6.化物の樹
まず目に飛び込んできたのは、見たこともない形をした木と、それを守るようにして生える棘だらけの低木。それはどこか神聖なイメージをたたえていたが、それも第一印象だけであった。近づいて見たみたところ、どうにも表現しがたい不気味さがあった。神聖さを兼ね備えた悪魔、といった感じか?
しかし、どうにも僕の目が惹きつけられる。前の僕も、これを見てこんな感じになったろうか?
試しに目を閉じて、意識を集中させてみる。
……やっぱりだ。
ドラゴンがこの木に近付こうとしている。どうしてだろう。
木の周りをよく見てみると、僕の他にも小さなモンスターが群がっているのを感じた。互いに顔を合わせたりなんかもしている。普段追いかけっこを繰り返している種族同士も、この場では一切そのような行動を取っていない。ちょっと襲いかかればすぐに捕まえられそうなほどに油断を見せているというのに。
そこはまるで儀式の間のような、本当に神聖なイメージを持っている。僕も空気を読んでおいたほうがよさそうだが……なんだか嫌な予感がする。
そもそも、何かを信仰するなんてことは、僕にはなかった。家なき者に信じる神無し。それが僕の信条だ。神の救いを得られなかった僕だ。神の存在など到底信じられるはずがない。
突然、僕の眼が、何かが素早く動くのを捕らえた。それは小さなモンスターであった。僕も泣く泣く狩ったことがあるほどの弱いモンスター。それは木に向かって全力でダッシュしている。
……いけない。
直感的にそう思った。
ダメだ、止まれ。
僕が止めようとして前に一歩踏み出したその瞬間、嫌な予感は的中した。
棘だらけの低木を飛び越えた小動物のようなモンスターが、木の中に消えていった。何か起きたのか分からずに、小動物が消えたところを見ていると、突然何かがつぶれるような生々しい音が響いた。その直後目に飛び込んできたのは、木の幹にできたひび割れから滴る赤い液体だった。
これは木なんかじゃない。こいつはモンスターだ。化物の樹。いかにも植物のような見た目をしておきながら、体のどこかに脳だって持っているんだろう。
こいつをこのままにしておいたら、大量のモンスターが騙されて殺される。
……別に自然界のことだから、僕が首をつっこむことなど無いはずなのに、モンスターなど、数が減った方が助かるというのに、なぜか放っておけなかった。
この異形の化物は生かしておいてはいけない。……そうだよね、ドラゴン。放っておけないのも、お前が僕にそう伝えているからだよね。
左腕が熱くなる。ドラゴンからの意思が伝わってきたような気がした。
僕は地を強く蹴り、勢いよく翼を羽ばたかせる。ダメ元でやってみたが、上手く飛び上がることができた。
この化物の樹の周辺は、奴がやったのか、木が少ない。頭上も開けている。僕はそのまま、自然が作り出した葉の天井を抜け、化物の樹を見下ろす。すると、第二の犠牲が出る直前であった。
なんとか阻止しようと、それなりの高さではあるが、そのまま化物の樹に向かって急降下をする。そして、そのうちの最も太い枝に狙いを定める。
拳を引き、思い切り殴りつける。枝は鈍い音を立てて折れた。断面は、普通の木とは思えないような構造になっていた。例えるならば、肉と骨に分かれているような。さらには血のような赤い液体も吹き出てきた。
枝を折ることに成功したものの、奴に飛び込んでいったモンスターを助けることはできなかった。
地面に着地をするも、落下の衝撃で脚が重くなる。化物の樹を食いつくように睨みつけると、折れた枝を振り回し暴れているところだった。やはりこいつは植物ではない。
その様子を普通じゃないと悟ったのか、周辺で立ち止まっていたモンスターたちは一斉に散らばって行った。
脚が動くようになり、化物の樹と正面に向かうようにして立つ。すると、木の幹……に当たる部分から、大量の目のようなものが現れた。その異様な光景に恐怖を覚え、一瞬の怯みが生じる。
それをチャンスと見たのか、向こうは先端が鋭く尖った枝を僕に向けて伸ばしてきていた。
咄嗟に身を躱して枝を避ける。関節のようなものは無いようで、こちらにまで曲がってくることはなかった。
僕は伸びたままの枝に向け、思い切り手刀をいれる。竜の鱗の硬さを利用した手刀だ。木の幹を模した腕など、どうってことない。
思った以上に力が出て、枝を模した腕はその場に切り落とされる。
大振りで攻撃したため、隙が生まれる。そこを逃さぬと見てか、今度は三本横一列で突っ込んでくる。
あれこれ考える暇もなく、僕は直感に任せて体を動かした。翼を利用して高くジャンプする。そしてそのまま、伸びたままの枝に向かって全体重をかける。僕の下で、枝が全て折れる音がした。
横に転がるようにして距離を取り、再び化物の樹を睨みつける。奴の動き方から見て、完全に怒っている。
完全に優勢だ。こちらに勝機があるのは目に見えている。
しかし奴はまだまだ元気そうに見える。何か奥の手でも隠し持っているのだろうか。
どう出るかを確認していると、木の幹のひび割れがバッと開き、中から不気味な色をした霧状のものが噴出された。おそらく毒だ。
僕は大きく息を吸い込み、炎を吐き出す。
全て押し返すつもりで放った炎の息は、毒の霧と衝突するやいなや、派手な音を立てて消滅させ、そのまま木の幹に突っ込んでいった。
奴も植物のような体表をしているんだ。それならば火も効くはず。
思った通り、奴の体に引火した。身を捩って火を払おうとするも、火の手はそれを嘲笑うかのごとく素早く燃え広がる。ただの木よりも、動物性の脂を体に蓄えているためか、強く燃えている。
しばらくすると、鎮火し、中から炭のように真っ黒になった化物の樹が姿を見せた。動きは完全に止まっている。
勝った。そう思った。
僕は奴の折れた枝を回収した。本物の木のような皮を持ってはいるものの、中身は動物の肉のようで、食べられそうではある。匂いは植物特有の青臭さを持っているものの、鼻をつまめば気にはならないだろう。
試しに一口かじってみる。木の幹のような部分ごとかじったため、バリッと盛大な歯ごたえがした。その後、口には肉の味が広がった。やはりこいつは植物なんかじゃなかった。久々に肉を食べられたと知ってか、ドラゴンが喜んでいるように思えた。
人間たちからしたらこの木は残っていてもいいものだったのだろうが、あの狩りの仕方は僕にはとても許しておけず、半ば怒りに任せて奴を倒していた。
多分、あれは魔力を利用した洗脳の類だろう。特殊な魔力を発し、脳波をいじることで混乱させる、と言ったものか。
……そう言えば、僕は奴との戦闘中、普段の僕には思い付かないような行動をいくつかしていた。特に、炎を吐いたことだ。
炎を吐くのは今回が初めてなのに、あそこまで上手くいくものだろうか。
そう考えると、ドラゴンが手助けをしてくれているんじゃないか、という仮説が最も有力だ。
ただ自分の体を傷つけられては困る、という考えなのだろうが、僕にとってはありがたかった。
ドラゴン、お前も、僕のこと見守っていてくれよ。僕、いくらか覚悟は決めたから。今回の戦闘でも、僕にしてはよくやった方だと思わない?
お前にとっては、僕は邪魔な檻みたいなものだと思うけど、僕にとっては同じ体を共有する仲間だって、そう思っているから。
……ちょっと、胡散臭いかな?
僕は奴の枝を抱えたまま、また森の探索を再開した。食料も手に入れたし、二、三日かけても大丈夫そうだ。ゆっくりでもいいから、しっかり探索しておこう。自分のためになるように。少しの苦労くらい辛抱だ。