第6回:嵐の中で輝いて
講義開始の鐘が鳴る。あたりを見渡すと、決意の眼差しを前に向ける2年生の姿が多く見て取れた。
そう、今日はボルトの課題の提出日だ。寧ろ今日完成できなかった場合、非常につらい未来が待っているだろう…と2年生は思っているのだろう。
しかし、対照的に3年生以降の再履修の学生の顔つきは緩い。もうすでに終わりそうだったり、終わらなくてもいいかな、と思っている学生が多いからだ。
かく言う僕は、もう終わりそうだ。あとは寸法記入さえすれば終わると言ってもいい。先週の講義終わりなんて「ちょろちょろ~!再履は強くてニューゲーム!再履で優勝!うぉっほほー!!」と叫びながら教室を出ていくか1分ほど思案して、辞めたくらいだ。
「それでは前回の課題を返却します。返却されたらどんどん作業を進めて結構です。絶対に今回の講義中に終わらせてくださいね」
そう言って教授は返却を始める。僕は返却された図面を受け取り、慌てず優雅に準備を始める。
「あとは、一度言ったことは再度注意はしませんからね?先週言ったことを思い出して描いてくださいね」
先週も板書はかなりの量描かれていた。そして、僕はそれを見て「うーん!多分大丈夫だろ!」と思いメモはしていない。結果として、今、何が描かれていたかは六角形の正しい書き方くらいしか覚えていない。これはマズい状態でもある。昨年、僕が単位を落とすまで歩いた落単の道を再び辿る可能性が一瞬でも見えてしまった。
「あとは、こちらが自分で勉強しておいて欲しいと言っておいた尺度に関して。これもしっかり勉強できていない人が多すぎますね。ちゃんと勉強してきたんですか?」
教授は尺度の考え方に世界地図を例に出した。
「尺度というのは全て統一しなくてはいけません。どこか1か所だけ尺度が違ったりしたら大変なんですよ。世界地図で、ある1つの国だけ異なる尺度で描かれていたらどうします?」
教授はそう言って僕らに考えるように促した。
「あとは、寸法に関してですね。寸法をどこに入れるか、どう入れるか、これは作る人の気持ちになって考えてください。特に、どこに入れるかなんてしっかり考えないと、図面を全部けさなきゃいけなくなるかもしれませんよ?そしたら終わりませんね」
一瞬背中に悪寒が走る。急いで自分の図面を見返す。
しかし、その寸法を入れられないミスは昨年既にやっている。昨年は、ボルトのヘッドの部分を中心に寄り過ぎて描いた結果、ボルトのねじ部の寸法なんかを入れるスペースが無くて死んだ。しかし、今年はそれを踏まえて、ボルトのヘッドは中心よりも右に意識して置いてある。
そう思いながら寸法を入れていく。
まずは具体的な寸法を入れ、次に参考寸法としてカッコのついた寸法を入れていく。
あとは寸法許容差をいちいち全部の寸法に入れてはキリがないので、表題欄の上あたりに注意書きを入れておく。全ての普通寸法許容差はJIS B 0405-mに従うのだ。
そこまで入れて、あとは表面性状を入れるだけとなった。
表面性状。これは…2年生にとってはかなり難しい問題だ。寧ろ間違えることが前提になっているのではないか?とすら思えてくる。
配布資料には最低限これくらいは入れておいて欲しい、という表面性状の値と場所は描かれている(ただし、RaではなくRzで)。しかし、表面性状は全ての面に示さなければならない。
ましてや表面性状のサンプルは置かれておらず、まさしく「よく考える」必要がある。ついでに言うならば「加工者の気持ちになる」必要もある。
そんな中、僕は昨年の図面とにらめっこをし、ついでにサンプルで置かれた実際のボルトを触り与えられた表面性状の面と比べて記載していく。
1コマ講義が終わる頃には全ての表面性状を記入し、終わる。
はずだった。
「馬鹿な?」
僕はつい小声で悪態を吐く。
それは社会や、講義、世界の大多数に向けられたモノではない。まぎれもなく自分自身に向けられたものだった。
「嘘だろ…僕は…馬鹿か?」
誰に言うわけでもなく、自然と口から言葉が零れる。
僕はミスを犯していた。
講義最初の教授の言葉がフラッシュバックする。
「どこに入れるかなんてしっかり考えないと、図面を全部けさなきゃいけなくなるかもしれませんよ?そしたら終わりませんね」
全ての面に表面性状を入れることはできる。しかし、入れると、輪郭線と図面との距離が非常に短くなってしまう。表面性状の記号と輪郭線の間は1㎜もないだろう。
バッとホワイトボードの方を見ると、見透かされたように「輪郭線と図面との間は10㎜以上は開けておいてね」と書かれている。
目の前が真っ暗になった。僕は、昨年から何も成長していなかったのだ。結局昨年と同じミスを犯しているのだ。
「ここ、寸法の位置変えた方が良いね」
そう語りかけてきたのは副担当の教授だった。
教授が指摘したのは、僕の表面性状ではなくヘッドの部分の高さの寸法だった。
僕はヘッドの右側に寸法を入れていた。しかし、教授は左側に入れることを推奨してきた。
教授はそれ以上は何も言わず、立ち去って行った。
答えは自分で考える。それこそが自分の力になるのだろう。そう思いながら図面を睨み付ける。2つ投影図を交互に眺め、答えを探す。
右に左に目を動かしているうちに僕は見つけた。
「図面を描く上では速さが大事…か」
そう。僕が描いた図面の場合、ボルトのヘッドの高さを確かめるには目を動かさなければならない。主投影図を見て、ヘッドの山の間隔はヘッド全体の高さと比べてどのような関係なのかを考える際、目を動かして別の投影図に目を向け、そして再び主投影図を見なければならない。
しかし、副担当の教授が言うように左側にこの寸法を入れた場合、主投影図を眺める視界の中に寸法が収まる。そうなれば、作業効率は少しでも良くなるかもしれない。
そう理解したうえで、寸法の位置を変えようとすると、今度は主投影図との間隔が狭くなってしまい、またルールを無視することになる。
時計を見る。時間はまだある。
僕は覚悟を決め、ヘッドの部分を全て消しゴムで消し一度トイレに行った。
トイレから帰り、自分の図面を見る。すると、また新たな閃きが頭の奥底からピカリと湧いてきた。
「なんだかいけそうな気がする!!」
日曜午前の特撮主人公のようなセリフを呟きながら0.5㎜のシャーペンを取る。
これは一種の悪知恵、悪足掻き、問題の先送りでもある行為だった。しかし、一筋の希望を見たのだ。無視しても良いが、何もしないよりは何かをした方が良いに決まっている。
そんなことを思いながら図面を描いていく。
僕のとった行動はこうだ。
まずは、ヘッドの部分をかなり左寄りに描く。輪郭線とは15㎜離れているかといった具合に。
そして、寸法の数字を入れる位置を少しばかり大きくとる。
たったこれだけだが、左右のバランスはかなり良くなる。まるで主投影図も「この位置に描くしかなかったンだわ」と言わんばかりの図面が出来上がるのだ。少しばかり投影図間の距離が大きくなってしまったが、仕方ない。仕方ないのだ。主投影図は描きなおすには時間が無いのだから。
寸法の位置も修正し、一緒に図面全体のバランスも良くなった。残った問題は、表面性状1つだけだった。
「マジやべぇ。詰んだかも」
そう僕が呟くと、隣の席の同志が聞いてきた。
「どうした?落単?」
「いや、勝手に落とすな落ちるのは1回で十分だっての」
そんな軽口を叩きながら現状を伝えると、彼は自分の赤ばかりの図面(彼曰く「黒歴史」)を見せてくれた。
「こ、これは!!!!」
その図面には、自分と同じように輪郭線と図面との距離がまるでない表面性状が描かれていた。そして、赤チェックで指示が描かれていた。
指示は、表面性状を示す個所から矢印を伸ばし、別の個所に表面性状の記号を入れるというものだった。
答えは見つかった。
僕は図面に最後の表面性状を記入し、完成を手にした。
ホワイトボードの内容ってメモ取るの忘れがちなんですよね。でも、矢印の矢の開き具合は30度で、多くの学生が60度で描いちゃって教授がこっそりホワイトボードに注意書きを描きこむのは眺めているんです。
僕は素直にテンプレートを買いました。超便利です。文明の利器です。