■第2話 朝食タイム
朝。
自宅のキッチンに今までは存在しなかった、スラっと背の高い学ラン姿の
背中が母ナミと並んで立って、なにやら愉しそうに談笑しながら朝食の支
度を手伝っている。
ガスコンロに掛けられたフライパンには目玉焼きとベーコンが3人分焼か
れ、香ばしい音とにおいを狭いキッチンに充満させている。カチっという
電気ケトルの湯が沸いた合図の音に、ヒビキは既に粉末を入れ準備してい
たスープカップにお湯を注ごうと、ナミとの話に引き続き愉しそうに笑い
ながらクルリと振り返ると、その目にはどこか不貞腐れたような面持ちの
アキラを見止めた。
『・・・。』 一瞬、眼鏡の奥の切れ長の目がアキラを感情のない視線で
見つめ、次の瞬間口先ばかりの挨拶をこぼす。 『オハヨオ。』
『・・・ぉはよ。』
一拍遅れてアキラの口から出たそれも、明らかに不機嫌そうな不明瞭な色。
今までナミとヒビキの明るくハツラツとした声色で彩られていたその空間
がアキラのそれで一気になんだかどんよりと重く沈殿する空気に変わった。
母ナミがヒビキの背中越しにアキラを睨み付け、わざとらしく大きく滑舌
よく娘へと声を掛けた。 『お は よ う っ。』
その ”仲良くやりなさいよ ”という母からの無言の圧力に、アキラは渋
々小さく頷き、もう一度『・・・おはよ。』と居心地悪そうに目線を指先
に落としながら呟いた。
そんなアキラを、ヒビキは笑いも怒りもしていない読めない表情で見つめ
すぐさま目を逸らして再び背中を向け、朝食の支度の手伝いを続けた。
アキラと母ナミの朝食時間は、普通の家庭のそれより早い。
若くして他界した夫の代わりに、女手一つで一人娘のアキラを育て上げ、
もうかれこれ25年以上看護師として働くナミは、職業柄普通の会社員よ
り出勤時間が早いことが多かった。なるべくアキラの為に夜に家をあけな
いよう極力夜勤を入れない代わりの、それ。
その為、母娘のコミュニケーションを図る大切な場として、ナミの出勤前
に少し時間が早目だとしても必ず二人で顔を見合わせて朝食を摂るという
習慣があった。
母マキコの入院中この家に世話になるヒビキも、この早朝の朝食タイムに
必然的に加わることとなる。
それは、ナミなりの配慮だった。
『私の出勤時間が早いから、
ヒビキ君も朝ごはんは普通より早い時間になっちゃうけど
ちゃんと私たち3人で、毎朝、食べるからね!』
ヒビキに変に気を遣って食事の時間を一人だけ変えでもしたら、それでなく
てもアキラと折り合いが悪いのに余計にふたりの間に距離が出来てしまう。
ナミはこの家で3人が一緒に住む3か月間は、当たり前にヒビキも家族の一
員として、同じ事をし同じ物を食べて同じ空気を感じてほしかった。
3人で囲む早朝の朝食は、一見仲睦まじい雰囲気だった。
ほぼナミが喋り、ヒビキがそれに応えて笑い、アキラはそれに小さく相槌を
打つ。たった15分か20分のそれだったけれど、ちゃんと小さな一歩かつ
大切な時間にはなっているとナミは思っていた。
例え、今はまだ談笑しながらもアキラとヒビキが目を合わせることが一度た
りとも無かったとしても・・・
食事を終えたナミが、慌ただしく上着とバッグを片手に玄関先へと向かった。
玄関の上り框に立ち、アキラとヒビキはその背中を『いってらっしゃい』と
声を揃え見送る。
すると、玄関ドアのノブに手を掛け家を出ようとしたナミが一瞬動きを止め
て振り返り、アキラへと呟いた。
『昨日お願いした ”アレ ” ・・・頼むわよ。』
その有無を言わせぬ一言に、アキラは思い切り片頬を歪めて苦い顔をした。