苦み
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「ふぅ」
一人事務所に残っていた景は、外で一件の依頼をこなした後、昼食を済ませて帰ってきた。
昨夜から妙に天気のいい空を見上げつつ、キッチンに移動して湯を沸かす。
すると、外から女性の声が聞こえた。
「景、いる?」
「いるよー、ゆかりちゃん」
事務所のドアを開け、ゆかりは中へ入る。壁を伝い、怪訝な顔でキッチンを覗いた。
「……なにかあった?」
「あはは。別に? ちょっとした気分だよ」
「あら、そう」
スッキリとした表情に変え、ゆかりは事務所のソファに腰掛ける。机の上に何かを並べはじめた。
「で、どうしたの?」
「新しくスイーツを作ったから、景に味見てほしいなって」
「いいよ。今回のコンセプトは?」
「抹茶スイーツよ。どんな人にも美味しく味わって欲しいの」
「ふーん。紅茶飲む?」
「気にしないで、すぐ店に戻るから」
一人分のカップを持って、景もソファに腰掛けた。
抹茶のケーキが乗った皿とフォークを手に取り、ゆかりのケーキを割って口に入れる。
「うん、美味しい。けど、抹茶が少し濃いかもね。苦い」
「やっぱり?」
「うん。俺からの提案としては、この抹茶クリームは普通の生クリームでいいんじゃないかな? それか、クリームチーズを混ぜるとか」
「あ、それでいいのか」
「いいと思うよ。スポンジの柔らかさも、その甘みも申し分ない。ただ、日本舌じゃない人が多いこの世界には向いてないね。まあ、濃いものが好みの人だっていると思うけど。仁とかね」
「ちなみに、景の好みは?」
「俺は甘い方が好きだよ」
「だよねー」
分かっているくせに、彼女は聞いてくる。面白がっているのが見え見えだ。
「そうね。よし、ちょっと試してみるわ! あ、残りは仁たちにあげて」
「分かったよ」
「じゃ、ありがとね」
嵐のように、ささっとゆかりは事務所を出て行く。それから景はキッチンに戻り、ケーキを二つ冷蔵庫にしまった。そして、紅茶の入ったカップに砂糖を加える。菓子が苦いなら、ドリンクを甘くするだけだ。
この食べ方も割と好みである。
ふわっとしたスポンジを特に味わいつつ、景はケーキを食べ終えた。口の周りに残った抹茶をペロリと舐める。
「ごちそうさまでした」
フォークを置き、ゆっくりと紅茶を飲んでいると、二人の声が耳に入ってきた。帰ってきたのだ。
四階の鍵を持って、景は外に出た。フェンスに体重を預け、下を覗いて声を掛ける。
「おかえり、手伝うよ」
「おう、景。食料頼む。ここまで取りに来いよ」
「ははは、了解」
仁から言われた通りに車まで食料を取りに行くと、袋を抱えた一紀と目が合った。その目は少し警戒していることを訴えている。素直なことだと景は思う。
「はい、四階の鍵」
「あ、ありがとうございます」
鍵を受け取った一紀は、軽く会釈をした後に階段を登っていく。
景は何か、引っかかりを感じた。
一紀は目を逸らさなかったのだ。だから、怯えているわけではないらしい。いや、そうじゃない。逸らさなかったというより、見つめていたのだ。何かを決断したかの様子で――。
嫌な予感が景を襲う。
「……なにを」
「ん? どうした、景」
「仁、あの子は何を考えてんの?」
「おまえ……そういうところ、鋭すぎねえか」
「仁」
ギラリとした瞳で、彼は仁を睨んだ。このような威圧的な姿勢は珍しい。仁に向けられたのは、初対面のとき以来だろう。
「……っ、俺に聞くな。一紀が自分で言う」
「……はぁ」
「何をそんなに」
「状況、分かってる?」
「分かってる。俺が一番良くな」
景は首の後ろをガシガシと引っ掻いた。さらりと髪が揺れる。
仁は彼が理解できなかった。だが、そんなことは今に始まったことではない。
「とりあえず、とっとと片付けるぞ」
「そうだねぇ」
景も切り替えのできる男だ。器用すぎて、むしろ怖いほどに。