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白い花の歌  作者: タク
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第四話

 鈴樹は目を閉じ、沈黙していた。彼女の前には総騎士長、ダミア=ガルシアが座っている。鈴樹の斜め後ろに置かれた衝立の向こうで、クルトは長すぎる沈黙に息がつまる思いでいた。視界が封じられているためか、より長く時間を感じる。

「……一体、なにをお聞きになりたいので?」

 沈黙に折れたのはダミアだった。ため息と共に彼は問う。

「なにを話すべきかは君の頭で考えよと言ったはずだ」

 ダミアは眉を寄せる。眼前の少女は、彼を見てもいない。

「殿下は、迅の処刑を、わたしの私情によるものとお思いなのでしょう……?」

「さて、そうかもしれぬし、そうではないかもしれぬ……」

 ダミアの呼吸がかすかに震えるのを、クルトは聞いた。それは怒りによるものにも思えたし、他のなにかであるようにも思えた。

「……確かに、私と迅との間には、第一分隊の長と兵であった頃からの遺恨があります。しかし、そんなことが理由で、迅の処刑を推し進めたわけではない……!」

「推し進めたことは認めるのだな」

 鈴樹はゆっくりと、目を開けた。冷ややかな光に、ダミアはひるんだ。すると、彼のうちに、彼を長年苦しませた妄執が、またむくむくと膨らんでくる。それを堪えるように、ダミアは刺すような蒼碧の目から、視線を逸らした。

「恐れるな、ダミア=ガルシア。私は君を知らない」

 鈴樹が言った。ダミアは目を見開く。彼もまた、鈴樹を知らない。知らないがゆえの恐怖が、猜疑心を生むのだ。

「事の次第を追えば、確かに君は迅=ウルブリヒトを処刑しようとしたらしい。だが、ウーゴ=マラキアメールは、君は迅そのものにこだわっているわけではないと言った。君がなにを思っているのかなど、君以外の誰が知るものか」

 ウーゴの名前が鈴樹の口から出たとき、ダミアの呼吸がまた、乱れた。

 しばらくの沈黙の後、厳しい顔で、ダミアは尋ねた。

「あなたもまた、迅をリヒャルトに代わる英雄にしたいとお思いなのか」

「……なに?」

 鈴樹は怪訝な顔をする。白髪交じりのうねった髪の奥で、老いに淀んだ蛇の目は、しかし鈴樹を真っ直ぐに見つめている。

「あなたがここにおいでになる理由はわかる。迅=ウルブリヒトを処刑するその理由が、王命違背、反逆罪であること……。しかし、私の国王陛下への忠義には、偽りなどありはしません」

 きっぱりと、ダミアは言った。鈴樹はダミアの目の奥を見ていた。二つの目は、目の前の鈴樹を見てはいない。遠く、なにかに囚われて、ゆらめいている。

「だが、三年前のあの悲劇の意味を、我々は知らなくてはならない……!」

「悲劇の、意味だと?」

 鈴樹は静かに、問い返した。ダミアの目は、またゆらめく。

「ここは英雄の街、リヒャルトが率いる街……。だが……」

 ダミアは歯を食いしばる。ひざの上に置かれた手の平が握り締められる。

「三年前、英雄は死んだ。あの悲劇は、リヒャルト=ウルブリヒトという光ある、ただ一人の英雄を殺したのだ……!」

 その言葉に、鈴樹は少し、意表を突かれた。リヒャルトとダミアが、お互いに認め合っていたのだとしても、この男がリヒャルトに抱く思いは、そうきっぱりと言いきれるものではないと思っていた。それが今、ダミアはこの上ない苦渋の色を浮かべ、英雄の死に憤っている。

「あの悲劇を境目に、騎士団の内のリヒャルトの求心力が落ちたことを言っているのか?」

 鈴樹の問いに、彼は口元をひきつらせて笑った。

「求心力の問題などではありません。リヒャルトは光だった。嘆きを知らない、諦めを知らない、一切の闇に陰ることのない、ただ一つの光だった。だからリヒャルトは英雄たりえたのです。暗い夜に、灯された灯りのように、人を導く光……」

 鈴樹は、ますます困惑する。ダミアの物言いは、憎むべき仇を呪うようにも聞こえるし、愛する人を讃えるようにも聞こえる。一つだけ理解できるのは、ダミアにとって、リヒャルトに代わる者など誰一人いないということだ。しかし、それが迅の処刑につながるとすれば――。

 ――それは、狂気だ。

 訝しげな鈴樹の顔に、ダミアは小さく、ため息のような笑みをこぼす。

「わからない……。そうでしょうな。しかし殿下、これならばおわかりになるでしょう。絶対的継君、輝かしい未来の象徴、あの悲劇を背負い、反逆者となったあなたの兄君……!」

 鈴樹は眉を寄せ、両の目を大きく見開く。背中を、悪寒が走った。

「なんの話だ……」

「リヒャルトは死ななければならなかった。死ぬほかになかったのだ。あなたの兄君は生きている。北の果ての凍てつく風をもってしても、東の空を燃やし尽くした、あの炎は消せはしまい……!」

 ダミアは、うつむいて、上目使いに鈴樹を見た。うねった黒髪が顔に落ち、その蛇のような目が、一層強く、鈴樹を捉える。そして、地を這うような声で、言った。

「それでも人は、彼を求めずにはいられない。それが憎しみと怒りの炎だとしても、光と信じて……。私は迅=ウルブリヒトが恐ろしい。あの男とて、炎に焼かれた一人なのだ。だが誰も、それを知らない……!」

 クルトは衝立の向こうで、固唾をのんで事の成り行きを窺っていた。

 彼は悲劇を知らない。しかし、騎士団の中で、タグヒュームを知る者はすぐにわかった。背中を丸め、足を引きずるようにして歩くそれは、三年たっても消えない悲劇の重さなのだろう。しかし、迅=ウルブリヒト……、悲劇をよく知る一人でありながら、彼が地面を見て歩くことは、クルトの知る限り、なかった。

「……なるほど」

 長い沈黙の後、椅子の背に凭れ、腕を組んで、鈴樹は言った。

「君はつまり、確かめようとしたのだな。迅の内にあるはずの、かの悲劇の傷跡を」

 その静かな、息が詰まるような声に、ダミアは顔を上げた。冷然と、蒼碧の目が、ダミアを見ている。

「それで陛下への忠義に偽りなしとは、よく言ったものだ」

「……な、に……?」

 中庭で彼女と初めて対面したときと同じ、不穏な空気をダミアは感じた。鈴樹は、今度は笑わない。

「ウーゴの名に、反応したな?」

 ダミアはびくりと体を震わせる。急に現実に引き戻されたように、その目のゆらめく陰が、消える。

「それならば君は、理解しているのだろう。ウーゴ=マラキアメールは、五年、十年の後には、リヒャルトとも、これまでのどの領主とも違う、優しく、それゆえに力強い、この街の領主になれたかもしれなかった」

 ダミアは、強張ったように目を見開いたまま、鈴樹から目を逸らせなかった。

 王命違背の罪で、ウーゴは捕われた。弱々しく、頼りない領主、最後に二人、なにを介すこともなく、話をしたその男は、王命をダミアに知らせることはなかった。その罪によって、彼は裁かれる。決して軽い罪ではないだろう。それを、あの臆病な男が引き受けた、その理由。

「君はなにをした?迅を試し、あるいは、彼が必死で隠していたかもしれない傷跡を暴き、反逆者にした。そして君は、そこにいかなる思いがあるにせよ、ウーゴを引きずりこんだ。二人の人間を、反逆者にしたというわけだ」

 ダミアは大きく顔を歪め、うつむき、唇を噛んだ。膝の上で握り締められた拳が、小さく、震えていた。

 そうして、もう誰もなにも言わなかった。ガチリと、重たい時計の針の音が、鳴り響いただけだった。




 その晩、瞳真は王の間を尋ねた。鈴樹は頬杖をつきながら、難しい顔をして、クルトがとった記録をつまみあげて眺めていた。

「思わしくは、ないようですね」

 瞳真が言うと、鈴樹はきろりと瞳真を見やる。

「思わしく、とはどういう意味だ?」

 瞳真は肩をすくめる。機嫌がよくないようだ。そんな彼女の後ろに、クルトが申し訳なさそうな顔で立っている。

「報告をしに来たのではないのか」

 鈴樹は机に記録を放ると、椅子に尊大にふんぞり返る。

「ええ、まあ……。報告に上がっていた、白い女について」

「見張りがあまりの美しさに卒倒したという女か」

「……原因は定かではありませんが」

「それが、なんだ?」

 思わず、瞳真は黙ってしまった。あまり現実的とは思えない女の存在もそうだが、それを思い出そうとすると別人の姿になる……、などということを、どう報告したものかと考えた。そしてもう一つ、この女については、情報が付け加えられていた。

「街の子どもたちの中に、女の姿を見たものがいるようです」

「ほう?」

「夜中に、騎士館の前で、見たと」

「……子どもが?」

「ええ」

「夜中に」

「……はい」

「騎士館に?」

「……そういうことになりますね」

「夜の散歩が趣味なのか?」

「そういう趣味はない、ということです」

 白い女の目撃情報は、どこか現実離れしている。しかし、瞳真が気にするのはそこではない。ナツと遊んでいた子どもたちが言うには、ケイ、という名前のパン屋の息子が、白い女を騎士館の前で見たのだという。騎士館の前で、シンと会っている姿を、だ。

 その女を、ケイはシンの恋人だと言っていたという。詳しい話を聞きたかったのだが、彼は、もう何日も部屋に閉じこもったまま出てこないということだった。

「……報告というか、頼みがある」

 声の調子が変わったのに、つまらなそうに目を伏せていた鈴樹が瞳真を見る。瞳真は、深刻そうな顔をしている。陰気ではあるが、なにか考えるところがあるのだろう。察せられるだけいいと、鈴樹はふと思った。

「聞こう」

「……シンと話を、させて欲しい」

 鈴樹は、訝しげな顔をする。

「話?」

「……ああ、頼む」

 瞳真が思うのは、黒い丘の処刑場で、シンが瞳真に見せた笑顔だ。

 ――「お帰りなさい、隊長」

 彼は笑って、そう言った。

 鈴樹はじっと瞳真を見つめている。その目に、真意を探ろうという色は見えない。場合によっては、鈴樹よりも瞳真が話をする方が効果的であることを、鈴樹は承知していた。

「好きにするがいい」

 鈴樹はさらりと言った。しかし次に、あごをさすりながら、目を伏せ、眉間に皺を寄せる。

「……だが、こちらも一つ頼みたい。第一分隊の副隊長、エクトル=フランクールに話を聞きたい」

「エクトル、ですか?」

 瞳真が問いかえす。

「不審か?」

 しかめ顔で、鈴樹は言った。

「まあ、少し」

 鈴樹はちろりと、背後にいるクルトを見やった。クルトは一瞬戸惑ったが、彼女の視線がすぐに机上の記録に移ったことで察したらしく、記録を丁寧に持ち直し、瞳真に手渡した。

 そんなクルトを憐れみの目で見下ろし、瞳真は記録に目を通す。読み進めるに従って、彼の表情は曇っていく。

「理解できるか?」

 鈴樹は問う。瞳真は記録から目を上げた。

「……仮定の話をしても無意味という気もしますが」

 瞳真は一度目を伏せ、記録をくるくると巻いていく。そしてまた、眉を寄せ、鈴樹を見た。

「もしもリヒャルトが生きていたら、たとえ俺が反逆者として処刑されたとしても、迅はステルラの騎士であることをやめられはしなかったのでは、とは思います」

 納得できないと戦い、ボロボロになって、それでも――。歯を食いしばり、握りしめた拳に血が滲んでも、耐えただろう。

 それが、リヒャルトの決断であったとすれば。

「……それもまた、狂気だな」

 鈴樹は、苦々しく、そうこぼした。頭の中に、シンの言葉がよぎる。

 ――「リヒャルトは、死んだんですよ」

「困ったものだ。納得してしまった。迅が三年前に抱えた傷に、リヒャルトが手を当て、支えていたのだとすれば、だ」

 リヒャルトが死に、傷口からは血が溢れだす。その傷を押さえる術を、迅は他に知らない――。

 自らの想像に、鈴樹は眉を寄せ、口をつぐんだ。

 そして、ダミアの言葉を考える。三年前の悲劇の意味。この国の未来を担うはずだった彼女の兄が、反逆者となった、その意味。

 ――だがそれでも、求めずにはいられない……。

 鈴樹は、ステルラの街の人々を思う。

 最初に訪れたとき、ところどころに悲劇の跡を残しても、ステルラは活気ある街だった。それが、再び訪れたステルラの街は、誰もが顔をうつむかせ、重苦しく沈んでいた。

「……人は光を求めるものだ。しかしそれが希望であるとは限らない」

 うわ言のように、鈴樹は言った。伏し目がちに、くうを見つめる蒼碧の目が、泣きそうに見えて、瞳真は鈴樹を窺う。

 しかし次には、鈴樹の目は瞳真をきろりとめあげた。

「迅が反逆に傾いたとして、問題は、それでも彼が英雄の孫であることに変わりはないということだ」

「……そうでしょうね」

「なにを正しいとするのか、本来決められるのは我々ではない。私はスタウィアノクトでつくづく思い知らされた。私が正しいと思うことでも、スタウィアノクトの者たちが正しいと思えないものは、正しいことにはならない……」

 瞳真は、スタウィアノクトの宴を思い浮かべる。そこで生き、生活をする人々に、鈴樹は寄り添う。そうすることでしか、なにを正しいと定めることもできないのだ。

 そして、それは迅とても同じだったのだ。彼はステルラの街に出た。人々と繋がろうとした。

「少なくとも、迅が捕われたとき、彼は『正し』かったのだ。街の者たちはその正しさを信じ、彼を助けようとした。しかしもし、彼が本当に反逆者であったとしたなら……」

「反逆を『正しい』とすることに、なりますね」

 瞳真が言うと、クルトがびくりと反応した。不安の色を顔中に浮かべて、クルトは瞳真を見やった。その素直な反応に、瞳真は筒状になった記録で、彼の頭を軽く叩く。そのまま記録を受け取り、クルトはうつむく。

「そしてそれは、結局街の者たちの身を焼いた……」

 クレイグが反逆者に襲われ、疑いの目は自分たちに向けられた。迅を「正しい」ものとした結果として。

「まさに、ベジェトコルの縮図だ……!」

 苦渋に満ちた声で、鈴樹は言った。

 それゆえに、国王は迅に反逆の疑いがあることを軽視はしなかった。瞳真は思う。雷羅の反逆がもたらした炎は、雷羅を「正しい」と信じる者たちの手で、広がり、燃え盛る。

 しかし同時に、彼は思わずにいられなかった。

 迅の処刑は執行された。迅を「正しい」とした街の人々は、白い花を手向け、それを裏切り、そうして、炎は消された――。

「迅を信ずる者は、確証などなくとも、手足を差し出すという……」

 鈴樹は言う。しかし一方で、悲劇のその時から迅を知る者は、彼を裏切った。氷のように冷たい、微笑を浮かべて。

「エクトル=フランクールはタグヒュームに赴いた一人なのだろう」

 瞳真は、目を伏せて、うなずいた。

「私は迅=ウルブリヒトが、あの悲劇と戦ったその跡を、見なくてはならないのだ」


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