VS千影
扉を開く。
冬の冷たい空気に包まれた。
屋上に屋根は無いが、飛び降り防止のため高い壁に囲まれていて、
壁のそこかしこには景観を眺める為に強化ガラスがはめられている。
そこから四方を見渡せるが、
見える景色は学園内の建物くらいのもので、面白味などは皆無だ。
視線の先、ちょうど反対側にある真四角なプレハブの上から、
足をだらりと下げて座っている水城が見えた。
隣には、パーカーを目深にかぶった生徒が寝かされている。
おそらく、千影だろう。
手足には拘束具がついていない。
フードに遮られて首は見えないが、首輪もつけていないのだろう。
それは、千影を抑え付ける為の唯一の手段が無いことを意味していた。
軋みをあげて開くドアの音で水城はこちらに気付いたようだ。
二、三歩進み出た所で制止の声がかかる。
「おっと、そこで止まれ。
ちょっとお話したいことがあるんでね。
呼んだのは、二見と綾人だけだったが、
いつものメンバーが連れてこられたのか。
スケープゴートって訳だ。
学園の考えそうなことだ、同情するよ」
「何が目的なんだ」二見先生が単刀直入に問う。
「おいおい、お前等2人を呼びつけてるんだぜ?
分かるだろ。
第4孤児院の事件だよ。
お前らが何もかもをぶっ壊した、な。
貴様等のせいで戸籍は変わっちまったが、
俺の父様と母様はあそこで責任者をやってた。
全責任をかぶされて罷免されるまでな。
二見、お前以外の研究員がどうなったか知ってるか?
責任を取らされて解雇だ。
その後は、人生を狂わされて自殺するか、白い壁の中だよ。
お前等は俺から全部を奪った。
父様も母様も、何もかもを」
淡々と話す口調からは、憎しみの類は感じられなかった。
第4孤児院が崩壊してから既に7年の月日が流れている。
余りにも蓄え過ぎた感情は、
表情を擦り切れさせてしまったのかもしれない。
「ふざけんなよ。
あれだけの事をしでかしておいて、
なぜお前だけがそんな高待遇を用意してもらっている?
そこの綾人だってそうだ。
何人もの人間を絶望に追いやって、なぜ平気で学園にいられるんだ?」
「孤児院での全ての責任は管理者側が負う。
自我を持たない子供に対して、さらに自我を狂わせる研究をしてるんだ。
それが研究者の務めだ」
「だったら!!
なんで、てめーがそこに突っ立てんだよ!
体の良い言い訳じゃ説明がつかねーだろうがよ!
そもそもあそこの最高責任者は、
学園から派遣されていたお前だっただろうが!
なぜお前が一切の責任を取らずに、
なぜ他の教師は全員狂わされたんだ!」
「第4孤児院は昔から問題視されていた。
無理な研究ばかり進めようとしていたからな。
私はそれを緩和する為に派遣された」
水城はハッ、と嘲るように笑った。
「信じてやる理由がねーな。
記録にはそんな事は残っていない。
事実なのは、お前とそこのガキが責任も取らずに、
高待遇を得ているという事実だけだ」
「私を殺して満足なら、それで止めてもらいたい。
この子に罪はない。
お前がさっき言ったように学園の被害者だ。
それに、鎖なしで千影を解放したらお前も死ぬぞ」
「分かってねーようだな。
むろん、お前は殺す。綾人もな。
けどな、それだけの為だったらわざわざこんな事はしねーんだよ。
薬をばらまいて、性能試して……なんてクソ面倒なことなんてな!
クズを使っても大して使えない事が分かっただけだ。
でも、こいつがいれば何とでもなる。
俺の目的はな、この腐った学園を社会的に潰すことだ。
他人に責任を全部押しつけて、
のうのうと生きているこの組織そのものをなぁ!
そのためだったら、俺は死んだって構わねぇんだよ。
父様たちが作ったこいつで、学園全部をぶち壊してやるよぉ!」
水城が千影のフードを掴んで無理やり起こした。
錠剤を千影に咥えさせて、噛み砕かせる。
瞳に巻いていた目隠しを取り去り、背を押した。
危なげなくプレハブから降り立った千影は、
暗闇から急に光を浴びて眩しかったのだろう。
手をかかげながら、眼を細めている。
「おい、あれって」
真が驚きの声をあげた。
僕は一歩踏み出す。
「千影は多分僕を真っ先に狙ってくる。
僕が何とか引き付けて抑えつけておくから、
さっき二見先生が言った通りの作戦で頼む」
「おい、兄ちゃん……でも……」
真の声が震えている。
僕の声だって、震えているのかもしれない。
「千影は、……昔、暴走して何もかもを破壊しようとした僕を
……止める為に発症した」
……もう一人の、知枝だ。
「お兄ちゃん、……そんな!」
心が僕の袖を掴む。
千影を担当する一部の教師と僕しか知らない。
知枝自身すら、千影の人格が現れている時の記憶は無いようなのだ。
ここの生徒で千影を知っているのは僕だけだった。
7年前、直接相対して完膚なきまでにぶちのめされた
僕だけが、知っていた。
「おい、手加減なんてできねーぞ。
殺してもいいのか?」
藍は苛立たしげに怒鳴る。
「やれるもんならやってみろ」
僕は言う。
出来ないだろうけど。
出来てほしくはないけれど。
「知枝に死んでほしくないけど、誰も殺してほしくない。
もう苦しませたくないんだ。
でも、そしたら僕も殺してくれ。
すぐにでも」
モノを考えようとすれば、狂ってしまいそうだ。
拘束具のない千影は誰にも止められない。
孤児院での事件の時、僕は感情をため込んで
自分の最高精度で立ち向かった、当時の僕ですら歯が立たなかった。
あそこで、蓄えていた感情を清算しきった僕に、
どこまで出来るっていうんだろうか……。
頭を振って、考えを追いやる。
薬を噛み砕くと、
自分の裡あった懐かしい感覚が身体からあふれ出してきた。
嫉妬、憎悪。
血にまみれた孤児院。
あの時、あの場所の血に濡れた光景が脳裏をよぎり、力が溢れてくる。
しかし、あの時ほどの力はやはり戻っては来ない。




