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視える子ちゃんとノラ犬くん  作者: カリーマン
第二話 ノラ犬くんと”鬼”真面目さん
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2.ファミレスにて

 放課後になっても、雨は変わらずさざめいていた。学業を終えてもなお忙しない人波に揺られながら、克もまた昇降口に立つ。

 履き潰したスニーカーを放ったところで、その人影を認めた。彼女の手に差す赤は一際に目を惹く。由は柱の陰にひっそりと佇み、灰色に濡れそぼつ中庭を眺めていた。

 ほんのひととき、周囲の喧騒が遠のいたようだった。恐らく友達を待っているのだろう、そう決めつけて、克はその背中から視線を外す。そうすれば同級生たちの声に紛れて、もう由がどこにいるのか分らなくなった。

 あとは帰るだけだから、行動を咎められる謂われはない。由は克に気づいていない訳だし、わざわざ声をかける必要もないだろう。

 言うまでもない道理をわざわざ頭の中で反芻して。次に克が顔を上げた時、笑顔の由が手を振っていた。



 食器の触れる固く甲高い音、ホールを包む穏やかな談笑の声。冷房が雨に濡れた体から熱をさらっていく。駅前のファミレスは今日も、多くの学生やカップルに賑わっていた。

「でね、そん時の楓がまたおかしくってさー」

 窓際の席に着くや否や、由が中断していた話を再開する。克は曖昧に反応を返しながら、手元のメニュー表を開いた。

 今日の由はやたら饒舌だった。なのにその口が語るのは他愛ない日常ばかりで、一向に本題の気配がない。話があると声をかけてきたのは由の方なので、克も切り出しようがなく、途中から相槌を打つだけの地蔵と化していた。

 由の話に耳を傾けつつも、克はメニューに目を走らせて、頼むものを指折り数える。

「ドリア、マルゲリータ、ペペロンチーノ」

「ええ……めっちゃ食べる……」

 不意に飛んできた反応に視線をあげると、由が困惑した顔で目を(しばた)いている。

「え、なに。ダメなの」

「ダメじゃないけど……お夕飯入らなくなるよ?」

「いやオカンかよ」

 ちょっと昼飯が足りなくてな、と克が続けたことで、由はようやく頷きを返せた。

「あーね、そういうものかも」

 嘘でもいい適切な返事が、こればかりは由の中になかった。急に素っ気なくなった態度を訝しみながらも、克は呼び出しボタンに手を伸ばす。

「そっちは。なんか食うか?」

「んーん、あたしはドリンクバーだけで」

 店員はすぐやってきた。繕うのに慣れ切った笑顔が由に向けられる。

「ご注文お伺いします」

「ドリンクバーで」

「ミラノ風ドリア、マルゲリータピザ、ペペロンチーノ。あと俺もドリンクバーを」

 店員の顔が微かな驚きに染まる。バイトなのだろう、接客にすっかり専念しきれていないようだ。それでも彼女は注文を復唱すると、よどみなくドリンクバーの位置も説明し、最後にお決まりの文句を残して去って行った。

 それを見送ると、由はこそっと声を潜める。

「眞苅くんなんかヘンなこと言った?」

「……いや、言ってないと思うが」

 心当たりはある。しかし今さら口にするには当たり前すぎる話で、だから克の頭にも上らなかった。

 そうして変わらず雑談を続けること暫し。湯気を立てる料理が、由の前に並べられていく。

「ご注文の品は以上でよろしいでしょうか?」

「はい」

 定型的な確認にも克は律義に頷く。レシートを持った店員の手が束の間、入れ物を見失ったように止まった。

「ごゆっくりどうぞ」

 踵を返した背中を一瞥して、由は料理を克の前に押し出す。

「ヘンな店員さんだね」

「美味けりゃなんだっていいよ」

 克は興味ないとばかりに答え、食器入れからフォークを取った。



「……んで、話って結局なんなんだ」

 友達がいない克なので、話題を切り替えるのにも相応のきっかけが欲しい。

 とはいえど。由の口はよく回り、話は延々空回り、終わりも見えずに堂々巡り。待てども暮らせども始まらないから、克は強引に流れをぶった切った。

 すでに夕日も地平に消え、宵の青が窓辺に迫りつつある。水滴のまばらなガラスにすーっと視線を逸らすと、由は「あははー」なんてあからさまな愛想笑いを浮かべた。

「そのー実は、ちょっとお願いがあってさ。や、でもなんかこう、いざ眞苅くんを目の前にすると、ちょっと言い出しづらいっていうか」

 もじもじといじらしい由の態度に、しかし克の反応は冷たい。碌なお願いじゃねえな……と早くも胡乱な目を向ける克に、由は赤い顔で手を振った。

「そ、それにほら! なんか恥ずかしいし!」

 駄目押しだった。いよいよ警戒の色を強める克に、由も後に引けなくなる。それでもしばらくモゴモゴ言いよどんでいたが、拳を握って意を決すると、そのまま勢い込んで頭を下げた。

「あたしを弟子にしてください!」

「…………はっ?」

 それは、克もまったく予想だにしない難題だった。



「妖を倒す術を学びたい、ねぇ……」

 つまりはそういうことらしかった。

 うん、と由は実に真剣な顔でうなずく。

「あたし、その為ならなんでもするから。眞苅くんがやれって言うならなんでも。下働きでも、お手伝いでも、小間使いだって!」

「それ大体おんなじ意味じゃねえかな……」

 しかし何でもとは大きく出たものだ。束の間、条件反射的に脳裏にちらついた浅ましい妄想から、克は努めて目を逸らす。彼とて思春期真っ盛りの男子高校生、邪な気持ちがないではない。「なんでも」なんて言われると、あらぬ好奇心が疼いてしまう。

 とはいえ、突然にそう言い出した訳にも興味がある。由もそのような言葉を安く叩き売る性格ではないだろう。

「……理由、聞いてもいいか」

 答えはとうに出ているものと思ったが、返答までにはずいぶんと時間がかかった。

「…………助けたいから」

 舌先で転がすように紡がれたのは、そんなありきたりな望み。

 何を、とは言わなかった。なのに由の切々とした表情が、まるで睦言のようにささやかな声音が、克から安易な言葉を奪ってしまった。

「そうか……」

 その誠実さに、克としてもなるべく応えたい。

「いや、でもなぁ」

 しかし彼の気持ちだけで、現実を変えられる訳ではなかった。

「これは教えてどうこうなるもんじゃねえしなぁ……」

「……やっぱ、難しいかな?」

「……まぁ、そうな」

 絶対に無理、と。はっきり言ってしまうことは、さすがに憚られてしまった。

 たしかに、由の()()()()()は貴重な才能ではある。「霊感がある」と自称する人間は掃いて捨てるほどいるが、実際に本物が視える者となれば稀だ。とはいえ何の技も知識もない由に、一から全てを授けるのは難しい。

「……すまん。やっぱその頼みは聞けない」

 だから、それが克の結論だった。

「そっか……」

 由は悄然と肩を落とす。

 見ていられなくて、克は窓の向こうに視線を外した。

 安易な決断ではなかったのだと思う。由がそのように浅薄な人間でないことは、彼女の愚直さの一端に触れた克にもわかる。あるいは克の非行を咎める中で、ずっとこれを打ち明ける機を窺っていたのかもしれない。その健気さに中てられこそすれ、拒否感など持てるはずがない。

 しかし、伊達や酔狂で務まる仕事ではないと、親にもさんざんドヤされてきた。見習いを脱した程度の克では、妖一匹退治するのにも、全力を傾けなければままならない。まして人に教えるなど以ての外だ。

 立派な父の真似事をするには、克はまだまだ未熟だった。

 ふと視線を感じ、克は眼下の往来に目を落とす。夕刻の駅前は人の行き交いが激しく、人相の判別まではできない。仮に覗かれていたとて、個人の特定は難しいだろう。

 その間に、由は席を立っていた。

「ごめん、無茶言って。もう帰るね」

「あ、ああ……いや送る」

 言いながら空をちらと仰ぐ。

 六月になって日は随分と伸びたが、それなりの時間ファミレスにもいた。今日は雨も降っているし、由が駅に着く頃には真っ暗になっているだろう。

 しかし由は困った顔で首を振った。

「いいよ、まだ食べてるでしょ? それに振られた相手に送ってもらうのって、なんか惨めっぽいし」

「お、おぉ」

 そういうものか、と。克は浮かせかけた腰を下ろした。もう一度バスロータリーを一瞥する。不躾な視線だが、悪いものではないように思う。杞憂だろう。

 由の差した傘が揺れながら、帰路に就いた人波を滑っていく。その赤が闇に溶けていくのを見ていられず、克は食べかけの料理に視線を戻す。

 ドリアはすっかり冷めていて、口で粘土でもこねているみたいだった。

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