2.過去の人生
目の前の女性は、僕に正面から向かっている。何も事情を知らない人が見れば、竜と女戦士の決闘のようにも見えなくはない。現に彼女の腰には剣が据えられている。しかし、使う気はさらさら無いのだろうが。
「聞きたいこと、というのはだな……」
彼女は一旦間を置いてから、何かを決心したかのように言った。
「お前はなぜ、この街を守ったのだ?」
……はい?
自然と首がカクンと傾いた。あまりにも突拍子すぎる。
「お前が人の言葉を理解できるというのも気になるが、もしかしてこれも何か因縁があるのか?」
ごめんなさい、何を言っているのかさっぱり分かりません。
そんな思いが顔にも出ていたのか、態度にも出ていたのか、彼女も小首を傾げる。
「まさか……覚えていないのか?」
恐らく……。こうべをうな垂れ、ボディーランゲージで伝える。
「……そうか。あれだけの戦闘だ、頭を打って記憶が飛んでいてもおかしくはない……か」
記憶が無くなって……それっていわゆる『キオクソウシツ』ってヤツ?でも、僕は自分が誰なのかも分かっているし、元々どこに住んでいたかもちゃんと覚えている。
と言うか戦闘って何のことだ?
精一杯伝えようとしたが、やはり言葉がないと難しいものだ。森の奥を指差して、眠っているようなジェスチャーをする。その後自らを指差して……何だかバカらしいが、こっちは必死だ。人間たちが忌み嫌い、恐れ、時には聖なるものと見て信仰するドラゴンが、こんな子供みたいな動きでバタバタしているのを見た、だなんて言っても、誰も信じないのではないだろうか。と言うくらいには、ギャップが激しいはずだ。彼女もよく見ると笑いをこらえているような感じがする。……何だかちょっと嫌な気分だ。恥ずかしいのに。
「えっと、『この森で眠っていたら、大きなドラゴンの咆哮で目が覚めて、街が襲われているのが見えたがそれからは覚えていない』……で、あっているか?」
すごい、全然合ってない。『この森』までしか合ってない。案外勘は鈍いみたいだ。それとも僕が下手くそなだけか。
僕は首を振って返す。
「……やはりコミュニケーションを取るのは難しいな……もう一度ゆっくり……」
「……ぉーい」
彼女がバッと振り返る。僕にも聞こえた。
「おーい!そっちにいるのかー?」
……1人だけじゃない。さっきベッドの周りにいた人数よりも明らかに多い。となると……
「マズい、また夜になったらここに来てくれるか。どうしてもこれだけは知りたいのだ。頼む。だから、今はただ行ってくれ。バレないうちに……!」
彼女の表情は必死だった。言われなくても僕だって死ぬのはごめんだ。
森の奥に向かって転がるようにして駆け込んで隠れる。ちょうど丈の長い草が生えていてくれて助かった。そこに身をかがめたら、何とか見つからずに済みそうだ。
「こんなところにいたのか……で、ヤツは、ドラゴンは?」
「あぁ、あいつなら帰してやったさ。今見送っていたところだ」
「本当にそうか?病室にドラゴンの爪が落ちていたから、てっきり剣で爪を切り落として脅して帰したのかと……」
「お前は私がそんな野蛮なことをすると思っているのか……全く心外なものだ」
……よし、バレてない。確認完了。あとはみんながいなくなってから森の奥に戻ればいいだろう。
久しぶりに、人間とあれだけ近い距離で関わったな。1人に慣れたとばかり思っていたけれど、どうやらまだまだ人恋しさは捨てきれていないみたいだった。そんな思いが、森の奥へと帰る僕を、チラチラと振り向かせていた。
日が傾いてきた。森の中に穏やかな斜陽が射し込む。オレンジ色の森は、まるで昼間とはまた違った世界の中にいるようで、不思議な気分になる。
僕は先ほどから集めていた果物を抱えたまま、その場に座って景色を眺めていた。家……巣として使っているお椀状になった穴にも近いし、時々はこうしてゆっくりとしてみたい。
自分の腕を見る。屈強な筋肉をつけ、頑丈な鱗をまとったものが、小さな果物を抱えている。
こんな僕でも、元々は人間だったのだ。面影など少しも無い。
この世界にいつからか現れた、魔物を意のままに操れ、さらには人間ですら野蛮な魔物に変えてしまう、『モンスターマスター』と呼ばれる者たちの影響により、この世界の人口は着実に減らされていった。彼らに対抗すべく、国は兵の力を底上げしたが、増え続ける魔物たちを押し返すことすらできなかった。所詮、人間の力はその程度だったのだ。
そんな時、国はやけくそになったのか、国中の黒魔術師を集め、『魔物に変えられても、人間としての意思を残したままにできる呪いを作り上げ、人としての理性を持った魔物を作らせる』という計画を考え出した。当然黒魔術師たちは反対したらしい。いくら普段から人骨や動物の骨なんかを集めたりしているおかしな人でも、それはしてはいけないことだ、と悟ったらしい。
人間としての意思を残したままの魔物。要するに、人間たちとは離れて生きさせなければならないということだ。言葉が話せないため、人間に近づけば人間からは敵視される。しかも、本来の目的は魔物の駆除であるため、魔物たちからも敵視される。どこもかしこも、味方はいなくなる。
そんな非人道的な計画は、黒魔術師たちの協力など得られなかった。
しかし、国はそれでも諦めなかった。なんと、黒魔術師たちの何人かを捕らえ、完成させなければ親族ごと殺すと脅して強引に計画を進めたのだ。
そして、呪いは完成した。その実験台として選ばれた数人のうちの1人が僕だった。まだ子どもながらにして帰る家もなく、ただ城下町を歩き回り、ゴミを漁って暮らしていた僕を捕まえ、実験台とした。他の数人も、僕と同じような家無しの生活を送る人、殺人を犯した人、どこかから買われ、その後国に保護された奴隷にまで手を出していた。
そんな僕たちにその呪いをかけ、モンスターマスターたちの襲来があるまで牢に入れられていた。人によって呪いの紋を刻む場所はそれぞれだった。なんでも、最も魔力が流れやすい箇所にやらねば効果が薄いのだとか。僕は左腕だった。
そして、ついに訪れたモンスターマスターたちの襲来。牢での生活は決して心地よいものではなかったため、心の奥底ではモンスターマスターたちの襲来を心待ちにしていた面もある。襲来の報せを聞いて、そう感じたことを僕は悔やんだ。
腕を縛られたまま、モンスターマスターたちの正面に突き出される。奴らはそんな僕らにお構いなく街中の人たちを襲っていた。近くまで来ても、僕らの横を横切るだけで、僕らに魔物化の魔法をかけることはなかった。痺れを切らした国の兵士は、僕らの縄を解いた。その途端、他の実験台たちは一目散に逃げ出したのだ。確か、そのうちの二人は兵士によって傷を負わされ、そのまま再び牢に押し込められていた。その中で逃げ切れた人もいたようだが、その後のことは知らない。
僕だけは、その場から逃げなかった。いや、逃げられなかった。奴らの襲来を初めて目の当たりにし、恐怖を覚えたからだ。
全速力で逃げるも、虚しく魔物と化してしまう人。道端で泣き叫んでいた子どもの泣き声が、途中から咆哮へと変わった。子どもを抱えたまま魔物へと姿を変えられ、手中の子どもをかじり殺した母親……。
そんな地獄を目前にし、僕の体は言うことを聞かなくなった。右脚を前に出せと命じても、その場でガクガクと震えるばかり。
それでも兵士の強引な攻撃により、奴らの狙いが僕につけられた。
その瞬間、僕の中で煮えたぎっていた恐怖が、急に冷めていった。『死ぬ覚悟が決まったんだな』と、僕は実感した。
僕は奴らに向けて一直線で走り込んで行った。そしてそのまま、僕は魔物化の魔法を受け、全身を激痛を伴う高熱が襲う。気を失いかけるほどのその苦痛に、僕はただ叫ぶことしかできなかった。薄れ行く意識の中、僕はただ安らかに眠れることを祈ったのだった。
再び目が覚めると、僕は森の中にいた。ちらりと自分の体を見ると、そこには黒っぽい鱗に覆われた体があった。背中には大きな翼、腰からはしなやかな尻尾がすらりと伸びていた。パニックになりながら体を起こすと、左腕がビリビリと痺れるように感じた。その刺激は今でも時々は起こる。パニックをいくらか抑えてから痺れる左腕を見ると、呪いの紋が光を持っていた。しばらくすると、その紋は消えていった。
おそらく、僕の中に潜む竜の意識が、表に出ようとしているのを必死に押さえているのだろう。と言うことは、黒魔術師たちの挑戦は成功したということだろう。
しかし、一つ問題があった。
僕は争いが苦手なことだ。道端で行われている喧嘩を見ることですら僕にとっては不快なことであった。
そんな僕に、魔物を狩ることなどできなかった。……わけでもない。
僕は竜の力を得てしまった。それに伴い、僕の記憶は一部消えていた。そこを埋め合わせるように、竜の記憶や本能が刷り込まれていた。まるで自分が自分でないように感じた。
……昔のことを思い返していると、なんだかとても哀しくなった。夕日の輝きのせいだろうか。
僕は目に涙を浮かべたまま巣に戻った。
果物を貯蔵のために掘った穴に入れ、夜まで少し寝ておこうと思い、寝床についた。