英の来客
一紀が紙に今のことをまとめていると、事務所の扉がノックされた。
「誰か来たんでしょうか」
「そのようだな。はい?」
仁が返事をすると、男性が「失礼しまーす」と伸びやかな声音で言いつつ扉を開けた。
顔を覗かせたのは、ほわっとした雰囲気の男だ。深い緑の髪に、緑とも灰とも言えない瞳を持っている。景もそうだが、二層の瞳を持つ人が多いらしい。
彼の身なりは、水色のシャツに赤いネクタイと派手な色合いだが、その上に羽織る紺のジャケットと彼の雰囲気が派手さを押さえ込んでいるように見える。
また、左に緑色のものを一個、右に紫のものを二個、と両耳に淡い色のピアスを着けているが、これも悪目立ちはしていない。
「あれ、アイザック」
「どーも、ケイさん」
「……濡れてない?」
景の指摘した通り、彼は雨に降られて濡れていた。外ではザーザーと音を立てている。
「あとちょっとのとこで降り出すんですもん。ああ、届け物の資料は守りましたよ」
「わざわざありがとう。後で行こうと思ってたのに」
「エマ先輩、電話で名前を伝え忘れたから行ってこいって。雑ですよね」
封筒を景に手渡し、彼は髪についた水を払おうとする。
彼もまた手袋を着けているが、それは二人とは違って指先のないタイプだった。黒くピッタリとしている。
そんな彼の頭に、仁が白いタオルを被せた。仁の背が二人より低いことに気づいたが、一紀は黙っておく。
「ほら、使え」
「あざっす、ジン先輩」
「おう」
タオルの上から、彼はゴシゴシと髪を拭く。服なども一通り拭き終わったところで、ちょちょっと髪を整えた。少し、毛先がはねている。
見栄えなどを気にしないタイプのようだ。
「あ、新人さん」
「あっ、はい!」
彼が突然こちらを向いたため、一紀は驚いた。
だが、彼は全く気にする様子を見せないまま、ふわりと笑って手を差し出した。
ゆったりとしたタレ目によってか、口角が上がると優しい笑顔になる。つまり、口角が下がっていると……やる気に影響しそうだ。
「アイザック・スタンフォードです、よろしくっす」
「八神一紀です。あの、敬語じゃなくていいですよ、アイザックさん」
出された手を握り返し、一紀も自己紹介をした。アイザックは景と似た体格のようで、手もスラリとしている。温かさが伝わってくるが、眠い訳ではないだろうと思う。
「んー……じゃあ、君もいーよ」
「いえ、そういうわけには……」
「じゃあ、俺のことはせめて呼び捨てで。なんか落ち着かなくて」
「呼び捨てですか?」
「うん」
「アイザック」
「イツキ。ははは、なんか変な感じー」
「ですねー」
一紀と笑い合いながら、アイザックはふと腕の時計を見る。
やばっ、とでも言いそうな顔で彼らに頭を下げた。
「すいません、そろそろ戻らないと」
「送ってくか? 雨、結構降ってるみてえだぞ」
「いやー、それは申し訳ないです。傘だけ貸してくれます?」
「構わねえよ、待ってろ」
仁が仮眠室まで傘を取りに行った。その間に、一紀はアイザックに質問を投げかけてみる。
「あの、エマさんってどんな方ですか?」
「二人から聞いてないの?」
「騎士のような女性だと」
「……確かに」
誰の目から見ても、彼女は騎士らしい。会ってみたいが、少し怖さがある。
「エマ先輩は凜としてて、美しい……かな」
「えっと、見た目ですか?」
一紀がそう聞き返すと、アイザックは困った顔をした。視界の隅で、景が声を殺して笑っている。
「見た目もそーなんだけど……生き方が?」
「生き方ですか、なるほど」
景はまだ笑っている。そんなに可笑しいことだったろうか、と一紀は首を傾げた。
「なんですか、景さん」
「いや、ごめん。二人とも面白くて」
「僕もです?」
「そう、アイザックも。タジタジだし、エマのこと好きなんだなぁって」
「んなっ、ケイさん……っ」
「あははは」
今まで顔色を変えることがなかったアイザックが、うっすらと頬を染めた。
さすが、景である。
こちらの部屋が静かになり、仮眠室内で扉の閉まる音が聞こえた。傘を棚に入れていたらしい。仮眠室には、ベッドとクローゼットしかないのだ。
「悪いな、アイザック。仕舞い込んでて、遅くなった」
仁が傘を持って出てくると、それを機にアイザックの顔色が戻った。
「いえ、大丈夫っす。ありがとうございます、ジン先輩」
タオルとビニール傘を交換し、アイザックはペコリと頭を下げた。ドアを開けてから、大きく聞こえる雨の音に溜息を漏らし、彼は事務所を後にした。