第10回:屍山血河舞台 組立図之巻
講義開始と共に、先週途中で出した図面が返却される。そして、各々が製図板を手に取り席に着き、己が図面を完成させるべくペンを執った。
「先週、勉強してくるように伝えました標準数について解説をしておきます。聞きたい人だけが聞いてください。ただし、先週も言ったようにこれは全員が勉強して置いた方が良いですけどね」
そう言って教授は標準数についての説明を始める。内容としては、先週自身がまとめたこととあまり変わらなかった。
「標準数がなぜ存在するか。それは勝手に決めるとメーカーが大変だからです。1個2個の生産なら困らないかもしれませんが、1000個、10000個、製品を作る時に標準数から外れた物を使われると用意する時が大変です」
設計において大事なことは「加工者の立場になって考える」ということだ。いかに加工者が楽に製作を行えるか、それが良い図面だろう。逆に言えば、加工者が困る図面は悪い図面だ。
今回標準数を用いることもそうだし、必要な寸法を入れることも、不必要な寸法を入れないことも、全てこれに繋がる。
「また、この標準数は全て丸暗記しろというものではありません。1~10㎜までの間の標準数さえいくらか知っていれば、後は10倍100倍するなり、1/10倍するなり1/100倍するなりすれば良いだけです。なので、今回の課題で鋼板の厚さに標準数を必要とする学生は、それを頭に入れたうえで図面を描いてください」
僕はこれを聞いて豆鉄砲を食らった鳩のような表情を浮かべてしまった。
先週自分が勉強し文章にしてまとめた中で「等比数列が~」とさも小難しく勉強したかのようにまとめたが…そんな難しく考える事ではなかったのだ…。
それから教授は、「また、これは電子回路なんかでも用いられますので、知識として頭に入れておいてくださいね」と締め括り、学生たちに作業を続けるように促した。
図面は完成に至りつつある。細かい寸法を入れれば終わる事だろう。
しかし、完成したと慢心する者こそ過ちを犯している。それは前回のナットの課題で十二分に理解したつもりでいた。
素人目では良さげな図面を描き上げる。そこから再履修の他の同志と共に互いに互いの図面を見て何か気が付く点が無いか調べる作業に移る。
「ここの線の太さはどれくらいだっけ?」「いや、そこの文字はこうしたほうがいい」などと、隣の席や前の席の同志と共に討論をする。
そんな最中、僕はふと耳にした。
「今年も…組立図って書いてる学生ばかりですね」
それは副担当の教授と非常勤講師の会話だった。ただ、聞こえたのはそこまでだけ。その先は聞き取れなかった。
僕はふと昨年の落単のきっかけとなった図面を見る。そこには赤チェックがびっしり入っていた。そして僕は目を留めた。
「表題欄の図名か…?」
表題欄の図名の欄。僕は「組立図」とだけ書いていた。そしてそこには赤いチェック印が濃くはっきり記されていた。
このことに関して早速隣の友人に話を振る。
「あのさぁ…」
「ん?落単した?」
「また簡単に僕を落とすな。
じゃなくて、表題欄なんだけど」
そう言って先ほどの教師陣の会話と自分の赤図面のことを伝える。
「配布資料には「ボルト・ナット」なんて書かれてるな。だったら俺らもボルト・ナットって描けば良いんじゃないか?」
友人はこの課題の始まる前に配布された資料を見て呟く。
しかし、配布資料に含まれる図面はあくまで多品一葉の図面であり、今回の一品一葉の図面とは状況が違う。
さてどうしたものか、と教科書をパラパラとめくっていると、ある図面の表題欄が目に留まった。
「安全弁組立図」だ。
いや、安全弁に限らず、教科書の多くに「○○○○部品図」「○○○○組立図」といった表記が見て取れた。
となると…「何を組み立てた図面なのか」という意味も含めた図名を入れる必要があるのだろうか?
時間は刻一刻と過ぎていく。あんなにもあると思っていた時間も気が付けばシャボン玉のように儚く消えていく。
「残り時間は10分です。もう一度、図面を見返して間違っている箇所が無いか、よく考えてくださいね」
その言葉は僕を揺さぶるには十分だった。何か間違いを見つけなければならない、と意味もなく教科書をぺらぺらとめくってみたりするが、勿論意味はない。一通り同志と確認を済ませてしまっているが故に、お互い何も進まない膠着状態が続く。
そんな中で、僕は隣の席の友人に問いかけた。
「ねじ部の…不完全ねじ部を示す線ってどんな太さだっけ…」
恐らく教科書を見ても配布資料を見ても直ぐにわかることだった。しかし、僕はその時、友人に尋ねてしまった。
「ねじ部…は…細い線…?」
恐らく、僕と同等に焦っていた隣の席の友人は、そんなことを口走る。そして、僕はそれを真に受けて「そうだったか。そうだな」などと言いながら自分の図面に手を加える。
講義終了の鐘が鳴る。神のみぞ知る世界ならぬ、採点者のみぞ知る評価、と言った具合だろう。僕は不安と期待を持って図面を提出した。
皆が提出を終える頃合いで、教授が来週の説明を始める。
「来週は、皆さんの図面の出来具合で考えようと思います。今回が最終課題であり、今回の課題で成績をつけるわけですが…もし、皆さんが余りにも出来が悪い場合は追加課題…つまり救済処置を取らせてもらいます。皆さんの出来が良ければ、そこでおしまいです。なので、皆さんは一応製図セットを持って来てくださいね」
つまるところ、裏ボス出現のフラグである。
蛇足。まさに蛇足だ。人は焦ると意味の分からない行動をする。それは余裕がないからだろう。
ボルトの時できたことが何故組立図でできなくなるのか、それは単に準備不足だからだろう。
「知っている」と「できる」は別の存在であるのだ。そして、できないのであれば準備をすれば良いのだ。僕が再履修たる所以はここにあるのだろう。
後悔の念は止まらない。されど現実問題、ミスを犯した図面が現物があるのだ。
え、締結体…?そんなのもあるんですか?