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視える子ちゃんとノラ犬くん  作者: カリーマン
第二話 ノラ犬くんと”鬼”真面目さん
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6.三者三様

 美音杏佳という少女の名は、由もよく知っていた。

 文武両道にして才学非凡、およそ並ぶ者のいない優等生。加えて目を見張るほどの美人ときている。楓の噂にもよく名が上がり、面識のない由は、その美貌をたびたび想像してみたものだ。

 実際に会ってみれば、煌びやかな芸能人とは程遠かった。奥ゆかしくも楚々とした少女像。だからこそ虚飾のない、本物の存在感だと確信できる。

 その佇まいを先程はかぶきり小僧と誤認したが、並べてみると克に似ている。容姿は似ても似つかないが、瞳の奥に潜む怜悧な灯りは、二人に共通して視えた。恐らく同業なのだろう。奇妙な取り合わせも不思議と収まりがいい。

「……で? なんでこんなことしたんだ」

 事の顛末を聞き終えて、克は杏佳を問いただした。その表情が由からは見えない。杏佳が克の隣に腰かけてしまったから、由は隣のベンチで二人の様子を窺っている。

 弁当に手を付ける気にはなれなかった。杏佳も克から譲られた焼きそばパンを膝に置き、じっと見つめながら思案している。克だけがカレーパンを頬張っていた。

 昼下がりの中庭は、こんな時期だろうと日当たりがいい。シャツの下がじっとりと汗ばむ頃、杏佳はようやく顔を上げた。

「最近、ある噂を耳にしました」

「……ほーん。具体的には?」

「校舎の三階に現れるという、怪物の噂です」

 克の食事の手が止まる。身に覚えがあったからだろう。恐らくは由と同じモノを想起して、克は渋面を浮かべた。

 杏佳の言葉はなおも続く。

「そして、もうすぐ文化祭があります」

 急な飛躍に動じることなく、克は小さく頷いた。

「あるな。来月の頭か」

「ええ、もう一月もありません。しかし、私のクラスはまだ出し物が決まっていないのです」

「え」

 静観を決め込んでいた由だったが、これにはつい声を上げて驚いてしまった。それまで淡々と耳を傾けていた克も、さすがに頬が引きつっている。

「……それ、マズくね?」

「恐らくクラスの全員が、同様の焦りを抱えているでしょう。近頃は担任の(しき)教諭も、心なしか不機嫌に見えます。しかし一向に意見がまとまらない。恐らく生徒同士の不和が原因です。私にわかるほどですから、事態は相当深刻なのでしょう」

 きっと、先立っての騒動に関連して何か生徒間でトラブルでもあったのだろう。事件の中心は三年生だった。受験のストレス発散を目的としたいざこざ、それが思わぬ形で禍根を残した。

 克は「ああ」と唸って、後頭部を掻いた。

「下地はある。土壌も十分。あとは種が芽吹くまで時間の問題って訳か……」

 困り顔の克とは対照的に、杏佳は平静を崩さずに言う。

「先月の騒動から、あまり日も空いていません。だから神薙さんが感染源ではないかと」

 どうやら矛先が由に向けられたらしい。唐突に二人の視線に晒され、由はほけっととぼけ顔で答える。

「あたしぜんぜん元気だけど?」

 ほら、と健康アピールか、力こぶを作って見せようとする始末。生憎それらしい膨らみは皆無だった。

 克は呆れたように首を振る。

「そうじゃねえよ。いわゆる信仰や認知の話だ。妖はその実在を信じる者、もっと言えば、存在を知っている人間が多ければ多いほど生まれやすい。伝承とか怪談とか、そういうヒトの抱いた幻想を糧に、妖はカタチを得るんだ」

「克」

 杏佳が克の短慮を咎めるように名を呼ぶ。だが克は聞こえなかったフリで黙殺した。

「それは裏を返せば、妖を知る者が少ないに越したことはないってことだ。信仰や認知が低ければ、それだけ妖の生まれる余地が狭まる訳だからな」

 たとえば先月の妖は、『かぶきり小僧』という妖怪のカタチを借りることで成立した。

 怪談など所詮は人の創作。とはいえそれも語り継がれれば、やがては相応の説得力(れきし)を持つ。ほんのうたかたに過ぎない情念とて、信仰されれば一片(ひとひら)の命も宿ろう。

「……けど、それが感染とどう繋がるの?」

「まあ要するに、これは病みたいなもんなんだ。情報を菌やウイルスに置き換えて考えればいい。妖の実在を啓蒙し、宣教し、広く知らしめる者がいれば、それは病原体を振り撒く保菌者と同じだ。知識もまた人から人へ伝染する。その大元となった人間を、あるいは感染源と呼ぶんだよ」

 核心に迫った克の言葉で、由にもようやく事情が見えてきた。つまり杏佳は、由が妖の実在を触れ回っている、と疑っているのだ。

「……身に覚えがないんだけど」

 とはいえ由も心得ている。自身の目にしか視えないモノを、みだりに語っていいはずがない。それでは余計に魅入られるオチだ。

 ある種の人々にとっては言うまでもない道理。だがだからこそ杏佳は、そこに悪意が隠されていると考えた。

「可能性の話です。しかし状況的には貴方以外あり得ません」

 直截な物言いとは裏腹に、杏佳の目に非難の色はない。同情や憐憫とも違う、底の見えない昏い眼光が、かえって由を苛んだ。

 いくら幽霊が視えるといえど、先日まで妖との区別もつかなかったほどだ。自覚していないだけで、由にも不注意があったかもしれない。そんな不安が口を滑らせる。

「じゃあ、仮にあたしだったとして、どうしてそれが殺すなんてことになるの?」

 由が犯人でないなら、する必要もない確認だった。仔細を知ったところで死にたくなる道理はない。

 しかし克は律義にも答えてくれる。

「流行り病を根絶するには、罹患者を始末するのが一番確実で易いだろ。今回の場合、神薙がこれ以上噂を広めちまう前に手っ取り早く口封じしてやろうって腹だ」

「なにその力技……」

 この手の解決策は儀式めいて呪術的な、もっと回りくどいものだと思っていた。思わず拍子抜けする由に、克は肩を竦めて見せる。

「まあ短絡的だわな。だが手堅くもある。結局物理で直接手を下すのが、一番確実な方法論だ」

 とはいえ、と言いかけた口が噤む。一瞬の沈黙は隣の杏佳を気に掛けてのことか。克は改めて由に向き直った。

「話は変わるんだが。神薙。お前、三階に現れるとかいう怪物の噂、聞いたことあるか?」

「まあ、それは身に覚えありまくりだけど……」

 ふとした拍子に思い出してしまう、かぶきり小僧の容貌。その正体は狢という動物のカタチを得た妖だった。アレは自身の名が持つ意味を用いて、特別棟三階に仲間を集めていた。

 そういえば由は、ついさっきも似たような回想をしている。

「……そうだ、楓が言ってた。三階のおばけ、だったかな。放課後になると出るって」

 由もあの時は些細な雑談だと流してしまったが、認知について教わった今ではそうもいかない。日常会話で耳にするほど浸透しているのであれば、むしろ事態は深刻だ。

 由の言葉を聞き、杏佳はかすかに目を見張った。克の目つきは一層に鋭さを増す。そんな各々の反応を目にし、由にもようやく質問の意図がわかった。

「……そっか、もう手遅れなんだ」

 克はそれを確認したかったのだろう。

 人の口には戸が立てられない。感染者はネズミ算式に増えていく。口封じとなればその全員を殺さなければならないが、結果として被害は妖のそれを上回るだろう。だから流行を前に先手を打たなければいけなかったのだ。

 生徒間で広まっている噂を下地に、杏佳のクラスに蔓延する不和を土壌として、また新たな妖が生を受けようとしている。あるいは、もうすでに。

「―――ま、大体の状況はわかった。だが解せねえな、なんで俺に相談しない?」

 パックの牛乳で喉を潤すと、克は背後を振り返った。杏佳は膝に視線を落としている。手元では焼きそばパンの包装が、開けられるでもなく皺になっていた。

「克は、とっくに懐柔されたものと」

 小さな口がポツリと呟く。

「……ああ、あの覗き魔はお前か」

 ようやく合点がいって、克は嘆息した。単純な興味と好奇心、それからちょっとの野次馬根性、大勢のそれとは明らかに異質な、真っ直ぐ不躾すぎる視線。

 昨日は由の親にでも見られたのだと思っていた。ところがどうも杏佳の早とちりだったらしい。

 克はパンを頬張ると、残りの牛乳ごと飲み下した。

「……そんなんで俺が眞苅の本懐を忘れる訳ねえだろ、馬鹿」

 そう吐き捨てて、腰を上げる。ほとんど独り言に聞こえた。

「まあでもこれで分かったろ。もうお前にできることはなんもねえ。大人しく指令が下るのを待とうぜ」

 しかし杏佳は立ち上がらない。ただ真摯に克を睨み上げ、静かな声で訴えた。

「いいえ。それでは遅い、遅すぎる。兆しはもう顕れているのです。だというのに、わざわざ後手に回る必要はありません。

 ―――それとも。克は、これを見逃すと言うのですか?」

 まるで是非を問うようだった。それで、克の顔から熱が消えた。彼はただ痛みを伴う諦念を滲ませ、冷めきった顔で薄く笑うのだった。

「……そうか、そうかよ。杏佳の正義は立派だな」

 彼女の問いには答えない。かわりにくるりと踵を返す。

「俺はパスだ。やりたきゃ勝手にやれ」

 そう最後に吐き捨てると、「じゃあな」と克は立ち去ってしまった。

 あとに残されたのは、別々のベンチに腰かけた二人の少女だけ。どちらも黙り込んでしまうと、静寂ばかりが耳に痛かった。

 やがて杏佳が席を立つ。

「それでは、また。縁が残っていれば、いずれ」

 杏佳は律義な挨拶を残して、踵を返した。その去り際もまた颯爽と美しく、やはり彼女の人柄を表していた。

 謝罪の言葉はない。杏佳の中ではまだ、由は容疑者のままなのだろう。きっと必要がなくなったから見逃されただけだ。その倫理観は奇妙だが、容赦なく白刃を振るう克に重なる部分もある。

 単に、由はその違いを知らなかったに過ぎない。

 昼下がりの中庭へ、海風に乗った予鈴が届く。結局、弁当は手つかずのままだった。

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