黒須……
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翌日の夜、突然の来訪者がいた。
「あれ? 開いてない! こんなときにもう!」
ちょうど買い物から戻ったときに、そんな女性の叫び声が響いていた。苛立っている様子で、ドアをガチャガチャと動かしている。
「ッ! おい、やめろバカ! 壊れンだろ!」
仁が普段とは違う言い方で怒鳴り、階段を駆け上がった。
「……?」
一紀は状況が読めないまま、とりあえず探るようにそろりと階段を上った。
「あ、よかった~。帰ってきた」
「よかったじゃねえよ、帰れ」
「えー、ケチだなぁ」
「殴んぞ」
「そういうのよくないと思いまーす」
一紀が追いついたとき、ドアの前で二人は言い争っていた。
仁を正面にしても動じない強者は、白いシャツの上に灰色のカーディガンを羽織り、紺色の短パンにスニーカーという格好だ。若々しい。十七くらいだろうか。
そして、長めの後ろ髪はポニーテールにまとめ、前髪はふわりとウエーブしていた。
ふわりと、仁のように――。
「うるせぇ、雨が降る前に帰れ」
「降ったら、泊まってくし」
「許すわけねえだろ」
「たまにはいいじゃん、仁兄」
「まず場所がねえんだよ、場所が」
「えっと……やっぱり妹さんですか?」
完璧に存在を置いていかれた一紀が、ふとそれを口に出す。すると、彼女は目を輝かせて、くるりと振り返った。
「そうそう、そうなんです! あたし、黒須茉莉っていいます。十八歳、黒須仁の妹です!」
「十八なんですか? 歳が離れてるんですね」
「そうそ……」
再び頷き掛けたとき、茉莉は不意に黙った。
仁が怪しみながらも、彼女が言いたかったであろうことを代弁する。
「間にもう一人、弟がいるんだよ」
「へえ、そうだったんですね!」
仁の面倒見の良さは、きっとそこから来ているのだと確信した。
面倒くさいという感情を出しているが、放っておく気は無いように見える。過保護なタイプかもしれない。まあ、これをいうと反応が怖いから黙っておくが。
「海斗と何があったんだ」
「……喧嘩した」
海斗――おそらく、弟だろう。仁と似ているのか、少し気になる。
「ん?」
仁が妹から話を聞いているうちに、曇り空から水が注がれ始めた。
「雨、降ってきちまったじゃねえか。おめえ、傘は?」
「なーし!」
「はぁ」
「おねがい、仁兄。夕飯食べさせて?」
あざといおねがいに屈してか、仁は溜息を漏らして鍵を開ける。
「茉莉、手伝えよ。今夜はハンバーグだからな」
「やったぁぁぁ」
「一紀、おまえは事務所内の片づけを頼む」
「わかりました」
事務所に入って、一紀は散らかった物を片づけていく。
そういえば、茉莉に自己紹介を忘れたな……と考えていたとき、黒須兄妹の会話が耳に入った。
「一紀さん、面白いね!」
自分のことだった。短い時間の薄いエピソードのはずだが、とても恥ずかしくなってくる。耳を塞ぐわけにはいかないから、早く違う話にシフトしてほしい。
「そういえば、景さんは?」
「そろそろ帰ってくんだろ。なんで気にする」
「やっぱ、見たいじゃん。あの美形は」
「はぁぁ」
「えっ、いつもより溜息でかくない?」
二人の様子に、自然と笑みがこぼれる。兄として、複雑なものがあるのだろう。うん、ないわけがない。
確かに、景は美形だ。どこかとのハーフというのだから、顔立ちも整いやすいのかもしれない。性格には難があるのだが……いや、美形だからこその性格なのか?
一紀は思考を放棄する。掴めないものは、変わらず掴めないものだ。