不格好な笑顔
「綾人、落ち着け。
伝えないといけない事が、たくさんあるんだ」
僕の中で、何かが弾けた。
「どうだっていいさ、そんな事!
なんだって、千影、――知枝が死んで僕だけがこうして……。
なんだって、僕だけ生きてるのさ。
僕はあのまま死にたかったんだ。
知枝と一緒に死にたかった。手当てなんかするなよ!
なんで、あのまま死なせてくれなかったんだ!」
身体中を血が駆け巡るのが分かった。
全身から感情の波が吹き出してくる。
「……まず、色々と説明したかったんだが、
……錯乱しているようだな。無理もない。
結論から言おう。
君たちのおかげで学園は救われた。実害はまったくない。
礼を言うよ。ありがとう」
いつもの淡々とした口調が癪に障る。
今、二見先生はなんて言ったんだ?
なんて事を言いやがったんだ!
「ふざ、ふざけんなよ!
何が救われたんだ、なんで実害がないんだ!
守ってあげるって誓ったのに。
けど、無理だったから!
僕に力が足りなかったから、せめて知枝と一緒にって、そう思ったのに。
なんで、僕だけ。僕だけ……。
早く僕を殺してくれ! 知枝がいない世界なんて生きられない!
何やってんだよ! その腕で僕を締め殺せ!
ずっと一緒だった。 だから、死ぬ時だって一緒のはずだったんだ!」
こんな事は有り得ない。
こんな事は認められない。
今すぐにでも自分の首を絞めて、殺してしまいたい。
でも、右手を首に添えるが、
怪我のせいで弱々しい握力では大した力は入ってくれない。
錯乱した感情ではうまくパトスを制御できず、
左腕の義手はちっとも動きやしなかった。
「おいおい、助けてもらった命だ。
無駄になんてするな」
駆け寄った二見先生が僕の右手を引き離す。
抵抗する意思があっても、
僕の身体は思う通りには動いてくれなかった。
「具体的な説明は後でしよう。
今度はお前が多重人格になってしまうかもしれないな。
おい、もう入っていいぞ」
ドアがそろそろと開かれる。
その、先には。
見知った姿があった。
幼い頃からずっと一緒で。
ずっと一緒にいようと誓った女の子だった。
「綾人っ!」
女の子は駆けだして、勢いを殺さずに僕に抱きついてきた。
「よかった。もう、目を覚まさないかもって!
ずっと起きなかったから。よかった……本当によかった。
起きてくれてありがとう。
ごめんなさい。綾人……」
僕の胸に顔をうずめて女の子は泣く。
嗚咽混じりで聞き取りづらかったけれど、耳に覚えのある声だった。
女の子は狂ったように謝り続けて、話しができそうにない。
顔をあげて、二見先生に説明を求める。
「墜ちていく最中、お前が作った堅い殻をぶち破って、
パトスを使って衝突を和らげたようだ。
どっちがお前を救ったのかは、分からない。
覚えていないそうだ。
だが、千影はあれ以来出てこなくなった。
暴走したお前を殺す為に生んだ人格は、もう死んでしまった」
なおも泣き叫び続ける女の子に視線を移して、先生は柔和に微笑んだ。
「多分、敵意を抱く理由なんてないと気づいたのだろう。
お前を怖がる理由もなくなったんだろう」
胸に巻かれた包帯が、女の子の涙でどんどん濡れていく。
他人に、
――僕に触れられなかったはずの女の子は、もういなかった。
「さて、やはり事件の詳細はまた後で伝えることにしよう。お大事に」
言って、踵を返して二見先生は部屋から出て行く。
開いたドアの両側から、真と心がこちらを心配そうにのぞいていた。
2人の肩を抱いて立ち去ろうとする先生を真はおずおずと見上げ、
心は二見先生を睨み付けている。
自動ドアが閉じると、2人の顔も見えなくなった。
そうして。
今や言葉にならなくなった、
女の子の嗚咽ばかりが部屋の中に響き渡る。
刺激しないように、右手で彼女の頭を撫でた。
優しく、想いさえ伝えてしまえるくらい優しく。
女の子が、――知枝が顔をあげた。
瞳から流れる涙は留まることを知らないようで、
頬から顎を伝って落ちていく。
「ごめんなさい。
千影が……ううん、全部ぜんぶ私のせい。
私が……あや、とをこんなに傷つけたの」
「なんで千影の事を知ってるの……? 二見先生に聞いたの?」
知枝は弱々しく頭を左右に振った。
「ううん、ほんとは全部分かってた。
綾人に捨てられるのが怖くて言えなかったの。
ごめんなさい……」
「いや、いいんだよ。
そんな事は別にいいんだ」
僕だって、本当のことを伝えるのが恐くて、
あの孤児院での事件のことを忘れたフリをしてたんだ。
「あの時の事だってちゃんと覚えてる。
綾人は、私の為に孤児院を全部壊そうとしていただけだったのに。
それなのに、私、どうしても怖くて。
だからって、綾人にこんな酷いことを……」
小刻みに腕を震わせながら、
知枝は僕の左腕と義手との切断面に手を伸ばす。
触れた瞬間、知枝の表情がより一層くしゃっと崩れた。
自分の手で行った過去の行為を正面から見据えて、
耐えるように息すら止めて懺悔する。
いつの間にか、僕も涙を流していた。
「怖がらせてごめん。
今までずっと辛い思いをさせて、ごめん」
「そんな事ないよ。
綾人に比べれば、私なんてぜんぜん……」
知枝が首を左右に振る。
もう一度、その頭に右手を載せて静かに撫でた。
「いいんだ。いいんだよ、知枝。
僕は一緒に居られればそれでいいんだ」
「私なんかが傍に居てもいいの……」
「当たり前だよ。
僕が一緒にいて欲しいんだ」
「私も、綾人とずっと一緒にいたいよ。
これから、もっともっと近くにいたい」
表現しえない感情が僕の中から湧き上がってくる。
左腕の義手が感覚を取り戻した。
僕は造りモノの手をゆっくりと手繰り寄せて、知枝の頬に触れた。
その無機質な感触の全てを包み込むように、
知枝はその上に自分の手のひらを重ねる。
「これからは、笑っていよう。
楽しい時も悲しい時も。
どんな時だって、2人でずっと笑っていよう?
そしたら、何もかも楽しくなって、
これからはもっともっと、僕たちは幸せになるよ」
言って、知枝の口の端を少しだけ斜めに引っ張る。
口角があがり、泣いてばかりだった表情に、
気持ちばかりの笑みが形作られる。
未だ涙を流しながらも、知枝は眉根を垂らして笑みを浮かべた。
僕の頬に優しく触れて、同じように僕の口の端をつりあげさせる。
「うん。
二人で、幸せになろうね」
二人で不格好なカタチだけの笑みを作った。
けれどそれは、造りモノじゃない、僕たちの本心からの笑顔だった。




