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白い花の歌  作者: タク
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第三話


「君の名は?」

 鈴樹が問うと、若い騎士は、不自然に背筋を張って、どもりながら答える。

「だ、第二分隊、所属、クルト=セラです!」

 鈴樹は、白い羽ペンを指先でいじりながら、背の高いその騎士の顔をちらりと見上げた。その視線に、騎士はぐるぐると部屋中に目線をさまよわせる。

 騎士館で鈴樹が拠点としたのは、王の間である。騎士館の東の最上階にあり、王族がステルラに滞在するときにのみ使われる部屋である。部屋の中央には円卓が置かれ、本棚に覆われた壁の手前に、執務机が置かれている。机の上には繊細な細工を施された置時計が、ガチリ、と重たい音を立てて時間を刻んでいる。部屋の隅に小さな書き物机と椅子があり、本棚が置かれていない壁際には、それぞれ趣向を凝らした椅子が並べてあった。奥の間はベッドルームだ。

 部屋に置かれた一つ一つが、クルトの日常とかけ離れていて、彼はますますいたたまれない。

 鈴樹は執務机に寄りかかって立ち、ほんの少し笑うと、目を伏せた。

「君にはそこの隅の書き物机で、記録をしてもらう」

「は、はい……」

 クルトは書き物机に目をやる。白い小さな書き物机は、薄い緑でそっと縁どられているだけで、部屋の隅で申し訳なさげに立っている。これならば自分が座ってもさほど違和感はないだろうと、クルトは思った。

 彼は、ほんの少し前まで地下一階の牢で、牢番をしていた。それが最終的には牢の中に押し込まれ、鈴樹の着任と同時に救出されたのである。

「手前には衝立を置く。君の姿は話している者には見えないから、安心したまえ」

 クルトは少しうつむいた。第二分隊の長であるザウルは今、その身分を失い、謹慎している。「記録」とはすなわち、ここ最近の一連の出来事について、幹部たちから事情を聴く、その「記録」だ。ザウルの気質から考えて、もし自分が鈴樹の後ろで記録をしている姿を見られたら、それだけで憤慨するだろう。

「助かり、ます……」

 クルトは頼りなげな声でつぶやく。鈴樹はうつむいたクルトの額に、そっと指を差し出す。

 額に差し出された白く、細い指にクルトが目を向けると、鈴樹はにやりと笑い、彼の額を思い切り弾いた。

「いっ……!?」

「それだけではない、クルト=セラ。見えないのは君も同じだ。私は君の視界を奪う。その代わりに感覚を澄ませ、言葉だけではなく、その声の抑揚、息遣いの一つも聞き逃すな。それをすべて記録するのだよ」

 鈴樹は白い羽ペンをクルトに差し出す。それをおずおずと受け取ると、クルトはたずねた。

「なぜ、僕が……?」

「さて、推薦者がいたとだけ言っておこう」

 「余計なことを」と、そう思った瞬間に、浮かんだ顔にクルトは眉を寄せる。囚人と、牢番として知り合った彼らは、ほぼ余計なことしかしない。そしてその背景にあるのは、無意識か、彼らなりの善意だ。よほどタチが悪い。

 彼らと知り合って、学んだことは一つしかない。抵抗は無意味だ。

「お力になれるよう、がんばります」

 一つ息をついて、クルトは羽ペンを持つ手を胸元に置いたまま、頭を下げた。




 シンは、全く表情を崩さなかった。ガラス玉のような目を薄く開いて、口元にわずかな笑みを作り、鈴樹の前に座っていた。

「一応、考えたんですが。『話すべき』こと、特に思いつかなかったんですよ」

 その顔を眺めながら、鈴樹は、眼前の彼がなにも真実を語る気がないことをはっきりと感じていた。語る気がないどころか、なんの真実をも持たないようにも見える。

「……迅を斬ったのは君だそうだな」

 鈴樹は、敢えてもっとも聞きにくいことを尋ねた。それでも、シンの表情は、ぴくりとも動かない。

「ええ」

「同い年で、同じ年に見習いから第一分隊に配属……。旧知だったのではないのか?」

 鈴樹は手元の資料を横目で眺めながら尋ねる。シンは、小さく首を傾げた。

「ええ、まあ旧知と言われれば……。ただ、おれたちはそもそも、北の洞窟に魔物が出たとか、領地のどこかが盗賊に襲われたとか、そういう要請で出ていけば、付き合いが浅かろうが深かろうが、隣にいたやつが帰るときにはいない……、なんて、普通のことですし。こういうこともあるんじゃあないですか?」

「全く、思うところはない、と?」

 シンは目を細めて笑う。まるで平面に線をひいただけのような笑顔だと、鈴樹は思った。

「思うところはありますよ?いつだって。でもそれを、口に出したり顔に出したりはしません」

 鈴樹は、頬杖をつき、片目を眇める。

「出そうと思えば出せるのか?」

 シンは、ただ一つ、その問いにだけは答えなかった。ただゆったりと笑ったまま、温度のない目で鈴樹を見ていた。

 鈴樹は、椅子の背にもたれる。王の間で、歴代の王たちが腰掛けた古い椅子は、ぎしり、と音をたてる。

「君にとって、迅=ウルブリヒトはどういう男だ?」

 この問いに対しては、しばらくの間があった。シンは、薄い笑みを保ったまま、見ているのか見ていないのか、鈴樹の顔を瞳に映して、やがて言った。

「英雄の孫、ですかね?」

 鈴樹は眉を寄せる。

「それは答えになっているのか?」

「答えていますよ。我ながらうまい答えだとも思っています。つまり……、迅=ウルブリヒトという人物を、リヒャルト=ウルブリヒトという男を抜きには答えられないと、そういうことです」

「よく似ていた、という意味か?」

「似ていた?」

 鈴樹が聞き返すと、シンは腕を組んで少し間を置いた。

「似ては、いませんね。万事が万事脊髄反射とか、いつも脳みそが置いてきぼりとか、そういう意味では似ていたと言えなくもないですが。そういうことじゃあなく……」

 シンは、言葉を探すように、組んだ両手の人差し指を、トントンと合わせたり離したりする。

「ええと……、迅の、思考……、はあんまりないから、行動、というか、価値基準かな?それは、リヒャルトなんです。それ以外にはない。そういうことです」

「タグヒュームの後も?」

 鈴樹が問うと、シンはまた、小さく首を傾げて笑んだ。

「タグヒュームの前も後もありませんよ?あいつにはリヒャルトだけ。考えてそうしているわけじゃあないんです。生き方がそうだった。だからもう、理屈じゃなく仕方ないんですよね」

「……リヒャルトの前にあっては、タグヒュームなど大したことではなかった、と?」

「大したことでなかったとまでは言いません。ただ、リヒャルトのほうを重んじた。それぐらい、迅にとってリヒャルトは大きな存在だったということです」

 薄ら笑いを浮かべながら語るシンを、鈴樹はじっと観察する。そして、尋ねた。

「……君に、とっては?」

 シンは、首を傾げてみせた。しかし、そう尋ねられることなど予想の範囲内だというように、表情は笑ったままだ。

「リヒャルトですか?それともタグヒューム?」

「どちらもだ」

「はは、私は凡人ですからね。多くの騎士がそうであったように英雄としてのリヒャルトに憧れもしましたし、タグヒュームに苦しみもした。もう……、どちらも過ぎ去ったものですが」

「過ぎ去った?」

「ええ」

「どういう意味だ?」

「もう返ることはない、ということですよ」

 鈴樹は、わずかに眉を寄せた。彫刻のようなその笑みが、ひどく歪に、彼女には見えた。

「しかし、君の言い分には矛盾がある」鈴樹は言った。

「矛盾?」シンは笑顔のまま、問い返す。

「迅=ウルブリヒトの価値基準がリヒャルトにあったとして、リヒャルトは最後まで忠臣だった」

「ええ、そうだったと思いますよ」

「それならば、なぜ彼は反逆者として処刑されなければならなかったのだ?」

 シンは目を丸くして、手を叩く。

「ああ、矛盾!なるほど、そうですね。おれは迅が反逆などできるはずもないとわかっていながら、処刑を執行したってことになりますね」

 鈴樹は、椅子の背にもたれたまま、肘置きに肘を置き、また頬杖をついた。

バカにされているとも思わない。この男はつまり、どうでもいいのだ。真実を語ろうが語るまいが、あるいはそれが真実であるかどうかなど、どうでもいい。

 ――しかし、その裏に見え隠れするこの歪さは何だ?

 不意に、シンは息を吐くように、緩やかに、柔らかく笑んだ。その笑みに、鈴樹は慄然とする。

「ただ、ご存知でしょう?内親王殿下」

 赤く開いた口から、涼やかな声で、シンは言う。

「リヒャルトは、死んだんですよ」

 クルトはそこで、ペンを止めた。透き通るようなシンの声を、息遣いを聞きながら、彼はシンの顔を思い出そうとした。しかし、思い出せないのだ。ダミアの傍らにいたはずの姿、騎士館の前で、子どもたちと遊んでいる姿、ベランダで一人、煙草を吸っている姿……、そのどれにも、顔がないのだ――。




 その頃、瞳真は施療院にいた。クレイグが襲われた夜、公舎の見張り中に昏倒した騎士に、話を聞くためだ。日は傾き始めている。部屋は、窓の木枠の形にオレンジ色の光をゆらめかせながら、一方で、隅には夕闇が潜んでいる。

 若い騎士は、青白い顔をしてベッドに腰掛け、落ち着かない様子で目を泳がせている。

「白い女が立っているのを見た瞬間に、気を失ったと聞いたが……」

 瞳真が問うと、騎士は、唇を噛んで固まり、小刻みに震え始めた。その様子に、瞳真は眉を寄せる。ベッドの側に行き、騎士の背中をさする。

 若い騎士の目は、焦点が定まらない。どう見ても、これは尋常ではない。しかし、医師が言うには、身体的にはなんの異常もない、とのことだった。

「お前、所属はどこだ?」

 瞳真は尋ねた。騎士は、予期せぬ問いに、ぎこちない動きで瞳真の方を見た。

「第、二、分隊、です……」

 瞳真は少し安心した。言葉はきちんと届いているらしい。ベッドの脇に座って、懐から煙草を取り出す。

「第二分隊か。おれがいた頃はシンが分隊長だったが……、今は?」

 振りかえって、瞳真は驚いた。関係のないところから、と話題をふったつもりが、若い騎士は明らかに動揺の色を濃くしている。咄嗟に、くわえた煙草をさっとしまう。

「すまない。見舞いに来て、煙草はないよな」

「い、い、いえ……」

 騎士はまた落ち着かなく目を泳がせる。すると、窓の外から、ナツが子どもたちと遊ぶ笑い声が聞こえてきた。

「……あいつ……」

 空気を読まない笑い声に、瞳真は苦虫をかみつぶしたような顔をする。こちら側の気まずい雰囲気など意にも介さず、窓の向こうで転がりまわって遊んでいる。

 ふと気づくと、騎士は、その光景をまぶしそうに見ていた。そして、小さく笑んで、ぽつりと言った。

「……迅さんや、シンさんが、よく、ああやって子どもたちと遊んでました」

「あ、あ……」

 不意打ちの反応に、瞳真は中途半端な返事をしてしまった。若い騎士は、窓の向こうを眺めている。相変わらず顔色は悪いが、震えは止まっている。

 瞳真が騎士団にいた頃から、迅とシンはよく、連れだって街に出た。街の誰かとカードで勝負をするとか、子どもたちに剣を教えるとか、そんな約束をあちこちで取り交わして、街へ出ていく。

「二人と親しかったのか?」

「いいえ、迅さんはおれのことなんかきっと知りません。でも、シン、さんは、おれが、第二分隊に入った、とき、隊長だったから……」

 言いながら、また、若い騎士の呼吸が落ち着かなくなっていく。背中を丸め、自分で自分の体を支えるように、腕を抱える。

 瞳真は眉を寄せた。妙な反応だ。そういえば、先ほども、シンの名前が出たときだった。

「……シンと、なにかあったのか?」

 遠回しに、瞳真は尋ねた。若い騎士はうつむいて、ぶんぶんと首を振る。

 しかし、彼は始めから、ひどく取り乱していた。否、「始めから」というと語弊がある。正確には、公舎で昏倒し施療院に運ばれてきたときから、ということだった。それがなぜか、今、シンの名前に騎士はさらに狼狽える。

 微かに、一つの不安が瞳真の頭をよぎった。可能性を考えなかったわけではない。だが、しかし――。

 その可能性を問おうとした瞬間、若い騎士が顔を上げた。瞳真の顔を見上げ、顔をひきつらせて、笑んだ。

「お、おれ、シンさんに、助けてもらったこと、あるんです」

 覚束なく、騎士は言った。

「一年、くらい前、北の洞窟の怪物が、街に入り込んできて……」

 瞳真は眉を寄せた。北の海を臨む岩壁に、その洞窟はある。そこにはネムスの民と同じく、神代の時代からの怪物が住んでいる。春から夏にかけて、時折洞窟から出てくる怪物たちから領民を守ることは、ステルラ騎士団の任務の一つだった。

「……タグヒューム以来、活動が活発になったとは聞いていた」

「ええ。最近は落ち着いているけど、警鐘が鳴るたび、心臓が止まりそうだった。次は死ぬかも、もうだめかもって。怪物が街に入り込んだとき、本当にもうだめだと思った。……そこを、シンさんに、助けられたんです」

人の体の、何倍も大きい神代の怪物を、シンは切り捨てた。水色の瞳を見開き、顔色を失くして、雷のように閃く、一太刀に。

騎士はうつむいた。口元にまだ不自然な笑みを残しながら、目は、その瞬間を思い出すように遠く、虚ろだ。

「おれは、迅さんもだけど、ああいう人は、怖くなんかないんだろうって思っていました。でも、その日の晩に、眠れなくて、どうしても、それで、外に出たらシンさんがいて……」

 ――「眠れないのか」

 シンは、そう尋ねた。若い騎士はうつむく。「怖くて眠れない」などということを、口にしてはならないと思っていた。しかし、シンは、言った。

 ――「おれも、眠れない」

 瞳真は、顔色を失くし、つぶやくシンの横顔を想像する。

 タグヒュームの後、瞳真は一度もシンを見なかった。シンは、瞳真のもとを訪れなかった……。

「だから、おれ、シンさんを、信頼してるっていうか、それで、だから……」

 若い騎士は、体を揺する。

「ぜ、全然、関係ない、話ですけど」

「……いや」

 瞳真は、ゆっくりと、若い騎士の背中をさする。

「……聞けてよかった」

 気が付くと、先ほどまで子どもたちと転がりまわって遊んでいたナツたちが、その親であろう大人たちと話している。

 ああやって、人と繋がっていくのだ。

「あ、の」

 若い騎士が、瞳真の袖を引いた。その顔は、ひどく追い詰められたようだった。

「……どうした?」

「関係、ないかも、しれないけど、もう一つ、話してもいいですか……?」

「もちろん、構わない」

 瞳真が言うと、騎士は、唇を噛んだ。そして、震える声で、話し始めた。

「……あの日、メルウィル伯が襲われた日、白い……、白い、女が……」

 それは、暗闇の中で、青白く、ぼんやりと光って見えた。次の瞬間、若い騎士は意識を失くした。目が覚めたとき、彼は施療院にいた。恐ろしい悪夢にうなされた朝のように、汗だくで、体は冷え切って固まっていた。

「夢なのか、なんだったのか、わから、なくて……。でも、あの、白い、女の、す、姿を、思い出そうとすると、なんでか、それが……」

「……おい、無理するな」

 騎士の体は、ガクガクと震えている。目を見開いて、汗を流しながら、それでも彼は続けた。

「それが……」

 若い騎士の目から、涙がこぼれた。そうして、力なく、つぶやいた。

「シンさんの姿に、見えるんです……」


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