ハロウィンの一週間前。
毎日、会社を出ると街並みのオレンジ色の度合いが少しずつ濃くなっているような気がする。
ハロウィンは来週だ。ちょっと気が早いんじゃなかろうか、毎年そう思う。
そして、まあ綺麗だからいいけど……で毎年納得しているのだ。
今からこの調子じゃさぞかし来週の土曜日はグロテスクで華やかな一日になるんだろうな……。
見かたによってはグロテスクなキャラクターたちをすんなり「カワイイ」と受け入れる日本人をたくましく思いながら虫麻呂は夜の渋谷の街を歩く。
この季節の渋谷の街は冬の一歩手前の秋の装い、厚手のコートに覆い隠されてしまう前のちょっとしたファッション・ショーの舞台になっていて虫麻呂は気にいっている。
彼のようなデザインを生業とする人間には今年の重ね着のトレンドを知る絶好の機会でもある。
気にいった着こなしを見つけては頭の中でスケッチしていく。
そうして頭の中に溜め込まれた何枚ものスケッチたちを家に帰って解放する。
時おり、新鮮なデザインが閃くことがある。
その瞬間は虫麻呂にとってなによりも代えがたい喜びになっていた。
宇田川通りの一軒のお店の、ハロウィン仕様にデコレートされたショー・ウィンドウをキラキラした目で見ている少女が目に留まった。
さすがに肌寒くなった今の季節では夏に会った時のワンピース姿ではない。
今、目の前にいる彼女は薄手のピンク色のセーターに黒のカーディガン。首には腰よりなるかに長い赤い髪の毛をまとめるようにオレンジのマフラーをゆるく巻いてロングスカート、ブーツといったスタイルだった。
両耳に揺れる印象的な犬のイヤリングは夏の日のものと同じかな……。
彼女は虫麻呂に気づくこともなくショー・ウィンドウを眺めている。彼女の大きな目が見開かれているのがガラス越しにわかる。やはり夏の日に公園で見かけた彼女だった。
細い針金のような飛行線を描き、飛び交うコウモリたちの背後でそびえたつ禍々しくポップな城。その城の前で大きなジャック・オー・ランタンにガイコツ、いろんなオバケたちが浮遊している。そんななかなかに凝った世界を目をくるくる上下左右させながら彼女は見渡している。
邪魔しちゃ悪いな。
またいつかデッサンさせてもらおう、そう思いながら虫麻呂が彼女の後ろを通り過ぎようとした時、視線はショー・ウィンドウに向かったままで、
「去年もこのコたち、いなかった?」
と彼女が言った。
思わず虫麻呂は立ち止まる。僕に訊いているのだろうか。
「去年、カワイイなって思ってたらいつの間にかいなくなっちゃってた」
ショー・ウィンドウから目を離し、彼女は虫麻呂のほうを見た。くるくるよく動く瞳が今は虫麻呂を見つめている。
と、いうことはさっきの質問は僕に向けてか。
もしかして僕のことを覚えているのだろうか。
「ハロウィンは1日だけのイベントだからね。来週の土曜日が本番でこのコたちの出番は今年はおしまい。日曜日からは普段の賑やかな日曜日に戻ると思うよ?」
「ふーん。」
彼女は虫麻呂の言葉に興味なさそうにそう言うと、
「アタシ、去年、お菓子もらったんだ。どうしてだろ。子供に見えたのかな」と、つけ加えた。
どうやら彼女は僕のことを覚えていないようだ。
しかしがっかり、という気持ちは不思議に虫麻呂の心にはなかった。
彼女らしい、とどこかで思ったのかもしれない。
「呪文でも唱えたとか?」
「呪文?」
「トリック・オア・トリート」
なにそれ、と彼女は喉の奥でクク、と笑い、
「去年はアタシ、ここにきたばっかりでちょっと目立つカッコしてたからもしれない」
と言った。
「お菓子もらえるカッコってちょっとすごいかもしれない」
さぞかしポップなファッションだったのだろう。
「まあ、慣れてなかったしね」
クク、とふたたび彼女は笑った。
「慣れる、か。この街に慣れるのは確かに大変だけど」
「いーっぱいお菓子、もらっちゃった!こーんなに!」
両手を広げて少女は笑う。
まったく噛みあってない会話だけど。
この子の笑顔はいいな。
虫麻呂は素直にそう思う。
気がつけば話すだけ話してすっきりしたのか、ふたたびショー・ウィンドウに視線を戻し、今年もおいしい食べ物のお店がいっぱいでるのかな、などと彼女はつぶやいている。
「それじゃ」
左手をすこしあげて再び虫麻呂は宇田川通りを歩きはじめる。
「来週会えたらお菓子ちょうだいね」
肩越しにそんな声が聞えたような気がした。
わかったよ。
そう答えたが彼女に聞えたかどうかは虫麻呂にはわからなかった。