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 私の箒の扱いは、レイヴンに教えてもらい始めてからそれなりの時が過ぎても少しも良くならなかった。

 ほぼ毎日温室に通い、温室内で特訓を重ねるものの特に上達した気配はない。レイヴンの名誉のために言っておくならば、彼は学問に加え、こうした技術的な点においても指導力は抜群だった。だが私は、今日も来て早々箒を握り締め、跨ったまま二時間が過ぎようとしている。地面に足は着いたままだ。

 そもそもこの世界において、箒で空を飛ぶなど学校の初等部に入る以前にマスターしておくべきこと。飛べないなど社会的に見てもあり得ないことだ。飛行術の実技の単位は学院でも必修で、私はそれを一年時から常に取り落としている。


「うーん。重傷だね」満面の笑みを浮かべてはいるがレイヴンは困り果てた様子だった。

「じゅ、重傷ですか」

「うん。重傷だ。なんたって、まともなイメージそのものが無いんだから」

「まともな、イメージ…?」

「そう、空を飛ぶ、イメージ」


 空を飛ぶ、イメージ。常に地面から皆が飛ぶのを見上げるだけだった私には、確かに欠けているものかもしれない。

 体感がないのだ。いつも自分が箒に跨がれば、無効化が邪魔をして箒に与える魔力をゼロにしてしまう。すると、浮くはずの箒が浮かない。運良く浮き上がらせることができても、飛んでいる最中に急降下・急旋回・急停止が頻発する。まともに飛んでいられないのだ。それは誰の後ろに乗っても同じことだった。「いつか死人が出るからやめてくれ」と父にも言われている。

 

 レイヴンは一口紅茶を飲んで、ふうと息をついた。溜息に似ている。優しいレイヴンでもいい加減呆れられるかもしれないと怯えていたので、自然と肩が打ち上げられた魚のように大袈裟に跳ねた。

 ところが、彼の口から出たのは「僕と一緒に飛んでみようか」という一言だった。


「僕の箒に乗せてあげる」

「えっ…?!いくらレイでも…!」


 「それは無理だ」と続けようとしたところを、いつの間にか目の前に立っていた彼の長い人差し指で口を制される。


「シャノン。魔法は、心だ」


 心。胸の内で反芻する。正しい意味を理解できていない気がしてレイヴンの顔を見た。眉を顰めた間抜けな自分の顔が彼の瞳の中に映っている。

 レイヴンは私の口元にあった手を今度は私の頭に乗せた。優しくて大きな手だ。何度か頭をその手でぽんぽんと撫でられる。「頑張ってるのは間違い無いんだけどね」と眉を下げて微笑んだレイヴンを前に、少し耳元が熱を持った。そんな風に他人に言われるのは初めてだった。


「心が己の魔法を操る。無効化の力も同じだ。無効化は無効化。魔法は魔法。そういう風に気持ちの上できちんと分けられるようにするんだ。今の君は、無効化ばかりに気を取られ過ぎている」


 言われて「確かに」と思う。いつも無効化の力のことばかりを気にして、また無効化にしてしまうかもしれないと魔法を使おうとする度に考えていた。レイヴンの言葉がすとんと胸の中に落ちる。自分の魔法についてこのように正しく考えたことがあっただろうか。

 黙って頷いて見せた私に、レイヴンはまた何度か頭を撫でて微笑んだ。彼の笑顔は優しいけれど何故か力強い説得力があって、いつも勇気を貰える気がする。 


「だから気にしなくていい。自分の持っている魔力と魔法を信じるんだ」


 そう言ってレイヴンは、テーブルの横に立てかけていた箒を持ってきた。いつもこの温室の中にいるのでレイヴンが飛ぶところを見たことはない。当たり前だが、「レイも飛べるんだ」と今更ながら思う。

 レイヴンはその箒を何故か私に手渡して、少し距離を置いた。そして目を閉じたかと思いきや、おもむろに両手を広げた。レイヴンの両手は深い群青色の光を灯し、手が下から上へとゆっくり進むに合わせて温室のガラスの壁がみるみる内に深い闇に変わっていく。静かだったが、美しい魔法だった。

 頭上で両手がパン、と音を立てて合わさる。闇は天井までを覆い尽くし、朝だった温室の中の景色を一変させていた。あったはずのガラスの壁さえ無くなっている。代わりに瞬くような星が、空間全てに散りばめられていた。果てしない夜が目の前に広がっていた。


「これは創生魔法の一つ。夜空を創ってみた」

「すごい…。私、レイの魔法初めて見たけど、レベルが違う」

「へへ、まだまだだけどね」


 レイヴンは謙遜するが、このレベルの創生魔法を行うことは並大抵ではない。普通の学院生ならばまだ魔力の限度もあってテントほどの空間しか操ることができないものだ。これほどの無限に見える夜空を、この速さで創り出すのは学院生として信じ難い力だった。

 首が反るほど夜空を見上げながら私は、改めて自分のソラの底知れなさを感じて少し慄いた。


「おいで、シャノン」


 箒に跨ったレイヴンがこちらに手を差し伸べる。その仕草は一国の王太子かと見紛うほどだ。「し、失礼します…」と彼の手を取る自分の声が不自然に裏返る。明らかな緊張が伝わったのか、レイヴンが小さく吹き出すものだから何だか悔しくて口を真一文字に引き結んだ。レイヴンもそっと顔にかかった髪を耳にかけた。


「あ、シャノンは前に乗って」取った手を強引に引きながらレイヴンが言う。

「え?!怖いよ、そんなの!ただでさえ私が一緒に乗って落ちないか心配なのに!」

「僕の魔力を信じてないな?ちゃんと後ろから支えてあげるから大丈夫!それにこれはシャノンのイメージ作りのためなんだから、出来るだけ自分が飛ぶ時と視界が近い方がいいだろう?」


 レイヴンの言い分は最もだったが、二人乗りなどしたことがないので恐怖が勝る。それでも引かれるままに箒の前に誘導されて、渋々柄の細い木に跨った。

 レイヴンの箒は綺麗に手入れがされていて、漆が塗ってあるのか鈍く黒く光っている。それを両手で力一杯握り締めていると、後ろに跨ったレイヴンが私の耳元で「もっと力抜いて」と囁いた。両手が私が握り締めたところに重ねられる。距離が近い。いくら天然なところがあるとはいえ、限度というものがあるだろうと内心叫び出しそうになる。心臓が表に出てくるのではないかと思うほどに激しく律動していた。

 恨みを込めてレイヴンを振り返ると、きょとんとしたただの美形がいて、より一層顔に熱が集まる。自分だけが彼に振り回されているようで悔しかった。


「行くよ、ちゃんと無効化のことは忘れててね」


 無効化の力のことなど考える余裕などない!と返しそうになって口を噤む。返事の代わりに箒を握り締めると、後ろでレイヴンが笑ったのが分かった。どうせ怖がっているとでも思っているのだろう。

 「行くよ」と小さく声が掛けられて、同時にふわりと足が地面から離れた。真上に高度は徐々に上がっていく。こんな安定した浮遊自体初めてで、レイヴンが操っているとはいえ自分ではないみたいだ。箒ごと握られた両手もすっかり気にならなくなっている。それほど、目の前に広がる景色は美しかった。


「すごい!綺麗…!本物の夜空を飛んでるみたい!」

「それは良かった」


 箒は上にも下にもぶれる事なく、どこまでも広がる夜空を進んでいく。下を見ればいつも近距離から見ているこの国が遠くにあった。屋内のはずなのに箒が風を切る感覚もある。

 いつもなら迫り来る地面や周りの建物を避けるのに必死で、こんなにも箒で空を飛ぶことが気持ちがいいと思ったのは初めてだった。皆はこれが当たり前にできるということが羨ましいとさえ思う。今のこの感覚を決して忘れないようにしなければ。

 近づいてくる街の風景を見ようと少し下に視線が行き過ぎる。危ない、と思ってそのまま箒の上でバランスを崩しかけたところで、腰を力強く掴まれた。「わっ、」と声が出る。


「ほら、危なっかしいんだから」片手で私の腰を抱えたレイヴンがしかめ面で見ていた。

「は、はい…」

「ま、落ちたって温室の天井から床くらいの高さなんだけどね」

「それ十分高いから!」


 振り返って口を尖らせれば、レイヴンと目が合って同時に吹き出した。酷い冗談だ。そのまま二人で何が面白いのかも分からないまま、しばらく私たちは空を飛びながら笑い続けた。





「たまにはこうして、夜の空を飛ぶのもいいね」


 夜空に浮かんだまま不意にレイヴンがそう口にした。彼の片腕はまだ私の腰に巻きついている。


「温室はずっと朝だもんね」

「うん。朝が好きなんだ」

「それは初耳」


 いつ行っても朝の光がガラス張りの壁から差し込んでくる温室。たまには変えたらいいのにと思いながらレイヴンに対して口にしたことはなかった。

 背後で息を吸う気配がして、耳を傾ける。


「僕にとって、時間感覚っていうのは無い方が楽なんだ。だったらずっと、晴れた日の朝がいいなって」


 静かな声だった。常に真綿に包まれるような温かい声を発する彼にしては、どこか冷たさを孕んでいた。冷たさと言うよりは、寂しさと言うべきか。これ以上は聞いても答えてくれないだろう。レイヴンが必要以上に自分を語ろうとしないのは、月日を重ねても変わらない。

 踏み込むべきか。

 ソラならば彼の心にあるしこりを解きほぐしてやりたいと思いつつ、自分にそれができるか。その資格があるのか。自信はなかった。それでも、彼に自分の思いは伝えなければと思った。


「……前に、フクロウを逃してしまった幼馴染みの話をしたでしょ」

「…?うん。シャノンが一年生の時にソラを断られちゃった人だ」レイヴンが微かに頷く。

「そう。…でもね、後であれもソラとして一つの運命だと思った。腕輪はきっと仲直りするきっかけを与えてくれたのに、自分たちが上手く生かせなかったってだけで」


 綺麗事だと思われてしまうかもしれない。けれど本心だった。ソラの関係には必ず意味がある。そう信じたかった。


「私たちもさ、何かの縁があってソラになったんだよ。空を飛ぶことを教えてもらうだけじゃないんだよ。頼りないかもしれないけど、頼っていいんだよ何だって」


 「私たちはソラなんだから」と言って、首だけで振り返る。大きな目を真ん丸に見開いていたレイヴンは、私と視線が合わさってその端正な顔が歪んだ。眉を寄せて、唇を噛み締めて必死に何かに耐えていた。私が黙って前に向き直ると、片腕で回されていた腕は両手で私の腰に巻きついてきた。ぎゅっと力が込められて少し苦しくなる。

 ふと見せる彼の弱さはどこから来るのだろう。どうすれば取り除いてあげられるだろう。

 そんな意味も込めて、片手で彼の腕を数回優しく叩く。背後でレイヴンは私の後頭部に額を押し当てて、静かに深く呼吸をしただけだった。





 しばらくすると落ち着いたらしい。レイヴンは気を取り直すように私の腰に回していた腕を解いて、代わりに長い指を私の髪に絡めた。いつものレイヴンだ。私の髪は長いので後ろに靡いて邪魔だっただろうかと心配になったが、どうやら杞憂だったようだ。髪を見つめる表情は一転して楽しそうだった。


「…シャノンの髪はいいね、夜空を閉じ込めたみたいな色だ」

「そんな風に言われたの初めて」


 照れ臭くなって視線を前に戻す。私の髪は青みがかった黒で、この国では珍しくも何ともない。リタのような鮮やかなストレートヘアに憧れていたが、波のように緩くうねる癖毛だ。レイヴンとは対照的な髪。彼は私の波打つ髪を一房掬い上げては、くるくると指先に巻きつけて遊び始めた。


「そう言うならレイの髪も夜に輝く月みたい」

「本当?シャノンの髪に浮かぶ月ならいいなあ」

「何それ、ってちょっと。痛い!」


 「いいなあ」と言いながら、つむじに形のいい顎をつぼ押しのように押し付けられる。反論したが何故か嬉しそうなレイヴンは止める気はなさそうだ。レイヴンはつむじに顎を乗せたまま、また私の腰に両手を回した。もう補佐がなくても箒の扱いは大丈夫なのに、と首を傾げる。


「……シャノン」呼ばれた名前は、静かだったが温かい。鼓動がくすりと跳ねた。

「ん?何?」

「ありがとう」


 顔は見えないが、頭上でレイヴンが笑ったのが分かった。私は彼の笑顔が好きだ。優しくて温かい。人を気遣う笑顔だ。それに少しでも彼自身の気持ちが加わればいいと思っていた。けれど、今のこの笑顔はきっと彼自身の喜びから現れたものだ。それが嬉しくて、こちらまで思わず笑顔になる。箒を握り締める手にも力がこもった。

 つむじのマッサージも、夜空の飛行旅もレイヴンの気が済むまで続いた。



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