3.狼の引き綱
騎士館三階の広間に、彼らは場所を変えた。部屋に入るとすぐに、天井近くの壁に、大きな窓が目に入る。その真下に、王国騎士団の旗が掲げられている。四方におびただしい数の剣や槍、盾などが整然と並んで、それはもはや壁と一体化しているかのように見えた。余計な調度品は一切置かれず、赤い絨毯の上に、装飾のない円卓と椅子が置かれているだけである。
普段は分隊の副隊長までしか入ることのないその部屋を、第一分隊の三人は、落ち着かない様子で見渡した。
「ええと、君たちの名は」
リリーは第一分隊の二人を指して尋ねた。二人は一瞬顔を見合わせ、そのままつま先で立ちそうな勢いで背筋を伸ばす。
「第一分隊所属、ナコル=ニムリです!」
「同じく、フレン=セグラです!」
リリーは訝しげな顔をした。
「ナツに、クルトに、ナコルにフレン……、聞いた名だな」
「はい!地下牢に閉じ込められていたところを殿下のご命令で出していただきました!」
「同じく!」
ナツは、先輩二人を見てから、倣うべきか否か困ったような顔で視線をうろつかせた。トーマは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。もちろん彼らは真剣なのだが、真剣に、場の空気を壊している。なぜだか知らないが、第一分隊にはこういう騎士が集まる。
「ああ、そうだ。ヴェルナーが騎士団を出たときに、その逃走を助けたというのでな。しかし、脱走者がいるぞ」
リリーはくるりとトーマに向いた。
「脱走者?」
「ええと、マリノと、エクトルか。こっちの名は覚えていたんだが。ヴェルナーの処刑を聞いて脱走したそうだが」
ナツが不安げに眉を寄せる。ナコルとフレンも、表情を固くした。
リリーの後ろに並んだ彼らの情けない顔に、トーマは一つため息をついた。エクトルとマリノがよくヴェルナーの処刑に大人しく帯同したものだと思っていたが、全く大人しくなどしていなかったらしい。
「……その二人なら、処刑場で会いましたよ。ヴェルナーに付けて、ジーネ村に行かせました」
三人は、目を見開いて前のめりになる。よりはっきりした答えを求めているようだった。
「つまり……、無事だ」
トーマが言うと、彼らはようやく顔と体の力を抜いて、安堵の表情を浮かべる。
「知り合いか?」
「ええ……、二人とも、おれが副隊長だったときから第一分隊にいました」
「ほう」
リリーは四人の方に向き直り、座るように促した。
第一分隊の三人は、座る位置を巡って肘で小突き合いながらぐるぐると立ち位置を変え、トーマに一喝されて慌てて座った。
クルトは思い詰めた顔でうつむいたまま、三人が座った後に静かに椅子についた。
リリーは椅子に座らなかった。彼女が座るとすれば一番奥の席だが、そこに座るのは大げさだ。彼女は四人と少し距離をとり、円卓に浅く腰掛けた。
クルトの告発は次のような内容だった。
ヴェルナーが騎士団を出奔した際、逃走を幇助した罰として第一分隊の五人が地下牢に捕らえられた。彼はザウルから牢番を命じられたのだが、その後、また別にダミアに呼び出されたのだという。
「その際、彼らの会話を、全て報告するようにと、命じられたんです」
「はあ?」
第一分隊の三人が驚きと戸惑いを露わにする。
「おかしいと思いました。命令の内容ではありません。その命令が、私の直属の上司であるザウル隊長を通さず、ダミア総騎士長から直接命じられたことが、です」
ナコルがあごに手を当てて難しい顔をする。
「確かに……、総騎士長から個人的に、直接命令が下されることなんか、ほとんどないもんな」
「私には、命令の意図がよくわかりませんでした。だから、ただ言われたままに、彼らの挙動を記録して、毎日夜の見回りが終わる頃に……、これも総騎士長に指定された時間ですが、報告書を提出しました」
しかし、第一分隊の五人は、ほとんど内容のない会話しかせず、暇さえあれば牢の中で体を鍛え始める。ダミアは日に日に苛立っていくようだった。そして、クルトを問い詰めた。
「エクトル副隊長の発言を取りこぼしてはいないか、ヴェルナー隊長のことを何か話していなかったか……、そんなことを、聞かれました」
クルトは困った。エクトルは何も口にしなかった。答えられないクルトに、ダミアは話を聞き出すように言った。
「何を聞き出せばいいのか……、尋ねましたが、答えはもらえませんでした」
リリーがトーマを振り返った。
「エクトルとやらは、知り合いなのだったな?」
「……は。エクトル=フランクール。確か、叙任式は私が騎士団に来て一年経った頃でしたから、騎士団には七年ほど在籍していることになります。……今も第一分隊に?」
「第一分隊の副隊長であるようだな。おかしいか?」
「……いえ、残っているのなら、隊長職に就いているかと思ったものですから。ただ、ヴェルナーとの関係を考えれば、おかしくはありません。エクトルはヴェルナーを慕っていましたから」
リリーは、しばらくトーマの顔を見つめていた。彼女はトーマの知る限りのエクトルとヴェルナーの関係性を問い、トーマはそれに答えた。しかし、「残っているのなら」という一言が異様に響いた。エクトルには、騎士団に残るか残らないか、という選択があった。
トーマの無表情の下に、後悔がにじむ。彼もまた、その選択をエクトルに与えた一人だった。平静を装おうとすることは、あふれ出す水源を薄い布でせき止めようとするようなものだ。リリーはそれ以上彼の顔を観察しようとはしなかった。
「その男は、ヴェルナーとは近しいのか?」
次の問いは、第一分隊の三人に向けられた。ナコルとフレンの二人は一瞬顔を見合わせ、ぽりぽりと頬をかく。ナツは机の一点を見つめたまま。じっと黙っていた。
立場としては近しいが、問われるということは、立場ではなく心的な距離のことだ。
しばらく考えて、三人は一様に首を傾げる。
「エクトル、副隊長は……、ヴェルナー隊長の右腕、と、いいますか……」
「以心伝心と、いいますか……」
「何といいますか……」
真剣さの伝わらない半端な回答をだらしなく漏らすナコルとフレンに、トーマは振りかぶって拳骨を落としたい気持ちになった。リリーの表情が気になったが、彼女は背中を向けている。
「何か、何か違うな……」
ナコルが腕を組んで渋面をつくる。
ヴェルナーとエクトル、二人は表面的には近しくない。ヴェルナーは曲がることを知らない直情的な男だったが、エクトルは斜に構えた皮肉屋だ。しかし、斜めになったまま、まっすぐ走るような男だった。それゆえに、本質的には近しいのかもしれない。
それでも、「右腕」だの「以心伝心」だの「通じ合っている」だのといった言葉は、あまり的確ではない気がする。フレンも横で首を傾げて頷いている。
「隊長は一人っス」
ぽつりと、ナツが言った。
「特別、……っス」
ナコルがナツに向けて、ぱちん、と指を鳴らした。ナツは彼の場違いな同意を黙殺した。
「特別?」
リリーが首を傾げる。
「通じてはいるんでしょうけど、対等じゃない感じだ」
発言なのか独り言なのかわからない調子で、フレンが言う。
「対等っていえば……、シンさん……、副騎士長ぐらいのもんじゃないのかなあ」
フレンが無邪気に放った一言が、トーマの首筋に雷のような悪寒を走らせた。それと共に頭をよぎったビジョンは、ここで口にはできない。
「ただ、まあ総騎士長には、近しく見えたと思いますよ、あの二人。確かに対等なのはシンさんですけど、シンさんはシンさんで独立してるような感じですし」
ナコルが言った。リリーはため息をついた。予想はしないでもなかったが、騎士団内部の関係性はなかなかに複雑であるらしい。
「あの」
クルトが神妙な顔で口を開く。
「実は、総騎士長への報告を止めてくれたの、副騎士長なんです」
その場の全員がクルトに注目する。
ある晩、ダミアの部屋から出てくるところを、シンに見つかり、事情を聞かれたのだ。シンは、クルトの話を無表情で、しかし不愉快そうに聞いていた。全て話し終わると、彼はクルトに「君はもう来なくていい」と告げて、ダミアの部屋に入っていった。
「その翌日に……、ルドビルに向かう隊が編成されました」
クルトは言った。リリーが目を眇める。
「どういうことっスか……?」
ナツが、説明を求めて周囲の顔を見回す。
「……隊長が本気で逃げたら、まともに追える奴なんてほとんどいないからな。総騎士長はエクトルから隊長の逃げた先の心あたりを聞き出そうとしてたんじゃないか?それを、シンさんが教えたと……」
ナコルが言うと、ナツは困惑した顔で、唇を噛んだ。
「そんなの、おかしいっス!シンさんが、隊長を裏切るなんて……」
「うーん、そりゃあまあ、……そうね」
「あれ?でも何て言うか、だとしたらこの話、普通のことですよね?ねえ、殿下……」
フレンがリリーに声をかける。それがあまりになれなれしい調子であるのに、わきまえろ、という顔をしてナコルがフレンを肘で突いた。
しかし、リリーも、トーマでさえもフレンを咎めない。二人は目を見開いたまま、一切の挙動を停止していた。全ての神経を集中するようにして、何かを考えている。
「殿下?」
リリーの肩が跳ねた。四人は顔を見合わせる。
「ああ、すまない。で、何だったか?」
「ですから、総騎士長がエクトルや副騎士長から隊長の居場所を探ろうとするのは、何もおかしくはないんじゃないかと……」
「それはそうだが、クルトが不審に思うのは、ダミアがその当然のことを、なぜ隠すようにクルトに命じたのか、というところだろう」
先ほどまで放心していた割に、返答は流暢だった。
「はい。何と言うか、雰囲気も少し、異様で……」
「そうか……。普通のことならザウル隊長を通じて命令も報告もすればいいわけだから、となると、ザウル隊長に隠したかったということなのですかね?」
ナコルが寄せた眉間に人差し指を差し込む。フレンをたしなめておきながら、彼の行動もまた、リリーを前にふざけているように見える。
「ザウル個人に隠したかったか、あるいは公にしたくなかったか、だろうな」
トーマは険しい目で言った。その雰囲気に、四人はそのまま挙動を停止させる。
「……君たちは、王国議会が下した反逆者のリストを見たか?」
リリーの問いに、話の展開について行けない彼らは、またしても顔を見合わせる。
「おれたちは、現物は見てないです。王命が下ったってことは総騎士長から聞いたんですけど、リストはその後各隊に配られるって話だったんで。見る前に隊長が出て行っちゃって、その後はずっと地下牢でしたから」
フレンが言うと、順番、と言うように三人は揃ってクルトを見た。
「おれは……、一応、見たんですけど、すぐに牢番の任に就いたので、あんまり内容は覚えてないっていうか……」
上官にミスの言い訳をするような調子で、クルトはどもりながら言った。
「あ、でも、もしかしたら、エクトルさんは見たかもしれないっス」
思い出したようにナツが言った。作りかけた渋面を放り捨てて、リリーとトーマがナツを見た。
「副隊長ですし、王命だったら、リストの受け渡しのときに一緒にいたんじゃないかなあ」
今度は、リリーとトーマが顔を見合わせる。
「なるほど」
やはり展開について行けない四人は、困ったような顔で首を傾げる。
「では、エクトルとやらを連れ戻さねばならんな。話はそれからだ」
「……さっぱり意味がわからないんですけど」
フレンが言うと、リリーは悪戯っぽく笑ってみせる。
「君たちに、ヴェルナーの汚名を雪ぐ機会をやろうと言うのだよ」
第一分隊の三人の表情が変わる。その変容が、まるで野生動物のように直感的であるのを、リリーはやはり好ましく見る。
「まずは、そう……、ヴェルナーがステルラを出て、ルドビルに至るまでの足跡を辿れ」
「足跡?」
「そうだ。ヴェルナーがステルラを出てから、ルドビルに来るまで四日ほどかかっている。単騎で駆けるなら、追っ手を撒いたり馬を休ませる時間をとったとしても、せいぜい二日程度の距離だ。残りの二日、ヴェルナーがどこで何をしていたのか」
「四日……」
ナコルが繰り返す。手を口元にやり、頭の中に心あたりを探るように天井を見上げる。
「隊長は、ステルラを出たときからルドビルを目的地にしてたんすか?」
フレンが尋ねる。
「詳しい説明は後に回すが、確実だ」
リリーは、まだ悪戯っ子のような顔をしている。
「それなら、あの人、馬術もどうかしてるから追っ手を撒くのに時間なんかいらないですよ。本気で逃げられたら、おれたちでもついて行けない。総騎士長が目的地を知らなかったんなら、遠回りも必要ないわけだから、ルドビルまでは一日で着きます」
「では、三日ほど無駄に寄り道をしていることになるな」
リリーは首を傾げ、両手を挙げた。
「追っ手を撒く必要がないなら、寄り道の目的は別ってことですよね。馬はどうしたんだろう。乗り継いだか、休ませて走らせたか……」
ナコルが言う。ナツは二人の顔を交互に見やり、視線を落ち着かなく右往左往させている。彼はまだ、ステルラの外でのヴェルナーの行動パターンを、よく理解していないらしい。
「外に出る許可をやろう。実際に馬を走らせて、確かめてくるんだな」
リリーは、円卓から降りると、大きく伸びをした。フレンがナコルの顔を見ながら、自分とナコルを順に指さす。ナコルは頷き、「二人でいい」とリリーに告げた。
「では、君たちには別の仕事だな」
満足げな顔で、リリーはナツとクルトに向かう。
「……はい……」
リリーは笑っている。その笑みは、無邪気なようにも、妖しくも見えた。
「君たちは、私の側に置いてやろう。その都度、必要な調査を命じるから、そのつもりでいたまえ」
「……、……はい……」
展開をよく呑み込まないまま、クルトとナツは返事をしてしまった。リリーは、満面の笑みを浮かべている。その笑みに、トーマは二人の行く末を思った。




