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白い花の歌  作者: タク
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4.兆し

 その日の夜遅く、ステルラの西側に広がる騎士館の一室で、ヴェルナーは考えていた。

 机の上に置かれた小さなランプが、おぼろげに彼の手元を照らす。

 そこには、あるリストがある。先日、総騎士長ダミア=ガルシアから分隊の隊長に渡されたリストである。

 ヴェルナーは苦々しく、リストの端を握りつぶした。そのリストの中の、ある男の名前。それを、どうしても納得することができないのだ。


*****


 再会の翌日、リリーは街の観光に付き合ってくれた。

 西側に広がる大きな館は、「騎士館」と呼ばれる騎士たちの居館なのだという。

 黒い鉄柵で隔たれた向こうに広々とした庭園があって、灰色の石造りの騎士館は、その真ん中にずっしりと建っていた。

 庭園には、まだ十代前半であろう少年たちが、楽しそうに走り回っていた。

「あれは見習いだな」

 リリーが言う。

「見習い?」

 僕が問うと、後ろからマロリーさんが答えてくれる。

「騎士たちは、数年の騎士見習いを経て、叙任式を経て正式に騎士となるのです。ここステルラは、他の騎士団よりもずっと見習いの数が多いと聞きますよ」

「伝説の騎士が生まれ育った街だからな」

 リリーが付け加える。

 ナツさんが言っていたことを思い出す。この国の始まりとなった騎士が育った街。そんな街だからこそ、騎士を目指す少年たちが集まる。

 昼食には、大きな肉の塊を豪快に刺した串焼きを食べた。こんな食べ物は、コルファスではおおよそ見られない。上手に食べられず、子どものように顔や手をべとべとにしてしまい笑われた。

 リリーは何度も僕の名を呼んだ。それが耳に柔らかく響くものだから、どうしたものか困ってしまう。

 歩き回るうちに、建物の群れを抜けた。開けた岸壁の向こうに、水平線が見える。海かと思ったが、どうやら湖であるらしい。

 ――そこは、墓地だ。

 風に吹き上げられて舞う白い花びらが、死者への手向けのように見えた。その一つ一つに、かけられる思いがあるような気がする。死者の、そして、残された者の。寥寥としている。僕は目を細めてその光景を見る。

 岸壁の端には、教会があった。教会を囲む銀色の柵は、鎖で封じられていた。理由を問うと、リリーは少し困ったような顔をする。

「三年前まではな、神官もいたのだそうだ。でも、ある方がここで亡くなった。それで……、誰もここで祈れなくなってしまったのだろう」

 そう話す彼女の横顔が、風景に混ざり合う。これ以上聞かない方がいいのかとも思ったが、しばらく迷って、僕は聞いた。

「誰が、亡くなったの?」

 リリーは静かに僕を見た。そして、うつむく。

「前任のステルラ公だよ」

 うつむいたまま、ほほ笑む彼女の顔には、寂しさがにじむ。

「国王陛下の妹君で、私の叔母だ。……大好きだったよ」

 そう言って、彼女は遠く、空を見上げる。もうそれ以上は聞かなかった。

 かつてのステルラ公、この地を国王から預かり、治めた人。リリーが大好きだったというその人は、どんな人だったのだろう。




 その夜、リリーの部屋に来客があった。

 僕はそのとき、彼女の部屋にいた。温かいワインを飲みながら、取り留めのない話をしていた。そんな中で、扉は静かにノックされた。

「ウーゴ殿に気付かれたか」

 リリーはつぶやいた。マロリーさんが扉へ近付く。

 彼は一日のうちで、あの黒いマントを脱ぐときがあるのだろうか。役職はリリー付きの内務執政官であるらしいが、ほとんど護衛も兼ねているのだそうだ。

「どなたでしょう?」

 マントに得物を隠しているとは思えない、穏やかな声でマロリーさんは問う。

「昨晩お目にかかりました、ステルラ王国騎士団第一分隊隊長、ヴェルナー=ウルブリヒトです。内親王殿下にお目通り願いたい」

 マロリーさんがリリーの方を見やる。リリーも少々驚いたようだった。

 王族でありながら、スタウィアノクトという辺境の地を治める彼女は、人々にあまり顔を知られていないのだという。

 マーンカンパーナでも国衛軍の変装をしてはいたが、顔を隠してはいなかった。この街でも、マントをかぶる以外は堂々としたものだった。

 マロリーさんはとぼけた調子で言う。

「はて、何のことでございましょう?」

 扉の向こうの声は食い下がる。

「どうしても!お願いしたき儀がございます!どうか!」

 マロリーさんは再びリリーを見る。

「構わんよ」

 リリーが言うと、マロリーさんは扉を開けた。ヴェルナーさんは深々と頭を下げ、部屋に入ってきた。

 昨日の夜とは違って、彼がまとう空気は重たい。表情も心なしか暗く見えた。

 彼はまっすぐリリーの前へ進み、片膝をついた。

「どこかで会ったか?」

 リリーは椅子に掛けたまま、顔をヴェルナーさんの方へ向けて尋ねた。

「いえ、ですが、そちらの方が“何番か”と問われましたので」

「それだけで?」

「先のステルラ公、マリア=ウェルグローリア内親王殿下と同じ髪と目、あとは……、直感です」

「直感?」

 リリーは目を丸くした。そして、ヴェルナーさんの後ろに立っているマロリーさんを見やった。マロリーさんは首を傾げた。一呼吸おいてから、リリーは声を立てて笑った。

「さすがはリヒャルトの孫だな」

 そう言うと、彼女の笑い声は、少しずつ細くなり、ゆっくりと閉じられていく。

「惜しい男を亡くした……」

「……大往生にございます」

 ヴェルナーさんはほほ笑んだ。ただ、大往生と言いながら、その顔には、未だ乗り越えられない喪失が窺える。

「それで、何か私に用か」

 リリーの問いに、ヴェルナーさんの表情が硬く、暗くなる。

「王国議会の作成したリストをご覧になりましたか」

「知らん。何だと?」

「ローク様の反逆に伴った者と、同じ境遇にある者の名のリストです」

「……つまり、反逆の疑いがある者のリストか」

 テーブルに置かれたリリーの左手が、ぴくりと反応した。

 マーンカンパーナでの一件が思い起こされる。そして、ジェロームが話していた、ローク=ウェルグローリア、つまり、リリーの兄が反逆者として捕まったという話。

「かつて、ステルラ王国騎士団の副騎士長を務めたトーマ=ウルストンクラフトをご存知ですね」

 リリーは表情を険しくする。左手が、固く閉じられる。

親衛隊(ジェネスペルビア)の小隊長であったトーマを、ステルラ王国騎士団第一分隊の長に推薦したのはあなただったと聞きました」

「……子どもの戯言にそんな話を父上にしたが、決めたのは国王陛下だ」

「ですが、トーマはそう申しておりました」

 ヴェルナーさんは、遠い記憶を懐かしむようにほほ笑んで言う。

 しかし、ほほ笑みは一瞬で途絶え、うつむいてしばらく沈黙した後、言った。

「トーマの名が、リストに載っています」

 彼は努めて平静を装っていたが、その声に、見開かれた目に、苦渋の色が見える。

「三年前、タグヒュームの悲劇の後、トーマは王国騎士団を去りました。あの悲劇によって、深く傷付いたことも確かです。ですが、あいつがこの国を、いえ、主君たるウェルグローリアを、裏切ることなどできようはずもないのです」

 ヴェルナーさんの言葉は、徐々に熱を帯びる。

「何を、根拠に?」

 その熱を受け流すように、リリーの声は静かだった。

 ヴェルナーさんの表情は固く、床につけられた拳がわなないている。

 逡巡の後、彼は両目を伏せ、うつむいて言った。

「殿下、本来あってはならぬことと、私も重々承知しております。ですが、もう、どうあっても叶わない。どうか、憐れみに……」

 僕はリリーの横顔を見る。顔を伏せたヴェルナーさんにはわからなかっただろう。リリーは彼を悲しげな目で見つめていた。これから彼が話そうとしている全てを、すでに知っているかのように。

「マリア=ウェルグローリア内親王殿下と、トーマとは……、恋仲にあったのです」

 これには、話にあまりついていけていない僕も少し驚いた。

 王国騎士団の副騎士長と、リリーの叔母、王の実妹である前任のステルラ公。

 それは、身分違いの恋だ。

 王族の血に臣下が触れることは、確かに「本来あってはならぬこと」だった。

「君はそれを知っていたのか」

「はい」

「そうか……」

 リリーは深く息をついて、天井を仰いだ。

 その顔は青白く、表情は悲しみを押し殺すようで、夜の灯りに照らされてなお美しい。そして、彼女はうつむいたままのヴェルナーさんに顔を向けると、聞いた。

「釈明はしないのか?」

「そっ……」

 ヴェルナーさんは顔を上げた。一瞬、うろたえたようだった。彼女の表情が、彼の予想に反していたためだろう。

 リリーは悲しそうに、しかし優しげに笑っていた。ヴェルナーさんは口の端をぐっと結び、その顔から、今度は目を背けずに続けた。

「何も申しません。トーマがマリア内親王殿下を愛したことも、私がそれを黙っていたことも、それで裁かれるというのであれば私は、トーマも、構いません、きっと。ただ、トーマは反逆者ではありません。できるはずがない。亡くなられたマリア内親王殿下を心から愛すればこそ、そしてあの方がもうこの世におられない以上―――」

 その顔が、ぐしゃりと歪む。

「トーマは絶対に、あの方を裏切れはしない。だから、どうか」

 そう言い切って、ヴェルナーさんは立てていた片方の膝をも折って、頭を床に押し付ける。

「どうか!」

 しばらくの間、沈黙が流れた。

「それで君は、私に何をせよというのだ」

 リリーが問うと、ヴェルナーさんは顔を上げる。

「トーマを引き止めていただきたいのです」

 彼は強く、リリーの目をしっかりと見てそう言った。

「引き止める?」

「もしも疑われていると知ったら、あいつは自分を投げ出すかもしれない。マリア内親王殿下が亡くなって、王国騎士団を出て行こうとするトーマを、私も、祖父も、皆止めました。でも、止められなかった。おれたちではだめだったんです。でもあなたなら、あなたが言えば引き止められるかもしれない。王国騎士団に戻ってこられなくても、おれはあいつに、自分を投げ出さないでほしいんです」

 ヴェルナーさんは唇を噛んだ。とび色の目が、あふれ出しそうになる感情を堪えるように震えている。

「おれは、トーマのおかげで騎士になれたんです。トーマに出会うまで、ただ祖父の名を汚すばかりの、わがままなだけの乱暴者だった。おれは、本当にあいつに世話になったから、あいつが自分を投げ出して終わるなんてこと、それだけは絶対に、絶対に嫌なんです」

 ヴェルナーさんの口調は、声が熱を帯びていくのに従って崩れていった。

 彼が話し終えると、リリーは何事かを考えるように沈黙した。しばらくして、つぶやくように言う。

「……ユリエル殿の狙いは、これか」

「そのようですな。そうした命が下されているのなら、行き場をなくした者が、トーマ殿のみならず、姫様を頼ってくることはあるやもしれません」

 リリーはマロリーさんの顔を見やる。

 先ほどまで、寂しく、儚げだった横顔は、今はあらゆるものを呑み込む王者の風格を漂わせる。艶然と、リリーは笑った。

「しかし、あの男が私に目を付け、侮りと共に私に、あるいは我がスタウィアノクトに放ったウサギに痛手を食うほど、私も、我が領民たちも易くはない」

 マロリーさんが、穏やかに目を細めて「左様で」と応じる。

「とはいえ、実際にトーマ殿の名を記したリストが下されているとなると……。王国議会の命は、すなわち国王陛下の命ですからな、背くわけには参りません」

 ヴェルナーさんが、顔を強ばらせる。しかし、リリーはたじろがない。

「背くも何も、私はリストのことなど知らん。ただ、探していた男の居所をつかんだだけだ」

 いたずらっぽく笑う彼女に、マロリーさんは肩をすくめる。

「私はただ、姫様の御心のままに」

うやうやしく礼をする彼に、リリーはふん、と鼻を鳴らす。そして、ヴェルナーさんに向かってはっきりと宣言した。

「トーマ=ウルストンクラフトをスタウィアノクトに迎えるぞ」

 彼はそれまで、息を詰めるようにして二人のやりとりを見守っていた。唇を噛み、大きく見開いた目をリリーから離さないまま、しばらくして、絞り出すように言った。

「……トーマを、信じて、くださるのですか」

 リリーは小さく首を傾げる。

「信じないと思って来たのか?」

「一縷の望みを懸けて参りました。トーマを逃がすだけなら、一人でも出来るかもしれない。でも、そうなればあいつは一生、追われる身だ」

「君もだが」

「……そうですね」

 ヴェルナーさんの顔に、やっと安堵の色が滲む。彼は眉を下げ、頬をほころばせた。

「……あれは私に最初に忠誠を誓った、最初の臣なのだよ」

 その一言は、穏やかではあったが重く、どこか、寂しそうにも聞こえた。

「だが、急がねばならないようだ。王都からの尾行は撒いたと思うが、ステルラにせよ、ウェクシルムにせよ、騎士団がトーマを捕らえてしまえば手が出せん」

 ウェクシルム、といえば東方の騎士団を擁する街だったと記憶するが、口を挟んで尋ねられそうにはない。

「ウェクシルムとなると、一層難しいことになりましょうな。ヴェルナー殿、トーマ殿の居場所はご存じで?」

「……螺旋山の麓、ルドビルに」

「ウェクシルムとステルラの領地の境だ。どちらからでも手が出る。しかも、反逆を疑われる者が身を置くには、それだけで具合の悪い……」

 リリーはテーブルに肘をついて、難しい顔をしてこめかみを親指で押さえる。

 ルドビルという名前は知らないが、螺旋山なら知っている。神代の山。神輝の力を持ち、知性を持たない、本能に生きる獣たちが住まう山。

「明日にでも、ルドビルに向かう方がよろしいようですね」

「ああ。だが、爺。君はスタウィアノクトに戻れ」

 リリーはこめかみから指を離して言った。その途端に、マロリーさんが猛禽の気配を放ち始めた。背後から漂う不穏な気配に、ヴェルナーさんが肩を縮めた。

「何をおっしゃいますか。ルドビルは無法の町にございますよ」

 口調は変わらず丁寧だが、地を這うような声が恐ろしい。僕は思わず姿勢を正し、何もない床の一点から視線が動かせない。

「怒るな。私がゴロツキどもに手を焼くと思うのか?」

「そういう問題ではございません」

「情報を集めねばならん。そうだろう。奴の身を隠すだけでなく、潔白を示そうとするのだから」

「しかし……」

「では、おれが一緒にルドビルに行くのであれば?」

 ヴェルナーさんが言った。

 マロリーさんはひょいと片眉を上げた。彼はその案に賛成のようだったが、リリーは呆れたように彼を諫める。

「君はステルラの騎士だろう。下された王命に従え」

「お忘れですか」

「何をだ?」

「おれは、リヒャルト=ウルブリヒトの孫ですよ」

 ヴェルナーさんは両手を広げ、悠然と笑って言った。その名が出た瞬間に、リリーは苦々しげに口を結んだ。

「あなたは危険を冒さなければならないはずだ。それを、あなたに望みを懸け、助けを求めたおれが見過ごしていいはずがない」

「……もともとトーマを連れ出すつもりだったのだ。君に言われなくとも……」

 リリーはぼそぼそと反論するが、ヴェルナーさんは笑って首を左右に振る。

「ステルラ王国騎士団に属するがゆえでもなく、ウルブリヒトの名によってでもなく、この志、魂ゆえに、騎士であればいい」

 よどみなく、そう言い切る。とび色の瞳は、一切の嘘を許さないかのようだ。

 強く、惹き付けられる。

「……僕も、一緒に行っていい?」

 僕がそう言うと、リリーは思わず立ち上がって語気を強めた。

「君まで何を言うんだ?私の用が済むまで待てると言っただろう!いや、爺と一緒に先にスタウィアノクトに……」

「行きたいんだ」

 僕は彼女に満面の笑みを向ける。彼女は呆気に取られ、口をぱくぱくさせる。

「それに、僕がいたら、君も無茶はしないでしょ?」

「無茶だと?私がいつ……」

「いつもにございますよ」

「爺!」

「一年前も」

「君……」

「置いていかれても、たぶん付いていくけど」

「……、……、……っ」

 ヴェルナーさんが小さく肩を揺らしている。それを睨んで、リリーは椅子についた。睨まれたヴェルナーさんは、わざとらしい咳払いをして、居住まいを正す。

「ああ、もう、勝手にしたまえ。ただし、ヴェルナー、君は休暇をとるのだ。何が君を騎士とするのだとしても、騎士団を辞めるようなことは、断じて許さん」

 ヴェルナーさんは、ただ笑んだだけだった。

「騎士の魂の全てを以て、殿下をお守りします」

 彼はリリーの手を取り、そう言った。



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