてって思った、っでも」


 拳を握り締めて泣いてしまわないように堪える。揺らぐ視界の向こうで、唇を噛み締めるレイヴンがいた。


「レイの力も誰かを助ける力なんだよね」


 そう笑いかけると、驚き見開かれたレイヴンの瞳から静かに涙が伝い落ちた。つられて私もまた涙が出てくるけれど、拭わずに笑顔を見せる。心からの言葉だった。

 彼には、彼の役目があるのだ。


「諦めないよ。レイがこの国で一人ぼっちにならないように、私が必ず見つけ出してみせる」

「私、父と同じ王宮専属の解術師になる。それで今度は正式に正面から貴方に会いに来るから!」


 言い切ると同時に、きつくレイヴンに抱き締められていた。違う服でも同じ香りがして、ようやく彼だと実感できた気がする。レイヴンは胸元に私の頭を抱き抱えたまま、何度も何度も頷いた。


「…うん、僕も、シャノンのことが好きだ…、愛してる…っ」


 ぼっと顔に火がついたみたいに熱くなった。一方的な想いだとしても伝えるだけで満足するつもりだったので、返答が貰えるのは想定外だった。何と返すべきか分からず、熱い頬をそのままレイヴンの胸に押し付けるだけしかできない。

 するとレイヴンは、一層ぎゅうぎゅうと私の体を抱きしめて、差し出したはずのハンカチでまた私の涙を拭ってくれた。これでは返した意味がない、と声を出そうとすると、それを塞ぐように私の唇にハンカチを押し当てられた。


「このハンカチを返しに来てくれるの、楽しみに待ってるね」


 そう言って、彼は今まで見た中で一番美しい笑みを私に向けて、小さく唇にキスを落とした。気がつけばコバルトブルーのハンカチが、再び私の胸ポケットで咲いていた。



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