13.逆さまの審判
「……では、聞こうか」
リリーは、領主館の応接間でウーゴに向き合って座っている。彼女の後ろには、いつものようにトビーが立っていた。
「……そうですね……、何から話せばいいか……」
ウーゴはゆっくりと、抑揚なく言った。リリーは眉間を寄せる。
「私の一存で、と言ったな。ヴェルナー=ウルブリヒトの処刑を推し進めたのはダミア=ガルシアではないのか」
「ええ、それは……、そうですね」
リリーは額に青筋を浮かべる。かみ合わないというより、テンポが合わない。
「ただ……、ただ、私は……ダミアの言うことに抗えなかった。陛下の親書をダミアに見せれば、彼を無理矢理でも止めることはできたでしょう。それができなかった。止められるものを止めなかったのですから、推し進めたのと同じです。」
ウーゴはぼんやりと空を見ている。
「ダミア=ガルシアが、ヴェルナーの処刑にこだわる理由を疑問に思わなかったのか」
リリーが尋ねると、ウーゴはリリーの方を向いた。
「こだわる……。そうですね……、私もなぜだろうと、そう思っていました。でも違います、内親王殿下。ダミアはヴェルナー=ウルブリヒトにこだわっているわけではない。ただ……ただ……」
「ただ?」
「彼がいる限り、夢は終わらない……」
「夢?」
ウーゴはうつむき、小さく笑んだ。その笑顔は、ゆらゆらと波の間をたゆたうように儚く、頼りない。リリーは目を眇めた。
「そう、夢です。ステルラは、この街はずっと夢を見ている。蜃気楼のような夢……。夢の中では、この街はいつまでも栄光に彩られた英雄の街……」
うわ言のように、ウーゴは言う。
「タグヒュームの悲劇も、流れゆく日々に任せてやがて忘れます。マリア内親王が亡くなっても、まだリヒャルトという英雄がいます。まだ大丈夫、夢を見ていられる。リヒャルトが亡くなっても……、まだ、そっくりの孫がいる……」
「でも、殿下……」ウーゴは顔を上げて言った。
「騎士たちは、タグヒュームの悲劇をその身を以て味わった者たちは決して忘れません。マリア内親王を殺めたのは、タグヒュームに赴いた彼らの仲間です。そして彼らが信じ、憧れ続けたリヒャルトは、タグヒュームの当事者ではなかった」
ウーゴは、目を閉じ、またうつむく。両手を組み、眉を寄せて伏せられた顔には、現実の悲壮感が漂う。
リリーは黙っている。そうして、次に彼が口を開くのを待った。
「ステルラは……、英雄の伝説が深く根付いた街です。エドガー=ウェルグローリア……、あるいはリヒャルト=ウルブリヒト……。しかし以前はどうであれ、タグヒュームを境に、騎士たちの間で、リヒャルトの求心力は落ちていくばかりだった……」
「……タグヒュームを目にしなかったから、と言うのだな」
リリーが言うと、ウーゴは彼女を見て小さくほほ笑む。力ない、諦めを含んだ笑みだった。
「……リヒャルトには、彼の信じる騎士道があった。それは絶対に揺るぎなく、しかし彼は、それに反する者を厳しく律するということはなかったのです。英雄として、皆が彼の背中を追いかけたから、騎士団は一丸だった。追うことをやめたら、リヒャルトの背はどんどんと遠く……、遠ざかったことでしょう。そして……、騎士団はバラバラになってしまった。取り残された者は、それでも何かにすがろうと、ダミアのもとに集まった。……貴方には……お分かりにならないでしょうね……」
リリーは眉を寄せる。
「……どういう意味だ?」
問いかけても、ウーゴは細く笑うばかりで、答えない。
「……私から見れば……」
そして、消え入りそうにうつろな声で続ける。
「リヒャルトとダミアの違いなど、個性だとしか言いようがありません。私は騎士ではない。リヒャルトにできないことをダミアがやり、ダミアができないことはリヒャルトがやる……。たったそれだけのことです。それだけの……。でも、それだけのことだ、とは、他方を認め、敬うことのできる人間にしか言えない言葉だと……、そう思います。リヒャルトは自分に出来ないことを知っていた。衝突はあれど、ダミアにそれなりの敬意を払ってきたはずです。だからこそ、ただ考え方が違うだけだと、それぞれに個性があるだけだと、それだけのことで済んできた。でもリヒャルトは死に、夢を捨てられない街の人々は、夢の続きにヴェルナー=ウルブリヒトを求めた。ですが、ですがね、殿下」
かすれていく声とは裏腹に、組まれた両手には力が込められていく。ウーゴは、力ない声で、しかし厳しい目で、言った。
「ヴェルナー=ウルブリヒトは言います。自分に何ができて、何ができないのか……、それを知らぬ若さでもって。考え方が違う?そんなことは……」
リリーは眉を寄せ、目を眇めた。
「――些末なことだ」
部屋は、沈黙に包まれた。
――あいつは……、強すぎる。そして、弱すぎるんです。
トーマの言葉を、リリーは思い出した。
「……私は、ヴェルナー=ウルブリヒトをリヒャルトに代わる英雄にしたかった……。彼が決定的にリヒャルトと異なるのは、その身を以て、かの悲劇を味わったということです。彼ならば、きっとリヒャルトに取り残された者たちをも拾い上げて、またステルラを一つにすることができると……。ただ彼はまだ若い。ダミアの力がどうしても必要だった。でも……二人はお互いに、歩み寄ろうとはしなかった……」
「互いに?」
「ええ……。ダミアは彼が総騎士長になることを承知しませんでしたし、ヴェルナー=ウルブリヒトもまた、総騎士長になることを拒否しましたから……」
「……なぜ、ヴェルナーは総騎士長になることを拒んだのだ?」
「そんな器ではない、と言っていました。彼にしてみれば、敬愛していた祖父の座っていた場所ですから、重荷に感じたのかもしれませんね。では副騎士長ならばどうかと言いましたが、それも……。第一分隊の長が一番性格に合っている、と」
「……その話、ダミアは知っているのか?」
ウーゴは黙ったまま、眉を寄せて小さく笑っている。
「騎士たちは……」ぽつぽつと、言葉を零し落とすようにウーゴは語る。
「タグヒュームを知る騎士は皆……、その地に赴いた者も、そうでない者も、皆です。傷を負った。夢を……、この国の生まれた者ならば誰もが抱く英雄の姿を、もうそうはなれないと、苦しみを抱えなくてはならなかった。ダミアはその苦しみや傷を、広げたくないのでしょう。私がヴェルナー=ウルブリヒトに望んだことを、彼がやったんです。いいや、違ったかもしれないが、ヴェルナーは誰も拾わなかった。騎士たちは彼に失望したはずです。遠く、遠くなる背中を見ながら……。まるでタグヒュームなどなかったかのように、英雄の孫として笑い、街の人々に愛され、新しくやってくる騎士たちに敬われ……」
ウーゴの目に、うっすらと涙が浮かぶ。膝の間で組まれた手は、固く、小さく震えている。
「その身を以てあの悲劇を味わいながらなお……まだ栄光の下にいる、その背中を……」
リリーは、ウーゴの様子をじっと見ていた。
こうして向き合って話すウーゴは、これまでに見た彼と違うようで、それでいて同じであるようにも見えた。
「……それすらも、それぞれの個性なのかもしれません。ヴェルナーは苦しみや絶望に服従しなかった。しかし抗っても抗っても、絶望から逃れられない者もいた……。それは、決して認め合うことも、敬い合うこともできはしない断絶なんです。同じ苦しみを抱えるからこそ……!私にはもう、どうしようもなかった……!」
リリーは、今初めて、父が何故この男をこのステルラの領主としたのか、その理由が見えるような気がした。
怯え惑う弱さの裏に、繊細すぎる感受性があった。
タグヒュームの悲劇の後、傷を負ったステルラを担うには、この感じやすさが必要だったのだ。
リリーは眉を寄せ、唇を噛んだ。それがわかるほど、なお悔しくてならなかった。
「だが君はどちらに傾いてもいけなかったのだ」
ウーゴは、濡れた目を見開いてリリーを見た。
「断絶の間に、立たなければならなかったのだ……!」
ウーゴは、リリーを見詰めた。
彼は、いつも敗北者だった。
敗北者なのだと、そう思ってきた。
目の前に立つ彼女と、同じ髪、同じ目をした圧倒的勝者は、敗北者を目にも留めない。
それゆえ、ダミアに同情し、傾いた。
そうして、そう、わかっている。
過ちを犯したのだ。
頬を、一筋、涙が伝う。
「ヴェルナーとダミアの間に!街の人々と騎士団の間に、君は立つべきだった!どうしようもなかったなどということがあるものか!ウーゴ=マラキアメール……!」
リリーの目は、苦渋に満ちている。
そうして、絞り出すようにして言った。
「……どうして、繰り返した……!」
その言葉に、ウーゴははっとした。
「……そう……」
ウーゴは、小さく頷き、顔を歪めた。そして両手で顔を覆い、泣き崩れた。
「そうでなくては、ならなかった……!」
それは、ステルラの街が、ステルラ王国騎士団が、この先ずっと背負わなければならない過ちだった。
かつてのタグヒュームと同じように。
しかし、一つだけ違うことがあった。
たった一度だけ、機会は与えられたのだ。
ダミアと向き合い、その心の内を聞いた。
止めなくてはならなかった。
「君はヴェルナーも、ダミアも、ステルラも!守ることができたかもしれなかった!」
リリーは叫ぶ。
ウーゴは、声をあげて泣き続けた。
*****
太陽が、西の端に沈もうとしている。
処刑場には灯りが灯され、赤茶色の処刑台へと続く道に、黒いフードを被った騎士たちが並んでいる。処刑台の傍らには、黒服の男が大きな斧を持って、その時を待っている。その側に、ダミアさんとザウルさんが立っていた。
僕は、処刑台の上に一人、二つの塔の輪郭がオレンジ色にぼやけるのを見ていた。
誰も何も言わない。風の音もしない。ただ時折、処刑場を照らす炎が、ぱちぱちと音を立てるだけだ。
塔の出入口近くに、シンさんかいるのが目に入った。彼はフードを被っていなかった。じっと目を閉じ、剣を地面に立てて、彫刻のように立っていた。
ふと、炎が揺らめくと、シンさんがゆっくりと目を開いた。
出入口の奥の通路に、人影が動く。それは次第に輪郭を露わにして、近づいてきた。
喉の奥まで押し寄せる吐き気をこらえながら、僕はその姿を見た。
黒い目隠しをされ、両手を後ろに縛られている。予想していなかったのは、その顔や首にいくつものあざや傷があったことで、ルドビルで捕まってからの日々がどんなものであったかを窺わせた。
罪人の姿をしたヴェルナーさんは、付き添いの騎士にそっと背を押されるようにして、僕の目の前に跪いた。
僕は、左手を彼の額に当てた。
手が震える。息が苦しい。でも、この空気を吸い込んで、飲みこむことはできない気がした。
「天上神マグニソルの赦しを求めよ。神の国に迎えられるために」
僕の声は、震えていたかもしれない。
ヴェルナーさんの声を聞くのが怖かった。それが以前とは大きく変わっているのではないかという気がして、胸がしめつけられるような思いがした。
ヴェルナーさんは、ゆっくりと首を傾げた。すると、無理な姿勢で固められたせいで凝っていたのだろう、首がこきりと鳴った。
「ああ……、すんません。思いつかない」
その声に、きりきりと締め付けられた体中の緊張が、ゆるりと解けた。。
そうだ、こんな声をしていた。
こんな調子で話していた。
同じだ。涙が出そうだ。
「いや、これでもいろいろ考えたんスけどね?やんなきゃよかった、ごめんなさい、って言えること、何もないです」
ヴェルナーさんはきっぱりと、そう言った。
シンさんの言葉が、また頭をよぎる。
――たとえそれが納得すべき死ではなくても、誇らしく、悔いなどないと胸を張って、祖父の元へ逝くのだと、そう思ってる。
僕は、目の奥の熱を閉じ込めるようにして、目を閉じた。
「……そうでしょうね……」
杖を握りしめる。
固く目を閉じ、心臓が、杖を握る手を通して、その先の神輝石と繋がるように。
心臓がじりじりと焼けるように痛む。
何でもない。
もうずっと、抱えてきた痛みだ。
耐えられる。
大丈夫だ。
「マリノ!」
ヴェルナーさんを連れてきた騎士が叫んだ。
神輝石からじわりと、金色の光が漏れる。
「な、にっ……!?」
誰かが叫んだ。
ダミアさんの声だったかもしれない。
でももう準備は整った。
――だって、それでも、僕は言いたくない。
満足だろう、いいじゃないか、なんて。
金色の光は、神輝石から一気に溢れだし、処刑場を包み込む。
「まぶし……っ!?」
「何だ、どうな……っ!」
そんな声があちこちから聞こえた。光の塔が、空に向かってまっすぐと立ち上る。この光に視界を奪われたりしない。心臓を灼かれても、これが、僕の唯一。
「エクトルさん、見えてますか!?」
「あいあい、何とかね!」
エクトルさんは素早くヴェルナーさんの腕を縛る縄を切る。
マリノさんは僕の後ろで剣を構えながら、無邪気に声をあげた。
「すっげえ!何だこれ!」
「緊張感ねえ!」
「お前ら……っ!」
腕が自由になり、目隠しをはぎ取ると、一瞬まぶしそうに目をつぶり、左右に首を振ってヴェルナーさんは叫んだ。
「……エクトル!マリノ!一体何して……」
「説教は後で聞きます!」
「逃げましょう、隊長!」
ヴェルナーさんは口をぱくぱくさせたが、マリノさんから投げ渡された剣をしっかりと受け取った。
そして、僕の顔を見た。
「……ジウ……!」
――とび色の瞳だ。もう一度、この目を見たかった。
泣きそうになりながら、ほほ笑んだ。
「逃げましょう、ヴェルナーさん!」
「後ろはおれが守りますから、道を!」
マリノさんが言うと、ヴェルナーさんは怒ったような、でも笑ったような複雑な顔をしながら、前を向いた。
僕が持ってきた短剣は、今はマリノさんが持っている。第一分隊の隊員である彼らは、密かに行列に紛れ込み、ヴェルナーさんを助け出す機会を窺っていたのだという。
礼拝堂に水を運んできたエクトルさんに、僕は全てを告げた。
話を聞き終わると同時に彼は僕の両腕をがっしりと掴み、目をらんらんと輝かせて協力を申し出てくれた。
この上なく有り難く、頼もしい援助だった。
それは、エクトルさんとマリノさんにとってもそうだと、彼らは言ってくれた。
金色の光は、少しずつ薄くなっていく。
小さな神輝石では、数分でその力は失われてしまう。
あとはただ、再びその光を集めるまで、くすんだ化石になるだけだ。
エクトルさんとヴェルナーさんは、視界がおぼつかないままあたふたとする騎士たちをなぎ倒し、塔の入口に走る。
その後に、マリノさんと二人で続く。
やって来た騎士たちは、ほとんどここに集まっている。
塔に入りさえすれば、もう大丈夫だ。
「――逃がさない」
光の膜の向こうから、艶やかな声が聞こえた。
「お前は、生かせない、ヴェルナー……!」
それは、一瞬だった。
もうあと少しで、塔に入るところだった。
出入口の近くに立っていた人影が、剣を振り下ろす。
銀色の一閃は、ヴェルナーさんの左肩に、落ちた。
そして。
赤い血を噴き出しながら、ヴェルナーさんは倒れた。
くずおれた背中の向こうに、剣についた血を払うシンさんが、立っていた。
「隊長ーッ!」
マリノさんが叫び、ヴェルナーさんの背中を支える。
「シンさんっ……!」
エクトルさんは、シンさんに向かって行った。
シンさんの剣は、雷がひらめくようにエクトルさんの一撃を受け止め、受け流す。そして次には、剣の柄がエクトルさんの肩に打ち下ろされた。
「……っ!」
鈍い音がして、エクトルさんはその場に倒れ込んだ。
「シン=ウィーラント!」
背後から、ダミア=ガルシアが叫んだ。
「そのまま殺せ!とどめを刺せ!」
シンさんは、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「やめろおおッ!」
エクトルさんが叫ぶ。
マリノさんが、ヴェルナーさんの体を覆うようにしてかばおうとする。
しかし、その体は後ろから視界を取り戻したザウルさんにはぎ取られ、投げ捨てられた。
シンさんは、ヴェルナーさんを見下ろす。
水色の目が、冷たく凍っている。
夜へと移り変わる空に、真っ直ぐと、白銀の一線が引かれる。
止めなければと思うのに、僕の体は、ぴくりとも動かない。
「や、め……」
「そこまでだ!全員剣を置け!」
懐かしい声に反応して、硬直から解放された。その場にへたり込み、頭上の門を見上げる。
「……トーマ、さん……!」
処刑場の門に、トーマさんがいた。
黒い馬に乗って、後ろにはもう一人、見知らぬ騎士を連れている。
その姿に、その名前を呼ぶと同時に、ぼろぼろと涙が零れ落ちた。
何の涙なのか、全くわからない。
「……トーマ=ウルストンクラフト……!」ダミア=ガルシアが叫ぶ。
「ダミア=ガルシア!ヴェルナー=ウルブリヒトの一件は、リリー=ウェルグローリア内親王殿下に一任された!処刑は保留される!これは王命だ!」
トーマさんは、一枚の巻物を広げて見せた。そこには確かに、王の印章が掲げられている。
「王命、だと……!?」
王命という言葉に、王の印章に、その場にいた騎士たちは、次々と剣を置いた。
トーマさんは、塔へと続く道を馬で駆ける。その後に、困惑顔の騎士が続いた。
マリノさんが我に帰ったようにヴェルナーさんの側に這いずり、マントを引きちぎり、手当てを始める。
「……っ、隊、長…っ!ヴェルナーさん!くそっ!」
泣きそうな顔だ。
ヴェルナーさんの服はもう真っ赤に染まっている。
処刑場の黒い土が、ヴェルナーさんの血を、どんどんと吸い込んでいく。
がらりと、剣が落ちる音がした。
剣を置いたのはシンさんだった。
彼は無表情で、ヴェルナーさんを見つめていた。
「……どうして……?」
その青白い顔を見ながら、僕は問わずにはいられなかった。
シンさんは、氷のような瞳をこちらに向ける。
「どうして?おれはステルラ王国騎士団の副騎士長ですよ、神官さん。命令に従ったまでです」
「納得してないって、おかしいところがあるって、言ったじゃないですか!」
僕は涙混じりに叫ぶ。
僕はこの人を、判断できなかった。
でも、信じたかった。
どうしてかはわからない。
でも、この人の中のトーマさんの気配が、ヴェルナーさんと同じ熱が、子どもたちを、ケイをなだめるさっぱりとした、優しさが――。
シンさんはほほ笑む。
彫刻のように凄艶と、冷たく、無機質な笑みで。
「おれを、信じたんですか?」
冷たい水を打ちかけられたように、体温が下がるのを感じた。
シンさんの凍るような目。
よく磨かれた、鏡のようだ。
はっきりと真実を映すのに、ただ、映すだけ。
頬を、冷たい涙が伝う。
溢れだした瞬間の熱は、どこに消えたのだろう。
「トーマさん!ヴェルナーさんが!」
マリノさんが叫んだ。それは、もう悲鳴に近い。塔の奥から、トーマさんがヴェルナーさんの下に駆け寄って来た。
「……トーマ……?な、んで……」
うわ言のように、ヴェルナーさんは言う。力なく震える手で、トーマさんの腕を掴もうとする。
「黙ってろ!」
トーマさんは改めて、しっかりと止血をし直す。
「マリノ、ジーネ村を知ってるな?そこに医者がいる。ステルラまではもたん!」
「はい……!」
「ジウ」
トーマさんは、僕の方を見た。そうして、両手で力強く、僕の肩を掴む。
「遅くなって悪かった。もう少しだけしっかりしてくれ。ヴェルナーをジーネ村に。頼む」
バランスがガタガタで、崩れてしまいそうだ。僕はよろよろと覚束なく立ち上がり、ヴェルナーさんを運び出そうとするマリノさんに手を貸す。
「……シン」
トーマさんの声が聞こえた。
それは、怒りのような、悲しみのような、深い声だった。
僕は思わず振り返った。
シンさんの中に揺らめくトーマさんの気配。
そのトーマさんが、今、シンさんの前に立っている。
シンさんは、笑った。
真っ白な肌から、赤い舌が覗く。
美しく、歪に笑った。
「お帰りなさい、隊長」