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最終回:天の光は全て星

嗚呼、もはや何も言うまい

語るべき言葉、ここにあらず

話すべき相手、ここにおらず

男、ただ前を向き、ただ上を目指す

ただ、前を向き、ただ上を目指す

講義開始と共に、先週の図面が返却される。受け取る学生の顔つきは様々だ。

不安、焦り、緊張、絶望、達観、負の感情が立ち込める教室に、僕は居た。


最終課題の後の追加課題。正真正銘最後の戦いの、最後の時間が今から始まる。恐らく、多くの学生が「ここで単位を落とせば来年もこの教室にいることになる」と思っていることだろう。

そう言い切れる要因としては、昨年の自分の存在がある。昨年の僕は、そんなことを思い、図面を描き、そして()()()()


けれど、今の僕はそんな不安はあるにしてもどこか落ち着いていた。



「では、図面を受け取った人から直ぐに作業を始めてください!絶対に今日中に図面を完成させてくださいね!」

教授の声を聴きながら、製図板の準備を始める。

返却された図面は、ボルトの方はほとんど描きあがっている。残りは、寸法を入れてねじ部の拡大図を描くだけだ。


拡大図は、拡大したい場所を円で囲み傍に識別文字を描くところから始まる。囲む円の大きさは自由だが、拡大図はあくまで、円で囲んだ場所だけを拡大させて描くことを忘れてはいけない。逆に言えば、円で囲んでないところを拡大させてはいけない。

今回の課題で言えば、拡大図では3ピッチほどのねじ山を示すということなので、3ピッチ分円で囲めば良いだろう。例としてM16のねじを挙げるなら、M16は規格上1ピッチ2㎜となっているため3ピッチは6㎜…直径6㎜の円で一箇所を囲めば良いだろう。


円で囲み、識別文字を振ったならば今度こそ拡大図を描く作業に移る。

ここで出てくるのは、拡大図をどこに描くかという問題だ。いつしかやったナットの課題では、重要なものは右側の更に上に描くという決まりがあった。その為、断面図は上側となっていたが、今回の場合はどうだろうか?

こればかりは調べてもイマイチピンとくる結論が出なかったが、少なくともねじ部の拡大図を図面の上に描くようなことはあまりしないらしい。単純な図面の見やすさの問題だろう。

確かに、拡大図を描くという事は拡大した部分が重要であるという事ではある。重要なことでない限り、わざわざ拡大して書く必要がないからだ。図面というのは必要なものや線しか書いてはいけない。不必要なものを描くことは、作業効率を悪くし、見る人も描く人もロスが生じる為である。

だからといって、拡大図をボルトよりも上に描くのは少し変だ。あくまで「ボルト全体の形状を確認する」ことが図面の第一目標であり、今回のねじ部の拡大図はオマケのようなものである。


そんなことを考えながら、僕は拡大図をボルトの下に描き始めた。

ただ、描くといっても考えなくてはいけないことがある。尺度だ。今回拡大図として描くという事は、拡大した図を描くという事である(非常に頭痛が痛い言い回しだが)。そして、拡大すると言っても好き勝手に拡大して良いわけではない。世の中のモノには大概「規格」というものがあるのだ。標準数の時も説明したが、この規格に沿っていないと非常に手間がかかる。なので、まずはこの規格を知っておく必要がある。

まず、拡大…つまり倍尺の方は5種類ある。2:1,5:1,10:1,20:1,50:1だ。次に縮小…縮尺の方は1:2,1:5,1:10…から10倍、100倍、1000倍した計12種類の規格になっている。縮小の方が遥かに数が多いのは、世の中大きい物を作る方が多いからだろう。家だって、船だって、ビルだって、ロケットだって、図面があって出来上がるのだ。

ただし、規格と言っても、あくまで「推奨される」だけである。時にはこの規格以外の尺度で描かなければいけない場合もある。むしろ、これから未来のモノ作りを担う僕らはこの尺度に当てはまらないものを作る事になるかもしれない。とんでもなく小さいモノや、とんでもなく大きいモノ、そんなモノを作る時は、この規格ではきっと足りないことだろう。


また、今回の場合は部分拡大図という事で図面全体の尺度とは異なる尺度の図を入れるわけだが、もし、小さい対象物を大きい尺度で描いた図面だけの場合は参考として現尺の図を書き加えると良いという。


では実際に今回の図面ではどのような尺度で拡大図を示すかというわけだが…この選択方法はふたつ程あるだろう。

まず、機能を明確に示せるかどうかだ。せっかく拡大図を描くのだから、拡大してしっかりその役割を果たせていないといけない。拡大図は描かれているけど倍率がイマイチ小さいせいであんまりよくわからない、なんてことはあってはならない。何度も言うが、図面には必要なモノしか描いてはいけないのだ。必要であるとわかるように描かなければならないのだ。

次に、図面自体の大きさの問題がある。いつしかの回で説明したが、まず大前提にA4用紙の短辺の長さは210㎜だ。そこに10㎜間隔の輪郭線が左右に入る。ということは僕らの描く図面の領域の横の長さは190㎜しかないことがわかる。それを考えると、見やすいようにと無駄に大きくしてしまうと図面に入らないという問題が出てくる。別のサイズの用紙を用いれば良いかもしれないが、そこをどう選択するかは人それぞれだろう。

例として再びM16のねじを挙げるならば、1ピッチは2㎜で3ピッチ描くために6㎜は描く、そこで最大の倍尺50:1を適用すると、計300㎜必要となる。明らかにA4用紙では足りないことが明白だ。


尺度を決めれば実際に図面を描ける。ねじは山も谷も60°で形成されている。幸いにも三角定規を使えば楽に描けることだろう。最初に3ピッチ分の長さの線を引いて、ピッチごとにプロットを打ち、そこから平行定規と三角定規を組み合わせて線を引くと先の尖ったギザギザが出来上がる。あとは指示通り、尖っている部分を平らにすれば完成だ。(どこから平らにすれば良いかはJISの方の基準寸法以外を見れば計算で出る)


そこまで作業を進めたところで、教授が唐突に口を開いた。

「巡回してみましたが…多くの学生が中心線が中心にありません。一度中心線を基準に上下の長さを確かめてください。座って見るだけではわかりませんよ。立って見るなりして、図面を真上から見て確認してください」

座りながら見る線と、真上から見る線では見え方が違う。座ってみる場合…つまり斜めから図面を眺めた場合は奥行きが生まれてしまうために、線と線の間隔が上下で変わってしまう。しかし、真上から見ればこの奥行きがなくなる為、真なる線の間隔がわかるのだ。

ひとまず、自分自身の図面を真上から見てみる。()()()()()()()()()()()ズレがあるようには感じなかった。


しかし、「さて拡大図の寸法はどうしようか」などと思案している時だった。

巡回した教授が、僕の真横を通る時に言ったのだ。

「中心線が中心に無い」


一瞬僕は「誰だ?再三注意を受けても中心線が中心にないような奴は?」と辺りを見渡す。だがすぐに、それが自分に向けられた言葉だとわかり、血圧がシュッと下がるのを感じた。

「一度測ってみな」

教授の言葉に操られるように、僕は定規で中心線からの外形線の上下の距離を測る。見れば1㎜弱の違いがそこにあった。脳裏に「できてるって思ってる人こそ、間違った図面を描いているんですよ」という教授の言葉がフラッシュバックする。

バッと顔を上げると教授は既にいない。しかし、ちょうど顔を挙げた先に時計がある。時計の針は無慈悲にチクタクと音を立てて動いている。幸いにも提出までは100分以上時間がある。僕は急いで修正を始めた。


それから幾許かの時間を主投影図の修正に費やす。

そして、その修正が終わる頃だった。再履修の同志の1人が僕に問いかけた。

「なぁ、寸法ってどこが必要だと思うよ?」


彼の言う寸法は、ねじ部拡大図の寸法だ。これは僕自身も答えを出せない問題の一つだった。

寸法の役割は2つある。1つは加工者が見るための寸法。もう1つは、出来上がった製品を点検する人が見るための寸法だ。

そのことを考え、まず僕はねじの加工方法について調べた。

ねじ山の切り方はいくつかあるが、その中でも代表的なのはダイスを用いて手作業で切る方法と工作機械を用いて作る方法だろう。


まずダイスとは、丸い棒をおねじに加工するための工具だ。ダイスハンドルとセットで利用し、ねじ山のギザギザが付いた穴に丸棒を入れてハンドルをつけて回せばねじ山が作られる。この場合、ダイスごとにねじの規格がある為、M10のねじを作りたい時はM10用のダイスを使えばM10のねじが作れる。加工者からすれば、図面にねじの呼びさえ書かれていれば使うダイスを選択できるわけで、この場合は拡大図は重要ではないと考えられる。

しかし、これはあくまで手作業の場合である。大量生産の現場では使うには非効率すぎる。


では、工作機械を用いる場合はどうだろうか?

まず考えられるのは、旋盤を使ったねじ切り加工である。

おねじを作る時は金属の外側を削る外径ねじ切り旋削を行い、めねじを作る時は内側を削る内径ねじ切り旋削で行う。回転する丸棒を切削し、ねじ山を形成していくのだ。この方法は工業高校の実習なんかでも使われるほど代表的な加工方法ではあるが、これでも大量生産向きとは言い難い。というのも、自動送りを用いて全ての加工を手動で行うというわけではないにしろ、結局のところ、旋盤でも切りくずを処理したり、回転数や送り速度を適時変えたり、ひとつのねじを作ったら別の丸棒を取り付けて…と人の手が必要不可欠だからだ。

この場合で、拡大図の寸法が必要になる可能性としては、回転速度や送り速度を決める為に使われるだろう。といっても、用いられるのは1ピッチの大きさくらいだ。そもそもねじ切りに用いられるバイトの先端角度は60°となっているため、角度は必要ではないとも考えられる。しかし、最終的にどれくらい深く削るかを決定するために谷の径も必要かもしれない。谷の径がわかれば、外形からいったいどれだけ深く切削するかがわかるはずだ。

また、大量生産に適した旋盤として、数値制御(Numerical Control)の機能をもたせたNC旋盤がある。 これを使えば回転速度の設定や加工中の工具の移動などが自動で行われるので、一度プログラムを設定すれば人の手を介することなく大量生産をすることができる。この場合に図面が必要となるのは、このプログラムを組む際だろう。


この他にも、ねじ切り盤を用いた方法や塑性加工による方法もあるが、今回は説明を省くとする。


加工者の立場から僕が考えられる図面の寸法の必要性は、こんなところだろう。ピッチと谷の径、これに課題の指示として「角度寸法もあった方が良い」という指示を元に描くべき寸法は「ピッチ、谷の径、角度」と考えられる。外形は、拡大図ではなく主投影図に描かれある為、下手に書いて寸法の重複は避けた方が良いかもしれない(と、言いつつも、加工者が拡大図を見た時に一緒に外径もあった方が作業がしやすいかも?と思う自分もいるのだが)



続いて点検をする人の立場で考える。この場合は、絶対にピッチの寸法が必要だろう。1ピッチがしっかりできているかどうか、これがしっかりしていないとねじとして機能しない場合がある。しかし、それ以外はどうだろうか?

まず出てくる問題は、「点検する為には計測することが必要である」ということだ。つまり、計測できないような寸法は入れても測れない為に意味が無いと言える。

例えば、基準寸法の中に「ひっかりの高さ」というものがある。これはねじの山の頂点から、谷の底までの高さだ。計測しようと思えばできそうな気もしなくもないが、そもそも今回描いている図面は先週指示があったように「理想としたねじ山」だ。実際のねじ山は、山の頂点も谷の底もカーブを描く局面になっている。切削加工をする限りこれは仕方がない。つまり、ここで記入する寸法は不確かな値であり、実際は変わった値になるはずだ。


こういったことを考えると、点検に必要な寸法はピッチだけのように考えられる。



僕はこれらの考えのもとで図面を描く。しかし、これもあくまで個人の考えであり、絶対的な正解かどうかは僕にはわからない。



提出の時間は刻一刻と近づいていく。時計の長針はカチリ…カチリ…と死神の足音のような音を立てる。


答えの見えない不安を抱きしめて、僕はひたすら自分の図面に間違いはないかを模索する。時に同志と意見を交え、時に教科書を穴が空くまで見つめ続け、ひたすら探す。しかし、知識量もほどほどな僕らが三人寄ってもB評価、といった経験は今までの課題のボルトやナットで十二分に感じている。それでも、何か穴が無いかを探し続けた。



講義終了の鐘が鳴る。



「それでは、ペンを置いてください。これから先少しでも書き加えたりした場合は不正行為と判断しますからね。これは試験と一緒ですよ」

教授の指示のもと、図面を剥がし提出する。長きに渡った講義が終わりを告げる瞬間だった。


果たして、これが終わりなのか、ましてや新たな再履修の始まりかどうかは夏が終わる頃までわからない。しかし、今まで学んだ知識は全て詰め込んだはずだった。

製図板を片付け、荷物をまとめて教室の外に出る。教室の外にあるベンチに腰を下ろし、通り過ぎる先ほどまで同志だった友人と「お疲れ」と言葉を交わす。



僕はしばらくベンチに座り「あれ、谷の径ってφつけて良かったっけ?やべぇ…」などと思いを馳せた。

それから少し時間が経ち、教室からかなりの学生がいなくなったことを確認して僕は再び教室に入る。


課題は終わった。だが僕のやるべきことはまだ終わっていない。ひとつ、大切なことをまだ済ませていない。


僕は講義を終えて椅子に座る教授の元へ向かう。ワイシャツの襟を正して。




これは物語の終わりであり、始まりかもしれない。

ご愛読ありがとうございました。これにて終幕でございます。

あくまでこの物語は正確な情報というには些かソースに欠ける部分があります。もし、手書き製図をやっている読者様などおりましたら、あくまで一個人の考え方として受け止めて参考になればと思います。

単位?それがわかるエピローグはまたいつか。


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