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その日から、私は言葉通り毎日レイヴンのいる温室へ通った。レイヴンは創生魔法を専攻している四年生らしい。この温室内の空間も彼の力で創られているのだと言う。「レイでいいよ」と笑う彼はやはり高貴な胡蝶蘭の花のようだ。
レイヴンが「ここから離れられない」と言ったのは本当のようで、いつ私が行ってもレイヴンは温室にいた。彼の好みなのか温室はいつも朝の光で満ちていて、創生魔法で空間を作り出したまま易々と紅茶とケーキを出したりする。
しかも、私の専攻する呪術魔法とは接点がないと言いながら知識は十分で、教授よりも分かりやすく教えてくれるから驚いた。天は二物を与えると言うが、レイヴンはそれ以上を与えられているのは間違いない。
「レイは魔力が強いよね」
ある日、彼が創ってくれたシフォンケーキを頬張りながら、何気なく聞いてみた。創生魔法は全くの専門外なのでどういった仕組みなのかはさっぱり分からないが、彼の創る菓子はいつも絶品だ。
「私の体質だって相当強いって先生方には言われてきたのよ?なのにこの空間は消えないし、ケーキだって美味しいし」
「ふふ、それはよかった。シャノンだって物覚えはいいし、筋はいいと思うよ」
「…まあ、この体質をどうにかしないと箒だって使えないんだけど…」
「大丈夫。今に誰より速く飛べるようになる」
この数日、レイヴンと共に過ごして分かったことがある。彼は人を褒めるのが抜群に上手かった。そして、それによって自分に対する問いかけを上手くはぐらかす。自分のことにはあまり触れて欲しくないと言外に察せられた。
その事実に気がついていながら、私は無理に彼を問いただすことはしなかった。ソラの関係を結んだ時に見せた、あんな悲しくて切な表情をさせたくなかったから。
ただ、レイヴンには私に言えない何かがあるのだと。しかもそれは一つではないのだろうということだけは、私の能天気な足りない頭でも感じていた。
「どうしてそんな自信満々に言うの?人生で一度もまともに飛べたことなんてないのに?」
「どうしてって、僕が教えるからだよ」レイヴンが大袈裟に胸を反らした。
「あは!何それ、自信満々だ?」
「先生に自信がないと駄目だろう?」
「うん、頼りになるのは間違いない。ね、今日も先生に褒められたのよ。この前レイに教えてもらった呪術実習の範囲、すごくレポートがよかったの!」
「すごいな、ちょっとアドバイスしただけだったのに…。箒の扱いもきっとすぐに上手くなるよ」
「それは…、今日も登校中に飛行がアップダウンし過ぎて酔っちゃったのよね…」
「ふふっ」
「ちょっと!笑い事じゃないんだけど!」
それでもレイヴンと過ごす日々は楽しかった。彼は誰もが振り返るような見目をしていて頭脳も明晰でありながら、それを鼻にかけるようなこともせず、落ちこぼれの私を馬鹿にするようなことは決してしない。彼に手取り足取り箒での飛び方も教えてもらっているが、この調子だと箒に乗れる日も近いかもしれない。
何より、二人だけのこの空間はとても居心地が良かった。レイヴンが勉強を教えてくれたり他愛のない会話をする時もあれば、互いに各々別のことをして一切会話がない日もある。それでも私たちの間には常に穏やかで優しい空気が流れていた。
ソラは成長させてくれる存在だと言うが、本当にその通りだと思う。
「完璧だね、レイは」思っていたことがそのまま口に出ていた。
「へっ?そ、そうかな?」
レイヴンは耳を染めて私から目を逸らした。そして綺麗な糸のような髪を耳にかける。彼が照れた時の癖だ。何事もスマートな男かと思いきや、褒められたりすることに慣れていないようで、私の言葉にいつも初心なまでに素直な反応を見せる。こういうところも私が彼を好ましく思う所以でもあった。
「どうして嫌がってたのに私とソラになってくれたの?」
シフォンケーキの最後の一口を飲み込みながら、戯れに見せかけて尋ねてみた。実際のところ気になっていたのだ。
レイヴンは「んー…」と考えるように天井を一度仰いでから、正面から私を見据えて微笑んだ。花が咲く笑顔というのはこのような表情を言うのだと思ったが、その表情の真意までは分からなかった。
「僕もね、ソラが一つの運命だということに賭けてみたくなったんだ」
「…賭ける?」
言葉の選択に違和感を覚えて問い質す。レイヴンは朗らかに笑っただけだった。
「うん。でももう十分、シャノンと共にいられるのは素晴らしい運命だったと思ってるけどね」
「ごっ、御冗談を…」
「あはは、シャノン照れてる?」
「照れてない!」
テーブルに頬杖をついたレイヴンの手が不意に私の口元に伸びてきて、「ついてるよ」と口の端に残されていたホイップクリームを掬われる。その姿があまりに様になり過ぎていて、顔に一気に熱が集まるのが分かった。レイヴンは初心なくせに、天然で距離感がおかしい時がある。
「ーー…っあ、お父さんにね、レイのこと話したらすごく喜んでた」
照れ隠しを兼ねて違う話題を口にしてみる。すると、先程まで柔らかかったレイヴンの表情が一瞬で強張った。
「本当?何て話したの?」
有無を言わさない雰囲気が彼の言葉の端から漏れ出ていた。この類の動揺を見せるレイヴンを見たのは初めてだ。珍しく声音が鋭い。
家に帰って父に「ソラができた」と話した。父は両手を上げて喜んでくれた。ただ、それが男子生徒だと説明した途端、血相を変えた父に「何か悪い虫がつかないように、父様の強力な解術魔法を教えてあげるからね!」と詰め寄られ、詳細を話すには至らなかった。言わばそれだけだ。
「『初めてソラができたよ』って、それだけだけど…」
「…そっか、ならいいんだ。ーー…シャノン」
私の言葉に返したレイヴンの表情にも声にも明らかな安堵が滲んでいた。そして呼ばれた名前には、どうしてか彼の覚悟が含まれているように聞こえた。
「僕のことは、できるだけ他の人には言わないでほしいんだ」
「…どうして?」
「どうしても、だ」
レイヴンが念を押すように私を見つめた。真っ直ぐとしていて揺らぎのない目だった。物腰柔らかく、大抵のことは「いいよ」と二言目には肯定してくれる彼が、ここまでの真剣さを私に見せたのは初めてのことだ。
私はそれに静かに「分かった」と返す。レイヴンのことを飲み込むように、紅茶を静かに飲み干した。
まだ彼の全てを掴めないでいる。話したくないのなら聞くべきではないと思いつつ、彼が抱えているものを吐き出すに値しない自分が悔しかった。