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 レイヴンと箒に二人で跨がりリタの元を飛び去ってから、虎の消えていった方角を追った。すると意外と虎はすぐに見つかった。学院のシンボルである大聖堂の正面。ステンドグラスに脚をつけ、上から獲物を探すように唸り声を上げている。下からそれを見上げる生徒は多く、「何だあれ」と至る所から声が上がる。皆、困惑と恐れを顔に浮かべていた。

 誰かが報告したのだろう。聖堂の前には上から下から教師陣と警備がそれぞれの武器を手に既に虎を包囲していた。ただの暴走した召喚獣ならよかったものを、あの中にはアレンが取り込まれている。下手に攻撃しては中のアレンが傷つきかねない。だが、そのことを認識している人間は誰もいないようだった。


「標的確認!!放て!!!」


 警備の男たち数十人が一斉に魔力を具現化した矢を虎目掛けて放つべく、矢の先を虎へ差し向ける。額を吹き出た汗が伝った。

 私はレイヴンの後ろから無理やりに手を伸ばして箒の柄を掴む。レイヴンの「えっ」という声が聞こえたが聞こえない振りをした。そのまま、宙に浮かんでいた箒を急速に前へ発進させた。

 弓矢を最大限に引かれた矢が、虎に向けて一斉に放たれた。


「やめてーーーーっ!!!」


 虎と矢の間に躍り出る。「レイ!!!」と咄嗟に叫んだ声に反応して、一瞬でレイヴンがガラスの壁を矢との間に出現させる。虎に向けて収束する矢は、カカカカ!!と鋭い音を立てながら全て壁に阻まれて消え失せた。

 ほっと胸を撫で下ろしたところで、下から耳慣れた声が上がっていることに気がつく。ミス・エスメラルダだ。


「シャノン・ドリュート!!この闇の召喚獣はまた貴女の仕業ですか!!」

「違いますけど!!とにかく止めてください!中には生徒が取り込まれているんです!」


 心外だと意を表すために声を張り上げる。ミス・エスメラルダは常に吊り上がっている眉を更に吊り上げていたが、私の言葉を聞いて流石に言葉が出ないようだった。周囲の警備の男たちも教師もざわつき始める。アレンが取り込まれている状態で撃たれては困るので、身を挺した行動は正解だったと思うことにした。お叱りなら後でいくらでも受けよう。

 箒の前側に跨がったレイヴンは、未だ胸を抑えてしきりに息を吐いていた。

 

「心臓が止まるかと思った…」

「ご、ごめんねレイ。貴方ならできるかと思って」

「できるできないじゃないよ!もー…何かあったらあのリタって子に絶対殴られる…」


 リタはそんなに凶暴ではない、と心内で返す。ごめんという意味も込めて背中をぽんぽんと叩くとレイヴンが振り返った。眉根を寄せて、恨めしげな表情をしていた。悪かったとは思っている。


「…で、どうするの、シャノン」

「父から教わった解術魔法があるの。それで先にアレンと虎を切り離す。それから私が虎の魔力を無効化にするわ!もう。お父様の話、もっと真剣に聞いてればよかった!」


 解術魔法とは呪術魔法の派生で、かけられた呪術魔法等を無効化・解除する魔法の一種だ。父は王宮勤めなので解術魔法師として信頼はできるだろう。その父にレイヴンの話をしたときに無理やり教えられた、所謂”父様の強力な解術魔法”。あれならば、恐らくアレンが召喚獣にかけた呪術魔法を解除できる。私の無効化の力だけでも解除できるかもしれないが、策は多いに越したことはない。

 ただし、本当に全て効くのかは確信が持てなかった。なのでレイヴンには黙っておくことにした。何も知らずにレイヴンは、「へえ、すごいね」とただただ感心して頷いている。頭の良い人間だが、純粋なところが玉に瑕だ。


「それなら確かに距離があっても大丈夫そうだ」

「だからレイは、出来るだけ虎との間合いを詰めて。隙を見て虎に飛び乗るわ」

「嘘だろう」

「嘘じゃない!触れないと私の無効化の力が強く働かないのよ!アレンも取り出さないといけないんだし結局そうするしかないわ!」

「今度こそリタに殺されてしまうから!流石に!」

「箒の操縦は任せたからね!行って、レイ!」


 言った瞬間に虎が大きく吠え、開いた口から真っ黒の球体を弾き出した。避けた球体はすぐ真横にあった木に当たって消失する。球体が当たった木の幹は何もなかったかのように、ぽっかりと穴が開いていた。あれが直撃したら間違いなく体がこの世から消え失せる。

 背後とその下では、教師と警備の大人たちがパニックになる生徒たちを避難させているのが見えた。少々こちらが無茶をしても他に被害は出ないだろう。

 嫌がるレイヴンの背を叩き、彼の腰に腕を巻きつける。レイヴンは「反対したからね」と言いつつも、巧みに箒を操り、虎からの攻撃を避けながら近づいていく。この場にあっても、彼の背中は無限の広さがあるような安心感があった。

 虎の丁度頭上まで一気に飛び上がる。虎は突然消えた私たちの存在にまだ気がついていない。このまま魔法を放とうとしたところで、不意に、声が聞こえた。


『ーー辛イ…苦シイ……』

「っ!アレン…?」


 声は重く深い沼の中から響くように濁って聞こえ辛い。しかし、間違いなく虎から発せられる声はアレンのものとしか考えられなかった。その響きはあまりに重々しく、胸を握られるような心地がした。


『僕ガソラダカラ、リタサンガ傷ツク……僕ハ弱イーーダカラ奴ラノ言イナリダ』

『コノ魔法ガ使エタラ……リタサンニ手ヲ出サナイト、奴ラト約束シタンダーー』

『悔シイ、力ガ欲シイ、ソラトシテ、彼女ヲ守レル魔法ガ欲シイーー』


 遠目だが、真上に来ると見えたアレンの姿。虎の闇の中で膝を抱えて蹲っていた。ソラなんていらないと言っていた、先刻のアレンが思い浮かぶ。あの時の叫びは、諦念でも自棄でもなく助けを求めていたのだとようやく分かった。力が欲しいと吼える虎の姿が、今の彼の全てなのだろう。

 無力さに嘆く自分と影が重なって、一瞬思考も身動きも取れなくなった。


「ーーシャノン」


 耳に、いや脳に声が響いた。それほどに明瞭に私に彼の声は届いた。ゆっくりと顔を声の方に向ける。この場においてもいつもと変わらない、柔和な笑みを向けるレイヴンがいた。


「”魔法は心だ”。よく思い出して」


 レイヴンの手が優しく私の手を握る。共に空を飛んだあの夜のように、手が灯るように熱く火照る。彼の手には人を安心させる力があると思った。心地よく、優しい。この手を握れば胸の奥底から力が湧いてくる。


「大丈夫、きっと君なら上手くやれる。君の力は、誰かを助ける力になるんだ」


 レイヴンの言葉を聞いて、自分が少し怖気付いていたのが分かった。ずっと自信がなかった。口ではできる、やる、と言いながら、私に本当にできるのかとずっと思っていた。また今までみたいに失敗したり暴走したらどうしようと。心の何処かで不安がとぐろのように渦巻いて締め付けていた。

 彼の言葉は、それを柔らかく解してくれる。これこそ魔法のようだった。

 私はレイヴンの顔をもう一度見ると、強く頷く。


「作戦は?」

「ーー同じよ。いこう!」


 レイヴンが箒を握り締め、虎に向かって急降下する。不思議と怖い気持ちはなかった。高鳴る鼓動に合わせて、神経を集中させる。

 こちらに気がついた虎が私とレイヴンの乗る箒に向かって大きな口を開けた。吼えると同時にあの黒々しい球体が吐き出される。箒は器用にその間をすり抜けていく。


『邪魔ヲスルナ!!!!』


 一際大きな球体が吐き出されると同時に、レイヴンは目の前に壁を出現させ、球体を正面から受け止めた。かなり近距離に迫っていたため、球体がガラスの壁に弾けて目の前が闇で真っ暗に染まる。不意打ちに虎の動きも止まっていた。

 その隙にレイヴンは箒で虎の真後ろにまで接近していた。できるだけ近くとは言ったが、出来過ぎて怖い男だと思う。

 息を吸う。胸の下、腹の奥が熱くなった。魔法を使うというのはこういう感覚なのかと今更ながらに考える。そういえば無効化以外の力を使うことはなかったのかもしれない。

 虎に向けて両手を伸ばす。父が教えてくれた呪文が脳裏を駆け抜けた。


「エリヴェーラ(解放)!!!!!」


 掌が神々しいばかりの金色の光に包まれて、それが虎の全身を包み込んだ。中にいるアレンが苦しげに悲鳴を上げるのが見える。私は虎の体に降り立って闇の中のアレンに手を伸ばす。掴める。届く。反対側の腕をレイヴンが掴んで、ずるり、とアレンの体が箒の上に引き上げられた。アレンと虎を結びつけていた呪術魔法は消えている。こちらの魔法が成功したのは間違いなかった。

 今度は自分の無効化の力に神経を集中させた。合っているのかは分からないが、レイヴンの言う「信じる」ということを無効化に対して注ぐ。すると、今までの漠然としていた力の存在が、明らかに「そこにある」と私の中から訴えているように感じられた。

 呻き声を上げていた虎の闇が薄らいでいく。ゆらゆらと空気を揺蕩うように流れて消えていく。

 ぽんっ、と小さな音がした。

 まだ生まれたばかりかと思うような、小さな小さな子供の虎が、私の腕の中に収まっていた。


「やった……っ!て、うわ!!落ちる!!!」


 乗っていた虎の巨大な背中が消え失せたことで、急に足場が無くなった浮遊感が襲った。が、レイヴンが足元にあのガラスの壁を作っていたことで助かった。本当に周到な男だ。


「成功だね、シャノン」


 上からレイヴンが笑いかけてくれて、ようやく息ができたような気がした。


「ーー…うん!」




 レイヴンの箒が私とアレンを地上に届ける。虎は私の腕の中ですやすやと眠っていた。地面に降り立つと、真っ先にリタが駆け寄ってきた。涙で顔をぐしゃぐしゃにして、普段一糸も乱れない前髪が振り乱したようにあちらこちらに跳ねている。リタは私に無言で抱きついた。そして「ありがとう」と呟いてすぐにアレンの方へ駆け寄って行った。


「アレン!!!」


 地面に寝かされたアレンは、リタの声に僅かに目を開いた。それにリタも私も肩から息を吐く。見たところアレンに外傷は無い。間も無く後ろから救急隊員が駆け寄ってきて、魔法を使いながらアレンの体を調べていく。

 その間にも、アレンは決してリタから目を離すことはなかった。恐る恐る近寄ったリタに髪を撫でられてようやくアレンの翡翠の目から、静かに涙が溢れた。


「…リタ、さん、ごめんね。僕が弱くて目をつけられた。そうしたら僕のソラだからって、リタさんまで巻き込むとか言い出して……この魔法が成功すれば解放してやるって言われたんだ。それに、僕、力が欲しかったーー早く、強くなりたかった。そうすれば、リタさんを守れるって…」

「ううん。私こそ、アレンのことソラだからって全部分かった気になってた。良くない奴らと一緒にいたことだって、アレンの意思だとばかり思ってて…。アレンの苦しみ、全然分かってなかった」


 リタがアレンを抱きしめる。首元に抱きついたリタの背を、アレンは優しく撫でた。またリタの目から涙が溢れてきた。


「っごめん、ごめんアレン……一人で抱え込ませてしまってごめん、っ」


 リタのすすり泣く声が辺りに響く。

 その傍らに立ちながら、ソラという関係を盲信していると言った、アレンの言葉が今になって頭を過った。

 私たちは魔法に頼り過ぎている。そう自分で言ったはずの言葉が、今、こうして事件が起こった後で現実味を帯びてくる。私は本当は何も分かっていなかったのだと今更ながらに思った。ソラという無条件の関係に夢と理想を押し付けていただけで、心を通わせなければ何の意味もないのだということを。

 


 そして、その渦中にいたレイヴンの姿だけが、いつの間にか消えていた。



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