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首輪付きの奴隷 - チートな彼女と僕 -  作者: 桐原 冬人
1章 孤児院の子どもたち
1/37

僕と知枝 (綾人視点)

綾人あやとー、もうちょっとで終わるー」

 知枝ともえが間延びした声で呟く。

 当初に浮かべていた楽しそうな表情は影も形も無い。


 愚痴りながらも目の前のサンドバックを蹴り飛ばす。

 すると、それは重い響きをたてながら跳ね上がった。

 小学生の女の子が繰り出したにしては、ショッキングな膂力だ。


 知枝は機械的に身体を動かして、サンドバックを宙に躍らせ続ける。

 左右対称に二つ結びにされている栗色の髪の毛が流れるように翻った。

 演舞のように調和がとれていて、恰好良い。


 僕はといえば、訓練室の隅。

 ――ひやりと冷たい地べたに体育座りして、

 その光景をぼんやりと見守っているだけだった。


 ひとしきりサンドバックと踊り続けた知枝は、

 清涼な汗を流しながら動きを止めた。

 今日のノルマは終わりらしい。

 いつもより幾分か訓練の時間が短い気がした。


 始める前に知枝が纏っていた、パトスと呼ばれる感情の波。

 それは、今や知枝の身体の表面にうっすらと余韻を

 残す程度にまで小さくなっている。


 一仕事を終えた知枝は、

 壁にかけたタオルを手に取ってこちらに近づいてくる。


「綾人もやれば? 気分がすっきりするよ」

「僕は良いよ。やり方が分からない」


 重くて丈夫なサンドバックは、

 無表情で能面な僕が叩いてみたところで、何も起こらない。

 思いきり殴れば、僕の手が粉々になるだろう。


 アレは感情で訴えかけることなしには、まったく動かせやしないのだ。


「私が教えてあげるよ。最近、コツ掴んできたから!」

 知枝は、先ほどの間延びした気だるげな表情は消え失せ、ふふん、

 と誇らしそうな顔をした。


 コツを掴んだ、というのはあながち嘘ではないのかもしれない。

 あれだけパトスを出し切ったのにまだ表情を浮かべられるのだから。


「ほら、どうするの? やるの、やらないの?」

 知枝は既に傍らまで来ている。

 座っている僕は自然と見上げる形になった。


 表情には不機嫌そうな小さな怒りを浮かべている。

 知枝のパトスの波が大きく揺らめいた。

 コロコロと変化する知枝の表情。

 

 僕が知っている限り、

 なんのトリガーもなく仮面を切り替えられるのは彼女だけだ。

 普通は、顔に手をあてたりして切り替える。


 彼女みたいに、強い情動の変化も無く、

 額に手も触れずに一瞬で表情を切り替えるなんてできっこない。


 だからこそ、彼女から教わるなんて無理な話だ。

 彼女は特別で、僕もそれとは違った意味で特別だから……。

 僕は、教師たちから仮面の切り替え方も、

 パトスの制御方法も教えてもらえない。


 厳密には、教わってもまったく理解できず、匙を投げられた。

 つまり、落ちこぼれなのだ。


 昔は、怒ったり憎んだりもしたりもしたけれど、

 そのたびに教師たちに仮面をひっぺがされたり取り着けられたりした。

 その内、着脱時のあまりの激痛に感覚が摩耗していった。


 感情を表に出さなければ、痛い思いをしない。

 僕は一つの処世術を知った。


「無理だよ。誰に教わっても何もできなかった。それに二見先生も」

 数いる教師の中で保険の二見君子先生だけは尊敬している。

 僕たち子供と親身になって真剣に向き合ってくれるからだ。


 でも、その二見先生ですら僕の無表情を変えることはできなかった。


「そう? でも、私ならできるかもしれないよ。

 みーんな下手だからできなかったんじゃないの?

 私は特別だもん。

 上手な知枝ちゃんが教えれば、綾人もできるようになるよ!」


 何の根拠も無いのに、既にできるようになるかのような口ぶりだった。

 尊敬する二見先生を馬鹿にされた気がして、

 これ以上、知枝の話を聞きたくなくなった。

「遠慮する。……別にできなくたって良い」


 立ち上がって出口へと向かう。

 部屋の隅では監視カメラがひっそりと映像をため込んでいる。

 まだ少し時間が早いけれど、

 知枝の訓練は終わったみたいだし良いだろう。


「興味あるくせに」


 楽しそうな響きをのせた言葉を耳の端で捉えながら、

 僕は訓練室を後にした。



//



 知枝の演舞は、日に日に時間が短くなっていった。

 しばらく暴れると地べたに座り込み、

 目をつむってそのままずっと動かなくなる。


 最初はその異様な光景に眉をひそめもしたが、もう慣れた。

 退屈だったので僕も空想にふける時間が増えた。


 知枝の『興味あるくせに』という声が頭の中で繰り返される。

 ちょっと油断するとすぐに頭の中に降ってくるのだ。

 興味なんてあるもんか。


 それに、僕にはできっこないんだ……。


「戻ろう?」

 突然声をかけられたので、

 びっくりして目を開けると知枝が傍らにいた。


 差し出された手を握る。

 同い年の少女のどこにそんな力があるのか、

 腕の力だけで引きあげられた


 立ち上がっても手を離そうとしない知枝をいぶかしんで問う。

「なに?」

「なにか、感じる?」

 言いながら、握りしめたままの手を僕の目の前に持ち上げた。


 知枝の手を透明なパトスの波が包んでいる。

 その波は僕の手をも包み込み、

 ともすれば僕がパトスを発しているようにも見えた。

 ……そんなこと、ありはしないけれど。


 視線を戻して知枝を見る。

 どう? とでも言いたげに知枝は小首をかしげた。


「あったかい」

 ぶっきらぼうに答える。


「他には? 何かない?」

「……リズムがある。大きくなったり、小さくなったり」


 知枝はきょとんと目を丸くしてから、目をつぶって沈黙した。

 何事かと見ていると、

 知枝の身体を包んでいるパトスが目に見えて拡大と縮小を繰り返した。


 まるで生き物のように脈動する。


 どくん、どくん、どくん。

 心臓の音でも聞こえてきそうだ。

 そうしてパトスを揺らがせた後、

 知枝は目を開けてにっこりと目じりを下げて笑った。


 そのまま何も言わずにくるりと旋回して出口へと歩き出す。

 僕の手を握ったまま。


「おい、なんなんだよ!」

 訳が分からないまま、大声をあげる。

 手を離してくれないので、引っ張られていく形になる。


 知枝は答えず、のんきに鼻歌なんか歌いだしながら歩みを続けた。



 部屋に戻る途中の廊下で、

 見覚えのある同級生にばったりと鉢合わせした。

 昔、僕の相部屋だった3人だ。

 背丈の一回り大きいノッポが僕たちの進路を遮る。


「よう、綾人。久しぶりだな。元気か?

 お前、こっちの授業に来ねーからよぉ。

 全然見かけないし、また引きこもって泣いてんのかと思ってたぜ」


 その言葉に、一人は心配そうな表情、

 もう一人は発言に同調して嘲るような表情を浮かべる。


「女なんかと一緒におてて繋がないと部屋から出られないのか?

 そんなんだから怪我なんてすることになるんだよ」


 僕は無視して通り過ぎることにする。

 言葉なんて何の役にも立たない。

 相手が聞く耳を持っていなければ通じもしない。

 僕が〝ここ〟で一番弱いのは明らかだった。


「ねえ」


 知枝の小さな呟きが廊下に流れる。

 繋いでいた手のひらはぬくもりを失い、どんどん逃げ出していく。


「自分の感情もまともに制御できないヤツが何を偉そうにしてるの?

 アンタみたいな恥ずかしいヤツこそ、

 部屋から出てきちゃいけないんじゃないの?」


「ハッ! 何言ってんだ。

 制御できないって言うのは綾人みたいなヤツのことだろうが」


「綾人はパトスを外に出せないだけ。

 アンタは感情を制御できない所か、暴走させて人を傷つけるクズよ。

 一緒にしないで」

 淡々と言葉を紡ぐ無機質な知枝と、徐々に怒りを帯びてくるノッポ。


「優等生だからって調子に乗ってんじゃねーぞ!」

 声帯を震わせながら、手を顔に近づけようとして、

 ……傍らの気弱そうな少女が止める。


「やめた方がいいよ。また独房に……」

「うるせぇ!」


 少女は突き飛ばされて尻餅をついた。

 その光景を見て、知枝はパトスを大きく揺らめかせる。

 表情を怒りに切り替えていた。


「知枝、やめろ」


 力を込めて知枝の手を引っ張る。

 知枝は、はっとしたようにこちらに向き直り、

 一瞬後、表情と肩に入った力を和らげた。


 パトスの波が引いていくのが目に見えて分かる。


 さらに腕を引くと、あっさりと知枝はついてきた。

 けれど、ノッポがそれを許さない。

 彼は既に仮面を切り替え、怒りの表情を浮かべている。


「お前も綾人と同じように大怪我させてやるよ」

「できるわけがないでしょ。私は特別だから。

 誰も私に怪我なんてさせられない」


 言葉には気持ちなんてこれっぽっちも籠っていなかった。

 ただ事実をそのまま口にしているだけ、とでも言うかのように。


 しかし、その言葉を嘲りと取ったのか、

 ノッポはパトスを腕に込めて知枝に殴りかかった。


 ……それをなんでも無い事のように、知枝は片手で受け止めた。


 まるで宙に固定されたかのような自分の拳を見てノッポは呆ける。

 が、すぐにさらなる怒りを拳に込める。


 それでも、2人の間の空間は1mmだって動きはしない。

 ノッポが弱いのではなく、知枝が強すぎた。


「私は特別なの。これで分かった?」


 見る見る内にノッポの拳に集まった怒りの波が霧散していった。

 表情はまだ怒りをたたえているが、先ほどまでの激情は見る影もない。


「おい、お前ら。なにをやってるんだ!」


 間が良いのか悪いのか。

 気まずい沈黙を破るように教師が駆け寄ってくる。


「さぁ、いこう? 綾人」

 知枝の手に引かれて、歩き出す。

 眼前に迫った教師に対して言い訳を考える。


 しかし、教師はすれ違いざまに僕たちをちらりと見ただけで、

 特に何も言わなかった。

 廊下に残された3人へと一直線に向かっていく。

 教師はノッポを殴りつけて、どこかへ連れて行く。


 廊下の隅にある監視カメラが僕たちのことをじっと見つめていた。

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