8.可愛い顔の『暗殺者』
ウロウロと森の中を歩くも、目に留まるようなものも特になく、段々飽きてきた。
ふと腕の中の子狼に視線を落とすと、丸くなって寝息を立てていた。こっちは歩き続けて足が疲れてきたっていうのにこいつは……。でも可愛いから許す!
こいつもこんなに僕のことを信頼しちゃって。無邪気な証拠なんだな。
少し休憩しようと、近くの木を背もたれにして座り、子狼も地面に寝かせる。見れば見るほど幼さが増しているような気がする。第一印象が『死肉を漁ろうとした狼』だったからだろうか。
しかし何も考えずにこの子を拾ってしまったが大丈夫だろうか。いや、むしろこのまま育てたら僕が親になって、僕の代わりに獲物を捕ってきてくれるのでは?一緒に狩りをできる味方にもなるかもしれない。それならかなり心強い。
僕の中のドラゴンはこの子狼を見てどう思うだろうか。なんとも思っていないか、もしくは食料として見ているか。多分この二択だ。
そう言えばなんだか眠いな。しかし、野生の狼に襲われることだってあり得る。僕が大丈夫でも、この子狼は無事ではいられないはずだ。共食いをしないとも言い切れない。見ず知らずの子など、ただの敵でしかないはずだ。親にすら捨てられたこの子ならなおさらだろう。でもそれなら、僕がこの子を守れば……
僕は子狼を全身で守るようにして横になる。こうしていれば、襲われる可能性は低くなるだろう。
しかし周りはさっきの鹿もどきや鳥しか見当たらない。みんな攻撃的な雰囲気は一切無い。むしろ僕を怖がってどんどん距離を置いていく。狼たちも一定のテリトリーからはあまり離れないはずだし、現れたとしても二、三匹のはずだ。きっと大丈夫だろう。
僕はそう信じて目を閉じた。
……くすぐったい。
何事かと目を開けると、子狼が僕の顔をペロペロと舐めていた。お腹でも空いたのだろうか。
僕は子狼を抱き上げ、腹に乗せて頭と背中を撫でてやった。気持ちよさそうに目を細めて甘えた声を出すその姿は、やはり飼い犬のごとく感じられる。
子狼を抱き上げたまま、僕は再び歩き始めた。半ば衝動的ではあったが、なんだか体が勝手に動いていたというか。ドラゴンが『のんびり寝てる暇があったら歩け』とでも言っていたのだろうか。
陽は既に沈みかけている。今日中に帰るつもりではなかったが、予定変更だ。子狼もいることだし、暗くなる前に巣へ帰ろう。
僕は子狼の頭をひと撫ですると、地を蹴り高く飛び上がった。腕の中で子狼が丸くなる。絶対に放さないから安心してね。
空から森を見下ろすと、僕が飛び立った崖が結構近くに見えた。あそこに着地しよう。
ある程度高度を上げたのち、得意の滑空を始めた。やはりこの感覚は素晴らしい。
しばらく滑空を続けて、何事もなくしっかりと崖上に着地をする。今度は顎をぶつけずに済んだ。
子狼は僕の顔を見るなり、甲高い声で一つ吠えた。悪かったよ。多分これが最初で最後だから許して。ね?
崖を歩いて下る。子狼も地面に下ろして歩かせてみたら、僕の足元にピッタリとくっついて歩いていた。踏みそうで怖かったが、それは向こうもちゃんと危ないと分かっている……はずだし、大丈夫だとは思うが……。
道中、変な虫を前足で取り押さえたりなんかしていた。その無邪気な様子は見ていて癒されるが、その直後虫にかじりついた瞬間にそれが一気に覚めるような感覚を覚えた。
その後は特に何事もなく、無事に巣に着いた。この辺りには狼も少ないし、周辺を少し探索しただけだが、危険なものも見つからなかった。ひとまずここに来られれば一安心だ。
僕が寝床に座ると、子狼も僕のすぐ横でぴょんぴょんと跳ねている。血が付いた顔をこっちに向けて、何か言いたげな様子でいるが、僕にはちょっと分からない。もしかしてドラゴンであれば……?
……まぁ僕の方から干渉することはできないのだけれど。
とりあえずこの汚れた顔を洗ってやろうと、僕は子狼を両手で持って、近くの川へと向かった。
子狼を川の近くへと下ろすと、水面に映る僕の姿を見て今更びっくりしたのち、水を飲み始めた。僕はその間、子狼の顔の血を洗い流した。最初は嫌がっていたものの、途中からは水を飲むのもやめて顔を洗うのに身を任せているようだった。
急に子狼が川に落ちた。浅瀬だとはいえ水温はだいぶ低い。……多分わざとだろう。
子狼は水の中でバチャバチャと暴れ回って遊んでいる。あんまり深くまで行かないよう、僕も冷たい水の中に足を入れ、子狼よりも水深が深い方へ回り込んで、子狼を尻尾で囲んだ。寒い。日の光ももう弱くなってきているし、さすがに長時間は無理だ。
子狼が満足して川から上がる前に、僕の体が限界を迎えそうになったため、子狼を持ち上げて川から上がる。子狼は全身のふわふわな毛をべったりと体に張り付けていた。
地面に下ろすと、体をブルブルと震わせて水を払う。その水しぶきをもろ顔に食らった。顔は濡らさないようにしてたのに……まぁ別にいいんだけど……。
しかしこの後どうしようか。寝るにも早いし、お腹も空いていない。一言で言うなら暇だ。
暇つぶしとして行くのはなんだか申し訳ないが、もう一度エレニアのところに行こうかな。どうしても人恋しくなってしまう。一日中狼の声と鳥の声しか聞いてないんだもの。人の声が聞きたい。
僕はびしょ濡れの子狼を抱きかかえたまま街の方面へと歩いた。なんだか今日は歩いてばかりだ。
街の外れが見えてきたあたりで、子狼は丸くなっていた。見知らぬ土地を少々怖がっているんだろうか。
エレニアと会話を交わした場所まで来たら、子狼をいつもの丈の長い草の陰に隠したが、ついてきてしまう。何度繰り返してもついてきてしまうので、諦めてそのまま好きにさせることにした。でも勝手に動き回られると困るので、しっかりと抱き上げさせてもらった。
この街で最初に通った細い小道をこそこそと歩く。幸い一本道なので迷うこともなく、夕暮れ時ともあって人の気配も全くない。
正面に見覚えのあるドアが見えた。ドアに付いた小窓に張り付き、中の様子をうかがう。
室内には誰もいないように見えた。だが、耳をドアに押し当てると、何か物音が聞こえる。ついでに話し声も。
試しにドアを三回ノックする。そしてすぐさまドアから五歩ほど離れて、姿勢を低くする。できるだけ弱く見えるように。
ドアが開き、中からエレニアが出てきた。
「やっぱりお前か。……怪我してるな。じゃあすぐに行くから、いつもの場所で待っていてくれ」
そう言って彼女はまたドアの向こうに戻った。怪我?あぁ、そう言えば化物の樹が右腕に切り傷をつけたんだっけ。
人に見つからないよう、周囲に気を配りながらこそこそと歩くこの緊張感、息が詰まりそうだ。
彼女に言われた通り、いつもの丈の長い草の陰に身を隠す。
数分後、彼女が救急箱と大きな本を持ってやって来た。
「腕を見せな。……しかしこの鱗、どうやったら突き破れるんだ?」
エレニアが腕に包帯を巻きつけていると、いつの間にか僕の陰に隠れていた子狼が姿を見せた。
「もしかしてこいつにやられたのか?」
エレニアは「フフッ」と笑いながら子狼の顎下を撫でる。
「こんなチビの面倒を引き受けたのか。お前も中々おもしろいやつじゃないか」
僕はおもしろくなって小さく笑った。それに気付いたエレニアは、物珍しそうに僕を見た。
「ドラゴンの笑いはそんな感じになるのか。何だか可愛らしいな」
ちょっと照れる。僕はその照れを紛らわす様に、彼女の横に置かれた本を指差した。
「ん?あぁ、そうそう、これをお前に見せたいと思っていたんだ」
これを僕に?
「これはこの世に存在するあらゆるモンスターについて書いた本だ。お前のことを調べてみようと思ってな」
彼女はしおりが挟まったページを開いた。そこには僕とほとんど同じ外見をしたドラゴンの絵が描かれていた。
『【ブルータルドラゴン】。鉄すらも貫く鋭利な爪や、岩をも嚙み砕く強靭な牙と顎を持つドラゴン種のモンスター。ドラゴン種きっての残忍さを持ち、目に映るもの全てに襲いかかる習性がある』
はい?
僕ってそんなにヤバい種だったの?
「そんなに目を丸くして驚くんじゃない。ドラゴンなんて大体こんな説明だ。……あぁ、「ドラゴン種きっての」ってことはやっぱりお前はかなり危険だな。逃げないと」
今さら!今さらですよ!ほら、このチビだって怪我一つないでしょう!目に映ったもの全てに襲いかかってませんよ!
「ハハハ。まぁついでだ。そのチビのことも調べてみよう」
彼女はしばらくモンスター図鑑とにらめっこをしていた。この世に存在するあらゆるモンスターについて書かれた本と言っていたし、探すのもそれなりに時間がかかるのだろう。
数分した後、彼女が「これだ」と声を上げた。危ない危ない、また眠るところだった。
「見つけたぞ」
そう言って僕に図鑑を見せる。
『【ウルフ・アサシン】。群れよりも単独で行動することが多く、数匹で行動する場合は、息の合った連携を取り獲物を追い込む。この種の子どもは、産まれて五ヶ月ほどで親から独り立ちをする。
強い脚力と鋭い爪、牙を武器に、狙った獲物を音も無く正確に仕留める。ウルフ種の中でも一二を争うトップクラスのハンター。』
……僕とエレニアが同タイミングでバッと子狼を見る。子狼は仰向けになって、無邪気にゴロゴロと転がっている。
……嘘だろ?お前……
「何でこんなおっかないやつをお前は引き取ったんだ……」
子狼はなおも無邪気に僕の顔を覗き込んでいた。その顔は、以前と何も変わっていないのに猛る野生を見せていた。