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白い花の歌  作者: タク
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第二話

 鈴樹と瞳真が王城へ入るのを、出迎えたのはトビーだった。真っ直ぐと伸びていた背は少し曲がり、片手に杖をついている。鈴樹の顔を見つけると、穏やかに、目を細めて笑った。

「爺!怪我の具合はどうだ」

 馬を降り、瞳真に手綱を預けて、鈴樹はトビーのもとに駆けよった。

「ほほ、この通り、なんとか歩けるようにはなりましたよ。少々、不恰好ではありますが……」

 トビーは、杖をついた手をぽんぽんと叩いて言った。鈴樹は眉を下げる。

「杖の一つや二つで不恰好などということがあるものか。スタウィアノクトの老人たちに笑われるぞ?」

 トビーはまた、「ほほ」と笑う。スタウィアノクトの老人たちには、杖をついていても、いざとなれば杖をかなぐり捨てて走り出しそうなほど、強かだ。

しかし、そう言いながら、鈴樹はうつむいた。そして、丸くなったトビーの背を抱く。幼いときから、鈴樹を守り、導いた老人は、鈴樹の背を、そっと撫ぜる。

 馬を馬丁に預けて、瞳真が戻ると、トビーは厳しい目で、彼を見た。瞳真はその目線を受け取る。その意味はわかっている。そっと、目礼した。

「さ、姫様。叙任式の準備は進んでおります。各地から諸卿も続々とお集まりですよ」

 トビーは鈴樹の背をぽんぽんと叩いて言う。

「ああ、そうだな……」

 鈴樹はトビーから体を離すと、深く息をついた。そして顔を上げる。この先に一歩踏み入れば、一切の油断は許されない。

「メルウィル卿は?」瞳真が尋ねる。

「到着は夜になるそうですよ。エクトル殿もご一緒とのことです」トビーが答える。

「そうですか……」

 瞳真はわずかに眉を寄せる。今のステルラの状況を思えば、そうなるだろう。

「迅殿はスタウィアノクトに?」トビーが尋ねる。

「ああ、彼はこういう場には向くまい。いたずらに敵を作られてはかなわんからな」

 笑いながら、鈴樹は言う。こういうときの彼女の笑みは、兄のそれとよく似ていた。しかし、それが今、瞳真の胸をざわめかせる。

タグヒュームの発端となったアレクセイ=ライティラも、かつては忠臣だった。その血を引き継ぐ雷羅もまた、絶対的継君と称されながら、反逆者となった。そして、彼に瓜二つの妹――、それを因果めいて考える者がいるのだ。

 城に入ると、すれ違う者は皆、鈴樹を見て頭を下げる。その中に、冷ややかな懐疑の色が見え隠れする者がいる。

「二度と、二度と過ちはしない……」

 鈴樹の細く、華奢な背を見ながら、瞳真は拳を握り、つぶやいた。



 国王への挨拶を済ませ、日が沈むと、鈴樹は城内の聖堂へと移動した。そこで一人、夜を明かさなければならない。頼りない蝋燭の明かりは、聖堂のすべてをつまびらかにはしない。鈴樹は一歩一歩、石畳の身廊を歩く。その後ろ姿が暗闇に溶けていくのを見送って、瞳真が聖堂の扉を閉める。彼もまた、扉の前でそのまま一晩を明かすことになる。

 扉が閉まる音に、鈴樹は小さく息をついた。そこにいるのは、彼女一人きりだ。

 ゆっくりと、おぼろげな光を頼りに歩を進める。内陣へ続く階段を上ると、祭壇には、一本の剣が横たわっている。

「エドガー=ウェルグローリアの剣……」

 鈴樹はそっと、手を伸ばす。錆びついた細い鎖が巻かれた剣の柄、焼けついたように赤味がかった鈍色の剣身、黒く塗られた剣身の溝には、何か文字が刻まれているように見えるが、読むことはできない。

 不意に、同じようにその剣を見る、兄の姿が浮かんだ。

 ――兄上、どんな、思いで……?

 鈴樹は唇を噛む。締め付けるような痛みに呼応するように、蝋燭の炎が微かに揺れた。




「……どーも」

 瞳真の前に、エクトルがぶらりと現れた。

「ああ」

 瞳真がおざなりに返事をすると、エクトルは含み笑いを浮かべて、肩をすくめた。

「余裕がねえなあ。そんなことで大丈夫ですか?」

「余計なお世話だ……。メルウィル卿はどうした?」

「マロリー伯と話してますよ」

「そうか……」

 瞳真は眉を寄せる。エクトルは、聖堂に続く石のトンネルの影に腰掛ける。そのままそこに腰を据える様子に、瞳真は少し、安堵する。

「ステルラはどうだ?」瞳真が尋ねる。

「ああ……、まあ、段取りとか、そういう細かいことはおれよりもマリノの方が得意なんで、任せてきました」

「……だろうな」瞳真は小さく笑う。

「失礼だな」

 二人の間に、夜の冷たい風が吹き抜ける。外灯の炎が大きく揺れた。

「おれたちが到着したのと、同じくらいにいらっしゃってますよ」

 エクトルが言った。瞳真はまた、眉間の皺を濃くする。「誰が」とは問うまでもない。腹の内を隠す者たちも厄介ではあるが、決して鈴樹の味方にはなりえない、その男は、誰よりも警戒をしなくてはならない相手だった。

 ウェクシルム公、ユリエル=ブラックモアである。

 王妃の兄であり、次なる継君に、血のつながった甥である幼い王子をと画策していた人物である。

「お前がこうして来たってことは、あの人も一緒なんだな」

 瞳真が問うと、エクトルはニヤリと笑う。王城に入ってから、瞳真が警戒しているのは机の上の策略などではない。彼が恐れるのは、力による制圧だった。それは、ほんの一瞬、達成されてしまえば、取り返しがつかない。

 その一瞬を、決して見逃すわけにはいかない。間に合わないなどということは、二度と許されない。瞳真は思う。だが、いるのだ。ユリエルの手の内に、その一瞬を成すことの出来る者が。

「しかし、おれにはよくわからないんですよねえ。あの人……」

 エクトルは言う。

「……ああ」

 瞳真は目を伏せる。「あの人」が、ユリエルの後ろに立つ姿。それを想像することが、瞳真には難しく思えた。

 長年、ウェクシルムは雷羅の牙城だった。雷羅とウェクシルム王国騎士団とは、揺るぎなく信頼で結ばれていたという。それゆえに、三年前の悲劇の後、タグヒュームへと移った雷羅を追う者も少なくなかった。瞳真の脳裏に、ルドビルの教会で再会した男の顔がよぎる。ランク=キルヒ――、あの男もそうだ。ウェクシルム王国騎士団の、副騎士長であった男。雷羅への忠誠を誓い、タグヒュームの後、反逆者となった男……。

 ――あの忠誠心は、ランクだけのものなのか……。

 風が、聖堂を囲む草木を揺らす。その影で、淡褐色の目が、二人の騎士の姿を見ていた。その男もまた、かつてそこに立ったことがあった。絶対的な、ただ一人の王を、そこで待って……。

 夜は、静かに更けていく。外灯の炎がパチパチと音を立てる。その音を聞きながら、瞳真も、エクトルも、それ以上は何も話さなかった。暗闇に耳を澄ませ、神経を研ぎ澄ませ、長い長い、夜が明けるまで。

 



「あの男はどこへ行ったのだ!」

 マーンカンパーナ城の一室で、ユリエルは叫んだ。中庭に続くベランダで、子どもを抱きかかえ、寝かしつけていた女は、不穏な気配を察して、そっと中庭の奥に消えていった。中庭には、白い花が咲いている。濡れたように光沢のある花びらは、日の光の下では、緑色の葉に映えて、美しかった。しかし、暗闇の中で白く浮かび上がるその様は、どこか気味が悪く見える。

「そう怒鳴らないでくださいな。頭痛がするんですわ……」

 窓際の赤い布張りの椅子に、気だるげに腰かけた女が、かすれ声で言った。

 その部屋は、王城の北の塔の最上階にあった。高く、荘厳な装飾の施された天井のすぐ下には、色とりどりのガラスがはめこまれた窓がある。昼の間は、そこから差し込む光がシャンデリアの細工の一つ一つに反射し、薄い青で縁どられた白い床石に、揺らめいて映るのである。この細工を当初は喜んだ部屋の主人は、今はその光を嫌い、昼の間は奥の部屋に籠っている。それが、暗闇の中で白い花がぼんやりと浮かぶ時分になるとのろのろと出てきて、いつも物憂げに窓際の椅子に座っているのである。

「お前がそんなことだから、陛下はいつまでもあの女に執着するのだ!あの罪人の娘に!」

 男は怒鳴る。女は、白く痩せた両の手で耳をふさぎ、顔をしかめてうつむいた。

 ここは、王妃の間である。

 三年前、この場所へ初めて通されたとき、彼女は部屋の細工の一つ一つ、中庭に咲き乱れる花の一輪一輪に無邪気に喜んだ。しかしやがて、そのすべてが、かつての王妃のために用意されたものであったことを知らなくてはならなかった。王妃として迎えられて一年後には、王子をもうけたが、彼女は自分自身が、王という立場によって求められたものでしかないことに苛まれつづけなくてはならなかったのである。

 罪人の娘――、彼女は、その言葉を頭の中で繰り返す。先の王妃は、タグヒュームの悲劇の発端となった男の娘だった。王妃という身分をはく奪され、北の罪人の塔アブディエスで、その人は一人、命を絶った。アブディエスに送られるその日まで、取り乱すこともなく、ただ一粒の涙も見せず……、一切の痕跡を残すことなく、王城を去ったのだという。

 彼女は、自分はきっと同じようにはできないだろうと思う。取り乱し、涙ながらに王に懇願するだろう。その違いは、先の王妃への敬意に始まり、この三年のうちに、自らの侮蔑と、周囲への敵意に変わった。彼女は病んだ。幼い王子を、その手で抱くこともできないほどに。

 彼女の兄、ユリエル=ブラックモアは、雷羅の後を引き継いで「騎士城」ウェクシルムの領主となってから、そんな妹を熱心に励まし続けてきた。鈴樹ではなく、王妃の兄である自分をマーンカンパーナと並ぶ騎士団の要であるウェクシルムの領主としたことは、やがて幼い王子を継君としてたてるとき、その後ろ盾とするつもりに他ならない――、そう考えていたのだった。しかし、期待は裏切られたのである。

 王国議会の反対を押し切り、国王は鈴樹を次なる継君に指名した。明日には、叙任式が執り行われる。ここに至って、ユリエルは、青白くやせ細った妹の姿こそが真実であることを悟った。それとともに、妹を励まし続けた滑稽な自分自身への怒りが、妹の陰気さへの苛立ちも相俟って、こみあげてきた。

「鈴樹=ウェルグローリアには罪人の血が流れている……!そんな王が、許されるものか……!」

 そう、苦々しく吐き捨てる。

「落ち着きなさい、ウェクシルム公。どこで誰が聞いているかわかりはしません」

 王妃の間と廊下の間の小部屋から、しわがれた、低い声がした。ユリエルはそこに腰掛ける老人を振りかえり、睨みつけた。老人は、考え事をしているようで薄暗い小部屋の片隅に目をやっている。

「ヘルムートはどこへ行ったのだ!」

 ユリエルが怒鳴ると、老人は、ちろりとユリエルを見て、また元のように薄闇を見つめる。

「レイナルド卿は城内の巡察に」

「巡察だと……!?なんのためだ!あれは私の護衛として連れてきたのだぞ!側におらんでは意味がないだろう!」

「護衛ならば外にもおります。ステルラの……、いや、今は姫君の騎士だという英雄の孫、あるいは国王の騎士たちに貴方が命を狙われていない限りは、問題などありますまい」

「……!なんということを言うのだ!グローテウォール卿……」

 ユリエルは、脱力して椅子に腰かける。

 老人の名は、ロイ=グローテウォールといった。ブラックモア家と並ぶ上流貴族であり、名の知れた知恵者でもあった。家督を養子に譲り隠居の身であったところを、ユリエルがウェクシルムの領主となるときに、副官として招いたのである。

「だがあなたは恐れておいでだ。恐れは邪念を呼ぶ。その恐れを、すぐにでも取り払いたいと思えばこそ、レイナルド卿を側に置きたがるのでしょう」

 ユリエルはぎくりとした。恐々と、ロイを見ると、琥珀色の瞳が、刺すように自分を見ていた。ユリエルは額を押さえ、首を振る。

「バカな……!」

 ロイは、ゆっくりと立ち上がる。

「冷静になりなさい、ウェクシルム公。継君の座など、姫君に差し出せばよい。彼女は雷羅=ウェルグローリアになり代わることなど決してできない」

「だが……、だが、あの女がステルラを、あるいはウェクシルムを、陛下から預かるようなことがあれば……」

 苦々しく、ユリエルは言う。古くから、継君となる者は、騎士団を擁する土地を治めるのが通例だった。「罪人の血」――、その因果を振りかざすほど、なぜか目の奥にちらつくのは、雷羅の姿だった。彼こそ、自らの中に流れる罪人の血を、その行いでもって証明したようなものだ。

 そう思いながら、同時に不安でならなかった。あの光、邪道すら、正道としてしまいそうな強い光……。

「そうは、なりません」

 ロイはきっぱりとそう言い切った。月光を反射して、かすかに揺らめいて落ちる光を手の平に映し、それの何が美しいのかと、問いただすような無表情で、ロイは手の平を閉じ、光を握りつぶした。

「この先、あなたは目に見えぬ戦いをせねばならない……。恐怖に挫け、拳を振り上げれば、振り上げた方が負けるのです」

 そう言って、ロイは足音も立てず踵をかえし、静かに王妃の間を出ていった。




 王妃の間を出た先に、ヘルムートが立っていた。ウェクシルム王国騎士団の総騎士長であり、リヒャルト=ウルブリヒトに並び、武功で知られた騎士である。もっとも、彼はリヒャルトとは違い、生まれからして貴族であり、その表情がほとんど動かないせいもあってか、民衆にもてはやされるようなことはなかった。

「何かありましたか?」

 ロイが尋ねると、ヘルムートは淡褐色の目で、ロイをじっと見つめた。

「ステルラの騎士が」

 ゆっくりとした口調で、ヘルムートが言った。戦場以外では、彼の動作は、ひどくゆったりとしていた。夜、狩りの瞬間には圧倒的な迫力を見せる肉食獣の、昼の間の休息のようなものだ、とロイは思う。

「英雄の孫ですか?」

「……いや」

「では、ステルラ公の随伴でしょう」

 ロイが言うと、ヘルムートは小さく首を傾げた。

「瞳真=ウルストンクラフトが」

 窓から吹き込む風で、石の床に落ちた乾いた木の葉がカサカサと音を立てる。ロイは、表情を変えない。

「明日の叙任式は、ウェクシルム公を頼みますよ」

 そう、いつもと変わらない淡泊な口調で言うと、ロイは螺旋階段を静かに下りていった。


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