第7回:最果て無き道
「それではまず、先週提出して貰った図面を返却します。今回は、S評価、A評価、B評価、C評価、そしてD評価の5段階評価として皆さんの図面を採点させてもらいました。
最初に言うと…SとAの評価に該当するレベルの図面を書けた人はいません。前半組もそうです」
その言葉に僕は、残念な気持ちと幾許かの悔しさを感じた。
「特に2年生にはC評価までしかいません。つまり、現役の2年生はこのままいくと全員落単ですかね?教室もう一部屋使うだけじゃ足りませんね」
教授はそう言って教室全体をぐるりと見渡す。そして悲しそうな表情を浮かべて言った。
「もっと、ひとつひとつの課題をクリアしていってください。最終課題だけできていれば良い、とか思っていませんか?」
何人かの学生の顔が青くなるのが見て取れた。
「それでは、図面を返却しますので、呼ばれたら直ぐに来てくださいね?」
最初にB評価が呼ばれていく。程なくして、自分の学籍番号も呼ばれた。B評価と呼ばれた再履修者は皆、小走りで教授の元に駆けていっていた。自分も同様にして小走りで駆けていく。
返された図面を見る。赤のチェックは多い。しかもそれは、考えてみればわかることや教科書を見ればわかることばかりだった。
具体的なミスといったら、表面性状の記号を入れるために引いた引出線の長さだろう。僕はこの引出線を表面性状の「Ra」と書かれた部分の下まで伸ばしてしまっていた。そこは全てチェックが入っていた。改めて教科書を見てみると、描き方の例は表面性状の記号の三角▽の下までで止まっていた。
他にも、教授がホワイトボードに注意書きした寸法線と図面との距離を守れていなかったり、文字のサイズがイマイチ小さかったりと「完璧に理解した」と名乗り上げるには些か醜い図面に仕上がっていた。
特に、先週の自分は「ホワイトボードに描いてある内容は自分はできている。間違いない。ミスするはずがない!」と慢心していたが、その心をボッキリと折るには十分な指摘だった。同時に「できてる、完成した、と思ってる人に限ってミスがあるんですよね」と言う教授の言葉が稲妻が如くフラッシュバックしたのだった。
自身の図面を眺めていると、悔しさはどんどん高まってくる。同時に、次の図面ではA評価以上を勝ち取るにはどうすれば良いだろうか…?ということに思考を巡らせた。
全ての図面の返却を終えると、教授はまず返却した課題の説明を始めた。
「まずは、何度も言いますが配置についてですね」
最初に考えるべきことは、主投影図の向きだろう。主投影図の向き次第で配置は大きく変わってくる。
「今回皆さんが描いたモノは部品図です。部品図という事は、加工する向きで図面は描く、ということはかなり前の講義で説明しましたね」
加工する向きを考えて図面を描くとなると、今回のボルトは…旋盤で作る事を想定できるだろう。六角形の棒を用いて旋盤加工をする。それを考えれば、横向きだという事がわかる。金属加工というものを微塵も知らない学生でも、実験で旋盤加工の実験をやっていればわかるはずだ。まだ実験をやっていない学生はそのうちやって「あぁ~こういう事ね!」と納得するだろう。ちなみに僕は後者だ。旋盤の実験は後期だった。
これで投影図の向きが定まった。横向きで描くことが決まった。となると、別の投影図はどこに配置するのかも自然と決まる。今回は円形の部品なので、横向きの面が一つあればほとんどのことがわかる。わからないことは1つ、ヘッド(頭部形状)だけだろう。
頭部形状を示す為に、頭部形状を上から見た投影図を用意しなければならない。そして、それを主投影図の上に描くか左に描くか右に描くか下に描くか考える必要がある。
しかし、こればかりは三角法で描いているのだからわかっておかなければならない。答えをここに記すまでもないことだろう。
こうやって図面に描くものの向きが決まれば、あとは図面の真ん中あたりに配置すれば良い。これもかなり前の講義で説明があった。真ん中にあった方が見やすいしパッと見綺麗に見える。教室に入った時皆が左端にずらっと座っていたら何か得体の知れないものを感じるソレと同じ話だ。
そうやって図面の描く位置が定まれば、次は中心線を引く。中心線は、原則最初に引く。この中心線が図面全体の配置を決める。そして、中心線に従って投影図を描くことで図面の精度が保たれていく。
それから教授はホワイトボードに簡単なボルトのイラストを描き、どこの寸法が必要かを細かく説明した。不完全ねじ部の寸法は別に描いても描かなくても良いらしい。
「先週も少し注意しましたが、輪郭線との間は最低10㎜は開けてくださいね」
グサリと胸に言葉が突き刺さる。今回は何とかなったが、これからも同じようなことをしていては元も子もない。
「結局、最初にこんな感じで描こうって準備ができていれば失敗しないんですよ。いきなり紙の上に描き始めるから失敗するんです。この失敗を最初の線の課題から続けてる人もいるんですよ。よく考えてくださいね」
中心線も、寸法線も、輪郭線との間隔も、全て最初に準備して置けば解決した問題ばかりだ。また、最初に考えることをしておけば「自分の描く~~はこのサイズだからA4には入らないな」なんてこともわかるので尺度を変えて描くか大きな紙を用意するか、といった事柄を考えることができる。良い事尽くめなのだ。
それから教授は続けて六角ボルトの頭部形状について詳しく説明を始めた。
「まず、正六角形の話は先週ホワイトボードに描いたので省きます。しかし…正六角形じゃない図面が幾つもありました。これは「中心」がどこか見れていないから生じる問題ですね。この六角ボルトって回転するんですよ。なのに正六角形じゃないと大変ですよ?」
正六角形のボルトを締める時が大変だ。ボルトを締める時、恐らくスパナやモンキーレンチを用いることだろう。そんな時、正六角形ならばどこの面を使っても上手く挟んでくれることだろう。しかし、正六角形ではないとある面では挟めないがある面では挟める、といったよくわからない状況になる。モンキーレンチならば、その都度幅を変えれば良いが(いや良くない。作業の手間が増えて非常に面倒)、スパナの場合別の規格のスパナを用意しなければならない。一つのスパナでどんな時で締められる方が絶対良いだろう。
「あとは、線の意味を考え直してください。モノを切ったらどんな風になるか考えてください」
モノの断面図については図面を描く人間なら知っておいて損しない事柄だ。これに関しては「図学」という分野で勉強ができる。「図書館でも本屋でも探せばあるよ」と一言加えて図学の説明を始める教授。
「これは多くの教員が学生に学んで欲しい、講義でやりたい、と思っている学問なんですよ。でもカリキュラムや時間の都合でイマイチできないんですよね。だから、やる気のある学生はぜひこちらも勉強してほしい」
これも、僕らがやっている「手書き製図」と同じようなものなのだろう。時代の流れの中で「これはもう必要ないだろう」と思われたが、後でやっぱり必要だなと思われて学ぶ必要性が生まれているのだろう。
世の中には図学不要派と図学必要派がいるらしく、自分がどちらに付くかは図学という学問を深く知った時に決めたい。
「あとはねじの描き方。山と谷について理解しているか?外径について考えているか?呼びについて勉強しているか?どうですか?」
ねじの山と谷は僕も一度勘違いしていた箇所でもある。図面のねじ部は、いちいち山と谷を交互に描いて示したりはしない。ねじの山の頂を太い実線で描き、谷の底を細い実線で示す。その線の間隔は最小で1mmとし、1㎜以上の場合は各自計算して求める。
つまり、JISの規格の中から自分の与えられた寸法のねじを探してきて山の径と谷の径を調べて計算すれば良い。
僕はここで愚直に「うーん!山の径-谷の径!」と一度やってしまった。ただ、この場合大きな間違いだ。
径、というものは直径だ。上記の計算で求めた値が果たして太い線と細い線の間隔になるだろうか?
「あとは、面取りの部分ですね。これも線の意味を理解していない人は間違えていますね」
この現象を教授は「板になっている」と言う。先ほど紹介した「図学」を習っていれば間違える人は極端に減ってくれるのかもしれないが、モノの断面を横から見たらどう見えるか、をよく考える必要がある。図面の線は全て意味を持つ。それは描き過ぎても意味を生じさせてしまうし、描かな過ぎても意味を生じるという事だ。
また、削る時の様子も想像すれば考える材料になるだろう。この加工は旋盤加工で行うとする。加工物は旋盤に取り付けられ、凄い速さで回っている。そこにバイトを押し当てて削っていくわけだ。削り終えた加工物を想像して欲しい。円形のねじの先端部は端っこだけ45度に削られているわけではなく、ぐるっと一周45°で削られているはずだ。それを考えて欲しいのだ。
また、この面取りの記号だが矢印を描いてその上に「C~」と記入する。そこは良いとして矢印を入れる方向は気を付けて欲しい。この矢印は刃物の向きと同じとして考えて記入しなければならない。
たまにあることだが、描くスペースが確保できなくて内側に入れてしまおうかと考える人がいる。しかし、刃物の向きであることを考えると、恐ろしい現象が生じてしまうのだ。
もし、内側からこの面取りの指示を入れてしまうと、加工物の表面を加工物の内側から削っていくことになる。今こうして文章にしてみても意味が分からない現象である。
これを実現するには、加工物の分子間の間をすり抜ける刃物が必要になる。少なくとも、そんな刃物が出来上がっているころには僕らは火星にでも移住しているだろう。いや、遥か彼方、銀河の果てに僕らは向かっているかもしれない。
「それから、参考寸法と寸法公差。この2つは密接な関係があります。これもしっかりと理解しておかなければなりません」
参考寸法というのは、名前の通り参考にする寸法だ。()で括った寸法が参考寸法として考えられる。
今回のボルトの課題であれば頭部の六角形の対角線の距離と、ねじ部と頭部の長さの合計の値が参考寸法になるだろう。この2つが参考寸法である理由は異なるので、この課題は1粒で2度美味しい。
まず頭部の形状だが、こちらで重要になってくるのは平行になっている面と面の間の距離が重要になっている。こちらは先ほど正六角形の下りで説明したように、スパナやモンキーレンチで挟むから正確な数字を入れておかなければならない。しかし、こちらを正確なピッチリした数値にしてしまうと、反対に対角線の長さはそれに合わせて不確かな値になってしまう。正六角形にしなければならないので仕方ない。具体的には√~なんて値になる。そうなると、割り切れない値なので参考寸法となってしまう。
このようなことは同様に、円周率(π)を用いて出た寸法にも当てはまる。円周率を割り切れるなら是非割り切って欲しい。
続いて、ボルトの頭部とねじ部の合計の値だが、こちらは寸法公差と密接な関係が強い。
先に寸法公差に関して説明を挟むとすると、寸法公差とは「これくらいなら指定した寸法からずれてても良いよ」という指示である。寸法通りに作るのはかなり高度な加工が必要になるからだ。
例えば、寸法許容差を±0.2と置く。そして、頭部が13㎜、ねじ部が70㎜で設計するとする。ここで全長の長さを83㎜と指示してしまうと一つおかしなことが起きる。
仮にそれぞれの寸法を許容差に従って+0.2としてみる。すると、頭部は13.2㎜、ねじ部は70.2㎜、全長は83.2㎜となる。だが、13.2㎜+70.2㎜=83.4㎜だ。長さがあっていない。これは短い場合でもそうだ。12.8㎜+69.8㎜=82.6㎜、±0.2の指示から外れている。
こんな問題を回避すべく、参考寸法はある。ここで参考にすべきは頭部でもねじ部でもなく、全長だろう。
しかしそうなると、わざわざ全長の長さなんて入れなくても良さそうに感じる人も出てくるだろう。しかし、加工者の気持ちになって考えてみれば答えは見えてくる。
今回の図面であれば、数量は1と指示されているため無くてもよいかもしれない。しかし、これが10個20個作る場合、加工者はどうするか?
考えられる方法の1つに長い棒を削っては切り落として削っては切り落として、と金太郎飴のように作るだろう。そして、全長の長さが決まっていれば、どれくらいの長さの棒を用意すれば良いか大体の長さがわかるのだ。
表面性状は、表面粗さとも言うが加工後の材料部品の表面の状態を示す指示である。こちらも寸法公差と関係が深い。
表面の粗さとは見てわかるものもあるし見てもわからないものもある。しかし、指で触ればわかる世界である。指の精度というものは凄いもので、天体望遠鏡のレンズの加工なんかは機械で細かい測定を終わった後、指で最終確認をするらしい。とにかく機械よりも時に優れた能力を持っているのが指なのだ。
設計者は、そんな指で触ることのある部品を設計する。その中で、表面をどれくらいの粗さで仕上げるかを決めなければならない。
粗さを示す指標はいくつかあるが、よく使うところで「最大高さ粗さ」「算術平均粗さ」がある。
最大高さ粗さはRz、算術平均粗さはRaと覚えると覚えておくと良いだろう(ただ、これはかなり簡略した覚え方だ。本当はもっと詳しい事柄がある。ひとまず頭に入れておくべき必要最小限であることは忘れてはいけない)
最大高さ粗さとは、凸凹な加工物の表面のある基準面から最も高い山の高さと、最も深い谷の深さの和を求め、表したものだ。鋳造品なんかはRzで表面性状を示すことが多いとかなんとか…
算術平均粗さとは、凸凹な加工物の表面のある基準面の高いところと低いところを足してその山と谷の数で割った値を表したものだ。
今回はこの算術平均粗さを用いるわけだが、これは全ての面に指示をしなければならない。指示がない場合、加工者が勝手に決めて良いという事になる。これもすごく大袈裟な話だが、指示が無い場合加工者が「指示無いんか!!うーん、じゃぁとりあえずRa1000000000!」なんてことをしても設計者は文句を言えないのである。
そんなことがあっては寸法のズレどころの騒ぎではない。
同時に、設計者は寸法許容差を決める際に表面性状も意識して寸法許容差を考えなければならない。
寸法許容差を±0.2、と置けば±200μmまでならズレて良いということになる。同時に、Ra200までなら許されることになる。逆にRa200よりも大きな値を指示してしまうと寸法は狂ってしまう。こういうことを考えなければならない。
また、この表面性状の記入方法だが、記号が3種類ある。「除去加工をする」「除去加工をしない」「除去加工の有無を問わない」の3つだ。
そして、これからの講義では、「除去加工の有無を問わない」は絶対に使ってはいけない。
この指示は「加工者に任せる」ということになり、新人設計者は使ってはいけない暗黙の了解のようなものがある。こればかりは受け取り方は人それぞれだろうが、気難しい職人さんに新人設計者がこの表面性状を入れて出すと「なんだテメェ、全部勝手にこっちで決めろってのか?舐めてんのかオラ」と思われる可能性が0ではないのだ。
サークルの合宿の予定を立てる時に1年生の入部したての人間に中途半端な希望の予定を描かれた日程表を渡されて「あと良い感じに予定と予算組み立てておいて~ヨロシコ~」なんて言われたら「は?」となるだろう。それと同じような感じだ。
従って、今回の2年の製図では絶対にこの記号は用いてはいけない。
また、この記号の▽な部分も刃物の向きを示すので、面取りの指示同様に、不可能な加工の向きで記入しないようにしなければならない。
ここまでの説明は、ほとんど教科書を見れば描いてあることだった。つまり、これを理解していなかった≒勉強していなかった、ということになる。
「あとは、設計の心構えというのを持ってくださいね。皆さんが設計する図面1つ1つに責任が宿ります。皆さんが描いた図面でミスがあって、人が死ぬことだってあります。皆さんがどんな職種に就くかわかりませんが、飛行機の部品だって、エレベーターだって、車のエンジンだって、なんだって図面をもとに作られて行きます。その図面にミスがあって、使用中に問題が発生して、取り返しのつかないことに繋がることだってあるんですよ」
最近の事であれば、2018年、台湾東部の宜蘭県で起きた脱線事故がある。これは、日本車両製造が設計した、車両の安全装置「自動列車防護装置」に設計ミスがあった為に起きた事故であり、設計ミスが原因で列車は高速のままカーブに進入、そして脱線し、200人以上が死傷している。
ここまで説明して、教授はスクリーンを下ろした。
「それでは、今からまたスクリーンに図を写します。それを手元の工作用紙で作ってください」
3回目の工作の時間だった。与えられた図形は小舟のような形の物だった。3回目にもなると、皆黙々と図をノートに映すところから始まる。
この工作は、完成した後に断面図を想像して三角法による軽いスケッチをし、そして実際に工作したものを切断してスケッチと合っているか確認するというものだった。
講義終了が近づき、教授は全ての学生に手を止めるように指示を出し、説明を始めた。
「ある部分の中身を見たい場合、断面図と言うものを活用する場合があります。これは、切り口だけを描くわけではなく、切った場合どう見えるかを想像して奥までしっかり描くことが大切です。意識して置いてください」
そして、切り口にはハッチングという斜線をしても良い。
しても良い、というのはJISではしてもしなくても良いとしか書かれていないからだ。
ただ、描く場合はしっかりルールに沿う必要がある。角度や間隔は一定で細い実線で描く。
ここまでで、製図ではなるべく手間を減らして作業効率を上げる必要があると説明をしてきた。そのことを考えると、ハッチングは手間が増えてよろしくないことのように感じる。しかし、これは理解度を確かめる指標でもある、と教授は話す。
「今回の2年の製図では描いてもらいます。ハッチングを正しい箇所に施してあるかで皆さんが断面図と言うものを勉強しているかどうかを確かめますので」
これができないと、3D CADだってなんだってできませんよ、と教授が言うと講義終了の鐘が鳴った。
√←「除去加工の有無を問わない」