9、権力をかさに着た少年
なんてこった。
俺が窮地に追い込まれてしまった。
剣を構える太田少年。
だが、俺はここで死ぬつもりはない。剣を振り降ろされたら護りスキルを使うだけのこと。
少年はなんの躊躇いもなく俺に剣を振るう。
だが当たらない。
田中の時と同様、剣が俺を避けるのだ。
「どうなんてんのこれ?オッサン!スキル使ったな!ズルいぞ」
「何がズルいだ。俺は言っただろ、君が俺を倒すことはできないってな」
「ふざけんなオッサン!」
今度は剣をフェンシングのように突き、俺を刺殺そうとしてきた。
カカシのように突っ立っていようかと思ったが、やはり間近に剣先が迫ると避けてしまう。
(ついでに動体視力を鍛えておくかな)
少年は顔を真っ赤にして、躍起になって俺を突き刺してくる。五分ほどすると、スキルを使わなくても避けれるような気がしてきた。目が慣れたのか?
いや、少年が疲れてきているのだ。
そして俺は右手で剣を掴み、少年の攻撃を停止させた。
「離せオッサン!」
「離さない。いい加減に諦めろ」
少年は殺意に満ちた視線を向けてくる。その時、視界の隅に騎乗した人影が見えてきた。
例の光を伴って。
(おや、助け船か?)
「お前達、ここで何をやっているのだ」
声からすると女性のようだ。
どこかで聞いたことがある声。
警備兵が持つ松明に照らされ顔が浮かび上がる。女騎士、フルール・エクルンドだ。
それに気づいたリチャードが彼女の元へ駆け寄り、事情を説明し始めた。
「そこの女、俺はアルフレッド男爵の嫡男、武である。騎乗したままとは無礼であろう。今すぐ下りるんだ」
周囲にいた警備兵がざわめきだす。
どうやら少年は彼女の正体を知らないようだ。
「それは失礼した」
フルールは馬から下りると、少年を無視して俺の方へやってくる。
「アキト殿ではないか、あの時は本当に助かったぞ、少し大げさにかもしれんが貴殿は領地の危機を救ったといっても過言ではない」
「え?」
領地の危機と聞いて大げさ過ぎだろと、思わず心の中でツッコんでしまった。
そして無視された太田少年は再び顔を赤くして怒り始めた。
周囲にいる警備兵が、フルールの正体を彼に教えないのは意図的だろう。
この後、大目玉を喰らうのは少年であり、みんなそれを見たいのだ。
実は俺も同じことを思っている。
「フルールさんは、どうしてこんなところに?」
「これは貴殿には関係の無いことだが、最近いろいろと物騒な噂が流れていてな、そこで兵士達の夜間訓練をしていたのだ。それが終わったので屋敷へ戻る途中、たまには裏路地から帰るのも悪くないと急に思ったのだ」
誰かは知らないが、フルールをここに導いてくれてありがとう。
俺は心の中で感謝した。
「だが、裏路地を通ったのは正解であったな。神のお導きかもしれぬ。こうしてアキト殿の危機を救うことができそうなのだから」
フルールが来てくれて正直助かっている。
彼女がいなければ、俺が死ぬことはなくても、一般庶民の俺が貴族の息子をに手を出したという事実は残る。
理由がどうあれ、この世界においてそれは許されるはずがなく、俺は宿屋どころか罪人として逃亡生活をしなければいけない。
「おい女、名の名乗れ、首を刎ねるぞ」
少年はフルールに剣を向ける。これにはさすがの警備兵も止めに入ろうとしたが、彼女が手をあげそれを制した。
フルールは笑みを浮かべたまま太田少年の方を向く。
「それは失礼した。我が名はフルール・エクルンドである」
フルールはわざとだろうか、領主の娘であるとは名乗らない。
しかし、エクルンドの名を聞いて反応しないとは、太田君は本当にダメな子だ。
「おい女、騎士のように見えるが、なぜ俺に挨拶をせずに平民のオッサンと話しているんだ?」
太田少年はキメめ顔でフルールに尋ねた。
彼は女騎士が貴族のはずがないと思っているのだろう。
警備兵の顔を見ると笑いを堪えるのに必死である。
権力を盾に偉そうに振舞っているが、彼が相手にしているのは、この領内で最高位の身分を持つ一人だ。
少年が真実を知った時の顔を、ここにいる多くの者が見たいと思っているに違いない。
そして、その時が来た。
「なぜ答えないのだ女」
太田少年は、剣をフルールに向けたまま彼女に近づいてきた。
一振りすれば彼女を斬り倒せる距離だ。
「少年、この領地の名を言ってみろ」
「俺に命令するとはいいご身分だな。まぁいい、ここはエクルンド伯爵領…、だったはずだ」
少年はやや自身がなさそうに答えた。
自分の属している領地くらいしっかりと覚えておけと思う。
「それがどうしたというのだ」
「よろしい」
少年はゆっくりと右腕を後ろへ引く。
フルールの態度が変わらないので、彼女を斬るつもりなのだろう。
俺は万一に備えて防御殻の準備をする。警備兵も剣に手をかけ、いつでも斬りかかれるように構えていた。
「少年、次に私の名を思い出してみろ」
「ん?」
少年の右腕が動きを止める。
少し間を置いたのち、彼の顔は青ざめ、やがて土色となってしまった。
手に力が入らなくなったのか、右手で持っていた剣を地面に落とし口をポカーンと開ける。
その刹那フルールは剣を抜き、目に見えないほどの速さで少年の口に剣先を突っ込んだ。その剣捌きはとても美しく力強いもので、見惚れてしまう程である。
彼女が持っている剣は、もちろん俺が売ったものだ。
「次に何か話したら、舌を切り落とすぞ少年」
太田は涙を流しながら両手を上げ、降参のポーズをし、声は出さず何度も頷く。
ビビッてしまったのか、失禁までしている。
「彼の処分は領主と相談したうえで決める。シャドウヒルの村人の命をもてあそんだ罪は軽くないぞ」
フルールが目配せすると、警備兵に少年は捕らえられ連行された。
例えば、あれが万次郎だとすれば、このタイミングで酸を使って逃走を図ると思われるが、彼はそこまではしなかった。
ならば更生の余地は残っているかも知れない。
まだ悪党にはなりきってなかったのであろう。
◇ ◇ ◇
それから俺はベスを引き取るために豊穣のクマ屋へ向かったが、帰る方向が同じということでフルールと話しながら歩くことにした。
俺の後ろにはリリとリチャードがフルールの馬を引くために歩いている。
「アキト殿、本当に申し訳ない。我が領内の貴族が貴殿に剣を向けるとはあってはならんことだ」
「彼はまだ子供ですし、きっと幼少期に何か問題があって、あんな子になってしまったんだと思うのですよ」
「貴殿は本当に優しいな。シャドウヒルでも多くの村人を助けたそうじゃないか。後日、領主から賞されると思うぞ」
それは全力で遠慮したい。
宿が目立つのはいいが、自分が目立つのは御免だ。恥ずかしい。
俺は理由を説明したうえで、丁重にお断りした。
それは後ろにいたリチャードにも、俺の活躍を広げないようにお願いしておいた。
それが俺の一番の望みなのだ。
「アキト殿は本当に欲がないのだな」
「欲はありますよ。宿屋が少しでも儲かればと思ってますから」
「そういえば明日開業であったか?」
「そうです。お時間があるようでしたら、ぜひ寄っていってください。美味しいものを用意しておきますんで」
「それは楽しみだな」
クマ屋に着くとベスの姿が見えた。
給仕のスイさんと見習いの給仕さんが遊んでくれていたようだ。
俺に気づいた女将さんが中から出てきた。
「おやおや、これはエクルンド様」
女将は深々と頭を下げた。
「喜連さん、明日の開業日だが夕方までそっちを手伝ってやるよ」
「女将さん!それは有難い。助かりますよ」
「あんたにはいろいろ世話になってるんだ、これくらいのお礼はさせておくれ」
助っ人は非常に助かる。
客室の内覧会と酒場兼食堂で提供するメニューの試食会をするので、それ目当てに来る人はいるかもしれない。
うちは宿屋なので、酒場や食堂の開店日のような混雑はないと思うが、万一に備えて人手はあったほうがいい。
この世界で商売するには口コミしかないので、割安できれいな宿、食事が美味しい宿を売りにするつもりだ。
「それじゃ女将さん、明日はよろしくお願いします」
「任せておきな」
クマ屋を出だ俺たちは、途中でフルールと別れてから帰路についた。
◇ ◇ ◇
アキト達が店を出た後、入口で彼の背中を見送る一人の女性がいた。
豊穣のクマ屋の見習い給仕フォルトゥーナだ。
(アキト様、私が不本意なながらあの女を誘導したのに気づいてくれたかしら。明日はついに開業なのね。私もいつか…)
最後まで見送りたかったが、運悪く女将に見つかってしまった。
「フォルトゥーナ。ゴミ出しの時間がやけに長かったけど何かあったのかい」
フォルトゥーナは固まった。アキト様を見に行ったなんて言えない。ゲンコツが落ちる…。
「最近物騒だから、あまりうろつくんじゃないよ」
「え?あ、、は、はい」
「明日、喜連さんの宿に食べ物を届けるから、お前は荷物運びだ。いいかい」
「あわわわ、は、はい!行きます」
フォルトゥーナは運よく荷物運びに選ばれたのであった。