苦渋の選択
万全な状態でも相手に出来るかどうかといった圧倒的なパトス量の差だ。
消耗し、怪我人までいる僕らがどうにかできる相手では有り得ない。
「二見先生、千影をお願いします。
僕らには無理だ」
『すぐに向かわせる。
全員、全力で逃げろ。
千影の目隠しはこちらの判断でタイミングを見て外す。
逃げることだけを考えればいい……』
「真心、先に逃げて。
僕と藍で引き付けておくから。
藍、良いね?」
まだ悔しそうにしている真を無視して藍に目を向ける。
「オレはまだ死ねない。
ここは引くべきだろう」
交戦的な藍の事だ。
何を言ってくるか不安はあったが、あっさりと同意してくれた。
この場で一番強い人間の言葉に、
真も不満そうな顔をしながらも頷き、心と手を取り合った。
「走れ!」
僕の言葉に押し出されて、真心がこの場から離脱していく。
それを見て、七枷・七瀬は慌てて駆け出してくる。
僕はポケットに手を突っ込む。
「おい、ふざけんな」「たった2人じゃ成果にならない」
残り数歩で僕らに接触する距離で、
僕はポケットから取り出したものを自分の足元に放る。
藍も同様に地面に向かってそれを叩き付けた。
白色の濃い煙が辺りに立ち込める。
それを確認して、僕は踵を返して全力で走った。
「うぐっ……ふざけんな、くそが!」
呻きと叫びがない交ぜになった声が後方で聞こえた。
隣に藍がいない……!
まさか一人で戦うつもりか?
嫌な予感がしたが、少し遅れて煙の中から姿を現した。
ほっと一息呼吸して、走りながら後方に再度足元に煙幕を張っていく。
地下から抜けた所に真心と1台の車がいた。
運転席の窓から二見先生が顔を出していて、
後部座席には目深にフードをかぶって目隠しをされたままの千影がいる。
千影はぴくりとも動かない。
俯いている為、表情は確認できなかった。
「後方に全力で走れ。
輸送車へのマップはお前たちの端末に送った。
この車体が見えなくなる辺りで確認して合流しろ」
「分かりました」
他の3人を促して逃走を再開する。
少し走っていると、後ろで車のドアを開ける音がした。
盗み見ると、先ほどの恰好のままの
千影と二見先生が車から降り立っている。
先生は、眼前が地下駐車場に来るように千影を向きなおさせ、
その背中を押す。
目隠しで何も見えていないはずの彼は、
確固たる足取りで駐車場へと歩いていった。
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水城先生の輸送車に合流し、乗車する。
「全員帰ってきたか。
やっぱり優秀だね」
「やばいのが出て来たから逃げて来たんです」
「時にはそういう判断も必要だと思うよ」
僕たちの役目は終わった。
車は学園に向けて発進してく。
来た道を逆から眺める外の風景は、なんだかチグハグに見えた。
「おい」
隣に座った藍が唐突に話しかけてくる。
藍は既に首輪を外していた。
そんなに首輪をつけるのが嫌いなのだろうか。
「なに?」
「さっきのアレ、千影1人で鎮圧できるのか?
どっちともオレの総量の1.5倍くらいはありそうだった。
煙に紛れて1発蹴っ飛ばしてみたが
障壁もないのに大して利いちゃいなかった。
オレがかなり消耗していたとはいえ、な。
それが2匹だ」
「蹴っ飛ばしてみたって……また、危ないことを……」
「話を逸らすな、そんな事はどうでもいい。
どうなんだ」
「……そうだね。
千影なら問題ないと思うよ。
もし僕らが相対したのが千影だったとしたら、
逃げることすら出来なかったと思う。
それくらい規格が違う。
それに、2人くらいだったら物の数じゃないよ」
水城先生が驚きを隠せないのか声をあげた。
「そいつは凄いな!
強いとは聞いているけど、千影くんはそこまでの実力なのか」
己己己己千影については、学園でも一部の先生しか知らない。
生徒で知っているのは、僕くらいだ。
千影の前では敵も味方もない。
眼に映る全ての人間を破壊しないと止まらない。
目隠しさえしていれば無害だというのに……。
強すぎる上にまったく制御が利かず、
それでも有効な兵器だからどうにか手懐けようとして、
僕みたいな冴えない〝ともだち〟を触れ合わせている。
成果は、今の所ない。
1度だけ、千影が交戦している動画を見たことがある。
いや、それは交戦というよりは虐殺と言った方が近かった。
相手が何人いようが、近づけて殴る、近づけて蹴る。
それだけで動く人間はどんどん減っていく。
最後の一人が倒れた瞬間、千影の五体を縛る
首・手・足輪が反応して彼の身体に過剰な電流が流れる。
そして、立っているものは誰もいなくなった。
さっきの2人が他の人間と同じように一撃で沈むとは思えない。
しかし、基本は変わらないだろう。
「あ」
動画の映像を思い出していて気付いた。
交戦に入る前にそういえば千影は……。
怪訝そうな顔をしている藍に応える。
「そういえば、戦闘に入る前に千影が錠剤を飲んでた。
もしかして、
今回あいつらが使ってきたものと同じものなんじゃ……?」
「おい、本当か!」
浮足立っているのか、藍が僕のパーカーの締め紐を掴んでゆする。
首が締まった。
「く、苦しいよ。
……ごめん、やっぱり分からない。
千影を制御する為に飲ませてるもんだとばかり思ってたけど、
……どうだろう。
今回の件もあるし、二見先生に聞いてみればいいんじゃないかな」
「お前が知っていることを今すぐ全部吐け」
首を絞める手がさらに強くなった時、
僕の携帯端末のコール音が鳴った。
一拍おいて、藍の手が緩む。
呼吸を整えて、コールに出る。
呼び出し元は二見先生だ。
「げっほげほ、もしもし、綾人です」
『制圧が終わった、こちらもこれから戻る。
作戦は成功だとチームに伝えてくれ』
「終わった? もうですか!」
僕の言葉に車内の全員がぴくりと肩を震わせて驚いた。
端末を耳から話して時間を確認すると、
別れてから20分程度しか経過していない。
「そ、それで、千影は大丈夫ですか?
無事ですか?
あ、相手を……殺してないですか?」
『落ち着け。
千影は無傷で、相手も……損傷は酷いが生きてはいる』
「そうですか……よかった。
ほんとうに、よかった」
『こちらもこれから戻る。
今回の報酬は、はずむと伝えておいてくれ』
通話が切れる。
例のごとく、
「説明しろ」とでも言うように殺意を込めて藍が睨んでくる。
「作戦は成功。
とにかく全員生きてるらしい。
今回の報酬は弾んでくれるって話だから、
何かあれば二見先生に伝えればいいと思う」
後半は主に藍に向けて言う。
藍は、ふん、と鼻を鳴らしながら、視線を窓の外に移動させた。




