猫と私のダイアローグ (dialogue)
(猫)
僕(猫)は2003.2.1.生まれの牡のアメリカンショートヘアだから、10歳になる。人間の歳にすれば60歳ぐらいと思うが、自分としてはもっと若いと思っている。〇〇家の家猫は僕が4代目で、3歳年上のミーミ(牝)が先住猫だ。最近012年春生まれの黒猫のクロ(牝)が、ノラから半分ぐらい家猫になった。ミーミはクロが嫌いで目を合わせれば脅しをかけるので、僕はクロが家猫になれるかは、ビミョーだと思っている。ミーミ姉はオシキャットだから、西表山猫と同じ柄で、気性も荒いところがある。だから僕はいつも負けているふりをしているので、うまくいっている。僕は6kgの牡だから、本当に喧嘩すれば半分の体重のミーミ姉には簡単に勝てるけど、賢いので争ったりしない。僕のぬいぐるみチックなところを飼い主は可愛いと思っているようで、そのことは僕も承知している。〇〇家の3匹の飼い主は当家の主人だ。〇〇〇ちゃん(飼い主の奥さん)は飼い主とは言えない。気分が「猫の目」的な人だし、それなら僕の方が位が上だと思うからだ。
飼い主が猫好きなのは間違いない。4畳半ぐらいある外のウッドデッキには、飼い主が作った立派な猫小屋があっていつも外猫がいる。外猫は餌を貰いに来るわけで、入れ変わるのでその時々だけど、今は2匹だ。昨冬にはクロを含めて子猫が2匹来た。飼い主はその子猫2匹を捕まえて、避妊手術をしてもらった。言い忘れたけど僕の名前は小太郎だ。思うに、「漱石の猫」は「名前はまだない」と言ってるけどきっと嘘だね。変な名前を付けられて恥ずかしいから言えないのだと、僕は思うよ。
ノラの子猫に秋仔はいない。冬越しできずに死んでしまうからだ。だからノラの子猫は春仔しかいない。ノラは集団で餌を食べる時、子猫が優先だ。オトナ猫は子猫が終わるまで待つ。これは種を途絶えさせないための本能で、子猫が優先する。
これを見て飼い主は涙ぐんだりする。科学を信頼する知識人を自認する飼い主は現代のダーヴィニズムもよく知っていて、生物が類(集団)として存続するための本能についてもよく知っているはずなのに、僕は飼い主が変だと思う。昆虫のなかには子のために自らの身をその最初の餌とするものだって居るのにね。それに引き換え、人間の脳は子殺しを許容するなんて、猫からしたら人間は不思議と言うしかないね。
(飼い主)
「人間は不思議」というけれど「人の脳は不思議」と同義だよね。脳科学は今一番興味があるね。論文もずいぶん読むよ。脳は解剖学的(静的)にはほぼ解明されつつあるけど、動的には分からない事だらけだよ。2000gの中に1兆個の細胞があり(最大の臓器・肝臓細胞は1億個)1000億個の神経細胞で繋がったこの宇宙で一番複雑な系が人の脳だ。物理学(量子論)に「シュレジンガーの猫」というパラドックスがある。これは人が事象を観測する時、観測することが事象に影響を与えてしまうので、小太郎君(猫)は生きていると死んでいるとの重ね合わせになっているというパラドックスだ。古典的な科学の本質は事象を観測者が観測することなのでこれは困る。これを敷衍すると、脳(観測者)は脳(事象)をその本質まで解明できるのか、私はそれは不可能かもしれないと思っている。(この事に触れた学者はいないけど)。でも今よりはもっと詳しく脳が解明されるのは間違いないとは思うよ。ちなみに、AI(人工知能)は自らを認識できないことは証明されているよ。生存本能に従って生きている人以外の生物は自殺しない。人間のみが自殺する脳を持っている。きっと脳が進化の果てに獲得した自意識(心)のなせる業なのでしょう。その対価として自殺しない仕組みも脳は創り出した。それは脳が「神を創りだすことができる」、無いものを創りだす能力があるということだね。これらと相まって重要な人の脳の特質は、剰余労働を厭わないことだ。動物は自らの命を維持する以上の労働はしないのだから。この二つのことから人は「文化」を作り出し類としての生存(社会性)を保障している。「文化」とは、「知識・知恵」を類として後天的に(本能的にではなく)世代間で受け継ぎ、それが習慣となることを言うんだ。そのための手段が言語・文字・図版で、抽象化能力の高い人の脳がそれを可能としたんだね。「文化論」は長くなりすぎるからやめておくよ。ちょっと飛躍するけど、この能力が例えば「芸能(芸術)」の原点だと思うよ(私の仕事だったからね)。子殺しも自殺も人の「業」ということになっているよ。分からない事は「神」のせいにするのと同じだね。
(猫)
子猫を避妊手術した病院は「〇〇〇」といって猫専門の病院で、犬は来ないので僕は気に入っている。僕はストルバイト(尿結石)があるので、PH調整済みのエサを食べている。これも「〇〇〇」で買うけど、普通のエサの何倍もするので飼い主はぶつぶつ言って、今は普通のエサと半々に食べている。この病気は血尿が出て分かったんだけど、その時はカテーテルを入れて膀胱を洗ったんだ。そんな時も僕はいい子だから一言も鳴かない。飼い主が手でやさしく押さえてくれ
ていれば、どんな時でも「〇〇〇」でいい子だ、ツメも出さないし・鳴かないし・じっとしていられる。ギャーギャー暴れる猫は「〇〇〇」にもよくいるけど(そんな時先生は革の手袋をするんだ)、ミーミ姉もクロも僕と同じだ。これは飼い主が良いからだよ。カテーテルを入れた時、僕のおとなしさにびっくりして先生は「この子は痛くないのかしら」と言ったんだ。失礼しちゃうね。「〇〇〇」の先生は3人で、男の院長・若い男の先生・美人の先生だ。僕のカテーテルを入れたのはこの美人だよ。飼い主も美人と認めていて、マスク美人だと言っているけど、マスク無しでもかなりのものだよ。目の化粧を念入りにしてるのは、本人もマスク美人を自覚してるんだと思うね。待合室にはアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)の「ブルー・サム」のシルクスクリーンが架けてある。「ブルー・サム」はパターンが色々あるんだけど、これはめったに無いやつで飼い主は欲しがっている。これが貰い物で、院長はアンディのこと知らないと言ってるから「猫に小判」だよ。「サム」はアンディーの飼い猫の名前で、ブルーは刷り色がすてきなブルーだからだよ。あんな色の猫はいないし、「レッド・サム」というのもあるし、芸術家の使う色は理解できないよ。本当のSamはどんな色なんだろうね?
(飼い主)
芸術家は抽象能力が先天的(本能的)に高いんだよ。抽象化する能力が、科学など全ての進歩の源だけど、進歩を阻害する「神」も創りだしているのだから、矛盾でもありおもしろくもあるね。「神」を創りだす能力が無駄だと言っているわけでは無いよ。それが自殺を防ぎ、人を生かしたり規範を作ってきたともいえるからね。でもこの先「神」の側の譲歩が必要で、それは「神」の側が科学の全てを認めることだね。科学がいくら進歩しても、未知のものは残るので、哲学は必要なのだろう
ね。「神」は宗教ではなく哲学であるべきなのかな?
無神論の国・日本にいると信じられないけど、アメリカでは進化論を義務教育で教えることを禁じている州がいくつもあるんだよ。このことの基となる考え方を「インテリジェント・デザイン説」というのだけど、簡単に言うと以下のようなことだよ。進化論を概ね認めた上で、人間は精緻にうまくできすぎていて、そこには何らかの「意志」を感ずる・それが「神」だという論法で、進化論は全てを解明したわけではないので未完の論は教えるべきではないという論旨だ。「あまりにも精緻だ」の主な内容は、受精卵が分化し各臓器を自己形成しながら人間ができあがる過程の全てを言っている。確かに今の科学では自己形成する仕組みはほとんど解明されていない。iPS細胞(人工多能性幹細胞)から例えば心臓の細胞を作りそれをシート状に成長させることはできるが、心臓そのものを自己形成させることはできない。
自己形成することを「自己組織化」というんだ。自己組織化については分かっていないのが現状だけど、「神」を持ち出すことは進歩を止めることになる。特にアメリカでは、科学者は「それでも地球は回る」と言ったガリレオと同じように「神」と戦っているんだよ。
現在の進化論・ダーヴィニズムは「利己的遺伝子論」と言うんだ。「利己的遺伝子論」では、『生物は遺伝子の乗り物にすぎず生物は次世代に自己の遺伝子を残すことのみのを目的として存在する。そのために生物は、①生存すること②子孫を残すこと③突然変異を起こし環境の変化に対応すること、この3点に従ってのみ生きている』としている。
なかでも③が問題で、ランダムに起こる突然変異(有利・不利に関係なく)を保証するためには、ある規模の遺伝子プールを必要とする。この事が、生物は類としてしか存在できないという理由だよ。個体数が減ると絶滅危惧種となるのはこのためだよ。類として存在することを「社会性」と言うけど、利己的な遺伝子そのものに社会性を保証する仕組みは無いからね。人間に限れば社会性を保証しているのは、本能ではなく「文化」そのものだよ。脳の進化こそが「文化」を生み出した源だ。では人の脳の進化はどのようにして起きたのか?
結論を先に言えば、進化は突然変異によって起こるんだ。突然変異の内環境に対し有利なものが残るのが進化だ。このことを「選択圧」と言うんだ。
現在、3000種の生物のDNA配列が読み解かれている。人とチンパンジーも全ゲノム約30億文字の配列が分かっている。これを対比した結果1500万文字・0.5%しか違いがなかった。研究者達の期待は外れたんだ。人とチンパンジーは直感的にもっと違うはずだと思っていたからね。その後研究が進んで、「ヒト加速領域」(human accelerated region)HAR1が発見された。これはたった118文字の長さしかないがチンパンジーとの違いが大きい領域で、大脳皮質の発生と脳の折りたたみ(皺)を生み出すものだったんだ。ゲノムの平均的な差異には意味はなかったんだ。その後、HAR2も発見され、これは胎児発生期に手の指・特に親指の遺伝子活性を誘導する。HAR1も2もすべての脊椎動物にあるものなんだけど、まさにこれがヒトを人たらしめている訳で、最新の研究成果だよ。
(猫)
ネコを猫たらしめているものはなんなんだろうね。僕は僕で、「たらしめているもの」なんか別にどうでもいいかな?でも人間の次に地球上で繁栄しているのは猫だと、僕は思うよ。犬は人によってブリード(breed)されすぎたからね。猫に「文化」があるとすれば、それは「人と共にある」ということだよ。「猫っ可愛がり」という言葉があるくらいだからね、枕草子の猫以来、猫の猫たる所以だよ。人間と一緒なら、宇宙にだってよろこんで行くね。
(飼い主)
なるほど。猫が「人の文化」の範疇に入るのは間違いないよ。人が宇宙に殖民する時、人はどう変化するのか、その時「文化」はどうなるのか、の研究が最近始まっているよ。文化は環境(気候・風土等々)の反映でもあって、地球上だからこそ、1日は24時間であり、1年は365日であるわけだからね。人は地球上でも、新天地を目指して拡大しながら、それに見合った文化を作ってきたんだからね。
人類学において論争の的になっている問題に「文化同士を区別するものは何か?」という問いがある。ラパポート(Roy Rappaport)の説が私は正しいと思っている。ラパポートの説は以下のようなものだ。『異なる文化は異なる「究極の神聖なる仮定」を持つ。それは伝統や儀式によって根付いた明白で疑われることの無い中核となる概念で、その集団にとって最重要な哲学的・道徳的規範を作っている。例えばキリスト教徒にとっての究極の神聖なる仮定の一つは「初めに神は天と地を創造した」である。』というものだ。例えばアメリカ大統領がわれわれも納得する立派な演説の最後を、必ず「我々に神のご加護を」という言葉で〆ることに端的に示されていると私は思う。この文言が「おまじない」のように、演説を道徳的規範へと高めているのだ。平たく言えば「神」が違えば「文化」も異なるということだね。だから宇宙へ殖民すると、別の「神」がたち現れるだろう、とラパポートは言っている。
人が生存していくには類としてしか存在できない、類としての存在(社会性)を保証しているのが「文化」であり、「文化」は「無いものを作りだす・神を作り出す」という人の脳にのみ許されている究極の抽象能力に依拠している、ということだね。「神」は絶対的ではなく、相対的なものだ。
(猫)
飼い主は2月に胃がんで胃の3分の2を取る手術をして、〇〇病院に2週間入院したんだ。癌はステージ3aで6.5cmもあって、胃壁ぎりぎり貫通してたんだ。それでも運よく播種も転移もなかったんだ。発見が遅れた割には、たった3日で〇〇の〇〇教授(胃・食道外科)に診てもらえたり、全て運よくいったんだ。でも元気良く帰ってきたから良かったんだけどね。とにかく僕とミーミ姉より長生きしてくれないと困るよ。飼い主あっての飼い猫だからね。運は大事だよ、猫も運次第だと思って
いるよ。庭に先代猫のお墓があるけど、あそこに入るのかな?てなことは僕は考えないよ。今日一日楽しければそれが最高、猫はそんなもんだよ。人間は脳みそのせいで、なにかと大変そうだけど、「猫の額」の僕と楽しく過ごそう。でも難しいことなのかな?でも、運よく飼い主に会えた僕は飼い主が好き、ということだけは間違いないことだよ。
(飼い主)
ありがとうね。
普通の細胞はアポトーシス(自死・分裂を止めること)し、新しい細胞と入れ替わる。アポトーシスをコントロールしているのはテロメアだ。テロメアは遺伝子のシッポみたいなもので、細胞分裂するたびに短くなり、あるレベルでアポトーシスが起こる。細胞の寿命はこうして決まる。アポトーシスに新しい細胞が生まれるのが追いつかなくなるのが老化であり、いずれ個体の死につながる。癌細胞の最大の特徴はアポトーシスする機能がないことだ。本来、人の受精卵が分化した万能細胞はアポトーシスしない。替わるべきものが無いのだから、アポトーシス=個体の死となってしまうためと考えられる。iPS細胞を作る時、その多能性を獲得するために癌化遺伝子を利用しているので、iPS細胞を使う時癌化することがあるのが最大の難点なのだ。アポトーシスしないことを悪用しているのが癌だね。アポトーシスを根源的にコントロールしている仕組みが解明されると、癌を含めた生命(生きていること)の不思議に一歩近付けることになるだろうね。
小太郎のように本能のままに生きられたら、どんなにいいだろう。仮令それが漱石の猫の終焉のように、理不尽な結末(死)であったとしても。
(余禄)
「うえにさぶらふおんねこはーー」(枕草子)と記されて以来、一茶は三百首以上の猫俳句を詠み、漱石も然り。猫小説は今に続き、荻世いをら(おぎよ いをら)の「ピン・ザ・キャットの優美な叛乱」は売れているようだ。浮世絵の国芳とその一門は猫で稼ぎ、MGMは「TOM and JERRY」でアカデミー賞を獲り、ディズニーはフィガロ(ピノキオのかわいい悪ねこ)を描いた。招き猫はネコグッズを生み、ネコカフェも繁盛し、化け猫は出る暇もない有様。ねこはネコ、されど猫。