表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白い花の歌  作者: タク
5/66

3.再会

 僕が辿りついた先は、騎士の街ステルラだった。

 そこを目的地にしていたわけではない。コルファスを出て、何とはなしに川が見たくなり、ひとまず進路を西にとった。しかし気が付くと山道に入り込み、山を抜けたと思えば森に入り、森を抜けた先で羊と戯れるうちにまた森に入り込み、道なき道を迷い迷ううちに辿り着いたのがそこだった。

 街に入ってすぐ、広場の真ん中に、マントを翻し、剣を空高く掲げる騎士の像があった。ぼんやり見ていると、側で素振りをしていた青年に声をかけられた。

「神官さん!これが誰だか気になるのか?」

 年は十六、七といったところか、動くたびに頭の天辺で茶色い短髪がぴょこぴょこ跳ねる。人懐っこそうな青年だった。

「ええ、少し」

 そう答えると、青年は待ってましたと言わんばかりに頬を紅潮させて話し始めた。

「これはな!かの有名なエドガー=ウェルグローリアの像だ!彼はこの街の生まれなんだよ!」

 エドガー=ウェルグローリアといえば、一年ほど前、マーンカンパーナへ行く道すがら、ジェロームが教えてくれた。ベジェトコルの最初の王様で、彼女の――、リリーの、先祖だ。

「ベジェトコルには全部で三つ、騎士団を擁する街がある!」

 青年は僕の眼前に三本指を立てる。

「しかしね、騎士の街といえばここのことだよ!なんたって、騎士の国の始まりの人が生まれ育った街なんだから!」

 三本指から二本が減って、一本指がさらに眼前に迫る。

「なるほど。お兄さんも騎士ですか?」

 尋ねると、青年は誇らしげに胸を張った。

「そう!俺はステルラ王国騎士団第一分隊所属、ナツ=アイヴスだ!」

「第一分隊?」

「そうとも!十五ある分隊のうちで一番の精鋭なんだぜ!」

 ふんふんと、僕は頷いた。

「じゃあ、お強いんですね」

「いやいや、俺はまだ下っ端だからな!第一分隊には俺なんかよりずっと強い騎士がたっくさんいるんだ!」

 ナツさんは満面の笑みを浮かべて言う。単なる謙遜というだけではなく、きっと第一分隊の「強い騎士」たちを心から尊敬しているのだろう。つられてこちらまで笑顔になってしまう。にこにこと笑い合っていると、「面白い人だ!」と、街で一番食事のおいしい宿を教えてくれた。

 あちこち見て回りたい気もしたが、それ以上にまともなベッドで眠りたかった。丁寧に道を教えてもらったにもかかわらず、三度行き止まりに当たり、四人に道を尋ねてやっと宿に辿り着いた。

 自分自身に呆れ果てて、そのままベッドに倒れ込んだ。


*****


「橋を渡ればステルラですよ」

 野菜を積み込んだ馬車の中で、トビーが小声で語りかけた。リリーは目を閉じたまま、小さく頷いた。

 マーンカンパーナを出て、薬学の街ヘルバに立ち寄り、夜が明ける前にオルタサニマの森沿いを駆け、梟の森を抜け、その先の農村で馬を預けた。農村から、ステルラへ野菜を届けに向かう馬車に乗った。尾行を撒くには十分すぎる遠回りである。

 リリーは薄茶色のマントを目深にかぶる。尾行の目を欺くためもあったが、彼女の見た目は人目を引く。

 ステルラに辿りついたのは夕方だった。

「ステルラ公にご挨拶なさいますか?」トビーが尋ねると、リリーは首を左右に振る。

「気の遣いすぎで胃を痛められてはかなわん」

 ステルラの領主、ウーゴ=マラキアメールはリリーの義母方の従兄にあたる。

 人はいいが気が小さく、ステルラの統治はステルラ王国騎士団の総騎士長であったリヒャルト=ウルブリヒトが担っているのではないか、などと揶揄されて、それを申し訳なさげに笑ってやり過ごす男だった。

 王国騎士団を擁する国の要所たるステルラを国王から任された男だ、無能者であるはずはない――。そうは思っていても、顔を合わせれば常に目線が空中をさまようウーゴを、というより彼と過ごす時間を、彼女はあまり好んではいなかった。

 リリーはまっすぐに墓地へと向かった。寄り道の目的の一つである。夕日に照らされながら、一日の終わりを迎えようとしているステルラの街を抜けると、冴え冴えとした北の湖を臨むその場所に、墓地はある。

 オレンジの空に、岸壁に咲く白い小さな花が、風に吹かれて舞い上がり、落ちる。

 リリーは墓前に膝をついた。目を閉じ、手を組んで、そこに眠る故人のために祈る。

 英雄と謳われた騎士、リヒャルト=ウルブリヒトの墓である。

 もとは中流貴族であったその男は、武勇をもって幾度となく国難を退け、王の信頼によって上流貴族の仲間入りをした。しかし、上流貴族の集まりに励むことも、着飾って遊びに興ずることもなく、彼は生涯武人だった。

 彼が王を訪ねてマーンカンパーナへやって来るのを、幼いリリーは心待ちにした。帰り際を引き留めて、剣の稽古をせがんだものである。

 日が沈み切り、風が冷たくなった頃、彼女は長い祈りを終えた。立ち上がり、墓に向かってつぶやいた。

「君まで逝ってしまっては、この街にどんどん悲しい思い出が増えていくではないか」

 脳裏を、ある人の面影がかすめた。

「叔母上……」

「お体が冷えますよ。宿へ参りましょう」

 行く当てのないひそやかな声が聞こえたのかどうか、トビーは優しい声で言った。リリーは振り返り、眉根を下げてほほ笑み、頷いた。


*****


 少しだけのつもりが、日が暮れるまでぐっすりと眠ってしまった。

 お腹が音をたてて不平を叫んでいる。簡単に着替えて、部屋を出る。おいしい食事を出してくれるという食堂は一階にあった。

 階段を降りていくと、宿に入ってすぐのカウンターテーブルに老人が立っているのが見えた。どこかで見た顔だ。僕は首をかしげる。どこだったか。

 手続きを済ませたらしい老人は、窓際のベンチに姿勢良く座っている少女の傍らに、膝をついて語りかける。

 プラチナブロンドの髪、青碧の凛とした瞳――。

「リリー!」

 思わず大声で呼んで、即座に口を覆う。老人の目が豹変し、ぎらりとこちらを向いたためだ。

「おや」

 一方のリリーはけろりとしている。そして次には、悪戯っぽく笑ってみせる。

「宿で再会とは意外だな」

 迷い迷って辿りついた宿なだけに、皮肉が堪えた。




 王都マーンカンパーナで出会ってから、一年近くの時間経っていた。

 僕たちは、夕食を一緒にとることにした。

 そこで、老人の名を知った。代々王族に仕える名家の出身で、彼自身もまた、長く王とリリーに仕えているのだそうだ。

 テーブルにつくと、野菜と肉の煮込み料理と、ライ麦と小麦のパンが出て来た。マロリーさんは、さっさと料理を取り分け、僕とリリーの前に置く。上流貴族であっても従者である彼は、リリーと同じテーブルで食事をすることはないのだという。

「リ、……君はどうしてここに?」

 少し緊張しながら、僕は彼女に話しかける。

「寄り道だ。領地に帰る途中のな」

「領地?」

「スタウィアノクトという、西方の湖畔の街さ。“静かなる盟友の地”とも呼ばれるな」

「盟友の地?」

 僕が聞くと、リリーはふっと笑んだ。相変わらずの、優雅な笑みだ。

「その昔、暗闇の世界におわす神、ルニスピアに忠信を捧げた騎士団があってな。暗夜の騎士団と呼ばれた彼らは、あるとき住む地を追われ、この地へ流れ着いた。時の王は彼らを保護し、住む場所を与えた。彼らは王に深く感謝し、いつかこの国のために戦おう、そう誓った。そういう伝承のある地なのだ。」

 ルニスピアは、死と再生を司る女神だ。

 教会(エスカエルム)は唯一神ではなく、神話信仰である。しかし、光の世界を総べる神、マグニソルの対極に位置するこの神は、かつて邪神と呼ばれたことがあった。神話が伝える物語を、極端に解釈した結果だと、いつだったかジェロームが言っていた。「住む地を追われ」というのは、おそらくはその時期のことだろう。

 僕はコルファスの教会で、マグニソルの御光によって洗礼を受けたが、教会(エスカエルム)の治める国コンルーメンでは、ルニスピアの御光で洗礼を受ける者も少なくないと聞く。それは、青銀の光なのだそうだ。ただ、過去の経緯のためか、それとも教義によるものなのか、青銀の光によって洗礼を受けた者たちは、皆姿を隠してひっそりと生きるのだという。

「まあ、今となってはただ静かなだけの街だがね」

 そう言って、リリーはワインの入った杯を揺らし、口に運んだ。彼女が領主としてその地を愛しているのであろうことが、その柔らかい表情から見て取れた。

 僕は、その気持ちに惹かれる。

「行ってみたいな……」

「ほう。来るか?」

 口から思わずこぼれ落ちた願望をあっさりと拾われて、僕は目を丸くした。

「いいの?」

「もちろん。ルニスピアを祀った祭壇もある」

 それは見てみたい。自らの信仰心が疼くというより、滅多に表舞台に出てこないというルニスピアへの信仰の形を目にしてみたかった。

「い、一緒に行っても?」

 自力で辿り着くには、大分時間がかかるだろう。僕はテーブルに前のめりになっていた。

「ふむ、私は少々行くところがあるが、それを待てるならばそうしよう」

「待てる!」

 間髪入れずに答えると、リリーはからからと満面の笑みで迎えてくれた。見惚れてしまうような笑顔だった。

 そのとき、突然食堂に大きな笑い声が響いた。

 その声に驚いて、笑い声の主である一箇所を除いて、客たちは沈黙する。沈黙に取り残されたことにも気付かず、談笑している数人の男たちは、いかにも公共の場では憚られる単語を連発していた。

 特に女性が食事中に聞きたい言葉ではないと思われて、リリーの様子を窺うが、彼女は全く構う様子なく料理を口に運んでいる。少しだけがっかりした。

 僕と気持ちを同じくしたらしいマロリーさんが、残念そうな顔で彼女を見ている。

 わずかにざわめきを取り戻した食堂の端から、こんな話が聞こえた。

「何よ、あれ。本当に嫌……」

「リヒャルト様がいらしたときにはこんなことなかったのにねえ」

「あいつら、ダミア=ガルシアの腹心らしいよ。リヒャルト様が亡くなった途端、大きな顔しやがって!」

「あんな男が総騎士長になるなんてね」

 僕にはまったく事情が呑み込めないのだが、やり取りが聞こえたらしいリリーは、独り言のようにつぶやいた。

「ダミア=ガルシア……、聞いた名だな」

「リヒャルト殿の後任に、ステルラ王国騎士団の総騎士長となった男でございましょう」

 彼女は、ふん、と鼻を鳴らした。

 不意に、大声で猥談を繰り広げていた男たちの一人が、立ち上がり、怒鳴り声をあげた。

「女!今、ガルシア様のことを何と言った!」

 食堂内が緊迫した空気に包まれる。怒鳴りつけられた女性は、目を見開いて固まっている。立ち上がった男は、グレーの袖のない服からたくましい筋肉を覗かせていた。怒鳴られたら、硬直するのも無理はない。

「もう一度言ってみろ!何と言った!?」

 男は女性のもとにずんずんとやって来る。見かねた男が、それを制す。

「ザウル様、どうか――」

 しかし、最後まで言い切らない内に、男はテーブルに殴り飛ばされた。あちこちから悲鳴が上がる。

 ザウルと呼ばれた男は、そのまま女性の前に立ち、彼の腕の三分の一程度の細さの女性の腕を強く引いた。彼女は叫び、僕は止めようと咄嗟に椅子から乗り出した、瞬間。

「あぁ~、ダミア=ガルシアの器が知れるわぁ~」

 随分な間の抜けた声でリリーが言うものだから、僕はそのまま前のめりに床に落ちた。

「何だと?」

 こんな場面でこんな調子でこんなことを言われるとは、彼も予想外だったろう。リリーは彼の方を見もしない。

「そう言われても致し方なかろう。このステルラの街の騎士が、酔っぱらってかよわい民を怒鳴りつけ、殴りつけ、それが腹心とは度量が知れる」

「何っ……」

 彼は女性の腕を放し、暴力的な気配を振りまきながら、こちらへ向かって来る。慌てる僕を尻目に、マロリーさんが悠然と彼の前に歩み出た。

「何だぁ?どけよ、じいさん」

「ほっほ。いや遠慮なさらず。どけと仰るなら力づくでどうぞ」

 彼の額に青筋が音を立てるのが聞こえるようだ。

 ただ、マロリーさんの黒いマントの下にはおそらく、マーンカンパーナで反逆軍の男に悲鳴をあげさせた黒い大剣が隠れている。それぞれがまとう空気を比べてみても、どうも彼の方が、分が悪い。

 しかし、マントから大剣がとび出る事態にはならなかった。彼の頭上に、鞘に収まったままの剣が落ちてきたのである。なかなかにいい音がした。

「くっ……!」

 しゃがみこんだ男の背後で剣を手にした青年は、とび色の目をしていた。茶色の、一部が編み込まれた長髪を後ろで結んでいる。彼は怒気を孕んだ目で男を睨むと、お腹に響く、よく通る声で怒鳴った。

「騎士団の人間が、何やってんだ!」

 食器がビリビリと揺れた気がした。

 しゃがみこんでいる男は後頭部の痛みに悶絶しているが、彼とともにテーブルについていた男たちは、目を白黒させている。

「あれ?神官さんだ」

 青年の後ろから、ナツさんがひょっこり姿を現した。

「あ、ナツ、さん?」

「いや~、教えたからいるかなって思ってはいたんだけど~。何だか迷惑かけたみたいで悪いね!皆さんもすいません!」

 軽い調子で謝るナツさんに、茶色い髪の青年はげんなりとした表情を浮かべ、彼の後頭部を小突いた。

「お前もそんな謝り方があるか!」

「はい隊長!ごめんなさい!」

 ナツさんは、九十度の角度で食堂に居合わせた人々に頭を下げて回った。

 思わず笑みがこぼれる。謝罪が意味をなしたかはともかく、少なくともその場の空気を大いに和ませてくれた。

 ふと、椅子から転がり落ちたままだった僕の前に、手が差し出された。青年の手だ。

「怪我は?」

 彼は言った。

「あ、何とも……」

 僕が椅子から落ちたのは、まだ頭を押さえて痛がっている男の責任ではないのだが。

 差し出された手を取ると、それは温かく熱を持って、ごつごつとして大きかった。立ち上がると目が合った。とび色の、澄んだ目だ。

「本当に申し訳ない。こいつらにはしっかり言い聞かせるので」

 青年は、僕とマロリーさんに頭を下げる。

「ほほ。いえいえ、大事にならなくてよかった。ときに隊長さん、何番ですかな?」

「は?……ああ、いえ、第一分隊隊長、ヴェルナー=ウルブリヒトです」

 マロリーさんの問いに意表をつかれたらしい青年は、一瞬目を丸くしたが、すぐに平静を取り戻して答えた。

 後から聞いたのだが、「何番か」などという問いは滅多にされないのだそうだ。そんな質問の仕方をするのは、王国騎士団のことをよく知る上流貴族か、あるいは王族なのだという。無害な老人のように笑うマロリーさんは前者である。

 その影で、背中を向けて座ったままでいるリリーがつぶやいた。

「リヒャルトの孫か……」

 肘をついて、手で口元を覆っているが、その目は真剣だった。僕は青年に視線を移す。彼はリリーのつぶやきが聞こえたのか、彼女の後ろ姿を見ていた。

 その目の奥で、何らかの思いが揺らめいた気がした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ