VS犯人
「二見先生、交戦の許可を」
『あ、ああ、許可する。
……さっきのアレだが、
恐らく仮面を固定化してパトスを増大させる薬だ。
気をつけろ。
それから撤退の心づもりもしておけ。
危ないようなら、すぐに千影を向かわせる』
首輪から聞こえる二見先生の声は、明らかに動揺していた。
「何とかしてみます。
千影の判断は、……出来るだけ遅らせてください」
言って、敵に向き直る。
敵は6人、こちらで相対できるのは3人。
心に声をかけて、余裕をもって後ろに下がらせる。
1人当たりで2人を相手にしなければならない。
捜査ファイルのNo1とNo3の生徒が藍に向かって、
僕にはNo2, No5の生徒が油断なく近づいてきている。
残りの2人は真だ。
僕は立ち止まったまま、額に手をあてて楽の仮面に切り替える。
敵は左右から取り囲もうとするように徐々に距離を詰めてきた。
どちらかにターゲットを絞って突っ込むことは可能だが、そ
の場合は心の元へ敵を辿りつかせるリスクが増す。
それは避けなければならない。
ただの一般クラスの生徒であれば、
力量差を利用して速攻で潰していく作戦も有効だ。
けれど、あの薬を飲んでから膨れ上がった彼らのパトスの波は、
簡単にはそうさせてくれそうもない。
自然、僕からは積極的に動けず、
向こうも向こうでこちらを警戒して早くも膠着状態に陥った。
先に焦れたのは、向かって右のNo5だ。
そちらの視線を切って、No2を見た瞬間に突っ込んで来た。
その動きに合わせて、No2もかぶさるようにして後ろから向かってくる。
繰り出される回し蹴りをかがんでかわす。
後ろ手にNo5の襟首をつかんでNo2に放り投げた。
No2は投げた敵を飛び越えて、体重のこもった拳をお見舞いしてくる。
これを片手の障壁で受けとめる……ことは無理だったので、
慌ててもう一方の手で支える。
がら空きになった腹部に蹴りを放ってくるが、
体勢の悪い状態での蹴りは障壁を作って防ぐ。
相手の足がつく瞬間を狙って腹部を殴りつける。
しかし、相手も障壁を張り、
多少後退させただけでダメージにはならない。
もっとパトスを込めないと有効打にはならないな……。
一瞬の思考と、正面のNo2に気を取られていた隙に、
その身体にさえぎられて見えていなかったNo5が左から顔をのぞかせて、
殴りかかってきた。
なんとかガードを合わせられたものの、
障壁の強度が足りず破壊され、叩き付けられた。
背中から倒れ込みながら、衝撃を殺さずにそのまま後転して立て直す。
好機と見たのか左右から挟み込むように敵が襲いかかってくる。
楽のパトスでは足りない……
僕は自分の中の怒りを呼び寄せて顔に張り付けた。
パトスの波が広がるのが自分でも分かる。
向かって左、心に近い方のNo5を迎撃する為に走る。
直線に放った蹴りは、No5が繰り出した障壁に遮えられながらも、
それをぶち破って多少相手に衝撃を与えて後退させる。
素早く足を引いて、No2から繰り出された蹴りを両手で防ぐ。
重い打撃だが、障壁が崩れるには至らなかった。
瞬時に障壁を消滅させ、相手の伸びきっている足を掴んで引き寄せる。
体勢が崩れた相手の顔面を利き腕で殴りつける。
相手のふいをついた一撃、
であるはずが咄嗟に掲げられた手に阻まれた。
昏倒させる為に打ち付けたはずのそれは、
眩暈を起こさせる程度にしかならなかった。
――相手のパトス量が多すぎて、攻撃が通りづらい。
僕のスタイルは、能力化して底上げした壊れない障壁で
相手の攻撃を阻んだり避けたりして、敵の力を受け流し、
体勢を崩させることを得意とする。
けれど、2人がかりの上に自分と同程度以上のパトスを
持つ相手というのはどうにも分が悪い……。
目の前で額を抱えているNo2を追撃しようにも、
既にNo5が援護に入っていた。
今までの経験から大振りをするのは危険だと察知したのだろう。
強いパトスを込めて、軽いジャブで牽制をしてくる。
ステップを刻んで避けながらも、僕は焦りを感じていた。
額から汗がこぼれ落ちるのを感じながら、
立て直した目の前の2人を見やる。
僕を警戒しながらも2人は小声で2,3会話を交えている。
『綾人、心にサポートさせる。
仮面のタイプはなんだ?』
「怒りです。
けど、それじゃ心が危険に……」
『心、怒りの結晶を綾人に渡せ。
綾人、何の為に心を連れて行ったと思ってるんだ。
それに長引けば人数で負けているこちらが不利だ。
さっさと潰せ』
視界の左端で走り寄ってくる心の姿が見える。
胸の前で組んでいた手を開くと、赤く輝いた宝石が現れた。
僕も全速力で心に近寄り、投げ出された宝石を左手でキャッチする。
「心、下がって!」
背後に向き直ると、2人とも既に近くまで接近していた。
駆け寄ってくるNo5の前足が浮いた所でステップを合わせて、
右手で殴りかかる。
刹那、
No5は嘲るように笑みを浮かべ、
僕の攻撃に両手を合わせて障壁を張った。
当然、両手で防がれれば僕のパトス量では相手の障壁を
破ることは出来ない。
張られた障壁に阻まれて、僕の右腕が宙で止まる。
No5の浮かべた笑みがより一層深まる。
右から近寄っていたNo2も同様に笑みを浮かべながら、
既に攻撃の態勢に入っている。
――なるほど、これを狙っていたのか。
片方が防御に徹して、もう片方が隙を見て攻撃する。
人数差を利用して、こちらの隙を作る。
即席でやったにしては、良い作戦だった。
このまま無防備に殴られるのは敵わない……
僕は左手に力を込めて、先ほど心から受け取った宝石を砕いた。
瞬間、僕の左手をまとうパトスが急激に勢いを増して膨れあがる。
左手をNo5に向けて放つ。
拳はNo5の障壁を易々と割りながら、腹部に吸い込まれる。
相手は、くの字に身体を折りながら受け身も取れずに後方へ倒れ込む。
目を白黒させながらも叩き込んでくるNo2の拳は、
しかし大した力が込められていなかった。
想定外の事態にパトスが薄れてしまったのだろう。
それを右手だけで受け止め、左手で相手の腕をがっしりと掴む。
「あああああああああああああ」
手の平に集まったパトスを込めて本気で力を込めると、
No2の腕は重く乾いた音を立てながら、あっさりと折れた。
手を抑えてうずくまる相手の後頭部を肘で思いきり打ち付けてやると、
煩い喚き声を止めて地べたに倒れる。
先ほど殴りつけたNo5の方に急いで視線を向けるが、
どうやら気絶したようで立ち上がってくる気配がない。
「2人、殲滅しました」
『真を手伝え』
すぐに応答が返ってくる。
視線を馳せると、残っている敵はたった2人になっていた。
藍は自分の担当を終えたらしく、真の獲物に標的を切り替えている。
真に焦点を向けて、駆けだす。
真は自分の能力で生成した戦斧で応戦していた。
訓練をしているとはいえ、真は経験の浅い非力な女の子だ。
持ち歩いている伸縮棒の先に、パトスで強靭な斧を生成してはいる。
けれど、その重さのせいで攻撃がパターン化してしまっている。
基本的に振り下げる型が多く、
遠心力を利用した振り上げも強力ではあるが、
外した時の隙が大きくなりすぎてしまう。
巨大な斧を振り下げて、振り上げる。
そのどちらも敵に避けられて、真は獲物を手放した。
咄嗟に防御の姿勢を取るが、
崩れた体勢で全てを防げるほど甘くはない。
真の小さな身体に敵の恒心の一撃が叩き込まれる。
真の障壁をぶち破り、致命傷を与えられるはずのそれは、
――しかし、僕が放った回し蹴りの方が速かった。
背後からの予想外の蹴りによって、敵の体躯は宙へ浮かび、
石柱にぶつかる。
そのまま、立ち上がることはない。
藍に目を向けると、
ちょうど相手の首筋にパトスのナイフを突き刺し、
そいつがまとっているパトスが霧散していたところだった。
無理やり体内に押し込まれた藍の憎しみにあてられて、
相手は膝をついて崩れる。
地下駐車場に立っている人間はもう4人しかいない。
「終わったみたいだな」
「真! 大丈夫?」
声に反応して視線を向けると、真は左腕を抱えて蹲っていた。
腕の部分の服が破れ、その下から痛々しい傷が覗いている。
最後の攻撃が……届いていたのか?
「真、大丈夫か! ごめん、間に合わなかったのか……僕のせいで」
「くっそ、ボクは一人もやれなかった!」
真を支配するのは痛みよりも恥辱だったようだ。
悔しげに歯を食いしばっている。
心は真の手を取り、ポーチから取り出した宝石を砕き、
その手で真の腕を優しく撫でた。
赤々と染まっていた肌の色素が薄くなり、多少、元の肌色を取り戻す。
「ふん、息巻いていた割に。
薬とやらも大した事ねぇな」
「藍!」
3人も鎮圧した藍からすればその通りなのだろう。
けれど、その言葉は真にとっては辛いものだ。
文句でもあるのか、と言いたげに睨み付けてくる藍、
僕はそれを真っ向から見据える。
……特に言い争うつもりもないのだろう、藍はすぐに視線を外した。
「二見先生、終わりました。
こいつらの回収の手続きをお願いします」
『分かった。
残りの2人が気がかりではあるが……、とにかく回収に向かわせる。
一応、気は抜かずに警戒しておいてくれ』
はい、そう同意しようとして。
地下駐車場に足音が響いてくるのが聞こえた。
カツカツカツと、複数の音が木霊する。
目を向けると、残りの2人
――元孤児院所属で僕らのクラスメイトである
七枷と七瀬がこちらに向かって歩いてきていた。
「きゃはは、なんだよ。
『孤児組には力を借りない』、
なんて大層な事を言っておきながら、1人もやれてないじゃん。
ねぇ、七枷」
「憐みすら誘うね。
薬の恩恵を受けてもこの程度だなんて。
ねぇ、七瀬」
「まーでも、仕方ないかもね。
彼ら、僕ら孤児組を特別待遇だなんて呼んでたけど、
僕らなんかよりもっと特別待遇な綾人チームじゃ、
相手が悪かったのかもね」
「素面の状態で勝負してみたいが、
薬の効能確認を優先させろと言われているからな。
残念だ」
残りの2人は、本当に攫われたんじゃないかと思っていた期待は、
敢え無く散った。
明らかにこちらに敵意を向けて、
取り出した薬を飲む元第7孤児院所属の彼ら。
シニカルな笑みを浮かべる2人のパトスは、
薬の影響で禍々しいほど強大に膨れ上がった。




