心の嫉妬
元気ハツラツなだけじゃない真と、引っ込み思案なだけじゃない心。
当たり前だけれど、人にはいろいろな側面があるもんだな。
などと益体のないことを考える。
無表情で無愛想だった僕は、
学園に来てから意識してよく笑うようになった。
埋めようのない溝を笑い飛ばしたかったし、
笑みを浮かべることで敵意はないことを伝えたかった。
あるいは、誰かの分まで笑いたかったのかもしれない。
恐怖に囚われた女の子に、
笑顔を取り戻してほしかったのかもしれない。
……何を考えているんだか。
僕の未熟さゆえに起こった結果なのに、
何をいまさら悲劇のヒロイン気取りでいるんだろう。
そんなもの、もう、うんざりだ。
僕はこの7年もの間、何をしてきたんだろうか。
自分の考えがバカバカしくなってシニカルに笑った。
……ただの苦笑いだ。
しばらくして浴室のドアが開閉する音がした。
ドライヤーをかける音が続く。
少し経って、知枝がリビングに顔を見せた。
「あれ、……真と心は?」
「2人して寝室に行ったよ。
もう、寝ちゃったんじゃないかな」
おずおずと近寄って、ゆっくりとソファーの横にある椅子に座る。
ソファーの隣が開いていたが、椅子の方に座った。
風呂場に近かったからそうしただけの事だ。
そう自分に言い聞かせる。
しばらく沈黙が続いた。
「ねぇ……綾人」
感情が、そのままカタチになったような声だった。
だから僕は返事をしたくなかった。
けれど、凝視し続ける視線に耐えかねて僕は口を開いてしまう。
「どうしたの?」
「……ペア、……他の人に変えてもらった方が良いよ。
私みたいな下手くそじゃなくても、後衛なら誰だって出来るでしょ?」
「知枝、」
「あ、そうだっ!
綾人は藍と仲が良いし、藍の後衛になったらいいんじゃない?
そしたら、私に足を引っ張られずにClassだってすぐに上がるよ。
綾人は……人を傷つけるのが苦手でしょ。
選んだ能力だって、防御に特化してるじゃない。
綾人は障壁を作るのがうまいから後衛向きだよ。
そうでしょ?」
名案だ、とばかりに手を叩いて早口でまくしたててくる。
「……4人で住むのがそんなに嫌だったんなら、僕から真心に、」
「違うっ! 違うの、そうじゃないの」
「じゃぁ、僕と組むのが嫌なの?
僕が弱くて心配をかけるから?
だったら、もっと頑張って安心させてあげられるようにするよ」
「違うよ、そんな事ない。
綾人は頑張ってる。
だから、もう綾人を縛りたくないの」
「言ってる意味が分からないよ」
「わた、しは。
……私は綾人にふさわしくないよ。
だって、たまたま一緒の孤児院で育って、
たまたま一緒に暮らすようになって。
だから、今も一緒にいるんでしょ?
いつまでも綾人を縛っておくのがもう嫌になったの」
「僕は縛られてなんかない」
「縛ってるよ!
だから、不釣り合いなのにペアが変わらないんだ。
だから、心も真も素直になれないんだ。
だから、綾人は……私なんかと一緒にいるんだ」
溜めていた苦しみを全て吐き出してしまうかのように、知枝は言った。
「……ごめん。
また綾人を困らせちゃってるね。
でも、考えておいて」
立ち上がって足早に寝室へと向かおうとする。
瞬間的に手を伸ばそうとしたが、届くわけがないと諦める自分がいた。
だけど、触れられなくても、せめて。
「知枝、聞いて」
知枝の脚が止まる。
けれど振り返ってはくれない。
「最初が単なる偶然だったとしても。
それを今まで続けてきたのは僕の意志だ。
それだけは、覚えておいて」
ばたん、ドアが僕らを隔てた。
//
伸ばした腕が途切れる夢を見た。
ああ、だから。
僕は知枝を掴まえることができないのか。
人の気配を感じてソファーから起きだす。
ぼんやりとした視界に小さな女の子が映りこんで、
懐かしい少女がにっこりと微笑んでいる。
手を伸ばすと、ぎゅっと握りしめてくれた。
…………眼が慣れる。
そこにいたのは心だった。
覗き込むようにして、僕を眺めている。
「おはよう」
「おはようございます。
お兄ちゃん」
リビングを見回すと、他には誰もいなかった。
「心ひとり? あれ、知枝は?」
「……知枝お姉ちゃんなら、検査に行きました」
「ああ、そういえば今日は土曜日か。
じゃぁ、真は?」
「まだ寝てます」
へぇ、心一人しかいないのか。
心と2人きりになったことなど今までに無かった気がする。
いつも真とセットで一緒にいたように思う。
「お兄ちゃん、
……わたしは真がいないと何もできない子じゃないよ?」
僕の考えを読んだのか、心はそう言った。
口調とは裏腹に楽しそうに微笑んでいる。
「それは、真が聞いたら悲しむかもな。
何をするにも一緒にやりたがりそうだ」
2人して笑った。
「ねぇ、……お兄ちゃん」
「なんだい?」
「わたしの裸を見て、お兄ちゃんはどう思った?
どきどきした?」
恥ずかしがりもせず、いささか真剣過ぎる目で詰問された。
心の小さな指が僕の頬に触れる。
「ああ、真に殺されるかと思ったよ。
心臓がばくばく鳴ってた。
あの後も知枝にさ、」
「知枝お姉ちゃんじゃ、お兄ちゃんに触れられないよ」
何も知らないはずの女の子が僕たちを弾劾する。
うまく演じていたつもりだったけれど、
何事もうまくいくわけじゃないらしい。
僕は浮かべるべき表情を亡くした。
頬に触れている心の手をやんわりと遮る。
「お腹がすいたね。
真を起こして、朝飯でも食べに行こうか」
重い身体を叱咤して、寝室へと歩を進める。
「それでも、……お兄ちゃんは知枝お姉ちゃんを選ぶんだね」
聞こえていないフリをして、寝室のドアを開けた。




