第3回:線の集合体(レギオン)
講義開始と共に、教授は先週の課題を僕らに返却した。
課題は評価されているらしく、それぞれ
完成:文字通り図面を完成させている者に送られる評価。
未完成:文字通り図面が途中までしか描けていない者に送られる評価。
指示にそぐわない:再三注意された事柄を守れていない者に送られる評価。
無銘:図面に名を刻まずに提出した者に送られる評価。
となっていた。
「呼ばれたら直ぐ来て、学番を言ってください。再履修の方もいるので、下3桁の学番だけではなく上2桁も行ってくださいね。私に聞こえる声で」
教授はそう言って、「完成」に値する学生の学番を呼んでいった。しばらくして、僕の学籍番号も呼ばれたので受け取った。
返却された図面にはいくつかの赤色のチェックが入っていた。「間隔」や「均一性」といった文字も入っている。
この課題返却はこんな具合でチェックとちょっとした文字しか入っていない。学生は自分がどこを間違えたのかを自己分析する必要がある。その過程で教科書を見直し、発見し、知識として自分の中に蓄えることが大切だ。
他の評価の学生が呼ばれている最中、僕は自分の図面を眺めていた。こう見ると、教授が注意したことを守れていない部分が見えてくる。
例えば、教授は図面に描いてある線は全て
全ての名前が記入されている図面を返却すると、教授は「後は無銘です。自分のものだと思うのを勝手に取ってください…」と言った。
13人ほどの学生がワラワラと図面を受け取りに来る。そして、各々が図面を持って自分の席に帰っていった。僕は何を見てこれが自分の図面だと判断しているのだろうか?と疑問に思った。
「では、とりあえず…問題点に関して説明しますね。これは今回だけではなく、これからも注意すべき点でもあります。皆さん聞いてください」
ホワイトボードの前に立ち、教授は僕らの方を見渡す。
「完璧な図面を描けるならば、この説明は聞かなくても構いませんが、皆さんの中に赤のチェックが入っていない学生は1人もいませんからね?チェックが入っているという事は、それは不完全な図面です。説明を聞いてくださいね」
その言葉を聞いて何人かの学生がメモを取ろうと準備を始めた。
教授が挙げた問題点は
・道具の使い方
・図面の完成形を意識していない
・注意を聞いていない
の3つだった。
「まずは皆さん、道具の使い方をもう一度考えてくださいね」
教授がまず挙げたのは、三角定規の角度に関してだった。
「世の中の道具や機械の多くは大抵が「90°」「60°」「30°」「45°」の4つで構成されています。これは手書き製図の名残です。なぜかわかりますね?三角定規の持つ角度です。皆さんの持っている定規の角度です。つまり…分度器なんて使わないんです。今回の課題でも、使われている角度は45°と30°しかないのに何故か分度器を出している学生がいたんですよね。不思議ですよね」
道具の使い方を考えどうすれば効率良く描けるかは自分で考える必要がある。それこそが大学生なのだろう。教授からすれば、自分で考えず教えを乞うばかりでは小学生と変わらないはずだ。
「それからコンパスも変な使い方の人が多いですね」
教授はそう言って、教卓に備え付けられたカメラで自分の手元を映し、スクリーンに投影する。
「これもまた、よく考えてください。コンパスがなぜこの形状なのかを考えてください。多くの学生が手首を捻って円を描こうとしていますが、コンパスはそのような使い方をするようにはできていません。コンパスの天辺に、なぜ円形の突起が付いているのか考えてください。コンパスは2本指でくるりと回せるようになっているんですよ」
実際に教授は2つの方法で円を描き、それをスクリーン越しで学生に見せる。2本指でコンパスの天辺を持ち描いた円の方が少ない力で済むためブレにくいことを見せた。
「あとは、100均ショップで売っているような三角定規やコンパスを使って図面を描かないでくださいね。何のために最初にそれなりの金額を払って定規やコンパスを買ったのかをよく考えてくださいね」
これは精度の話だった。大量生産される工業製品の精度はそこまで良いものではない。必要最低限の精度さえ保てていれば良いようにできている。そういった話だ。
「とにかく、道具の使い方を考えてください。最初買った時に触れるくらいはしておいて欲しい。こればっかりは教わっていないのが悪いのではない。自分でやろうとしないことが悪いのです。君たちは大学生なのですから」
そう言いつつも教授は、道具の使い方の一例としてコンパスの話を再び持ち出した。
「コンパスだって、ただ円を描くための道具ではないんです。等間隔に何かを描きたい時に長さを測るのにも使えます。こうやって、応用することも考えることの一つです。考えるという事はそういう事です。これを皆さんには養ってもらいたい。そうすれば自ずと図面だって速く描けるんですから」
次に教授はこう切り出した。
「図面を描く時に、完成形をイメージしていますか?」
と。
「例えば今回の課題であれば、線の本数は自分で決めることができた。ならば、最初に何本描くか考えれば全体の枠をどれくらいの大きさにするかがわかるはずだ。そうすれば、作業は格段に速くなるんだよ」
急がば回れ、という奴だ。最初に少し時間をかけてどんな図面を描くかを考える。そうすれば後で重大なミスが発覚するようなことも防げるし、描くものがイメージできているから作業の順番も考えて行動できるといった具合だろう。
「ノートやプリントの裏にでも、ざっと最初に描くんだ。そうする心構えがあるかないかで、作業の時間は変わってくる」
それから教授は1つアドバイスをしてくれた。
「あとは、全体のバランスだ。人が図面を見た時、図面の中心に描かれていると「綺麗だな」「丁寧だな」と思ってくれる。君たちが受ける講義だって、教室の端にばかり人が座っていたら何か違和感を覚えるだろう?図面もそれと一緒だ。そして…図面を見る機械系の人間はその違和感に特に敏感なんだ。わずかなアンバランスにだって気づくのが機械系なんだよ」
図面はなるべく中央に描く。これが綺麗な図面を描くコツの1つなのだろう。そして、こういった気遣いは手書きをやっていないと身につかないことだと教授は語る。
曰く、PCで図面を描く場合、描いた図面の位置を修正することは容易い。選択して、移動ツールを押すなりマウスでドラッグするなりすれば良いだけだからだ。しかし、手書きだとそうはいかない。最初に描く位置を雑に決めると、描いた後に修正は困難だ。
PCで図面を描くだけでは養えない力、それを養う事こそ手書き製図のメリットの一つなのだろう。
最後に教授は指示に関する話を始めた。
「最後に、皆さん…注意したことはちゃんと聞いてくださいね。名前を描く場所は指示しているのに、それに沿っていない人が多過ぎますからね。そもそも、図面というものは規格に沿っていなくては通らないものなのに、規格以前に私の指示に沿っていなかったらどうしようもありませんからね。
名前を描いていない人はもっと大変ですよ。図面というのは描いた人に責任というものがあります。だから、誰が描いたかわからない図面なんて意味が無いんですよ。これが最後の課題だったらどうする予定だったんですかね?名無しなんて無条件で評価無しですよ?来年も受けることになりますよ?」
ぐうの音も出ない正論だった。
「それとかね。0.3㎜と0.5㎜を使い分けろとは言いましたが、0.3㎜を薄く描けとは言っていないんですよ。どちらも濃くはっきり描いて欲しい」
0.3㎜の線を薄く描く学生は多い。というのも、線の細さの違いを明確にするにあたって、0.3㎜の線は濃く描くとその分潰れて太く見えてしまうような気がするのだ。筆圧が強い人はより顕著だ。僕自身、筆圧がかなり強い。ノートを取るだけでシャー芯をボッキボッキと折ってその都度折れた破片を左隣の人に飛ばしていくくらいだ。だから、その気持ちは痛いほどわかった。
すると教授はこう言った。
「線の太さっていうのは、区別がつけばいいんですよ。別に見た人が明確に「これは0.3㎜!」なんて測定しているわけではないんです。細く描けないならば、太い線をその分太く描けば良いんです」
これには僕も「あっ!」と声が出た。その手があったか!と思った。
一番良いのは、ステッドラー辺りが出している0.7㎜の製図用シャープペンシルを購入することだが、道具に関しては三角定規の件で一度注意するように言われている。シャーペンに精度があるかどうか深く考えてから購入は検討するべきだろう。
こればかりは「よく考えてみる」ほかないようだ。
そうこうしているうちに前回の課題に関する説明が終わった。
続いて次の課題の説明に移った。
「次の課題は予定通り「文字」を描いてもらます」
文字。一見すれば写経の如き課題のように感じるが、製図の世界ではそうはいかない。
何故ならば、文字とて一種の線、線の集合体こそが文字なのだ。
つまり、これも規格に沿った線が描けていなければ文字も描けないという事になる。その為前回線の課題を行い、今文字の課題を行うのだった。
「そういうわけで、自分の字は絶対に書かないでください。図面として成り立つように見本と同じ文字を描いてください。
昨年の自分であれば、これに対して反感を抱いていただろう。「自分の文字を書かない、自分を捨てるなんて…」なんて息巻いていたことだろう。しかし、これもよく考えればわかることだ。
そもそも、図面というのは規格に沿った描き方でなければ意味がない。最初の講義で教わったように、これは多くの人が見る。場合によっては外国人だって見る。そんな時、変なオリジナリティがあっては手間が増える。手間が増えて良いことはない。
この文字の課題だってそうだ。文字なら何でも良い!とヒラギノ行書W4で図面が描かれていたら非常に見づらい。せめてマティスEBくらいにして欲しいものだ。創英角ポップ体なんかは見やすいかもしれないが僕個人としては嫌いだ。
そんな風に、字体に統一性がないと絶対に困る。英語だって筆記体ではなくブロック体で描いて欲しいに決まってる。
そもそも、もし自分の字を書いて良いのであれば、大学で教わることとしてどうなのだろうか?という問題が出てくる。
「今日、ここで練習する字体は1年間使いますからね?字体が規格に沿っていない図面ははじかれますよ?」
教授は念押しのように言う。その言葉を受け取り、学生たちは覚悟を決める。
詳しい課題の説明(描く文字の種類や量について)を受け、作業を開始する。
指定された見本の文字を見ながら、とめ、はね、はらいを真似て文字を描いていく。
数字や英語は斜体で描くことや、線の時の課題の反省点を忘れないようにしながら、学生たちは作業を進める。
描くべき文字は漢字、カタカナ、ひらがな、アルファベット、数字の5種類。漢字以外は文字サイズをそれぞれ3.5㎜と5.0㎜の2種類だ。
また、全ての文字は2行ずつ描く。
今回の課題のポイントも、1行当たりの長さに指定はされていないのがポイントだろう。
僕も、右手の掌外沿を真っ黒にしながら必死に文字を描いていった。
もちろん、名前を描くことは最初に行った。
チャイムが鳴り、図面提出が始まる。僕も表面的には完成したように見える図面を提出する。
提出先には副担当の教授と院生がいた。僕が院生に図面を渡すと、副担当の教授がボソリと呟いた。
「こりゃダメだね」
レギオン(Legion)
マルコによる福音書第五章に登場する悪霊。この悪霊に取りつかれた男は墓場に住み、裸で歩き回って昼も夜も大声で叫びながら自分の体を石で切りつけ、鎖や足かせも引きちぎるほどの力を持っていた。その男から出た後、二千頭ほどの豚の群れに取りつき、豚は突進して断崖から落ち、溺れ死んでしまった。