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白い花の歌  作者: タク
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8.収穫の街で

 東屋のテーブルに、二つの籠が置かれている。どちらにも、採れたばかりのカブが山盛りに入っている。リリーは、それぞれの籠から一つずつ取り出し、両手に載せて、見比べる。その隣で、アナが二つのカブを小さく切り分けている。一かけらずつ受け取り、リリーはそれを慎重に味わった。

「いかがです?」

 目をらんらんと輝かせて、ノアは身を乗り出し、至近距離まで顔を近づけてくる。東屋に集まった農婦たちは、固唾を飲んでリリーの反応を待っているが、その中でノアの期待は揺るぎない。ノアの顔を、しばらく無表情で見つめてから、リリーはにやりと笑んだ。

「よかろう。来季は全ての畑で、君の案を採用しよう」

 東屋に歓声が上がった。ノアは両手を広げ、意味のわからない歓声を上げながら、収穫を終えたカブ畑に駆けていった。アナが切り分けたカブを農婦たちにも配っていく。

「何じゃあ、あいつは……」

「犬みたいじゃのう」

 カブ畑を走り回るノアの姿を眺めながら、老人たちが言う。

「アナ、ノアが正気に戻ったら、栽培記録を簡単にまとめ直せと伝えろ。行商に持たせる。このカブは、二つとも持っていくように指示を」

「はいよ!マーネあたりで、高く売れそうだねえ」

「シロミツバの種を仕入れねばならんなあ」

 走り回り、ノアは足をもつれさせて畑に転がる。てきぱきと段取りを決めるリリーとアナの周りで、農婦たちがそれを見て和やかに笑い、数人がノアの元に駆けていった。

「シロミツバの種なら、私が仕入れましょうか。安く手に入れますよ」

 老人を除き、女性ばかりの中に、ずっしりと響く低い声が降ってきた。

「アンゲロさん!」

 若い農婦たちの顔がぱっと輝く。アンゲロは、少し背をかがめながらにっこりとほほ笑んだ。その後ろから、トビーがひょっこりと顔を覗かせる。

「皆さま、お戻りですよ」

 トビーがそう告げると、若い農婦たちは歓声と共に手を取り合う。

「行ってきなよ。こっちはあたしらでやっとくさ」

 アナが言うと、若い農婦たちは少し迷ったようだったが、足はもうそちらに走り出しそうで、軽く頭を下げた。頭に巻いていた布を取って、互いの髪を整えながら、街へと駆けていった。

「君たちはいいのか?」

 リリーが言うと、残った農婦たちはからからと笑い、「宴の準備をしないとだろ?」と籠を背負い、畑に向かった。

「それで、シロミツバとはどんな話なんです?」

 農婦たちが去ったところで、アンゲロが言う。浅黒い肌の大男は、腰のあたりに色んな道具をぶら下げ、もっさりとした毛皮の上着を羽織っている。彼は、スタウィアノクトの西、おぼろ山の入り口にある鉱山街マノックの首領である。

「ああ。ノアが言うには、シロミツバを植えた場所には、ミミズが集まってくるのだそうだ」

「ミミズ?」

「左様。土が豊かな証拠だな。彼はシロミツバの種を魔法の花の種と聞いて植えたらしいが」

「彼らしい話ですな」

 アンゲロは豪快に笑う。

「それで、カブ畑にシロミツバを植えてみたらどうかと言うのでな。試しに畑の一部に植えてみたのだ。その結果がこれだよ」

 リリーが二つの籠を指さす。アンゲロは籠の中をのぞき込む。それぞれの籠のカブの大きさが、明らかに違っている。

「ほーう……、で、味も?」

「いいようだ」

 リリーは満足そうに笑む。彼女の服装は、農婦たちのそれとほとんど変わらない。スカートを履くのを好まないため、農家の少年のようだ。手袋にも服にも泥がついているが、頭の後ろで高い位置に結ったプラチナの長い髪が、風になびき、青空に映えて美しい。

 アンゲロは彼女の横顔をじっと眺める。

「あの少年も変わっているが、あなたも変わったお方だ」

「うん?」

「ベジェトコルは未来の王を失った。右に行くべきか、左に行くべきか、誰もが迷っているこの時に、あなたときたら、満足げに畑を眺めておいでなのだ」

 リリーはアンゲロの顔を見やる。アンゲロは穏やかに笑っている。リリーは再び畑に目をやる。スタウィアノクトの西の畑は、彼女が領主になってから、大きく姿を変えてきた。

「私は根っからの騎士なのだよ」

 リリーは言った。

「剣を取り、馬にまたがり、戦いの中に生き、そして出来るならその中で、華々しく散りたい。そういう……、危うい心性が、私にはある」

 アンゲロは、彼女の腰に下げられた剣を見た。どんな姿をしていても、彼女が剣を持たないことはない。

「そうした志は、あるいはこの国を高きものにするかもしれないが、この国を生かすものは、地に足を付け、大地と共に生きる人々なのだろうと」

 カブ畑では、ノアが農婦たちに抱えあげられている。シロミツバの白い小さな花びらにまみれて、ノアは笑っている。穏やかに、生き生きと。リリーはほほ笑んだ。

「そういうことを、私はこの地で学んだのだよ。だからこそ、こんなときほど、こうしていることに意味がある」

 アンゲロも、畑を見る。ノアがアンゲロに気付き、大きく手を振り、駆けて来る。

「私は……」

 アンゲロがのっそりと体を揺らす。腰に下げた道具が触れ合ってカチカチと音を立てる。

「あなたの治める国を見てみたいと思うのですがね。我らが王よ」

 リリーはちろりとアンゲロを睨み付ける。マノックという鉱山街は、神代の山、おぼろ山のふもとにある。そのため、そこに存在しながら異なる時代を生きるような、ある種の隔絶をもってベジェトコルの民に認識されていた。それが、この二人の間に結ばれた縁が元で、マノックはスタウィアノクトの領地として、ベジェトコルに属するようになったのである。それ以降、アンゲロは時折、彼女のことを「我らが王」と、そう呼んだ。

「こんな時に、危ない冗談はやめてくれ」

 リリーが言うと、アンゲロはいつもの調子で笑った。その瞬間、ノアがアンゲロの胸元に飛びついた。その様は、どう猛な熊の胸にか弱いうさぎが飛び込む奇妙な絵図を連想させた。アンゲロは、小さな犬を可愛がるように、ノアを抱き上げる。

「馬車だ!」

 アンゲロの肩に抱えられて、ノアが叫んだ。

「馬車?」

 ノアの視線の先を見やると、馬車が一輌、スタウィアノクト城に向かっていた。馬車の幕には、王の使いを示す印章がある。

「……使者だ!」

 叫ぶと同時に駆け出し、リリーと、その後を追ってトビーが、軽やかに馬に飛び乗った。

「ああ、こりゃ大変だ」

 瞬く間に遠くなっていくリリーとトビーの後ろ姿を見ながら、アナが言う。

「お城に戻るよ!あんたも!急ぐんだよ!」

 ノアの背を叩き、大きな体を揺さぶらせながら、アナもまた、スタウィアノクト城に向かう。アンゲロはノアと顔を見合わせ、のっそりと後に続いた。




 スタウィアノクトの街は、喜びに包まれていた。収穫期に合わせ、普段はマノックに出かけている男たちが、アンゲロと共に戻ってきたのだ。これからひと月ほどの間、スタウィアノクトでは総出で作物の収穫作業が行われ、それが終わると、彼らはまたマノックへ出ていく。期限付きではあるが、それでも数か月ぶりの家族の再会に、人々の顔からは溢れんばかりの笑みがこぼれている。

 そんな中で、スタウィアノクト城で使者と対面したリリーは、これ以上ないというくらいのしかめ面を披露していた。

「……君が使者だと!?国王陛下の!?」

 リリーが叫ぶ。使者――、トーマは、申し訳なさげに、眉を下げる。

「恐れながら……」

 一瞬の間、沈黙が流れる。

「ジリアン!」

「はい」

 矛先は、馬車を操ってきたジリアンに向けられた。

「この男が使者だと!?」

「左様にございます。国王陛下よりの書簡がございます」

「書簡……」

 その言葉に、リリーは再び苦々しい顔をトーマに向け、小さくため息をついた。

「爺、使者殿とアンゲロを応接間に案内してくれ。私は着替える」

「ああ、手伝いますよ」

 トーマの横を通り過ぎ、リリーは階段を上っていく。その後をアナがどたどたと付いていく。

「……ああ、ノア。君も着替えて薬酒を応接間に。使者殿は、長旅でお疲れだろうから」

 階段の中程でリリーは一度立ち止まり、艶然とほほ笑んでそう言った。直後、笑顔はすぐに消え、リリーは再び階段を上っていった。

「……では、トーマ殿、アンゲロ殿もこちらへ」

 トビーがトーマとアンゲロを促す。ノアは、しばらく首を傾げて考えていたが、やがて何かを思いついたように顔を上げ、軽やかな足取りで城の奥に駆けていった。

 ジリアンは、「では、私はこれで」と誰に向けて放つともなく平坦な口調で言うと、くるりと向きを変え、出ていった。

 スタウィアノクト城には、召使はいない。その代わり、街の住人たちが交代で手伝いにやって来る。石造りの廊下を歩きながら、トーマは何人かの住人たちとすれ違った。

 城の召使であれば、王の使者には礼を尽くさねばならないところだが、大きな鍋や麻袋を抱えた住人たちには、彼は邪魔者にしか映らない。道を譲らなければならないのはトーマの方だった。住人たちは、荷物の端が客人に当たるのも気にせず忙しなく通り過ぎていった。

「何だか忙しそうですね。何かあるんですか?」

「ええ、カブが採れました」

「カブ?」

「今夜は収穫期を迎える宴ですよ」

 屋上庭園を横目に、応接室になっている小広間へ向かう。庭園では、子どもたちが壁一面に生い茂った葉の中から、赤い実を籠に集めている。トビーの姿を目にすると、手を止め、大きく手を振った。トビーはにっこり笑んで手を振り返す。

 庭園の隅に腰掛け、赤い実をより分けている背中の曲がった老婆が、小さな籠を子どもたちに促す。子どもたちは籠を受け取ると、トビーのもとに駆け寄ってきた。

「おお、きれいな実だなあ」

 横からアンゲロが籠を覗き込む。

「今年のはとくべつ甘くておいしいよ!煮詰めるにはもったいないって、婆ちゃんが!」

 子どもたちははつらつとした笑顔で言うと、踵を返して駆けていく。使命を終えて戻ってきた子どもの頭を撫でて、老婆はトビーとアンゲロに向けて小さく頭を下げた。二人も同様に会釈を返す。

「せっかくですから、後でこのままいだたきましょう」

 トビーは赤い実を一つ手に取り、柔らかく笑んで言った。

 円い天井の頂上部分の小さな窓と、柱の間の大きな窓から入る光が、乳白色の壁に反射して小広間を明るく照らす。小広間には、中央に丸い大きなテーブルが置かれている。中央部分が空洞になっているためか、大きさの割に圧迫感は感じられない。テーブルの周りには、テーブルと同じ素材で造られた重厚な造りの椅子が並んでいる。

 大きな窓の向こうから聞こえる賑やかな声に誘われ、トーマは中庭を見下ろした。籠いっぱいの食料を抱えて走り回る者や、大きな調理器具を設置する者、人々は皆笑顔で、宴の準備をしている。

 トーマには少し意外だった。スタウィアノクトといえば、古い伝説と、老人が多い静かな街、だと思っていた。確かに老人は多い。しかし、老人も若者も子どもも、それぞれに役目があるようで、街は生き生きとして、賑やかだ。

「いかがですかな?我らが王の都は」

 アンゲロが横に並んで言う。トーマはアンゲロをまじまじと見る。随分と背が高い。体もがっしりしている。毛皮の上着を羽織り、着古された革のチュニック、腰には用途のわからない道具がいくつもぶら下がっている。

「……あなたは?」

「ああ、これは失礼。私はアンゲロといいます。おぼろ山の鉱山街マノックのまとめ役をやっております」

「おぼろ山に、街が?」

「ええ、ええ。ご存じでないのも無理はない。これまでベジェトコルとは関わりを持たずにやってきたんでね。でも、縁がありましてなあ。姫君の下にお仕えすることにしたんです」

 ふと、トーマは街にいた若い男たちのことを思い出した。体格がよく、日に焼けて、膝近くまである丈夫そうな革のブーツ、服は黒ずんで汚れていた。

「では、街にいた若い男たちは、あなたの街の?」

「ああ、ええ、鉱夫たちです。といっても、ここの若い男たちをマノックでお預かりしておりますからなあ。半数以上は里帰りです」

「……へえ」

 扉が開いて、リリーが不機嫌そうに部屋に入ってきた。上質な絹に、細やかな装飾が控えめに施された、清楚で上品な服装だ。リリーは鋭い目でトーマを見やった。トーマは思わず目を伏せる。

「陛下の書簡を」

 トーマが懐から書簡を取り出すと、それをトビーが受け取り、リリーに渡す。リリーは書簡を広げ、真剣な顔で目を通す。読み進めるに従って、表情は険しくなっていった。

「国王は、何と?」

 アンゲロが問うと、リリーは渋い顔をして目線を上げた。

「……私に、ステルラの監査役を命じるとのことだ」

「ほう……」

 一時、広間は沈黙した。

「なかなか、思い切ったご決断をなさいましたな。監査を付けるということは、ステルラ公に不審ありとするわけですから……」

 アンゲロがあごひげを撫でながら、神妙な顔つきで言った。トーマはその物言いに、小さな違和感を覚える。

「トーマ=ウルストンクラフト」

 リリーがトーマの名を呼んだ。机に広げられた書簡に置かれていた目線が、鋭くトーマに向けられる。

「王命を改ざんしたのはダミア=ガルシアか?」

 唐突に核心を突かれ、トーマは思わず顔をしかめてしまった。

「……おそらくは」

 トーマの返答は煮え切らない。リリーは少し考えて、問う。

「そうでない可能性は、どれほどだ?」

「改ざんを証明できる可能性と同じほど」

「……なるほど」

 トーマの返答の意味するところは、クレイグとの間で了解されたことだ。改ざんされたリストの存在を以て、ダミアを追及することはできない。

「……とすると、ヴェルナーが反逆者でないことを証さねばならないか……」

「あるいは、ダミア本人に改ざんを認めさせることです」

 トーマは明瞭な声で言った。それは、彼がスタウィアノクトに向かう道すがらに考えた答えだった。

 リリーは少し首を傾げ、試すような目でトーマを見る。

「……できるのか?」

「私の知る限り、可能性としては。ダミアは聡明ですが、感情的です。自分の怒りを抑えられない。怒らせるほど、ぼろが出る」

「ほーう……」

 リリーはどこか楽しげな思案顔で、椅子の背に体を沈めた。

「失礼いたします!」

 唐突に扉が開いて、アナとノアが部屋に入ってきた。

「……アナ殿、ノックを」

「お飲み物をお持ちしましたよ!」

 トビーの忠言を全く構わず、アナは銀の水差しと人数分の杯を載せたワゴンを運び入れる。後に続いてノアが、深緑の瓶とガラスの杯を一つ載せた盆を危なげに持って入ってきた。トビーは小さくため息をついて、飲み物の用意を手伝うべく、ワゴンの側に移動する。

「……まあ、使者殿に一息入れてもらわねばな」

 トーマは、リリーの言葉に不穏な気配を感じる。リリーの目配せで、ノアはトーマの側に盆を置くと、大仕事を終えたかのように息をついた。

「この男はノア=リードという。爺の遠縁にあたる貴族の息子で、まだ十六なのだが、これがなかなか、面白い男でな」

「はあ……」

 ノアはにっこりと笑った。白い肌に赤いふっくらとした頬、癖のあるふんわりした栗色の髪が、邪気のない笑顔を年齢よりも幼く見せる。

「これ、僕の作った薬酒なんです。血の巡りをよくするように考えたので、馬車旅の後にはきっといいはずです」

 ノアは、目をきらきらと輝かせる。深緑の瓶の栓が抜かれる。その直後から、青臭いような、土臭いような、鉄くさいような、奇妙で複雑な香りが部屋に充満する。

「あんた、効用だけでなくもうちょっと……」

 アナが鼻をつまんで言う。トビーが不自然な咳をした。深緑の瓶から、赤黒い液体がコップにどろりと注がれる。

「さ、どうぞ!」

 トーマは、少し顔を歪めた。リリーを見ると、彼女は先ほど階段で見せたのと同じく、艶然とほほ笑んでいる。

トーマは彼女の意図を理解する。コップを受け取り、一つ咳をして覚悟を決めると、一息に液体を喉に流し込んだ。

 罰杯だ。

 異様なほどのしょっぱさと、薬臭い強烈な香りが口の中に広がり、ほんの一瞬舌を撫でただけだというのに、えぐみが消えない。トーマは努めて平静を装うが、みるみるうちに顔色を失くしていった。

「農法の研究には才があるが、薬酒作りにはまるで向かん」

 こともなげに、リリーは言った。ノアとトーマとリリーを除く全員が、続けざまに小さく咳き込んだ。

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