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第4回:嵐の前の静けさ

講義開始と共に、先週の課題が返却される。僕は最低限の「完成している」という評価の図面を受け取る。貰ったトレーシングペーパーは、さも当然のように赤いチェックが入っていた。

ところどころで文字が小さかったり、見本と違う()()()()を描いてしまっていた。



今回は流石に名前を書かずに提出した者はいなかった。しかし、やはり指示にそぐわない者は何人かいた。それらの学生に向けて、教授は苦言を呈する。

「指示に従ってくださいね。守れていない人っていうのは、総統酷い。」


それから教授は簡単な解説に移った。

まずは、全体を通して言えることから説明が始まる。

「何度も言いますが、作業が遅い。頭を使って欲しいんですけどね。線の課題と同じですよ。まずは全体を考える。課題の説明で私は「トレーシングペーパーにいっぱいに描け」なんて言いましたか?配布したプリントにも書いてありましたか?ありませんね?そりゃA4トレーシングペーパーの端から端まで文字を描けば終わりませんよ。考えればわかるでしょう。

それからね。見るものを間違えている。こればかりは話を聞いていないだけじゃなくて、プリントすら見ていないってことですよ。不思議ですよね?見れば書いてあることなのに」


今回の課題は、漢字からはじまり数字までを描くわけだが、それぞれ見本となるものがある。漢字やひらがなカタカナは教科書に準じ、アルファベットや数字は教科書ではなくもう1冊の手書き製図の本を参考に描かなければいけない。それは事前配布のプリントにしっかりと記入されている。

しかし、不思議なことにこの指示に従わない学生がいたのだった。


「己惚れるない方が良いですよ。自分はそんなにできる人間だと思わない方が良いですよ。昔から言われている話で「自分は計算ミスをする」と思っている人と「自分は計算ミスはしない」と思っている人、どちらがミスが少ないかってのがあります。答えは、「自分は計算ミスをする」と思っている人の方が少ないんですよ」


教授曰く、「こういった注意する意識を持てているかどうかが単位をとれるか取れないか」らしい。

そして、残酷にも毎年この注意する意識を持てていない学生が3割4割いるため再履修の数は減らないそうだ。

かく言う僕も、注意することのできない学生だった。そもそもの話、注意どころか計画性もないので、行き当たりばったりで図面を描いては満開の赤チェックを眺めていた。挙句の果てに「チェックいっぱい入ってて何が間違ってんのかもわっかんねぇや(てへぺろ)」などと笑みを浮かべていたくらいだ。


思い返せば思い返すほど、落単の見本市のような学生だったな、と感じる。


「それからね、見本を見て描けっていうのは、見本を眺めて文字を描くことじゃないんだよ。見本を見て、観察する。どういったはね方か、どういった線の向きか、どんな大きさでまとまっているか、そういうのを見て、それに従って描くことなんだよ。ただ字を描くだけなら小学生と変わらないだろう?そんなことを大学で高い金を払ってやってるなんて馬鹿馬鹿しいとわかってくれよ」


観察すべきポイント、簡単なところで言えば、ごんべん(言)の漢字の1画目の向き(適当に斜めに打つのではなく、2画目3画目と同様の角度で描く)、同様にしめすへん(ネ)の1画目は垂直に下ろすことが挙げられる。

また漢字もひらがなもカタカナも、ちょうど正方形の箱の中に納まるような大きさで描かなければならない。縦横比を考えることが必要だ。こういったことをきちっと守れて綺麗な図面を描く1歩が歩めるといったところだろう。


「毎度のことですがね、観察しろっていうのもこの課題に限った話じゃないんですよ。これから皆さんが描く図面は全て「実際に存在するもの」なんです。つまり、今あるものを観察して図面を想像できるようになる必要がまずあるんです。そして、皆さんが将来描く図面は「これから存在するようになるもの」です。作れるものを図面に描けなくてはいけないんです。その為のトレーニングなんですよ」


それから教授は今回の課題を素早く描くためにできることを説明した。

例として挙げられたのは、テンプレートを自作することだった。それはプラスチックのテンプレートではなく、誰でも紙があれば作れるような紙のテンプレートだ。紙の上に文字の幅と隙間を描き、トレーシングペーパーの下に入れる。そうすれば、素早く綺麗な間隔で文字が描ける。トレーシングペーパーの特徴を生かした方法と言えるだろう。


「いちいち図面に枠を描いて、文字を描いて、枠を消す、なんてしてたら時間がいくらあっても足りませんから」

教授は苦笑いを浮かべる。その表情から察するに、実際にそんなことをしていた学生がいたのだろう。


それから教授は軽い雑談を挟んだ。

「まぁこう言ってね。しっかりメモを取ったりしていたりすれば良いんですけど。たまに反抗的に絶対にメモを取ったりしない学生がいるんですよね。でも、それはそれで良いと思うんです。講義で教えたことを聞かず、自分のやり方で教えたやり方よりも良い成果を出せれば良いんです。何も聞かないで何もできないんじゃダメですけどねぇ?」


そう言いつつ、教授は「まぁ、そういって良い成果を出せた人は見たことないんですけど」と呟いた。


この製図というのは、ひとまず1年はやるし、人によっては一生使う。そして、これは「製図をすることがゴール」なのではなく「製図を用いて設計を行うことがゴール」なのだ。製図とはタダの道具に過ぎないのだ。こんなところで躓いている場合では本来ないのだ。図面の描き方を始めとして道具の使い方を知り、実際に手を動かしてモノづくりというものを知ってもらう。その為の講義がこの講義なのだ。

しかし、それでもできている人は少ない。一番良い評価を貰えた学生なんてここ数年いないそうだった。

それどころか、本来であれば落とされてもおかしくない図面でも仕方なく許して先に進ませてあげてる学生もいるくらいだそうだ。

じゃなきゃ、製図版も教室も足りなくなってしまうから。


教授が苦言を呈することだって好きでやっているわけではない。寧ろ教授にとって声を荒立てることはデメリットしかない。血圧は上がるし、そうなれば急性心不全の可能性だって出てくる。ストレスは身体をボロボロにしていく。

しかし、それでも教授が指導する理由がある。


教授にとっての1番のメリットは、教え子が未来、活躍することなのだ。

逆に、我々学生が社会に出て失敗すれば「テメー、大学で何学んでたんだ?言ってみろやコラ」となり、教えていた教授の評価が落ちてしまうという。

まぁ、社会に出て失敗する要因と言えば、真面目に勉強せず中途半端な能力で出た場合だろう。




結局のところ、講義を真面目に聞いて力をつけることが自分にとっても教授にとってもメリットなのだろう。




一通り前回の課題についての話を終えると、今度は次の課題に繋がる図面の種類についての説明が始まる。

「今から話すのは、図面を描くうえで必要な知識の講義です。40代、50台ならば中学生ぐらいに習う事なんですが、文部科学省が学習指導要領を変更したので皆さんはしっかりとは習っていないことでしょう。なので、この場で説明します。ちゃんと聞いてくださいね」


最初は描き方についてだった。

図面には一品一葉と多品一葉という種類がある。

一品一葉というのは、1つの物を1枚の葉…つまり紙に描くというものだ。葉というのはつまり紙のことである。A判・B判など、一定の大きさに断裁した印刷用紙の事を枚葉紙とも言うように、紙と葉は密接な関係がある。(紙の材料は植物繊維だったりするし)


反対に多品一葉は多くの品を1枚の紙に描く図面である。

ここで注意しなければならないことは、この多品一葉を誤変換で他品一葉なんて間違っても描いてはいけないことだろう。

どこかの講義をフィクション小説として投稿した人間は、この誤変換に気が付かず投稿してしまい、教授から失笑を貰った。修正はされていないので、興味のある人は探してみると良いだろう。漢字間違いは恥ずかしい、という教訓だ。


この一品一葉と多品一葉はどちらが良いといった話はない。状況によって変わるからだ。

例えば、多品一葉であれば、1つの工場に様々な部品の製造を依頼する時に役に立つ。1枚の図面を見ればどんな製品を作れば良いかがわかるからだ。一品一葉は、色々な工場に別々の部品の製造を任せる時に役に立つ。何せ、図面には1つの品しか描かれていないのだから、描かれているものを作れば良いのだ。


そして、日本では一品一葉が使われがちだそうだ。それに伴い、この講義でも一品一葉で図面を描くこととする。寧ろ、我々のような製図初心者には一品一葉の方が考えることが少なく済んで良い。どこに何を描くか、といったことをあまり考えなくて済むからだ。



そして、描くものには「部品図」と「組立図」の2種類があることも覚えておく必要がある。こういった言葉は、覚えておかないとマズい事柄なので覚えておくべきだろう。これから社会に出た時は、自分より年上の人と話すことの方が絶対多くなるわけで、自分より年上の人は総じて理解しており、理解している体で話をするからだ。わかっていないと恥ずかしい。


組立図は、普通に表記するならば「組み立て図」となるが、モノづくり設計の世界では送り仮名は書かない習慣がある。しかし、慣れていないと送り仮名がないせいで「そりつず」なんて読んでしまう学生がいるそうな。間違えると恥ずかしいし理解されないので気を付けよう。

この組立図は、部品図とセットで描く。寧ろ、両方ないと意味が無い。どう機能するのか?どんな部品で構成されているのか?両方がわかってこその図面なのだから。



続いて、投影図についての説明が始まる。

初回の講義でも投影図に関しての説明は少しあった。しかし、それはあくまで立体を描く方法であり、今から教わるのは立体を平面的に描き且つ、様々な情報を見た人に伝える術だ。


紙の上に描いたモノというのは回転はできない。3D CADのようには回転できない。しかし、平面に描いたものを何とかして立体に見せたい。等角図法や斜投影図法のように奥行きをつけて描けば立体のようには見えるが、それでも見えない面が必ず生まれる。


そういった問題を解決するのが、正投影法だ。これは、物体を様々な面から見て描くというものだ。

これを理解するにはまず数学の知識が必要になる。x軸y軸で構成された座標平面の第1象限から第4象限、と聞いてピンと来る必要がある。


ここからはその数学の知識を保有している前提で話を進めるが、この正投影法は第1象限に物体を置いて考える場合を第1角法、第3象限に物体を置いて考える場合を第3角法と言う。これもまた言葉として知っておくべきことだ。


日本では3角法で描く場合がほとんどだが、国によって1角法を用いる場合もある。どこの地域で作ってもらう製品かによって書き方を使い分けることができた方が良い。


しかし、まずは3角法をマスターしてからだ。ついでに言うならば、立体を3角法の図面に描くことと一緒に3角法の図面から立体を想像することもできた方が良い。


しかし様々な面から物体を描き、立体として認知することは分かったが、面と言ってもたくさんある。立方体でも6面はある。これをいちいち描くのか?と言えばそうではない。


投影図の省略というものがある。

毎度の話になるが、図面作成には〆切、納期というのが存在する。全ての面を描くのではなく、必要な面だけを描けば良いというものだ。描く面を減らせば、早く図面は描けるのだから。ただし、この省略というものに、主投影図は含まれない。主投影図だけは絶対に描かなければならない。


では主投影図とは何か?

それは、機能をもっとも明瞭に表している面だ。


明瞭に表している面というのは、大雑把に言うのならば「沢山寸法が描ける面」とも考えられるだろう。

そして、主投影図では表せない情報を、他の面の投影図で補うのだ。この追加の投影図はできるだけ少なくし,主投影図だけで示せるものに対しては他の投影図は描かないことが望ましい。

それに伴い、記載する情報は重複しないようにすることは忘れてはいけない。なるべく簡略化することが大事なのだ。


ここまで説明して、教授は言った。

「どの投影図を残し、どの投影図を描くかは自分で考えてください。指示は聞いて欲しいですが、それ以外は自分で考えて行動してください。君たちだって、何も歩く時に誰かから「右足出して、左足出して」なんて言われているわけではないでしょう?自分で考え動けば良いんだ。歩くこととそう変わらない」


それに伴い、教授は文章を読むことについて話す。

「考えるって言われても、わからないことはあると思う。そういう時は教科書や配布したプリントと()()()みれば良い。それが考える助けになる。ただ話を聞くだけじゃなくて、自分で調べて理解する、そういったことも間違いなく君たちの力になるはずだから」


そして、読むということに関連して正しい日本語の文章というものを読んで欲しいと教授は言った。

この正しい文章というのは、幾人もの人のチェックを受けて世に出ている日本語の文章の事だ。

新聞なんかが良い例だ。

こういった文章を読める力は絶対に大事だ。ネットのブログやSNSの投稿なんかの文章ばかりを読んでは養われない力が、これらの文章を読むと養われるという。というのも、設計の助けになるJISや、これから書くであろう卒業研究のレポートを書く為に用いる文献は正しい日本語で書かれた文章が多い。これらを読みなれていないと、絶対に苦労する。


もちろん、今この場に描かれている小説なんかは誰かのチェックを受けているわけではない。正しい日本語の文章ではない。製図に関して学びたいのならば、もっと専門書を読んだ方が為になることだろう。



最後に教授は、図面の向きに関する説明を始める。


「ここまで、図面の描き方を説明しましたが、では実際にどんな向きでモノを捉え、描けば良いかをお話しします」


向きに関しては部品図と組立図で変わってくる。

まず、部品図の場合、実際に作る時の向きで描く。これは人間が作る場合の事を考えて描く。何故ならば、この部品図の向きというのは作る人への命令でもあるからだ。

例えば、何か製品に穴を開けたい時を考える。一般的に穴を開ける方法は2種類だろう。上から開けるか、横から開けるかだ。上からならば、手回しでもなんでも、ドリルを用いるだろう。横からならば旋盤でも使えば開けられるはずだ。こういう風に考えれば、図面の向きは自然と定まってくる。まさか、穴を開けたい、って時に真下から真上に向かってドリルを突き刺す方法を考える人はいないだろう。いや、いて欲しくない。

自分だったらどうするか、を自分で決めることが大切だ。

補足だが、加工する人の利き腕も考えた方が良い。基本的に世界には右利きの人が多い。それを踏まえて図面を描ければ良い図面は描けるだろう。


次に組立図の場合、各部品を組み合わせてゆく向きで描く。これはモノを作るスピードに関係していく。

世の中の物は部品図と組立図がセットで考えるように、部品を作ったら最終的に組み立てる。そういう時、どんな風に組み立てるか組立図を見て考える。組立図の向きがおかしいと、組み立てる人が困る。スピードは遅くなるというものだ。

こればっかしは、モノづくりの経験があるかどうかの差が出てしまう。モノづくりの経験がある人の方が良い図面が描けるのはそういうことだ。

しかし、経験がないからダメというわけではない。ここからでも幾らでも補う方法はあるからだ。日常的にある製品を見て、それがどういう風な作り方でできているのかを調べたり考えたりする癖をつければいい。

何せ、世の中の製品は全て図面をもとにできているのだ。それも最も効率の良い方法を極めた図面をもとに作られているものばかりだ。効率の悪い図面は損をするから。


「まぁ、そうは言って百聞は一見に如かず、ですけどね。一度作ってみる方がが良いでしょう」



そう言って教授はスクリーンにある3角法で描かれた図を写した。台形を逆さにしたような形の立体だ。


「これを、手元の工作用紙で作ってください」


今回は、初回講義のように「歪んでいる」と言われるような学生は出てこない。しかし、やはりまだ3角法から読み取ることに慣れていないようで悪戦苦闘する学生は少なくなかった。


「できたからってすぐ上げるんじゃなくて、一度自分で図面と実物があっているか確かめてくださいね。なんなら、自分の作ったものを参考に3角法で絵を描いてみれば良いんですから」


しばらくして、教授は1人の学生の工作物をスクリーンに映し、説明をする。

図面の線が何を意味する線なのか理解しているか、図面からはどうなっているか読み取れない部分を自分で考えて作れているかどうかが重要だと説明した。

説明を終える頃には講義が終わりを告げようとしていた。


「それでは、来週からは本格的に図面を描いてもらいます。描いてもらうものは、六角ボルトです。そのために、皆さんはしっかり予習をしてきてください。来週はあまり説明はしませんから」

調べておくべき事柄は、寸法の数値の入れ方、図面の向き、寸法を示す矢印の向き、外形線と寸法線の距離、そういった図面を描く上での細かい諸注意に関してだった。各々がどのような大きさの図面を描くかは来週告げられる。


「それに伴い、一度六角ボルトの1個や2個買うと良いですよ。ホームセンターに行けば売ってますから。だいたいジュース1本くらいの値段ですし、皆さんまさか、ジュース1本も買えないことはないでしょう?」


百聞は一見に如かず。


教授がその指示を言い終わるころには、講義終了の鐘が鳴った。



投影開始(トレース・オン)、と言って図面を描き始める程の余裕が欲しいですね。

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