第十八話「ざわめく高原」
「『トラソルテオトル』が、この村に……? それは本当なの?」
フリッカもさすがに驚いた表情をしている。老婆は神妙な面持ちでうなずき、事の顛末を話し始めた。
日も昇り切って暖かくなったので村の広場で遊んでいた村の子供たち数名は、突然集会所の方からピリピリとした空気を感じたので、そこまで様子を見に行った。幾ばくかの間が開いた後、唐突に激しい破裂音がしたために村の若者が集会所の方へ向かうと、そこには全身やけどを負った子供たちと、何かが爆発したような焼け跡、そして大高原の彼方へ去っていくトラソルテオトルの姿があったという。
「おい、その魔物って人里に降りてこねえんじゃなかったのかよ。どう見ても村に襲撃に来てんじゃねえか」
スティーブの言葉に返事をする前に、フリッカは老婆に子供の状態について聞いた。
「子供たちは? どれくらいの怪我を負っているの?」
「まだ生きてはおるが、酷い有様じゃ。全身大やけどじゃし、もう長くは生きられないじゃろう……」
「死んでさえいなければまだ助けられる可能性があるわ。その子たちのもとへ案内して」
そう言ってフリッカは、俺達を置いて老婆とともに集団の方へ行ってしまった。手持ち無沙汰となった俺は、トラソルテオトルがなぜ積極的に村を襲ったのかに頭をひねらせていた。
「情報は正しくなかったってことか? それとも、特別気性の荒い性格だったってことなのか?」
そのとき、被害の様子を見ていたルリが俺の方に向き直った。
「ねえリョーヘイ君、この被害の様子を見てどう思う?」
なぜ今更そんなことを聞くのか疑問だったが、俺は見たままの感想を素直に答える。
「酷いな、としか言いようがない」
しかし、気付いていないのは俺だけのようで、スティーブはルリの質問でハッとした顔になった。
「おいリョーヘイ、トラソルテオトルは仮にも強魔級の魔物だぜ。そいつが本気で攻撃したとして、被害がこの程度で済むと思うか?」
そう言われてみれば、確かに被害としてはそれなりに大きなものであるが、強魔級の魔物が本気で攻撃したとしたら、村の一部がめちゃくちゃになった程度で済んでいるのは確かに違和感がある。
「じゃあ、別の存在の仕業ってことか?」
「……その可能性もなくはないけど、この被害跡は多分トラソルテオトルの仕業で間違いないと思うなぁ。魔物の雷属性攻撃での被害って大体こんな感じだもん。人が使った魔法だと大抵純度が足りなくて火がついちゃうんだよ」
トラソルテオトルは極めて雷属性に寄った魔物であり、この周辺で雷属性の魔法を使う魔物はそいつくらいしかいないという。
「ルリが言いたいのは、トラソルテオトルは積極的に襲ってきたわけじゃないんじゃないかなぁ、ってこと。きっと何らかの原因でこの村の近くまでやってきてしまって、人に遭遇したから威嚇のつもりで行った放電がこういう被害を生んだ、みたいに。あくまでルリの想像だけれどねぇ」
そんな風に解釈できなくもないが、さすがに憶測が過ぎている気がしなくもない。そもそも、その通りだったとしても何らかの原因というのが何なのかがとても気になる。
「でもよ、威嚇の放電くらいでこんな被害が出るならそれはそれでとんでもねえぞ。少なくともオレ達が話で聞いてるほどには安全じゃなさそうだ」
その時、フリッカが再び俺達のもとへと戻ってきた。彼女の表情から察するに、子供たちは上手く助けられたようだった。気付けば、周りの村人たちがフリッカを見てざわざわと騒がしくしている。
「さすがです戦場の天使さ――があああああ痛い痛いすいませんでしたやめてくださいいい」
彼女のドヤ顔が面白くてついうっかり冗談を言ってしまい、久々の頭痛制裁を食らってしまった。
「なんだか面倒くさいことになりそうだからさっさとこの村を出ましょう」
そう言ってフリッカは足早に村の出口の方へ向かってしまう。俺達も慌ててそのあとを追った。後ろから老婆の呼び止める声が聞こえた気がしたが、気にせず足を進める。
「確かに、お礼がどうとかの話って面倒だもんな。俺もさっさと先に進むのが得策だと思う」
「――それに、早くしないとトラソルテオトルが遠くに行ってしまうもの」
彼女は殺る気満々だった。
段々と標高が高くなり、辺りの空気も大分涼しくなってきた。天気がいいため、平坦な地が続くこの場所ではかなりの距離を見渡せる。しかし、俺達の視界の範囲ではトラソルテオトルと思わしき存在は確認できなかった。
「おかしいわね。もうどこか別の場所へ行ってしまったのかしら」
この高原は珍しく魔物が全くいないため、それらしきものがいたらすぐに分かるのだが、あいにく一切の気配を感じない。
「とりあえずは先に進むことを優先しない? ルリ達の本当の目的はラウム村に行って幻獣の情報を知ることなんだし」
確かにルリの言う通りである。しかし、やはり近くにいるかもしれないと考えるとどうしても探してしまうのが冒険者の性というやつなのだ。
「なあ、なんか空気が変な感じしねえか?」
そのとき、スティーブが奇妙なことを言い出した。俺達はその言葉で確かに空気に違和感を覚え、周囲に気を配る。そして、その変な感じの正体が俺達の真上に存在することに気付いた。
そこには、今にも雷雨になりそうなほどに真っ黒な雲が立ち込めていた。それも、俺達の頭上の数メートル範囲にのみという、明らかにおかしい状態で、だ。
「――っ!? 皆避けてっ!」
フリッカの叫び声で、俺達は瞬時にその場から大きく距離を取る。その瞬間、俺達が今までいた場所に落雷し、眩しい稲光とともに凄まじい爆音が辺りに響いた。
「危なかったぁ……」
「おい、あれっ!」
スティーブが指さす落雷した場所に目を向けると、そこには先ほどまではいなかったはずの存在が鎮座していた。
「あれが……トラソルテオトルなのか?」
キリンを一回りほど大きくして角を生やしたような、首が長く四足歩行の魔物。その皮膚は目が覚めるような青色をしているが、体を所々覆う体毛は白銀に輝きながら帯電している。鹿のように長くうねった角には、その体毛以上に激しい電気を帯びており、威圧的な雰囲気を存分に醸し出している。
そのとき、トラソルテオトルが前足を軽く上げながら短く嘶いた。すると、その周囲が明るくなり、次の瞬間一気に電気が爆散した。ヤツの足元は黒い焦げ跡で染まっている。
まるで、これ以上近づけば容赦しないとでも言うかのような威嚇行為だった。
「おいフリッカ、どうするんだ! 戦うのか、それとも退避するのか、どっちなんだ!」
「戦うわ。リョーヘイ、制限を神魔級まで解除するわよ」
俺の質問に迷い一つ見せずに即答するフリッカ。幻獣討伐を志す者にとってそれ以外の選択肢は甘えだ、と言外に匂わせる口調だった。
「……了解。よし、油断は禁物だ!」
バスタードソードを引き出し、俺はトラソルテオトルの隙を伺う。ヤツはかなり警戒していて、自身の周りにいつでも電気を発せられるよう構えている。
近接武器主体のスティーブとルリ、そして俺はなかなか手出しし辛い状況であった。
「皆、そのままヤツを警戒させた状態にしておいて」
そう言うと、フリッカは杖を構えて呪文の詠唱を始めた。その場からほとんど動かず、自ら攻撃を仕掛ける気配もない所につけ込んで、強力な遠距離攻撃魔術をぶつける気だ。
「大地を統べし精霊よ。我の憎む怨敵の身に、その悠久の時の育みし自然の脅威を以て恐怖と悔恨の念を抱かせ給へ」
詠唱の終わりとともに、トラソルテオトルの踏みしめる大地が鋭く隆起し、杭のようにヤツの身体を傷つけた。直撃はしなかったものの、かなりのダメージを与えられたようで、ヤツは苦しそうな悲鳴を上げた。
間髪入れずにスティーブとルリが交互に攻撃を畳みかけ、反撃を見据えて一撃離脱する。俺は彼らの後に続き、バスタードソードを右側に振りかぶりながら、ヤツに強烈な横薙ぎをお見舞いするイメージを頭に浮かべる。
だが、俺の剣がヤツの首を捉えようとしたその瞬間、角を振り回しながら先ほどの数倍の威力で電気を爆散させた。
「リョーヘイ、大丈夫かっ!?」
すんでのところで剣の刀身を使い角の直撃を防いだが、体に電撃を浴びたために軽くだが意識が飛びそうになる。すかさずフリッカが俺のもとへ駆け寄り、簡単な治癒魔法をかけてくれた。
「さすが強魔級、そう簡単には倒れてくれないって訳だねぇ」
そう呟くルリの目は、まるで面白いおもちゃを与えられた子供のように爛々と輝いている。スティーブもギルに貰った剣を低姿勢で構え、いつでも斬りかかれる体勢だ。
俺はフリッカに礼を言って立ち上がり、再び剣を強く握りなおした。そして、激怒した表情でこちらを睨むトラソルテオトルに向かってその切っ先を向ける。
「おもしれえ、せっかくの機会だ。――この世界に来て初めての俺の本気、見せてやるぜ!」