表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂を泳ぐ  作者: 一色
3/3

「私は翡翠(かわせみという」


 ほろほろと燐光を零しながら、翡翠は魚の手を弄び言った。


「ここでは長いこと仕事をしているけれど、君のような人は初めてだよ」


 知らない人の手を取ってはいけないと、君は教わらなかったのかい? 

 なにがおかしいのか、彼は始終笑っていた。薄い羅をシーツ代わりに纏って、さながらよく出来たお人形のようだ。シーツがこすれるに合わせ、長い髪が四肢を覆っている。波打ち弛む先で、鉄臭いにおいが染み込んでいく。煙草の甘いにおいが、濃く迫ってくる。

 

 頭の端から侵される明晰夢のような光景に、ぐらぐらと内が沸き立つ感覚を覚えながら、それでも魚の心内は凪いでいた。この夜のようなひとは、いったい私に何を求めるのだろうか。


「ふふ、細い指だね・・・でも骨は太い。あぁ、太腿には肉があるね。へぇ、甲にかけて傷ひとつないんだ・・・いい脚だね」


 うん、素敵な身体だ。翡翠はかがみ込んで、魚の腹を割った。へその触れ、くぼみのふちを冷たい感触がなぞる。


「とても、うらやましい」


 妬ましいと嗤って、翡翠が魚を啄ばもうとしたときだ。


「はいそこまで!」


 甲高い声が飛び込んできた。


「もうもうもう! だめですようつまみ食いなんて! 

 ハイエナだってもちっと紳士的ってもんですよ!」

 丸めた背を起こして、翡翠は不機嫌な顔を作る。


「・・・なんだよ、べべ。おまえ、僕の邪魔するっていうのかい?」


「いやいや、そんなつもりは毛頭ございませんよう! 

 でもでもですよう? 

 この街一番の花が下品とあっちゃあ、この店の存続に関わるのです!

 わたしまだ仕事なくしたくないので!」 


 姦しく駆け寄ると、パンパン、っと手を打った。暗がりの隙間から数人の人間が出て来て、手際よく死体を片付ける。べべと呼ばれた青年は、掬い上げるように魚を抱きこむと、翡翠に断った。


「ほらほらお仕事してくださいね! これはちゃんと籠に入れときますから!」



 幾つかの天幕をくぐり、日除けのない一角にでた。ずいぶん陽が傾いてきたらしい。橙色に空が燃えていた。


 半ば崩れかけた石畳の上に魚は放り投げられる。ごろん。そのまま竹を編んだ籠が覆いかぶさってきた。


 格子状の影の向こうで、べべはにんまりと顔に弓をつくった。


「可愛いかわいいニワトリちゃあん、あんたはどこのお客かな?

 花にはしては貧相だし、丁稚にしちゃあ礼儀がない。

 卸したての奴隷ってとこだと思ったが・・・」


 細く、ほそく弓がしなるようだ。耳に障るような道化の声を真似て、青年は魚を暴こうとする。けれども魚の瞳はどこまでも凪いでいて、一向にその真を掴ませない。


「まぁなんだっていいさ、翡翠が気に入ったのならなんでもいい。


 しばらくここでおとなしくしとくんだな」


 絞めるにはまだ陽が高すぎるからね。そう言うと、べべは久しぶりの宴だと声を立てて笑った。竹格子の向こうから、爛々と光った目がいくつも近づいてきた。その中にはとても気の毒そうな色をしていたが、やっぱり堪え切れぬとばかりに弾む息をついている。


 空の端で、赤錆と菫色が滲んでいた。

 

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ