真の祈り
「……やっぱり、ボクたち出て行こうか?
知枝姉ちゃん、ちょっとおかしいし」
シャワーの音が聞こえてきた所で、
手探りにと言った感じで真が聞いてくる。
「心配ないよ。
本当はいつもあんな感じなんだ」
「そう? あんなに感情出してる知枝姉ちゃん初めて見たぞ。
澄ました顔しかできねーのかと思ってた」
「部屋の外ではあんまり見せないけど、ああなんだ、元々」
「……ならいいけどさ」
物理的にも精神的にも他人を近づけない知枝。
僕以外にも素の自分を見せられるようになってきたのは、
良い傾向なのかもしれない。
「それより、灯りをつけたまま眠るのには慣れた?
必要な事だから仕方ないとはいえ、寝苦しいでしょ」
「んにゃ。
ボクたちも豆電球つけて寝てるから、前と変わらないよ。
心が暗いのを怖がんの」
「ま、真! 恥ずかしいから言っちゃダメだったのに……」
「にゃはは。
それにしても意外だね。
知枝姉ちゃんも暗いと寝れないだなんてさ」
心の膝の上で撫でて貰いながら、真は妙な笑い方をしながら言った。
嬉しそうに両脚をばたばたとバタつかせている様子は、
犬の尻尾みたいだ。
真は立派なお姉ちゃんで、甘え癖があるのは心だけかと思っていた。
けれど、真の方も根っからの甘え症らしい。
一緒に暮らすまで知らなかった。
「ははは。
知枝は別に暗いのが怖い訳じゃないよ。
あの灯り、僕のベッドの真上についているだろう?
知枝のベッドに近づいたら分かるように、
――影になるようにしているんだ」
「なんだよ。
兄ちゃんに襲われないように、灯りつけてんのかよー」
……たったそれだけの事であれば、
僕たち2人の関係はどれだけよかったか。
あの孤児院での事件の日。
たった1日、たった数時間で僕と知枝の関係は音を立てて崩れ去った。
修復なんて到底不可能で、継ぎ接ぎだらけの
造りモノめいた日常を繰り返すことしかできなくなっている。
ころころと笑っていた真は、
急に押し黙った僕を見て勘違いしたようで、慌てたように言う。
「ほ、ほんとなのかよ。
まさか、昨日の覗きもわざとだったんじゃねーだろうな!」
「あ、いや、そんな事ないよ。
ちょっと考え事してたんだ。
ごめんね」
真は、ほっとしたような、疑心が拭えないような曖昧な表情をした。
しかし、猜疑心よりも一日の疲れの方が
勝ったのか大きく口をあんぐりと開けて欠伸をする。
「まーいーや。
とにかく、もうやんないでね」
「もちろんだよ。
それに、今日なんか二人が入ってる間中、
ずーっと知枝に見張られていたからね。
もしやろうと思っても無理だね」
「そりゃ安心だ。
知枝姉ちゃん嫉妬深そうだし」
「嫉妬ねぇ……。
まぁ、間違ってはいないだろうけど……」
実際は、そんな簡単な話なんかじゃないだろう。
「嫉妬だったらさ。
心もすごいよー。
心ってパトスを結晶化してるでしょ、そいでさ……」
「真!
言っちゃダメなことくらい分かるでしょ?
もう大っ嫌い!」
膝の上に乗っかっている真の頭を乱暴にどかすと、
心は寝室へと走り去ってしまった。
大きな音を立てて、寝室への扉が閉められる。
「ごめん、言い過ぎた。
心、ごめんってー」
ソファーから飛び起きて追いすがるように慌てて後を追う。
そのままリビングから出ていくのかと思いきや、真は途中で振り返った。
「兄ちゃん、聞きたいことがあるんだけど。
いいかな?」
やけに落ち着いた声だった。
「なんだよ、かしこまって」
「兄ちゃんにとって、心はなんなの?」
「何って、心も真も可愛い妹みたいなもんだと思ってるよ」
「妹ねぇ……。
とすると、心にとっては兄貴になるわけだ」
「まぁ、僕から見たらそうだね」
言葉を見定めるような視線で、真はじっと僕の顔を見据えてくる。
「ボクは……ボクは心が幸せでいてくれれば、それでいいんだ。
なんだっていいさ。
兄ちゃん、心のこと守ってあげてよ」
「もちろんだよ。
可愛い妹だからね」
正面から胸を張って応える。
言葉を聞くと、
真は満足したように頷いて、寝室へと向かっていった。




