金つき虫
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ねえ、つぶつぶ。両替できない? 小銭が全然なくって、財布が軽いとなんか不安になるのよねえ、あたし。
……ん、ありがと。良く入っていたわねえ、100円玉ばかりたくさん。
そういえば、買い物をする時に、お店の人はお客さんから受け取る硬貨が同じものばかりの時、20枚だか、21枚だかからは受け取らなくていい、という話があったわね。断るのは義務じゃないみたいだけど。
ちぇ〜、失敗したなあ。両替してもらわないで、つぶつぶの100円玉のみの買い物に付き合った方が良かったかも。面白そうだったのに。
硬貨って本当にやっかいなものよね。お札に比べて、圧倒的に小さい。本来の使い方から、色々な小道具まで、出番がたくさんある。それはすなわち、いつも衆目にさらされて、触られるということ。
そんな俗世の一角をなす、大人気アイドルに関して、私も思い出があるのよ。ちょっと聞いてみない?
私が小学生くらいの時だったかなあ。
私、休みの日になると、電車で3つほど離れた、おじいちゃんちにいくことが多かったわ。家にいても、親は忙しくていないし、本やおもちゃとかも遊び飽きてしまって、退屈だったから。
おじいちゃんの家には畑があった。私はそこで、土の上を行き来している小さな生き物たちを観察するのが楽しかったのね。汚れてもいいように、おじいちゃんちに行く時は、スカートじゃなくて、ジーンズ姿だったわ。
もう少し前だったら、直接彼らにいたずらしていたけれど、そのうちありのままの彼らを見つめるようになった。おじいちゃんに「お前が手を下さなくても、どうせお前より早く死んでいく」とか言われたからね。
だったら、流れに任せよう。好きなようにやらせて、私は見つめるだけ。
観測者というか、神様になったかのような日々だったわね。
そんなある日。
早起きして、おじいちゃんちに行くべく、私は駅に向かったわ。ロータリーと歩道に面した、屋外の自動券売機。その前に立って、ジーンズから財布を出そうとした時、ふと気づいたの。
おつりが出るところに、ちょこん、と10円玉が一枚だけ転がっていたんだ。
誰かの取り忘れかな、と思って、私は少し判断に困った。10円程度、くすねようと思えば簡単でしょうけど、すでに私は、「人のものをとったらどろぼうです」と教え込まれていたから、抵抗があった。
じゃあ、駅員さんに話すのはどうか。これも、私には怖かったわ。以前、間違えて切符を買ってしまった時に、窓口の駅員さんに声をかけたら、「チッ」といまいましさいっぱいの舌打ちをして、私を親の怨敵でも見るような顔で、にらんで来たの。
ほんのわずかな間のことで、すぐににこやかな声とと表情になったけど、私は今でも、あの瞬間の顔を忘れられないわ。
たまたま駅員さんの虫の居所と、タイミングが悪かっただけ。そう考えようとしても、思い出して、泣きそうになる私がいた。今でも、初見の人には、自分から声かけづらいわね。
その時の窓口の向こうに見えたのは、人のよさそうな年配の方だったけど、私はとまどった。
――また、舌打ちされたらどうしよう。また、あんな顔されたらどうしよう。また、怖い思いをしたらどうしよう……。
そんな考えがぐるぐる、ぐるぐる頭の中を回り出して、私は結局、10円には手をつけずに、逃げ出したの。
翌週。私はまたおじいちゃんちに向かった。あの時の10円玉は、もう記憶の片隅に追いやられていて、私はようようと券売機に向かったわ。
あった。一週間前とまったく同じ姿のままで。
あの時は良く見なかったけど、「もしかして同じもの?」と、私はなんだか怖くなってきたわ。券売機は私が使おうとしているものを含めて2つ。隣はすでに使っている人がいて、もう一人が、金魚のフンのごとく、後ろにピッタリくっついている。
何もしないで、券売機から離れるのは恥ずかしい気がしたし、もうじき電車が来るから、もたもたしていたら間に合わない。
後方確認ミラーに、人が並んだのが見える。迷惑はかけられない、と財布をのぞいた私は、息が止まりそうになった。財布の中にはお札と、500円玉が2枚だけ。
うかつだったわ。小銭を整理しようとか思って、直前に自動販売機で飲み物を買っていたの。どうせ切符を買って、お金をくずすことになるのに、私ってほんとおバカだったわ。
おじいちゃんのところまで、210円。290円はおつりとして、出てくることになる。あの10円玉の上に重なって……。
ミラーには、とんとん足踏みを始める後ろの人。私は「もう、ままよ」とばかりに500円玉を押し込んで、ボタンを押す。きっぷが出てくるのに、遅れて数秒。
じゃらじゃらとお金が出てきたわ。運悪く、100円玉2枚と、10円玉9枚で。
10枚の10円玉は、瞬時により分けられないし、置いて行ったら後ろの人にとがめられる。あの日から、怒られたり、つっこまれたりするのも、だいぶ苦手。
私はなりふり構わず、おつりをわしづかみにして、財布に突っ込んだわ。後ろの人が怪訝そうに見ているのを、見ないフリしながら、改札目がけて飛んで行った。
電車の中ではただひたすらうずうずしていたわ。あの10円玉を早く始末したかったけど、公共の乗り物の中で、お金をいじるのは、個人的に憚られる。おじいちゃんの家に早くつこう、つこうとそればかりだったわ。
けれども、あいさつもそこそこに、居間に飛び込んで財布を取り出した私は愕然としたわ。
500円玉と、先ほどのおつり290円。その姿がきれいさっぱり消えてしまったのだから。
ほどなく、居間にやってきたおじいちゃんに事情を話すと、「そいつは『金つき虫』だな」と落ち着いた口調で答えてくれたの。
「奴は文字通り、現金なやつよ。紙の金には興味を示さず、金属の金のみにへばりつく、ごくごく小さな虫。目で見ても分からぬことが多々ある。動く時にはすっと立ち上がり、金を帽子のように扱って、人目につかないところに逃げてしまうのだ」
財布の入っていたところを嗅いでみろ、と言われて、私はジーンズを脱いで、ポケットに鼻を近づける。銀杏とカメムシを、一緒にかいだような悪臭で、思わず顔をしかめちゃった。
そのあたしの視界の端、畳の隅に。10円玉が一枚だけ、転がっていた。
ふわりと、玉が浮いたかと思うと、さっと、壁と仏壇の間の、わずかなすき間に滑り込んでいったのよ。