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初回講義:愉悦の板書

講義が始まりました。何度も言いますが「この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。」関係ないんだからね!



講義初日、前日は様々なことを考えてしまい眠れなかった。

後輩から聞いた「講義の仕方を変える」とか「あまり怒らなくする」とか、そういった不確かな情報に踊らされたり、教授自身に、院生を通じてか読まれてしまった(この場合はネットに上げてる時点で誰に読まれても良い覚悟で書いていたはずなのだが)ことによる驚きと、気恥ずかしさに苛まれたり、と僕の心はぐっちゃぐちゃではあった。

しかし、目だけはパッチリと覚め睡眠不足は感じなかった。一種の覚醒ともいえる状態で午前の講義を受け、ゼリー飲料と、緑の爪痕の光るエナジードリンクを飲んで教室に向かう。


教室に行くと、既に前半を受けた再履修の学生が教室前のベンチで屯していた。


「どうだった?」と尋ねると、再履修の学生は言った。

「いつも通りだったよ」


ドアを開け、中に入ると座席表がスクリーンで映し出されていた。見ると、どうやら僕はそれなりに後ろの方だった。


席に着き、周りの再履修の人の顔を眺める。誰もが達観した顔をしていた。


昼休みの時間が無くなっていくにつれて、教室は人で埋まっていく。2年生の表情は人それぞれだった。

ふと、2年生の机の上を見ると、工作用紙とはさみとノリが用意されていた。

僕は慌てて近くに居た再履修の友人に尋ねる。

「工作用紙…準備した?」

「いや、ガイダンスでは言われてなかったけど…今年も作るのか?」

確かにガイダンスでは言われていない。小説を書いたくらいだ。聞き忘れがあるはずがない。

「でも、再履修の人は作らなくて良いです、とか言われそうじゃない?」

「それはそうなんだけど。でも安心感というかさ」


結局、急いで僕は生協で工作用紙を買った。

工作用紙を購入し、はさみとノリを用意して教室に戻って間もなくして、講義開始の鐘の音が鳴り響く。僕は早速、ノートとペンを用意してメモを取る準備をした。

今期はメモを欠かさず取る、それを僕は心に決めていた。それは昨年の反省を活かす為だ。ガイダンスでも言われたように、メモを取ることこそがこの科目の単位を取ることの近道だと思ったからでもある。


ここで重要なのは、「板書を取る」ではなく「メモを取る」ということである。板書だけではなく、教授の言葉で重要だと感じたこともメモを取ることが大事なはずだ。


まぁ、そういう事ならボイスレコーダーでも使えれば良いのだが、確か昨年の講義でボイスレコーダーは禁止されていたはずだから使わない。バレなければ良いのでは?と思うが、僕の場合ボイスレコーダーなんか使ってしまったら安心してしっかり講義を聞けないと思うから使わない。


「まずは、みなさん指定した座席に座っていますか?この講義ではカードリーダーでは出席は取っていません。皆さんの座っている座席で出欠を確認しますので、指定された席に座ってくださいね。じゃないと別の人が出席したことになりますよ」


辺りを見渡すと、どの席にも人が座っているようには見えた。流石に初回の講義で欠席する人はいないようだった。


「もし、今日いない人がいれば、それは履修の意思が無いという事で来週から座席は消しますので。今いない人で誰か連絡を貰っている人はいませんか?いれば私の所に来てください」


念押しのように言う教授。

「いないようなので、これから講義を始ます。まずは皆さん製図セットとこちらの手引きは買いましたか?再履修の人は買わなくても結構です。少し訂正が入った程度なので」


見てみると、既に新入生は手書き製図の手引きを持っていた。それは僕にとってかなりの衝撃だった。

昨年であれば、初回講義で購入し、もしそこで1000円を持っていないと積むというものだったのが、今年は既に製図セットとセットで買えるようだった。これならば授業時間も削られずに済むし、一石n鳥(nは自然数とする)と言った具合だな、と僕は思った。


「こちらの教科書は生協では買えませんからね。もし買っていない人は、来週で良いのでお金を持ってきてください。1000円ですから。

 生協で売って貰っても良いんですけどね、それだと値段が3000円以上になってしまったりして、馬鹿らしいので印刷だけお願いして、こちらで売るようにしているんですよ」


これは再履修して初めて知る事実だった。そんな事情があるとは微塵も思っていなかった僕にはかなり衝撃で、思わずメモを取った。


それからは、来週提出の目次の課題の説明や、教科書にはしっかり名前を書くこと、これらの説明は一度しか言わないのでしっかりメモを取ること、といった話をした。目次課題は作ることが大事なのではなく中身を見ることが大事なのだ。新入生にはそれをしっかり理解して欲しい。


そしていよいよ、講義が始まる、と思ったところで教授は言った。

「あとは、トイレは休憩時間に行ってください。こちらが説明している時にトイレに行かれると、1人だけ説明されていない状態ができてしまいますから。あとは再履修者のガイダンスでは言いましたが、ネットに上がっている文章なんかを鵜呑みにしないでくださいね。あれは、例えば私が何かで怒った時、そこで止まってその後の肝心なところが抜けていたりしますから」


僕はそっと俯いた。視線が感じるような気もしたが、これは僕の勘違いなのか、実際にこちらを見ているのか、それはわからない。しかし、そんな文章を書いてしまって申し訳ないと思った。



それから先ほどまで下ろされていたスクリーンを上げ、教授は今度こそ説明を始めた。


まず初めに教授は「作成」と「作製」の2つの漢字を書いた。


「作成」というのは、手で触れられる実体のあるものではなく、情報やアイデアといったものを作るときに用いる。計画や書類、今僕が書いている文章なんかは「作成」が用いられる。

一方で「作製」というのは、品物や機械など、製品を作る時に用いる。いわゆる「ものづくり」で作り出される実体のある三次元的な物は「作製」が用いられるわけだ。

製図では「作製」の方を用いて、漢字は間違えないよう指示がされた。まぁ、考えてみれば「製図」も「製品」も「製」の字が使われているのだから「作製」だなぁ、と思った。


そして、製図というもの機械や建築の世界では知らないと生きていけないものだと強く言われた。


理系の大学を卒業した場合、多くの人が何かしら「新しい製品」を生み出す仕事に就く。

この場合、0から作りそれを人に伝えなければならない。そういった場面で、製図の知識は必要不可欠だ。言葉だけでは説明が難しいものも、百聞は一見に如かず、図面という形にすればよりわかりやすい。

しかし、いざ図面を作るにしても、それが誰が見てもわかるようにしなくてはいけない。ただ図面を描くだけではなく、誰が見ても、それこそ海外にある工場に送った際に、外国人が見てもわかるようなものでなくてはいけない。自分がわざわざ海外にある工場まで図面と一緒に行って、説明するような暇はないのだから。


次に教授は時間の話をした。


「作業というものはお金で考えられます。1秒遅れるだけでも、その製造物の値段は上がります。例えネジ1本にしてもです。遅いことに言い訳は効きませんから。だからこそ、工夫が必要なんです。道具を使いこなしたりして工夫が必要なんです」

教授が言うに、昔は中学校くらいには製図を習う機会があったそうだった。そして、今企業の上の方にいる人は、そうやって手書き製図を学んできた人間で、新入社員にも昔と同じレベルの製図の技能を要求しているという。

これはつまり、製図のやり方を身に着けていないと給料がもらえないということである。

そして、その為にも良く話を聞き、良く考えることが必要だった。


それをしないということは、学ばないという事であり、それは「自分自身の()()()()()()()()()()()()()()()戦わなければならないということだった。

それはとても難しいことだ。


「例えば、生まれつき線を凄く高い精度で真っ直ぐ引ける人ならば、定規なんかは使わなくてもいいわけです。けれど、そんな人は沢山いるわけではないでしょう?だから皆さんは道具を使うんです。けど、面白いことにですね。これはネットに上がってる文章に書いてあったんですけど、その主人公はコンパスを使うことが嫌いだって書いてあったんですよね。機械系の学生でそれは、ちょっと…やめた方が良いんじゃないですかね」

教授は苦笑いを浮かべる。ついでに僕も苦笑いを浮かべる。



「まぁ皆さんが製図が嫌だという気持ちがわからない訳ではないんですよ。私も学生時代、最初は嫌でした。でも、嫌でもやらなきゃいけないんですよ。やらなきゃ機械系の道は進めないんですから。

 それでも、本当に、本当に嫌だって言うなら、辞めれば良いと思うんです。別の道を考えた方が良いですよ」



進路、就職、未来を考え結論を出せないまま先延ばしにする僕にとって、その言葉は非常に刺さるものだった。僕は一体、何をする為にこの大学に入ったのか。将来僕はどんな職種に就きたいのか。大学生活3年目にして何も考えられない僕にとって、その言葉は刺さる言葉だった。



それから教授は話を戻し、「納期」というものの話を始めた。


「これから皆さんに色々な課題を出しますが、提出期限は絶対守らなくてはいけませんし、提出期限を過ぎたものは絶対に受け取りません。それは、社会に出れば納期というものがあるからです」


先程「作業というものはお金で考えられる」という話があった。例えば、ネジみたいな小さい部品の設計が遅れた場合、それを作る工場が稼働するのが遅れ、それに伴い、そのネジを利用して組み立てる他の部品の製造が遅れ…とどんどん影響が出ていく。

また、ネジ1本にしても値段が1円でも上がればそれを利用する、例えば車であれば大体3万点ほどの部品で形成されているわけだが、単純計算で3万円値段が上がるかもしれない。それを何十万台と生産すれば、その損失は測りしれない。


作業の遅れとは、単に作業効率が悪くなるだけではなく、費用の面にも絡んでくる可能性があると教授は話した。


「また、例えば上の方の会社が図面の作成を送れると、下の子会社にも影響が出るんですよ」


製造メーカーの多くは、全ての部品を1から全て自分の会社で作るわけではない。大抵、この部品はここの工場で、この部品はこの工場で、といった具合で作業を分担している。


その中で小さな工場に依頼する場合もある。

依頼を受けた工場は、その部品を製造するために機械を新調したり、材料を購入したりする。そこで大抵銀行から融資を受けるわけだが、上の親会社が納期を守らないと、下の子会社はしわ寄せを受ける。


そして、そのしわ寄せがお金の話にまで絡んできて、親会社からの金の振り込みが遅れるような結果になれば銀行から融資を受けていた子会社はどうなるだろうか?

「銀行なんかは絶対に待ってくれませんからね。「あともうちょっとで親会社が振り込んでくれるんです!」って泣きついても銀行は容赦しません。そうなれば会社は倒産するかもしれないんです。少しの遅れが町工場を潰すことに繋がるかもしれないんです」


それを聞きながら、僕はレンタルCDのツタヤの店員とゲオの店員の違いを思い浮かべた。



「物を作る世界では納期は絶対に守ってくださいね。なので、今のうちから守ってください。そのことをよく考えてくださいね。

 さっき言った話をどう捉えるかは勝手ですが、事実ですから。大学では済むことでも、社会に出れば済みません。ただ、「こいつは使えない奴」って判断されてスパーンと切られるだけです。文句もありません」


念押しのように忠告する教授。基本話は一度しか言わない前提で行われるこの講義で、こう何度も言ってくれる教授に僕は優しさを感じた。

そう、これは本当に大事なことなのだ。絶対に頭に入れておかねばならぬことなのだ。恐らく、今ここにいる2年生の多くはこうは思っていないことだろう。「自分には関係ないや」とぼーっとしている学生がきっと多いだろう。


しかし、再履修となった今だから言える。「この教授の言うことは間違っていない」と。大事なのは「自分の頭で考え理解すること」だ。理解した時、「あ、言っていることは間違っていない」と悟りが開けたようにすっと受け入れることができるのだ。



それから一泊置いて、ついに「製図とは何か?」という説明が始まった。


製図とは、大雑把に言えば「図面を描く(作る)こと」である。

図形や()は図面に似ているように感じるが図形の場合「平面上(例えば紙の上など)に線と点で描いた物であり、図は図形に大きさや位置を示す寸法や、表面の状態を表す記号、正確さを示す記号など、各種の情報を記入した物を指す。


こう書くと、図の時点で図面に近い気がするが、図面と図では大きな違いがある。


それは、決まり(ルール)に沿っているかどうかだ。

図面は一定の様式を持った平面に描き、その様式に沿った情報を書き加えたもの指すのだ。

その決まり(ルール)は国、世界、会社、など様々だ。

例といえば、今僕らが持っている「機械手書き製図の手引き」は謂わばこの講義の決まり(ルール)を記載した本である。


そして、決まり(ルール)があることで、情報の伝達がしやすくなる。正し、丁寧に描くということは忘れてはいけない。図面を見て実際に製品を製作する人の目線で描くことを頭に入れておかねばならない。


ただ、この決まり(ルール)は数が多い。それを全て暗記することは非常に難しい。その為、暗記をする必要はない。ただ、「見る」という習慣を付ければ良い。

というのも、この決まり(ルール)は定期的に変わるのだ昨年までは禁止だった行為が、今じゃ許され、その代わりに許されていたことが禁止される、そんな世界らしい。

けれど最低限のことは変わらないから覚えていても損はしないとも教授は言っていた。



ここで教授は、1つの質問を学生に投げかけた。

「絵画と図面、この2つはどちらも「立体を平面の上に描いている」ということが当てはまりますが、どのような違いがあるのでしょうか?」



答えは「目的が違う」というものだった。

絵画は、美術的な感動を与えることが目的だ。感動とは、物事に深く感じて、心を動かすこと。それを見た時「素晴らしい」と感嘆の声を上げるも良し、「深い…」とアーティストの込めた思いを汲み取るも良し、とにかく、見た人の心を動かすことが目的だ。


図面は、表現されている対象物の設計者の考え通りの大きさ、働き、精度に従って作り出せる情報を与えることが目的だ。情報を与えることに重きを置いているので、心を動かすというよりは、作業を動かすことが目的だろう。


「まぁ、絵画も図面も人が見るのだから、綺麗であることは変わらないんですけどね」


教授が言うに、汚い図面にはミスがあるというのだ。

というのも、汚いとその分チェックがしやすい。パッと見た時に「何かミスがあるのではないか?」と疑ってみることがしやすいので、その分発見がしやすいという。

一方で、例えばCADを用いて描いた図面なんかはパッと見では綺麗に見える。その為、用心深くチェックすることなく扱われたりする。



もし、そこで重大なミスがあれば…それこそ前述した損害のきっかけになるだろう。

ミスがあると金がかかるのだ。


では、皆が手書きで図面を描いた方が良いのではないか?と思うが、そうは言ってられない。コンピュータを用いた図面の製作は楽なのだ。特に、手書き製図をマスターした人からすれば、コンピュータは非常に便利なものに感じるらしい。


しかし、それはあくまで手書き製図をマスターした人の話であり、手書き製図の技術を持ち合わせない人がいきなりCADなんかを使って図面を描いても…それこそ金のかかる図面が生まれてしまうだけなのだ。


教授曰く、現に手書き製図のの重要性はここ7~8年頃から増していっている。

しかし、重要であっても社内研修で手書き製図を教える余裕などあるわけなし、大学生の今、学ぶことが必要なのだ。




3限は終わりが近づき、学生の集中力は下がって来ていた。

教授は「では、最後に図面の役割について話したら休憩にします」と言って説明を始めた。


「先ほどから図面は情報を与えることが目的と話してきました。今度は他の役割についても掘り下げていきます」


まず、仮に仮に図面が無い場合でのモノづくりについて考えて見る。

その場合、例えば1人で最初から最後まで何か1つの製品を作るとすれば「トライ&エラー(試行錯誤)」を熟せば自ずと答えが見えてくる。時間はかかるが、なんとかなるだろう。


しかし、これが大量生産を行う工場であった場合どうだろうか?

もう何度目になるかわからないが、時間がかかるという事はその分お金がかかるという事である。

ここまで書けば、仮に今期初めて受ける学生でも理解できるはずだ。


工場ではトライ&エラーでモノ作りはできないのだ。


では、これらの事象に関して図面がどう関わってくるかというと、図面には「思考手段」としての役割が備わっているのである。

思考手段とは、即ち設計における「工学言語」である図面を用いて思考するということである。物を作るとなればお金がかかるが、設計段階ではお金はかからない。図面を製作することを通じて設計というものはより明確なビジョンを持ち、合理的に物事を進めることに繋がるのだ(と僕は思っている)。

それに伴い、教授は面白い話をしてくれた。


「だから設計者は絵が上手くなったりするんですよね。良い設計者というのは絵が上手なんです。これは生まれ持っての技術ではなく、頭の中で立体を創造してそれを平面上にアウトプットできる力を身に着けているから上手くなるんですよね。皆さんにも、この手書き製図を通じてそう言った技術を養っていってもらいたいです。

 あと、皆さんの中にいるかどうかわかりませんが、同人誌なんか描く人はこの手書き製図で学んだことが役に立つかもしれませんよ」


そう、手書き製図は同人誌作りに役立つのである。

逆にこれを機会に同人誌作りに挑むのも悪くないかもしれないな、と僕は思った。いや、この小説自体半ば同人誌のようなものか。




図面の役割はこの他にも、情報の保存という事にも役立つ。図面というものは写真や絵画と違って無駄を省き、整理された情報の塊のようなものだ。これが残っていれば、修理や修復というものが非常にしやすくなる。現に、城や寺のような建築物は昔の図面を元手に修復作業に着手したり、図面を元に修理を行う機械だってあるという。


まとめると、図面の役割は

・情報の伝達

・情報の保存

・思考手段

の3つの役割を担っているということになる。


ここまで説明を終えて、3限の終了を告げる鐘が鳴り響いた。



休み時間になりメモを取る必要が無くなったので、僕は昔自分が座っていた席の方を見てみた。

そこには意気消沈、かなり消耗した2年生の学生が座っていた。それはまるで昔の自分の現身のようだった。


それを見ながら、僕は自分自身があまり疲れていないことを感じた。同時に、2年生を眺めて愉悦に浸ってすらいた。


しかし直ぐに「まぁ、再履だしな」と自分に言い聞かせる。

愉悦だろうが、慢心だろうが、僕自身が誇れる要素は何処にもないのだ。

自分は一度単位を落とし、そしてこの席に座っている。それは寧ろ、2年生から見れば敗北者の末路のようなものだった。さながら三条河原に並ぶ晒し首のような存在が僕らなのだ。




そう物思いに更けていると講義開始の鐘が鳴り響く。4限が始まった。


「ここまでで、図面の役割について話していきましたが、まだ話していないことがあります。それはルールについてです」



そう言って教授はホワイトボードに「ISO」という文字を書いた。

「皆さん、これが何の意味か分かりますか?」


教室は静かだった。僕は昨年もこの質問があったので覚えていた。これは…確か…国際的な規格だ。呼び方は…「International Organization…」


思い出せなかったので、昨年自分が取ったノートを開く。すると「国際標準化機構:International Organization for Standardization」と書かれたいた。

しかし、困った事に僕は英語が苦手だった。「Standardization」の読み方がわからず、しどろもどろになっていると教授は寂しそうに言った。


「誰か発言しないんですか?私は寂しいです。

 こういう場合、世の中でどう捉えられるかわかりますか?「やる気が無い」って判断されるんですよ。今、採用担当になっている人は貴方達と世代が違います。だから自分たちの常識は通じない可能性があるんですよね。今は確かに就活しやすいと言いますけど、あくまで厳選採用です。対抗するにはバンバン発言するしかないんですよ」


教授の言う事はもっともだった。

しかし、僕も含め、多くの学生は不安だったのだ。「間違えたことを言ってしまったらどうしよう」「周囲に注目されるのが怖い」

そういった感情の波が喉を強張らせ、うまく言葉を発しさせてくれないのだろう。


僕自身、これから少しずつでも変わる努力をしなければなと「綺麗事」を述べたくなった。

思うだけならタダなのだ。それを実行に移せるかどうかは別なのだが。




それから教授は寂しそうに説明を始めた。

僕のノートにもあったように、ISOは「International Organization for Standardization」の略で、国際標準化機構を指す。「IOS」の方が良いのではないのか?と思うが「ISO」だ。間違えてはいけない。国際標準化機構とは組織の名前で、国際的な標準である国際規格を策定している組織だ。因みに日本での俗称は「イソ」。ホームセンターなんかに行けば「イソネジ」なんて名前でネジが売られている場面に出くわすかもしれない。


ただ、この規格というのは絶対的なモノというわけではなく、沿っていると見る人が楽だよ、といったものだった。というのも、国際的な規格なので、海外の人にも通じる規格である。海外にある工場に作製を頼む際に、規格に沿っていれば楽だよね、そんな具合だ。


次に教授は「JIS」について話を始めた。今度は学生に聞くことはなく、そのまま説明を始めた。

「JISというのは私くらいの世代だとみんな知っていますね。知っているというよりは見たことがある、が正しいかな?もう、クレヨンからノートまで、あらゆる製品にJISマーク〄が描いてあったから」


「JIS」(〄←これはJISマーク)は日本工業規格(Japanese Industrial Standard)の略称で、日本の国家標準の1つである。こちらはISOよりは守る必要がある、というよりは守った方が絶対楽だ。

というのも、これから図面を描いていくうえでこのJISを利用する機会が多い。そして、利用する場合は「JIS B 0001」といった具合でその規格の番号を記載するだけで様々な意味合いを追加付与できるからだ。「普通寸法公差を全ての寸法にいちいち記載していたら手間がかかるから、JIS~で規定しちゃえ~!」とすれば手間が減る。手間が減るというのはもう、ね、再三述べた「お金がかからない」


しかし、利用する際の記載方法だけは間違えないように。まずJISと書き、スペースを挟んでアルファベットを1文字、またスペースを挟んで既定の番号を書く。アルファベットは分類記号で、A~Zでそれぞれ別の部門の規格を意味する。


余談だが、2019年にJISの標準化対象に「データ、サービス等」を追加し、名称を『日本産業規格(JIS)』に改めることとなったそうだ。ただ、英語表記は変わらないらしい。


書き方さえ覚えていれば、後は前述したように「見る習慣」さえつけていればわざわざ丸暗記する必要はない。

あとは「社内規格」というものもあるが、これは方言のようなもので知っていなければ理解できないものだ。こればかりは会社に入ったら絶対に守らなければならないものだろう。



「あとは、投影法の話をして実習に移ろうと思います」

投影法とは、「物を平面上に描く方法」だ。先ほどまで散々「図面とは立体を平面上に描いたもの」と表現してきたが、その方法自体は1つではない。

教授は3つの投影法をホワイトボードに描いた。


1つは、等角投影図法だ。これは等角図法ともいうが、直交する3軸が120度に交わって見えるように投影した図法で、物体を斜め上から俯瞰するような図形を指す。

もう1つは、斜投影図法。これは平行投影(平行光線を当てた投影)に含まれ、光線を投影面に傾けて投影する投影法である。また、斜投影図法の内、奥行き方向を45°にし尺度を実長の1/2設置して作図する方法をキャビネット図法という。

そして最後は展開図だった。切り開いて展開した図だ。

と、講義では図を用いて説明されたが、いざ文章だけで説明しようとネットの文献などを漁ってみたりして記載したが、これを読んでストレートに理解することは難しそうなので実際に画像で見た方が早そうだ。


しかし、これらは僕らの手書き製図では使わない。僕らが使うのは、正投影図法というものの、更に第三角法だ。確かそうだったはずだ。これはきっと少し先の講義で説明されることだろう。





「ここまでの説明でわからないことはありますか?ここの説明がわかりにくかったからもう一度頼みたい、とかあれば言ってくださいね」

またしても、教室は無言だ。


「では、全員大丈夫、ということですね。それでは最後に実際に簡単な図面を見せますので、それを基に用意した工作用紙で作ってみてください。

っと…その前に、ルールを説明します。一度しか言いませんからね。

まずは、キチンとした形であること。次に、真っ直ぐ直角に糊付けされていて、元に戻らないようにすること。そして、完成したら掌に乗せて、指先を前に向けて、肘をピンと伸ばして掲げてください。これは話をちゃんと聞いているかどうかのチェックでもありますからね」


そう言って教授はスクリーンに図面を写した。

それは等角投影図法で描かれたものだった。必要最小限の長さの寸法だけが書かれている。


「まずは言われなくてもメモを取るようにしてくださいね」

学生は慌ててメモを取る。再履修の僕はすでに取ってある。

その様子を眺めながら、今日は続けて言った。

「小学生であれば、10分くらいで作れるんですけどね。今までには10分で作れた人は、いませんでしたが。皆さん一生懸命作ってくださいね。あと、机に傷はつけないようにしてくださいね」


学生たちは作業を始める。僕ら再履修者も作業に勤しむ。すると、その光景を見て教授が言った。

「再履修者は()()を知っているでしょう?別に作らなくても良いですよ…」



そう、この工作は普通に作るだけではダメなのだ。


着々と2年生が形を作り、肘をピンと伸ばして工作物を掲げる。教授はその都度工作物をを見て言う。

()()()()()



学生たちはそれを言われる度に首を傾げた。

彼らはきっと思っている事だろう。「与えられた寸法通り作り、しっかり糊付けもしているのになぜ歪んでいるのだろうか?」と。


それを見かねて教授は諭すように言った。

「皆さん歪んでいます。…いや、正確には「歪むような作り方」をしています。作り方の問題なんですっ!」

ここまでテンプレだ。


「ただ作れば良いって話じゃないんですよ。考えるんですよ。頭を使って欲しいんです。そうでなければ、小学生と一緒です」


ここで小学生を引き合いに出すことで、最初に小学生が10分で作れる理由の解明となる。小学生が10分で作れて、大学生が10分で作れない理由は「考えるか考えないか」にあるのだ。


この場合における小学生というのは、「誰かにやり方を教わり、教えられた通りに動くことで問題を解決する」というスタンスだ。例えば、この工作であれば紙の切り方、糊の付け方、そういった事柄を先生がつきっきりで手取り足取り教えて完成させる。それは「正解」というものが明確に提示された状態であり、正解へのプロセスを知ることで経験値を得るという勉強方法と言えよう。


一方大学生というのは「ある程度の説明だけを受けて、残りは自分で考えて行動し問題を解決する」というスタンスだ。

なぜこの様なスタンスで教えられるかは、僕が解釈するに「これから社会に出て出くわす問題は「答えがまだ見つかっていない問題」だから」だろう。

誰も答えを知らない問題に取り組むのだから、先駆者など居らず、自分で考えて解決まで導かなければならない。その為には過去の経験やその状況から分析することが必要になる。そういうことに取り組む力を養うことこそが目的なのだろう。


講義の時間も少なくなってきたので、教授は「昨年だったら1〜2できてたんだけどね。まぁいいや。再履修で良い感じにできてる人の借りよう」と言って再履修者の1人の工作物を借りてスクリーンに映した。


この工作で考えるべき点は

・どのような材料を使っているのか?

・展開図を書いて、切り取り、組み立てる学生が大半だが、組み立てた時どのようなこと気をつけるべきか?

・そもそも、少ない情報を拾い集め、どう解釈し、どう楽に作るか?

だ。


あまりにも具体的に書くと、未来この科目を履修する学生がズルいので書かないが(この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。)簡単に説明しようと思う。


まず使う材料だが、工作用紙を使っている。工作用紙とは厚みがある。厚みがあるということは、曲げた時どうなるか?これを深く考えて欲しい。

次に組み立てた時どうなるかだが、これも厚みに起因する問題がある。また、糊を使うのだから、糊代が必要だ。糊代をどのような形状にするかが非常に重要だ。それは、組立図を組み立てた時に糊代とそれ以外の部位がどう接していくかを考えれば見えてくる。

最後にどう楽に作るか。これはこの講義で何度も言ったように、手順が少なければ、金がかからないのだ。どうすれば、少ない手順で効率良く物事を進めることができるかを考える必要がある。例えば、糊代の数が少なければ加工の手間は減る。では糊代を減らすにはどうすれば良いか?といった具合だ。



一通り説明を終えて、教授は言った。

「つまり、強度や材料の性質、厚さといった様々な条件を意識して欲しい。製図だってただ図面を書ければ良いって事じゃないんだ。使う材料や加工手順を考えて描かなきゃいけないんだ。

その為にも「何故そうなるのか?」って考えなきゃダメだ。じゃなきゃ100分×2の時間を損することになる。皆さんだって高い学費払って講義を受けてるわけなんだから」


講義は間も無く終わる。


「その中で、小学生と同じことしたってなぁんの意味もないんだよ。言われたことをやるだけじゃ何の意味もない。考えなきゃ。それで理由を知らなきゃダメ。その中で、考えたことが間違っててもそれは仕方ない。そこで間違いを知って直せれば良いんだから。でも何も考えないで「はいできません」じゃダメなんだよ。大事なのは、考えて、そしてどう動くか。皆さん良く考えてくださいね」


講義終了の鐘が鳴る。


「それでは今日の講義はここまでとします。来週は、今日言った課題と持ち物を絶対に忘れないようにしてくださいね。あと、ゴミは残さないでくださいね」


1度しか言わないと言いつつ、最後にまた言ってくれる教授。



僕の再履修の最初の講義、濃密な200分はこうして終わりを告げた。

なんかカリキュラムが変わったのか、僕の思い違いか、第1部(主人公が落単する前の初めて講義を受ける物語の方)って内容本当にアテになりませんね。

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